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第三十九回 教練

 教練を行う際、雪瑜は化粧を落としてきらびやかな服を脱ぎ、冠を被って戎衣を纏ったが、昔から男装することが多かった彼女に戦装束はよく馴染んだ。

 初めて雪瑜がその格好で兵たちの前に現れたとき、どこぞの将軍の息子と思った者が多くいたほどである。

「誰だアレは?」

「さあなァ。しかし、あの真っ白な鶴髪は気障だなァ。月巧妃様にあやかってやがるのか知らねえけどよ」

「い、いや待て、あ、あれは……!」

 謎の青年将校の正体が月巧妃だと知ると、皇帝の妃がこんなことをするのか、と兵たちは驚愕した。

 やがてその衝撃が去ると、次第に男装の麗人は好奇の目で見られるようになった。

 雪瑜は自分が羨望と侮蔑が入り混じった奇異の目で見られていることに気が付いていたが、それらを無視して部下の兵と可能な限り多くの交流をした。

 積極的に教練や狩りを行い、時に兵たちと同じ飯を食うこともした。

 そうすると兵たちは互いに視線を交わして、ヤンチャな妃の行動に肩を竦めた。

「貴人の気紛れだ。どうせすぐ飽きる」

 しかし雪瑜は飽きなかった。

 彼女が本当に将軍になろうとしていることが兵士にも分って来ると、今度は陰で冷笑された。

「後宮から出たこともないような女や宦官に何が分かる?」

 雪瑜が率いようとしているのは、雪瑜自身が厳しく再設定した武挙の基準に合格した者たちである。

 腕に覚えのある彼らは、皇帝の妃とはいえ女の俄か将軍に簡単になびきはしない。


 ──いいぞ。そうこなくてはな。

 雪瑜は兵たちの頑な態度はむしろ強さの表れと見て、内心喜んだ

 いまの自分は本物の将軍ではないし、彼らも本物の兵士ではない。だが、いずれは……天下を驚かせよう。

 雪瑜は教練に参加を続けながら、本物の将軍のように振舞った。時に鉈のように権力を振るい、粗暴な指揮官を降格させ、逆に兵卒の中で優秀と見た者を引き立てるのである。

 そうして雪瑜の目に留まった兵の中で最も有名なのは、武挙の際に喫邪(シーシェイ)と御前試合を行った馮 嘉(ふうか)であった。

 抜きんでた長身を持つ馮嘉は嫌でも目につくというのもあるが、度胸があり、将校を前にしても堂々とした立ち振る舞いをするところを雪瑜は何度も目にしていた。

 あれはいい。

 兵の目から見て頼り甲斐がある。

 雪瑜はほくそ笑んだ。きっと月巧妃という位からでは、馮嘉の存在は見えなかっただろう。

 軍隊という機構(しくみ)全体を把握するためには、時に視点を下げたり角度を変えたりすることも必要だ。


「お前が陛下の前で御前試合を行った馮嘉とやらか」

 雪瑜は慇懃に声をかけた。

 彼女も背が高いが、馮嘉の体躯は抜きん出ている。自然と仰ぎ見る形になるが、雪瑜は態度まで見上げるようなことはしない。

 巨漢に向って上から押さえつけるように言葉を投げつける。

「中々の力自慢と聞いたが、私はその試合をしっかり見ていない。訓練が終わったら私のところへ来い。お前の力を見せてみろ」

「え? は、はあ……」

 女の将軍をどう扱っていいか分からず、馮嘉は困惑して答えた。

「なんだそのやる気のない返事は! しゃんとしろ!」

 雪瑜は叱りつけたが、当の馮嘉は「やれやれ、妙なのに捕まったぜ……」と内心肩を竦めただけだった。


 訓練が終わり、他の兵が引きあげるのを見届けると、手足となる宦官を除いて二人きりになった雪瑜は木刀を馮嘉に渡した。

「なんスか、これは?」

 質問には答えず雪瑜は自らも木刀を構える。

「さあ、打ってこい!」

「なっ。じょ、冗談を……」

 女、それも皇帝の妃に打ち込めるはずがない、と馮嘉は苦笑いを浮かべた。

「冗談なわけあるか。私の命令に聞けないというのなら羽林軍から去ってもらう」

 そう凄まれてしぶしぶ馮嘉は木刀を構えた。

 適当にあしらうか。

 上段に構えた馮嘉は、雪瑜を傷つけないように手加減して木刀を振り下ろした。

 ガチィィィィィィン!

「うおっ!」

 直後、馮嘉の両腕に雷に撃たれたような衝撃が伝わり、木刀が弾き飛ばされた。

 気が抜けたような振り下ろしを、雪瑜が思い切り打ち払ったのである。

「なんだ、いまの緩い打ち込みは!」

 そう一喝されても馮嘉はまだ不服そうに視線を泳がせた。皇帝の妃相手に本気を出せるわけもない、という態度がありありと浮かんでいる。


 だが、弾き飛ばされた木刀を拾ってよく見るとハッと息を呑んで瞠目した。

 樫の木でできた木刀がへし折れている。

「う、うそ……」

 到底女の膂力で可能な芸当ではない。いや、自分でもできるかどうか。もし先ほどの一撃をまともに受ければ、骨が砕け内臓は破れるだろう。打ち込まれたのが頭なら即死だ。

 ごくりと生唾を呑みこみ、今更ながら馮嘉の雪瑜を見る目が変わった。

「どうした!? 言いたいことがあるなら言って見ろ!」

「お、御見それしやした。まさか月巧妃様がこれほどの技量を持っているなどとは知らず……つい」

「馬鹿者がぁっ!」

 雪瑜は火眼金睛(あかめ)をかっと見開いて叫んだ。

「つい油断したとでも言うつもりか! 陛下を守る羽林軍にそのようなこと許されぬぞ!」

 そう言ってから雪瑜は少し声量を下げた。

「それと、私をただの卑妾だとでも思っていたのか? 私は常に陛下のお傍に居る。つまり、一度コトが起これば私が陛下の最後の盾となるのだ。ならばこの程度は当然だ。お前は違うのか!」

「……い、いや。そんなことは……」

「旬日(十日)後、教練が終わったらまたここに来い。次また腑抜けた態度を取ったら本当に羽林軍から追い出すからな!」


 約束通り十日後、再び雪瑜と馮嘉は木刀を持って対峙していた。

 月巧妃を傷つけるわけには行かぬ、という思いは変わっていないが、馮嘉は前回よりも気を引き締めてこの場に臨んでいた。

 またもや上段に構えつつ、じりじりと間合いを詰める。

 雪瑜は半歩だけ身を退き、身を屈めて両足に力を込めた。

 獣が獲物に飛び掛かる直前のような、異質な構えである。十分に張り詰めた力を推進力に変え、雪瑜は弾ける様に飛び掛かった。


「なっ!?」

 くそ、動きが速い!

 喫邪(シーシェイ)はしこい(・・・・)野郎だったが、これはそれとはまた別種の素早さだ。人間的な動きじゃない。

 馮嘉は咄嗟に構えを上段から中段に変えて雪瑜を迎え打つ。

 ガッと互いの木刀が軋み音を立てる。一見両者のぶつかりは互角に見えたが、木刀を合わせた後の態勢が違う。

 前のめりになった雪瑜に対し、勢いの乗った一撃を受けた馮嘉は態勢を大きく崩していた。

 雪瑜はその隙を逃さず畳みかける。身を低く屈めて木刀で馮嘉の片足をすくったのである。

「うわっ」

 と情けない声を上げて馮嘉はその場に尻持ちを付いた。

「この程度か! 次までにもっと工夫を考えてこい! また旬日後だ!」

「……!」

 尻もちをついたまま、馮嘉は絶句していた。

 この自分が二度もいいようにされるとは……あの女の技量は本物だ。

 二度目の対決の後、馮嘉は戦士としての雪瑜を認めた。単に命令によって従っているのではなく、心服し恭順の意を取るようになったのである。

 何かと目立つ存在だった馮嘉の心持ちの変化は、自然と雪瑜が率いる三百名の部隊全体に影響を与えた。

 気に入らなければ上官にも容赦なく食って掛かる巨漢が、雪瑜には恭しく接するところを多くの人間が目撃し、それに倣うものが現れたからである。

 それでなくとも、馮嘉は自分の前で雪瑜が無力な女であるという類の陰口が言われることを許さなかった。


 雪瑜が馮嘉に初めて声を掛けてから一月後。三度目の対決が行われた。

 もう馮嘉に僅かな油断も慢心もない。

 上段ではなく正眼に構え、再び迎え撃つ姿勢を取る。

「行くぞ」

 雪瑜はそういうと前回同様に身を屈めた姿勢を取る。

 両足に力を込め、連弩から放たれる矢のように飛びかかる独特の構えだ。

 ピンと張り詰めた矢が飛び出すように、雪瑜が仕掛ける。


 ──速え、そして()ええ。

 だけどよぉ。どんなに速くたって、来ると分ってりゃあ何とでもなるぜ。


 馮嘉は冷静に状況を観察し、雪瑜の一撃を巻き取るようにして受け流した。

 凌がれた雪瑜は着地と同時に再び仕掛けるが、これも馮嘉は難なく避ける。

「ちっ!」

 苛立ちに雪瑜の顔が歪んだ。

 馮嘉は普通の人間よりも間合いが長い。その間合いの長さが距離を詰める際に一瞬の時間を生み、受けの時間を作っていた。

 対して、余裕ができて視野が広くなった馮嘉は、前回までは見えなかった雪瑜の弱点を見つけていた。

 およそ、武術とは視線を逸らし、足運びを隠し、仕掛けの気配を消し、目的を悟らせないようにするもの。

 だが雪瑜はそうではなかった。目は事前に仕掛ける場所を見つめ、いまから仕掛けるという拍子(タイミング)を隠さない。


 お(きさき)様が大した女だってことは分かったよ。

 脚力も腕力も全く人間離れしている。下手すりゃ俺より強いかもなぁ。

 だけど、もうそれに誤魔化されねえ。武術というものをまだしっかり学んでいない。いや、ぶっちゃけ殆ど素人。

 それに気づいた馮嘉は雪瑜の動きを完全に見切ったといってよい。

 何度かの攻防の末、雪瑜も自分の勝機がなくなったことを悟ると構えを解いた。

「……やめだ」

「はい」

「少しはマシになったようだが、今日より前に二度死んでることを忘れるなよ。今後も訓練を怠るな」

「も、勿論ス」

「話は変わるがお前、妙に人を使い慣れてるな。武挙の前は何をしていた?」

「親戚が商いをしていて、その手伝いを少々」

 すると雪瑜は面倒くさそうに手で払うような仕草をした。

「いいか、私には二度と嘘をつくな。殺すぞ」

「……」

「心配するな。何をしてようが罪には問わんから、正直に言え」

 馮嘉は言い辛そうに、ぽつりぽつりと話し始めた。

「その……侠客の真似事などを少し……後ろめたいことも結構……いや、かなり……」

「ふん、そんなことだろうと思ったわ。それがなんで武挙なんぞ受けようと思ったんだ」

「親分が死んでみんな散り散りになったんで、暇になったから一つ腕試しでもしてやろうかと」

「なるほどな。それで、侠客時代はどれくらいの舎弟がいた?」

「まあ三十人ってところスね」

「三十……チンピラにしては幅を利かせていたようだな。それが今は五人組の伍長では不満じゃないか、え?」

「いや、そんな──」

 そんなことはない。そう言おうとして馮嘉は言葉を呑みこみ、言い直した。

「──不満です」

「はっきり言ったな」

「娘子将軍が今度嘘ついたら殺すと言ったので、正直に答えたス」

「くふふっ」

 直球の言い回しに雪瑜は思わず吹き出した。

 くどくど言わずハッキリものを言う人間は雪瑜の好みである。

「いいだろう。三つ位を上げて百人率いさせてやる」

「はい!?」

「叩いた大口に見合った働きをしてみろ、馮嘉隊長」

「は、ははーっ」

 馮嘉は深く揖礼した。


 やがて馮嘉がその場から去ると、護景がすぐ傍に寄って、念押しする。

「本当によろしいのですか、あのような素行の悪い者に一隊を任せるなど」

「何事もまずやらせてみなければ育たん。それに破天荒のようで案外常識はあるように見えた」

「そうでしょうか……」

「気付いてなかったか? 私はあいつを殺してもよいと思って向かい合っていたが、馮嘉の奴はいつも私を傷つけないことを前提にしていたのだぞ。そうでなければ、初めから私に後れを取ることはなかったはずだ」

「しかし……」

「くどい! そういうお前はどうなんだ護景? 少し揉んでやる、かかってこい!」

「え……!?」

「さあ行くぞ!」


 雪瑜が汗を拭いながら道場を出てしばらくして、肩で息をしながら木刀を杖のように突いて道場から這い出てくる護景の姿が目撃された。

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