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第三十一回 羽林軍の改革

「本当でございますか!」

「ああ、本当だとも」

 新たなる武挙の実施の前に、遠く離れた辺境から、あの石豹将軍が参朝することになった。

 風演だけでなく雪瑜も喜悦の笑みを浮かべる。

 二人とも、あの滑稽な顔の将軍とはなんとなく馬が合い、話し合うといつも気分が良かった。


「陛下、そして娘子将軍、お久しぶりでございまする。生きてまたこの都の土を踏むことができ、お二人に相見えることが出来申した。これに勝る喜びはございません」

 久々に会った石豹将軍は、達磨法師のようなまん丸い顔に感激の涙を浮かべ、深々と頭を下げた。

 風演も再会に感動し、慰労の言葉を投げかける。

「おうおう、()も将軍と再見できて嬉しいぞ。将軍が働いてくれるお陰で北域、西域は安泰じゃ」

「いつもご苦労様です」

 すかさず雪瑜も合の手を入れる。

「ははーっ。娘子将軍もお変わりなく……いや、ますますお奇麗になられましたな。これ以上美しくなられては嫦娥の嫉妬を招いてしまいますぞ」

 石豹は雪瑜を持ち上げるだけ持ち上げた。分かりやすいおべっかだが、石豹から言われるとなぜだか嫌味がない。

「まったく。将軍はいつも大げさで困ります」

 と言って、笑った口元を隠す雪瑜もどこか楽しげだ。


 また、石豹が西域から持ち返った土産も、二人を喜ばせた。

 風演には異国の書画や楽器、雪瑜に贈ったのは乳頭香、麝香(じゃこう)、薫陸香などの香料と、蜂蜜、石蜜、ショ糖などの甘味料である。

 再会は和やかな雰囲気のまま進んだ。

 前回出会ったとき、雪瑜は充媛(じゅうえん)に過ぎず、公的な場で風演の傍には二人の力ある妃が侍っていた。

 いまその二人はいない。だが、そのことに関して石豹は触れなかった。


「さて石将軍。前もって伝えた通り、都の兵たちに強壮な将軍の兵の実力を見せてくれ」

「委細承知」

 風演が石豹を呼び出したのは、何もお気に入りの将軍とお喋りする為だけではない。

 これも軍改革の一環である。

 形骸化していた武挙を一新し、その引き締めにかかる為に石豹に声がかかったのだ。

 つまり新たな武挙に新たな基準を設け、その基準は強壮と名高い西域兵たちのレベルに近いものとすることにしたのである。


 馬術、弓技とりわけ騎射、走力、持久力、筋力、剣技……。

 石将軍の引き連れてきた兵は、都の将軍たちの前でこれらを披露し、武挙の新たな基準を作り上げていった。

 また基準を明確化することで、求める基準に達しているかどうかは誰が見ても分かるようにした。金品の贈賄による不正な合格者を出さない為である。


 それにしても石将軍配下の兵──黒づくめの戎衣(じゅうい)で統一していた為、鴉兵の異名を持つ──は精兵であった。

「す、凄い」

 武挙の改革を命じられていた、新たな羽林中郎将、劉幹も当然その場にいたが、鴉兵の能力の高さには舌を巻いた。

「流石は名高い西域最強軍だ。都の人間とはまるで人として生まれ持った地力そのものが違うかのような……」

 たまたまそれを聞いていた石豹はニヤリと笑った後、やんわりとそれを否定した。

「劉幹殿、それは違う。都の人間も西域の人間もさほど違いはない。結局は甘えがあるかどうかだけよ」

「あ……これは」

 咄嗟のことに劉幹は返答に窮した。

 石豹は構わず続ける。

「例えばあの仮面を付けている者……あれは西域人ではなく、ここで拾った男よ、ふっふっふ」

 石豹の太い指が一人の男を指した。

 その男は鍾馗の仮面を付けて素顔を隠し、剣技において他の者を圧倒しているところだった。

 また、仮面の男は他の分野でも他者に抜きんでた成績を収めていた。

 仮面の男が好成績を修める度、石豹は満足げに頷く。

「ぬふふふ。燃え盛っておるわ。若い若い」


 風演、そして娘子将軍という名目でその場に同席していた雪瑜も、やがて仮面の男の存在に気が付いた。

 好成績を修め、かつ仮面という目立つ特徴があれば、注目を集めるのは当然だろう。

「なぜあの者は顔を隠しているのです?」

「それはな、娘子将軍。あの者はまだ年若く童顔なので、他の者から侮られないよう、あのように恐ろしい鍾馗の面を付けているのだよ」

「なるほど……それにしてもあれでまだ若輩とは信じられません。まるで鬼神のようではありませんか」

「お望みであれば面を外させるが?」

「いえ、それは結構。本人が隠したいと思っているものをわざわざ暴いて晒し者にする必要はないでしょう。別段害もなさそうですし。ねえ、大家(ターチャ)

「うむ。雪瑜の言う通りだ。あの者が仮面を付けたいというのなら、付けさせてやれ。()が許す」

「勿体ないお言葉ですな。本人が聞いたら感激するでしょう」

「が、名前くらいは聞いてもいいだろう。あの者の名は何と申すのだ?」

「本名は別にありますが、兵どもの中では喫邪(シーシェイ)と呼ばれています。鍾馗は鬼を食らうので」

喫邪(シーシェイ)! なんと強そうな名前」


 鋭い音と共に、(まと)の真ん中に矢が突き刺さる。

 石豹や劉幹といった武官たち、そして雪瑜、風演らの視線の先で、仮面の戦士は見事な乗馬と騎射の腕前を披露していた。

 雪瑜はしばらく顎に手を当てて、思案するフリをした後、劉幹に提案した。

 一見思い付きのようだが、実はここしばらく考えてきたことである。

「……どうでしょう劉将軍。次の武挙の前に、いまいる羽林兵たちにも同水準の試験を受けさせては」

「はっ?」

「だってそうでしょう。これから武挙は厳しい水準となるのです。新たに入った者はそれを潜り抜けてくる。それなのに、いま居る者は無能でも同じ待遇というのは公平さに欠きます。幸い、今なら石将軍もおりますし」


 劉幹は眉間に皺を寄せて、唸るように言った。

「うーむ。正直に申し上げて、鴉兵を水準としますと今の羽林兵は相当数が落第するかと思います」

「相当数ってどれくらいですか?」

「私の見たところ、残るのは三割に満たないかと存じ上げます」

「ならば残すのは三割で良いのでは?」

 ちらりと、雪瑜は生来の過激さを見せた。

 三割で良いはずがない。

 これには劉幹も咄嗟に反対した。

「それは、これまで大過なく務めを果たしてきた兵たちにとって、あまりにも酷い仕打ちでございます! 要らぬ混乱を招きかねません! 何より兵員が減りすぎます!」

「大過なく、ねえ……では、落ち零れた者には復帰の機会を与えるようにしましょう。例えば一度目の試験の結果が出た後、いくらか間をおいて再試験を実施するというのはどうでしょうか。庵室の学士たちとよく検討してください」

 そこまで言いうと、雪瑜は最後にハッとして付け加えた。

「ねえ、大家(ターチャ)もそう思うでしょう?」

「あ、うむ。劉将軍、期待しているぞ」

「……承知致しました」

 こう言われては雪瑜の言葉は皇帝の言葉も同然である。

 劉幹は従うほかなかった。



 こうして、羽林軍の改革は始まった。

 後日、実際に試験が行われ、形骸化していた羽林軍の実力が、白日の下に晒されたのである。

 格好つけた兵隊ごっこがしたかっただけの者、ただ名誉が欲しかったに過ぎない者……そういった金と暇を持て余して羽林軍に潜り込んでいた貴族の子弟が多数炙り出された。

 中にはまともに弓さえ引けない者もいたというのだから、始末が悪い。無茶ぶりであるはずの三割だけ残れば良い、という雪瑜の意見が正論に見えてくる。


 本来であれば、このような試験は皇帝がわざわざ足を運ぶほどのものではない。

 だが、雪瑜は風演の腕を引っ掴み、強引に見学に誘った。

 先日見事な能力を示した鴉兵に比べ、不甲斐ない羽林兵たちに風演は腹をたてた。

「なんと酷い。月巧妃は()の目を開かせてくれたわ!」

 風演は吐き捨てるようにそう言うと、さらに劉幹の前任者だった洪嬰という男を「昭国の柱梁を食い潰す白蟻め!」と激しく罵った。

 風演の苛立ちの裏には怯えがあった。

 家臣たちの圧迫に怯えている風演は、その最後の拠り所として羽林兵に期待を寄せていたのである。

 それが張り子の虎と知って、本能的な恐怖に駆られたのだ。

「劉将軍、再試験を行うのは見込みのありそうな者だけでよいぞ! 石将軍と鴉兵も、もうしばらくこちらに居てくれるという。よく鴉兵から学ばせるようにせよ」

「心得ました」


 こうして、実に六割近い人間が羽林兵の資格を停止させられた。さらにその半分は再試験を行うこともできず、そのまま軍隊から追い出された。

 後日行われた再試験で羽林軍に帰って来た者もいるが、それを加えても羽林軍の兵員は半減した。

 まさに大鉈を振るうような改革である。

 皇帝風演の後押しもあって、劉幹はこの大鉈を存分に振るった。妥協はせず、あくまで厳しく改革を行ったのである。

 一方で怒りに震えた皇帝とは違い、劉幹は冷静であった。

 自分の仕事は軍の再建であると割り切っていたので、落第した兵にはそれ以上何も思うことはなかった。


 だが、風演は違う。

 羽林軍の堕落に対し、執拗に激しい嫌悪を見せたのである。

 あくまで非公式の場でのことだが、談笑中でも話が羽林軍の改革のことになると、風演は一度ならず声を荒げた。

「あまりにも不甲斐ない結果を出した者には罰を与えた方が良かったかもしれぬ……それにしても憎きは前羽林中郎将の洪嬰よ。左遷では甘すぎたかも知れん」

 と、風演は周囲に漏らしていた。

 背後からその様子を眺めていた雪瑜は満足げな表情を浮かべた。

 例え憎しみであれ、人事に積極さを見せている風演の態度は雪瑜にとって好ましいものだったのである。

 ある意味で、夫の男らしさにウットリしていると言ってもいい。

 ああ、やはり大家(ターチャ)の本当の姿は威厳ある皇帝なのだ、と胸をときめかせていた。


 しかし、玲はそんな皇帝の態度に不安を覚えた。

 陛下がそんなことを漏らしていては、せっかく命を拾った洪嬰の命が危ういと見たのだ。

 玲は穏健派の代表である。彼女は政敵になり得る勢力の人命をも危惧していた。

 表に出ているあいだは、やんわりと風演を諭す。

 皇帝も雪瑜の前ならともかく、玲の前では寛容を押し出した態度で振舞うことが多かった。

「綸言汗の如しと申します。一度洪嬰殿の命を助けることに決めたなら、この件についてはそれを一貫させるべきです」

「その通りだ。分かっている、分かっている」


 そんなやりとりが何度か行われている間も、行われる新たな武挙の日取りは迫っていた。

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