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第三十回 旧知との再会

 いまや月巧妃の懐刀となった若い宦官がやって来ると、雪瑜は耳打ちするように小さな声で言った。

「内密に人と会う予定ができた。その諸々の手配を頼みたい」

「承知致しました。では、どこで誰とお会いになる予定でしょうか」

「大した身分の者ではないから、場所は目立たぬ所ならでも良い。それ、そこの書状に連絡先が書いてある。その者を呼んで欲しいのだ。細々としたことは護景に任せる」

「は。早速手配いたします」


 後日、後宮に近い城内の部屋に、一人の商人が呼び出された。

 良く言えば恰幅がよく、悪く言えば太った男で、いかにも田舎から出てきたような野暮ったい顔つきの青年であった。

 呼び出されたその男は、とても緊張した様子でそわそわして落ち着きがなかった。しきりに頭を掻いたり、髭を撫でたりしている。

 しばらくして、男の待つ部屋に雪瑜が到着した。

 雪瑜はバンと勢いよく扉を開け、太った男をじっくりと観察した後、カラカラと笑った。

「くっくっく。この私を追ってこんなところまで押し掛けるとは、大胆になったものだと思ったが、その様子では一杯一杯というところかな」

「あっ……!」

 雪瑜の姿を一目見ると、男は叩頭──つまり、頭を床に擦り付けるように拝礼した。

「ほ、本日は月巧妃様に御足労をかけ、まことに……」

 その這いつくばる男の上に、雪瑜は無造作に言葉を投げつけた。

「おい、分ったから、やめろやめろ! そんなことは! ほら、さっさと席に着け、私に話したいことがあったんだろ、周泰!」

 名前を呼ばれて、男は這いつくばったまま嬉しそうに顔を上げた。

「あ、れ、玲さん!」

 男の正体は、かつて雪瑜と共に遊びまわっていた悪友の一人であった。

「久しぶりだな。宋傑や夏高は元気か?」

「あ、そ、そりゃもう! いま奴らにウチの店を手伝ってもらってるんです。あいつらも玲さんにも会いたがってましたぜ!」

「私に会いたいだと? 千金を費やしてもこの月巧妃に会うことが叶わぬ者もいるというのに、偉くなったものだ!」

「い、いやそれは、へへへ……!」

 と、周泰は愛想笑いを浮かべた。

 遥かな高みに登った雪瑜が、まだ自分たちを覚えていたことに自然と笑みが零れる。

 彼は身振り手振りを交えて、早口でかつての仲間の近況を伝えた。

 雪瑜にとっても、それは久しく耳にしていなかった田舎の話言葉であった。お上品な後宮での話し言葉よりよく耳に馴染む。


 子供時代に戻ったような気がして、自然と雪瑜も姿勢を楽にした。

「口先が上手くなったな周泰、商人らしくなってきたぞ」

「いやまだまだ見習いで、ハハ」

「ふっ」

 雪瑜にはそれが謙遜であることが分っていた。

 どうやったのかは知らないが、後宮の奥にいる自分の元まで手紙を送り込んだのである。中々できることではない。既に顔はかなり広いようだ。

 しかし、各所への付け届けを考えると、相当に無理をしたはずだ。

 そこまでして何をしたかったと言えば、一応手紙にはこうあった。

『金を返して欲しい』


「さて、そろそろ用件に入るか。金を返して欲しいとあったが、どういうことだ? お前に貸しなどなかったと思うが」

「へえ。正確には、玲さんに換金の許可を頂きたくて、今日お越しいただいたっちゅうワケで」

「換金だぁ?」

「へへえ。あの事件のあった年、途中で闘蟋大会がうやむやになったじゃァないですか。それで参加者や客に配ってた木牌の扱いもうやむやになっちまって、どうしたらいいかなと困ってるんです」

「ま、まだその処理が終わっていなかったのか? てっきり払い戻したとばかり思っていたが」

「客へは払い戻しました。ただ、それは俺たちが自分の懐から出した金で処理させていただきました」

 そこまで言うと、周泰は覚悟を決めたように深呼吸して、大見得を切り迫るように言う。

「大会の運営費として回していた金には一切手ェは付けてねえです。玲さん、換金してよろしゅうござんすか?」

「……なぜそんな回りくどい真似をする?」

「なんでって、玲さんが言ったことじゃアありませんか!」

「なに?」

「自分の決裁がないなら金を動かすなって言ってやしたでしょう!」

「私の言葉をいままで守っていたということか」

「玲さんの言いつけなら当然です!」

「……」


 雪瑜はしばらく周泰を品定めするように観察していたが、ふっと笑った。

「……くっくっく。お前の実直さには舌を巻いたぞ。木牌はまだあるか?」

「へえ勿論、可能な限り回収してあります」

「そのまま換金しても良いが……お前が立て替えたというのなら利子を付けてやらねばならんだろうな。よし、こうしよう。木牌は全て私が元の価格の百倍の値段で買い取る」

「百倍!」

 木牌の一枚一枚は子供が買える額とはいえ、子供の時分何週間にも渡って準備した木牌は確実に二千枚、いや三千枚はある。それが百倍ともなれば相当な額になろう。

「その金は大会の運営費と一緒にしてあの時の仲間で山分けするといい。ただし、お前の取り分は他の者の二割増しだ。こんなところでいいか、周泰?」」

「は、ははあ! ありがとうございます!!」

「さて、これで建前も済ませたし、そろそろ本題に入るか」

「へっ?」

「とぼけるなよ」

 雪瑜はずいと身を乗り出してニヤリと笑う。

 その笑みに、周泰は覚えがあった。仲間内で何か企みを話す時、雪瑜はこのように笑ったものである。

「お前が私に会うのに使った金額はこんなもんじゃないだろ。話せ、私に何をして欲しいんだ?」

「あ……れ、玲さんは流石に鋭ぇな……怖ぇ怖ぇ。実は折り入って頼みがあって……」

 雪瑜は顎をしゃくって話を続けろという仕草をした。

「玲さんの口添えで何とか、後宮での商売を許して貰えねぇでしょうか? というのも、今度宝洛(こっち)で店を出すことになったんで、それができねえもんかなと」

「貴様、何を言ってるか分っているのか、陛下の後宮だぞ?」

 と、流石に凄味を利かせて雪瑜は言った。自分に対してのことは同郷のよしみで多少は甘く見てやるが、皇室に関わることに及ぶなら話は別である。

「お前に名門出身の妃嬪たちの目に適う売り物を用意できるのか」

「後宮には身分の低い端女や奴婢の類もたくさんいるらしいじゃないですか。そこの需要を狙おうと思ってます。それに多少なら貴族相手でも恥ずかしくねえもんを用意できるだけの自信はあります」

「……」

 後宮は一つの町とも呼べるほど多くの人口を抱えているが、そこに出入りできる商人は限られている。

 寡占状態のそこに参入できれば、確実に利益を上げられる。周泰が目を付けたのはそこであった。

「なにを扱うつもりだ?」

「華やかな場所には似合わねえものかもしれませんが、実用品です。反物、鋳物、刃物、焼き物、木器、木炭、寝具、建材……おっとそうだ、頼まれりゃコオロギも持ってこれますぜ」

 最後のは単なる冗談ではない。

 闘蟋は後宮の娘たちがコオロギの音を聞いていたことが始まりという説もある。

 実は後宮では虫屋は需要があるのだ。


「堅実だな。いいだろう」

 雪瑜はほぼ即答した。

「私から焦螟殿に話しておく。追って沙汰があるだろう、それまでに準備しておけ」

「あっ、ありがとうごぜえやす!」

「ただし、条件がある。商いとは別にお前に仕事を頼みたい」

「えっ」

「嫌か?」

「と、とんでもねえ! また玲さんのために働けるんなら、こんな嬉しいことはねえですぜ! それで一体なにをすりゃあいいんですか!?」

「お前は私の目となり耳となるのだ。と、言っても難しく考える必要はない。お前が世間で聞いた噂話や民衆が何を思っているかを、時々私に伝えてくれればそれでいい」

「そ、そんなことでいいんですかい?」

「ああ。だが、“そんなこと”が私には必要なんだ。私の周りには耳障りのいい言葉をだけ伝えてくる者が多くなったからなあ。だから私に忖度せず、ありのままの世間の声を伝えてくれ」

「分りやした!」

「頼んだぞ。私の期待に応えてくれたなら、お前を儲けさせてやろう……だが」

 雪瑜はそこで言葉を切り、一拍溜めを作った。

「お前が宗ちゃんを殴ったこと、私はまだ忘れていないぞ。私を失望させるなよ、周泰」 

「は、はい」

 雪瑜は冷気すら感じさせるような声で、そう一言釘を刺した。



 

大家(ターチャ)ァ……」

 後宮に引き返した雪瑜はしなを作り、猫なで声で雪瑜は皇帝の肩に寄りかかる。

「な、なんだ雪瑜?」

「私、近頃思うところがありまして──」

大家(ターチャ)の望みは、この世に神仙の世界の如き楽土を作ることだと、雪瑜は伺っておりますの」

「う、うむ。その通りだが」

 まるで娼婦のような甘えた口調と態度に、風演は少したじろいだ。

「……ではそのことは一旦脇に避けて尋ねますが、仙遊宮、あれは一体いつ完成するのですか?」

「それならば既に完成しているが……」

「はて。雪瑜が聞いた話によれば、仙遊宮と同じものを二つ、都外の離宮に作ると聞きましたが? そのほかにもそれに似た庭園をいくつか造るとか」

「あ、そのことか。うん、確かにそうだ。今度のは崑崙宮とでも名付けようか思っている」

 風演が頷くと、それまでニコニコと笑っていた雪瑜の顔からフッと笑みが消えた。

「それはお止めくださいませ」

「えっ」

「お止めくださいませ」

 雪瑜は念を押すように強く言った。

「と、突然どうした、雪瑜。何を言い出す?」

「どうしたもこうしたもありませぬ。大家(ターチャ)の望みはこの国を楽土とすることだと仰られている。ならば箱庭遊びはもうお止めくださいと、申しているのです」

「しかし、これらの造営は工人に仕事を与えるという意味もあってな……」

 風演は弁明に苦しい言い訳をしたが、雪瑜は一喝した。

「なりませぬ。大家(ターチャ)はこれより政を引き締めるのでしょう。そのときに無駄な事業を行っていれば、大臣たちは決して納得しません。まず大家(ターチャ)自身が彼らの手本となるのです」

「だが……」

 風演はまだ未練を見せるが、雪瑜は頑として応じない。却って反論が激しくなるばかりだ。

大家(ターチャ)、御存知とは思いますが、あえて申しましょう。仙遊宮や崑崙宮の普請は民からの評判がすこぶる悪いのです。一刻も早く取りやめるべきです」


 そのようなことは初耳である。

 風演は驚いて目を白黒させた。

「そ、そうなのか?」

「ただの宮殿ならいざ知らず、仙遊宮の如きは全国から奇岩珍木を集める必要があります。その運搬が負担となり、各地で不満がくすぶっています」

「むむむ……」

 風演は呻き声の様なものを漏らして黙り込んでしまった。

大家(ターチャ)、貴方様の望みは民を苦しめることではなく救うことのはず。何卒、新たな宮殿の普請と奇岩珍木の収集はお止め下さい」

「……相分かった。()の目は覚めたぞ。止めだ、止めだ!」

 風演がそう高らかに宣言すると、雪瑜は再び蕩けるような笑みを浮かべ、風演に抱き着いた。

「分かってくれて嬉しいわ!」

「おいおい」

「私の喜びは民衆の喜びだと思いなさいませ! 皆、大家(ターチャ)の仁恤に感激しているわ!」


 すぐさま新宮殿の普請は中止され、また悪名高かった皇帝の奇岩珍木集めも中断されることが発表された。

 さらに、この話には後日談がある。

 普請の中止が発表されてしばらくすると、巷間、つまり都で暮らす普通の人々の間にある噂話が流れた。

 それは次のようなものである。


 あるとき、皇帝と月巧妃は狩りに出掛けた。

 すると狩りの最中に、藪の中から得体の知れぬ獣が現れ、皇帝を襲った。皇帝の騎乗する馬もまた驚いて立ち上がり、その場は騒然とした。

 だが、皇帝の傍らにいた月巧妃は取り乱すことなく弓矢を番え、正体不明の獣を射殺した。

 その死体を調べて見ると、体つきは狢に、顔つきは豚に似ていた。

 皇帝が左右の者にこれはなんという獣かと尋ねると、一人の者が進み出て、これは狸力(りりき)という獣でございます、と答えたという。

 この狸力という獣こそは、これまで皇帝の心を惑わしていた妖獣だったのだ。

 それが退治されたことで、皇帝の心をかき乱していた(もと)が消え、無駄な宮殿の普請などは立ち消えとなったそうな。


 この話は風演と雪瑜が御苑に遊んだ話が下敷きとなっていると思われるが、それにしても不思議な話である。

 風演はそうと知らぬまま、出所不明の怪奇譚の登場人物となっていた。

 が、ともかくこの発表は民衆を喜ばせた。

 そしてその立役者として、月巧妃の名もまた広く知れ渡ることになる。


 皇帝に近い者が流したと思わしき噂の出所は、杳として不明である。

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