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第四十三回 宮廷炎上

 解放された二羽の夜鈴燕は、その後も嫦娥宮の近くに留まっていた。

 夜ごとに美しい声が響き渡ることに気付いた風演は、もし夜鈴燕を見つけても決して手を出すなと周囲に厳命した。

 特に夜鈴燕は玲の部屋の傍に陣取ることが多く、チチチ……という短い鳴き声が聞こえると、玲は餌を持った器を窓の縁に置いて、小さな歌の達人をもてなしてやった。


 夏が盛りを越えると夜鈴燕の歌はますます研ぎ澄まされていくように感じられた。

 夜風にひんやりした空気が流れ込むようになると、人々の眠りも深くなる。まどろみの中で玲は夜鈴燕の歌を楽しんだ。

 ある晩も半ば眠った頭の中で玲は夜鈴燕が歌っているのを聞いていた。

 ──ああ、今夜も夜鈴燕が鳴いている、美しい歌声で。


 やがて、歌声が乱れたように感じた。

 だが、半ば眠っている玲はその違和感に気が付かない。

 遠くでドォンという太鼓のような音が響く。

 ──ああ、夜鈴燕が鳴いている……。

 ドォン、とまた太鼓の音が響いた。誰かが夜鈴燕に調子を合わせて音頭を取っているのか? こんな夜中に……。

 隣では風演が寝息を立てている。

 

 どしどしどしどし……ばん!

 開き戸が乱暴に開けられた。

 流石に驚いて玲は顔を上げる。そこには息を切らした護景が立っていた。

 風演も明らかに不快そうに身を起こす。

「無礼者! ここをどこだと思っている」

「火急の用にて、平にご容赦を! 陛下、何者かが宮殿を襲っております、急ぎ安全な場所へ移って頂きたく参りました!」

「なにィ……!?」

 そのときまたドォンという音が聞こえた。先ほどよりもずっと音源が近づいている。

「なんだあの音は!?」

「衝車でございます。それを使って各門を攻撃しているのです!」

「ば、馬鹿な! そんなものが突然現れるはずがない!」

 風演は訳が分からず護景を怒鳴った。

 第一に、もう二十年近く反乱が起こったなどという報告は受けていない。ましてや都の周辺でそのような動きがあろうとは思えなかった。

 第二に仮に農民らの反乱が起こったとしても、衝車など扱えるはずがなかった。

 衝車は車に破城槌を取り付けた兵器で、製造し運用するには専門技術と資金が必要だ。突発的な反乱でそんなものを持ち出せるわけがない。

 ということは、これは計画されたものか?

 しかし、誰がどうやって誰にも気づかれず攻城兵器を都まで運び込んだのだ?


「陛下はとにかく安全な場所へ! 焦螟殿がお持ちです、月巧妃様も早く!」

 再度、門を突く衝車が起こす地響きがこだまする。

 続いて聞こえてきたのは、ウオオオオオオオオ……という雄叫びだった。

 それが熱狂に任せた鬨の声であると気付いた時、風演は、恐怖のあまり総毛立って震えた。

 護景と玲はよろめく皇帝を肩で支えようとしたが、玲もまた恐怖の洗礼を受けていた為、中々前に進まない。

 異変に気付いた侍女たちも起き出してきて、玲の代わりに玉蘭が皇帝の体を支えた。

 風演は呻くように言う。

「焦螟は……老爺(じいさま)はどこだ……?」

「焦螟様はもうすぐ来られます。さあ、陛下、もうひと踏ん張りですぞ!」


 その時、鎧武者の集団が一行の前に立ちふさがった。その中の一人が野太い声で叫ぶ。

「何をぐずぐずしている!」

 風演と玲は震え上がったが、護景は逆にほっと息を吐いた。

「馮嘉隊長、来てくれたか!」

「我が君、遅れて申し訳ありませぬ。だが、もう安心ですぞ」

 武者の一団に混じっていた小柄な老宦官が風演に向って拱手すると、風演もやっと人心地が付いて緊張が和らいだようだった。

「いいからどけ! 緊急事態だぞ!」

 そのやりとりに少しイライラしていた馮嘉は、急いで皇帝を部下の一人に背負わせて周囲を固めた。

「出るぞ!」


 馮嘉は先頭を切り一行を先導する。

 その足取りは確かで、混乱しながらの迷走という感じは全くない。彼には明確な目的地があるらしかった。

「いま我らはどこの宮に向かっているのだ?」

 皇帝の当然の疑問に傍らの焦螟が答えた。

「我が君、宮ではありませぬ、宗廟にございます。そこまでゆけば安心でございます」

「宗廟?」

 そのとき再び大きく鬨の声が聞こえた。

 荒々しい雄たけびに混じり

「陛下を探せ!」

「陛下はどこだ!」

 といった叫びが聞こえる。

 しかし、反乱者の目標は皇帝だけではなかった。

「急げ月巧妃は後宮だ!」

「君側の奸、討ち取れば褒美も勲爵も思いのままだぞ!」

「白猴を見つけ出し八つ裂きにしろ!」

 そのような声がはっきり聞こえてくるのが分かった。

 ──何者か分からないが、相手の目的は……私だ。

 玲はまた衝撃を受けた。


「いたぞ! ここだぁぁぁっ!」

 前方で怒号と干戈を交える音が巻き起こった。

 一行の歩みは止まり、鉄と鉄がぶつかり合う甲高い音がすぐそこから聞こえる。

 やがて前方から馮嘉隊長の声が聞こえた。

「我らは羽林でも指折り、全く問題はない。さあ行くぞ!」

 再び一行は進み始めたが、転がっていた生新しい死体を見ると、玲は先ほどぶつけられた圧倒的な敵意が蘇り、足が竦んだ。

「月巧妃様!足を止めてはいけませぬ!」

 護景が励まして手を引いてくれた。棒のようになってしまった足を何とか動かす。

 青ざめた顔で唇を震わせながら、玲は雪瑜のことを想った。


 雪瑜。な、なんで出てこない。

 こんなこと私には無理だ。

 た、たすけ……。


「……!」

 生死の狭間にあるという危機感と恐怖のせいで心臓が高鳴る。

 そのような状況下で、玲は雪瑜に助けを求めている自分に気が付いた。

 同時にそれは早打つ鼓動が凍り付くほどの、認めがたい事実を示唆している。

 そのことを自覚した瞬間、彼女は自己嫌悪を爆発させて、猛烈に恥じた。

 激しく揺さぶられた感情は、玲自身ですら忘れていた過去の記憶を掘り起こした。


 物心も付かない幼い時分、それでも自分が厄介者扱いされていることはなんとなく感じていた。

 大人で優しくしてくれるのは両親だけ。疎外感の中で自分はずっと傍に居てくれる頼れる友を……いや、友以上の存在を願った。

 自分がこう在りたいと思う、理想の存在。大人にも物怖じせず、強かに賢く立ち回って自分を守ってくれる存在。

 幼い私の願い通り、彼女はいつも傍に居て、私を守ってくれた。


 宗靖と共に母の冥福を祈って泰山府君に参拝した帰り道、周泰に絡まれて一悶着が起こった。

 あのときも、自分は助けを求めた。

 誰に? 決まっている。この世に居ないはずの、想像の存在に、だ。

 私の求めに応じて、白猴は私の心の中を飛び出し、私の肉体を使ってこの世に現れた。


 恐怖で歯が震えカチカチと音を立てる。

 ──雪瑜を作り出したのは、私だ。あれほど容易く人の命を奪う存在を世に解き放ったのは私だ……。

 全ては私が蒔いた種。そして、いまここで雪瑜を呼び出せば、彼女はますます強くなり、きっともう止められなくなる気がする。

 それだけはダメだ。

 今度は私が、私の意志でこの場を乗り切るしかない。


 玲は己を奮い立たせた。剣戟の音があちこちでこだまする。

 敵方が火を放ったのだろう。白み始めた空にもうもうと黒煙が上った。

「陛下、何者か知りませんが、どうやら目的は私のようでございます」

 玲は声を張り上げた。

 前方で兵に背負われている風演が振り返り、玲を励ます。

「そのようなことはない。これがお前のせいであるものか!」

 玲は覚悟を決めて皇帝に微笑みを見せた。

「陛下、私が敵を引きつけます。そうすれば無事に廟堂まで辿り着ける可能性が増しましょう……雪瑜でもきっとこうしたはずです」

「なにをする気だ?」

 皇帝の問いには答えず、玲は分かれ道になった瞬間に、一行とは別の道を走り出した。

 突然のことに後方を固める羽林兵も一人道を外れた玲を捕まえられなかった。

「馬鹿な真似はよせ!」

「陛下、お静まり下さい!」

 風演は暴れたが、背負われている身ではどうしようもなかった。

「誰か、誰か玲を連れ戻せェ!」

 皇帝の悲痛な叫びは、背後から迫る鬨の声に呑みこまれた。

 

先週しばらく休止すると言いましたが、あれじゃ引きが弱い&なんか一話完成した&作者が盛り上がってるので一話だけ更新します。

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