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第四十四回 暗箭傷人

 時間はやや遡る。

 伊宰相は上がってきた報告を聞きながら、部下の前で感情を表に出すことを必死に抑えていた。

「内々で皇帝は石将軍に王の位を授けることを検討しているようです」

「朝議でそのようなことが議題に上がったことはない。庵室の学士どもか」

「左様でございます」

 好き勝手なことを皇帝に吹き込みおって……。

 正式な官吏でもない者が皇帝に意見しているところを考えただけで、伊宰相の血圧が上がる。

「皇帝も石将軍に王位を与えることに乗り気で、魏澄子のみが猛反対しているとのことです」

「ふん、あの石頭がわしの役に立つとはな」

「さらにもう一つお耳に入れたいことがあります」

「なんだ?」

「月巧妃が、魏高輔に興味を持っているようです。恐らく再び召し出すつもりではないかと」

 報告する部下は声をひそめて言った。

「……魏高輔を?」

 そう呟いたあと、もう一度繰り返した。

「あの魏高輔を?」

「はい。月巧妃は魏高輔に書状を送りました。中身までは分かりませんが」

「月巧妃は一族の者に官職を与え始めた。魏高輔もそうだと考えるべきであろうな。恐らく用意されているのははわしがいま座っている席だろう」


 パン、と伊宰相は自らの膝を打った。

 さっきまでの神妙な表情は消えていえ、顔にはどこか快活さと朗らかさが浮かんでいる。

「よし決めた! 洛倉の普請に従事した者たちを労って、旬日後に宴を開くとクリシュに伝えよ!」

「はっ」

 部下は拱手で答えた。

 洛倉とは伊宰相の命で都の郊外に設置した巨大な穀物倉庫である。

 つい先日、欧陽家の欧陽歩が工部侍郎となったものの、洛倉に関しては伊宰相の派閥が一手に引き受けて建設を担っていた。


 この洛倉は表向きただの官倉だったが、その真の姿は兵舎であった。

 伊宰相は洛倉建設のための人夫を集めると見せかけて兵を集め、建設資材と称して攻城兵器の材料を堂々と運び入れていたのである。

 無論、罪を得た元羽林兵を人夫に……という申し出も兵を得るためである。

 伊宰相以下、皇帝風演に不満のある佞臣たちが洛倉に集めた兵力は二千を超えた。

 帝国を揺るがすには心許ない数に感じるが、これは奇襲である。後宮に押し入って皇帝を虜にし傀儡政治に邪魔な月巧妃を除くには十分な数であった。

 それにこれ以上の人数を動かせばどうしても計画が漏れる恐れがある。それでも二千という数は普段宮内に常駐する兵よりは多い。

 さらに洛倉が表向き穀倉倉庫であるというのも伊宰相側に都合が良かった。

 これら二千の兵は運び込まれる穀物を食らいつつ決起の日を待ちかまえていたのである。

 その兵たちを率いる将こそ伊宰相の懐刀、クリシュであった。遠い彼の故地で、彼の名は剣を意味する。

 

 伊宰相からの指示を受け取ったクリシュは、旬日──つまり十日間かけて、洛倉の中で攻城兵器を組み立て、秘密裏に武器を揃え最終的な準備を行った。

 そして月光もまだ弱い三日月の晩、ついに伊宰相の計画は決行された。夜陰に紛れ武装した二千の兵が洛倉を発つ。

 戦いらしい戦いもなく、京城を囲む外門は静かに陥落した。あらかじめ門衛を買収していたのであるる。だが、そこから皇帝の居る皇城まではまだ相当の距離があった。

 緊張と恐怖から軽く息を弾ませ、二千の兵は都を横断していく。ガラガラと衝車の車輪が軋み、二千の兵の鎧や剣が触れ合う音は決して小さくない。

 都内の住人が異変に気付いていてもおかしくはない。いや実際何人かは行軍の音に気が付いているだろう。だが、それが軍事行動であると気付くものはいなかった。クリシュの率いる兵たちは抵抗らしい抵抗を受ける前に城郭まで到達した。

 しかしこの先は雪瑜による軍事改革が僅かに功を奏した。将軍を変え城兵の刷新を行っていたため、門衛の買収ができなかったのである。

 つまり、クーデターを起こした彼らにとってもここから先は正念場だ。

 ため込んだ恐怖と鬱憤を爆発させるように、彼らは鬨の声を上げ、衝車を押し城門を叩いた。

「うおおおおおおおおおおおっ!」

 ドォン!

 落雷の如き大音を轟かせ城門が軋む。

 ドォン!

 城兵が異変に気が付き、顔を出す。反乱軍は即座に現れた城兵を殺したが、何人かは這う這うの体で逃げ出した。

 ドォン!

「ここでグズグズは出来んぞ! 急げ!」

 クリシュが配下に檄を飛ばす。反乱兵たちはあらん限りの力を込めて、衝車を押し出した。

 ドガァッ!バキバキバキ!

 閂の横木がへし折れ、城門が破られると反乱軍たちは雪崩を打って城内に侵入した。

「手筈通り分かれるぞ! 皇帝は後宮にいる! 必ず捕まえろ!」

 侵入した反乱軍は五百人づつ四つの部隊に分かれた。そのうち三つはそれぞれのルートで後宮を目指し、クリシュ自身は主君である伊宰相と協力する諸侯を迎えに行く。

 反乱軍の侵攻は電撃的な素早さがあった。それぞれの部隊を先導しているのは、城内をよく知る元羽林兵だったためだ。

 城兵たちが混乱し事態を把握しきる前に攻め入ることにこそ奇襲の利がある。反乱軍は三方から扉を破り後宮へ向かって突き進んだ。


 一方、宮殿の一角でクリシュは伊宰相らと合流した。

 その場には伊宰相だけでなく名門と呼ばれる高官らが並ぶ。

 特記すべきは風演の息子風閲と、その傅である王紹もそこにいたということだ。

 つまり必要であればここで皇帝を弑逆し、幼帝を立てる準備は既にできているということである。

「陛下はまだ捕えておらぬのか?」

「私にもまだそのような報告は入っておりませぬ」

 クリシュがそう頭を下げると、王紹が鋭く叱責した。

「見つからぬではすまんぞ!」

 伊宰相が冷静に宥める。

「そう浮足立つな、王紹。猿めは羽林軍は精強にしたつもりのようだが、数が少ない。戦力がこちらは上だ。出入口を押さえて皇帝を逃がさぬようにしていれば、自ずと我らが勝つ。孫子にもあるだろう? 先ず勝つべからざるを為し、と言うやつだ」

「それはそうだが……」

「主よ、王紹殿の心配はごもっとも。これより陛下を探して参ります!」

「止めぬ。だが……目標を間違えるな。探すのは月巧妃だ。奴は必ず殺せ。皇帝は後でよい」

「委細承知!」

 クリシュは大半の兵をその場の守備に残し、数名の手練れだけを選んで、再び戦場に戻ろうとした。

 だがその時、不意に甲高い声が挙がり、クリシュを引き留めた。

「待って!」

 一斉に声の主に注目が集まる。と、一同は目を丸くした。

 それは王紹のすぐそばで震える、風閲──幼い皇帝の子だったのだ。

 幼い皇子は懇願するように言った。

「母上を……助けて……」

 クリシュは幼い風閲の前で膝を折って傅いた。

「閲様、無論でございます。兵には孝淑妃様を決して傷つけぬよう厳命しておりますので、ご安心ください」

 咄嗟の嘘である。だがすまし顔でクリシュは続けた。

「先ほどお聞きになりましたでしょう、我らは悪い奴を叩きに行くのです。その悪い奴こそ孝淑妃様や閲様を殺そうとしているのです。この私がそんなことをさせません、ここで吉報をお待ちください」

「うん……」

 クリシュは立ち上がると戦場へ向かった。

 巫の血を継ぐ戦士は小さく純真な希望が背中を押すのを感じた。

 だが同時に、それよりも遥かに強い黒い欲望が渦巻くのを感じとった。



 風演一行と別れた玲は、ただ一人無我夢中で走っていた。

 一人になったのが却ってよかったのか、気が付くと周囲には誰もいない。

 彼女が辿り着いたのは仙遊宮の一角である。

 まだ反乱による破壊の手が及んでいなかったが、周囲の物々しい雰囲気がいつも以上に人工の仙域を不気味なものにしていた。戦火に照らされた彫刻や奇岩珍木がいまにも動き出しそうである。

 一度立ち止まると、恐怖で足が竦む。

 怖い、怖いが、まだ止まってはダメだ、と自分に言い聞かせる。

 ここまで来たのは陛下の為だ。目立って敵を引きつけなくては囮になった意味がない!

 目立たなければ……。

 ふと玲の目に楼閣が目に入った。

 仙遊宮の中でも比較的高い建築物である。

 あれだ!

 玲は再び走り出した。全力で楼閣を登りきると最上階の窓を開け大声で叫ぶ。

「月巧妃はここに居るぞーーーー!!」

 ここが両軍激しくぶつかり合う場所と離れていて良かった。

 狙いが私なら陛下に向かう敵が少なくなるはずだ。

「月巧妃はここだぞーーーー!! 月巧妃は……」

 外に向かって叫ぶ玲の背後で、激しい息遣いとドンドンという足音が聞こえた。

 玲は窓から後ずさるように離れ、足音のした方を凝視する。

 だが現れたのは月巧妃の命を狙う兵ではなく、玲がよく見知った顔だった。

「玲様……! 無茶をし過ぎです!」

「護景! どうして来たの?」

「なぜもなにも、月巧妃様を守るのが私の使命です。さあ陛下の元に戻りましょう!」

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