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第2話《お似合いの色》

 その日、ルシアスの屋敷には行商人が訪れていた。ルシアスより年上で壮年の、ひげ面をした抜け目のない顔つきの男だが、屋敷には定期的に訪れているらしく、ルシアスとは気さくな調子で土地収穫物の価格交渉などを延々とやっていた。

「退屈なやり取りじゃ……」


 二階の私室で相変わらず窓際に座って時間をつぶしているラミアは、しかし階下から聞こえてくる面白みのない会話に勝手に耳をそばだてては欠伸などしていた。


 ルシアスという男がまっとうに領主らしい仕事をしている時間は、しかしまた平穏の証でもある。彼はその日、赤地に金糸をあしらったタキシード姿で商人を出迎えていた。出会った時の狩猟服といい、ルシアスはああ見えて赤がお気に入りらしかった。


「話は変わりますが」

 ある時、出し抜けに商人が言った。

「男爵さまにおかれましては、近頃ご結婚なさったとかで。この度は誠におめでとうございます」

「とうとうお前の耳にも入ったか?」


 ラミアの自惚れでさえなければ、ルシアスは何処となく自慢げな口調だった。聞いているこっちがむず痒くなりそうである。


「ラミアといって、とても気高く、知性と愛に満ち溢れた素敵な女性なんだ。それに闇のような漆黒のドレスが本当によく似合ってな……」

「成程。赤のお召し物を好まれる男爵さまとは、並んだ時に互いによく見栄えがしそうで結構なことでございますね」

「ははは、やはりそう思うか」

「あやつは何をおだてられとるんじゃ……」


 二階で聞いているラミアからしてみれば、そんなのはあからさますぎる程のお世辞である。調子に乗ってルシアスが余計なものを売りつけられたりしないだろうかと、ラミアは甚だ心配であった。


「奥さまのご出身は、辺境に程近い北方の一族であられるとか」

「ああ。それが何か問題か?」

「いえ、ですが中央にだけはくれぐれもご注意なさいませ。つけ入る隙を決してお見せになりませぬよう。教会を実質的傘下に置いてから、王権とそれに近しい者たちは日増しに見境がなくなっているように思われます」

「分かっている」

 ルシアスの口調が少しだけ硬くなった気がした。


「ついこの間も、北の辺境伯が新しい土地を攻めたとか」

「土地を失くしたバルバロイの一部は王国内へも逃げ込んでおります。身元のハッキリしない者が増えたのを口実に、ありもしない腹を探られる者も多いとか。奥さまの安全のためにも、出来るだけご用心なさいませ」


 耳をそばだてていたラミアは、胸の奥がざわつくのを感じた。自分を妻にする際、その出自をルシアスが一通りでっち上げたことは本人の口から聞かされている。だがしかし、商人の言う通りならば自分と子どもたちは今なおリスクに晒されていることになる。この安全な暮らしが、明日にでも崩壊したっておかしくないのだ……。


「忠告感謝する。だが、心配はいらないさ」

 ルシアスは、すぐさま普段通りの調子に戻って言った。


「ラミアの気品に溢れた所作、美しい出で立ちを見て貰えば、彼女が怪しい者でないことぐらいは誰にだって分かって貰える。つやつやとした白い肌、流れるような黒い髪、意志に満ちた鋭い目……」

「やめいやめい小っ恥ずかしい……!」


 人前で臆面もなくラミアの自慢を始めるものだから、二階にいる当の本人はそのぞわぞわする感覚を何処へやったものやら分からなくて、ひとり部屋の中をぐるぐると歩き回り始めていた。


「特に彼女の赤い瞳が素晴らしいんだ。あの瞳で見つめられた時、ぼくはたちまち運命を感じてしまって……」

「見つめた訳ではない、殺意をこめて睨んだんじゃ……!」

「男爵さまは青い瞳をお持ちですから、それも含めて運命だったのやもしれませんね。互いが互いを引き立て合う、理想のおふたりということで……」

「うんうん、そうだろうそうだろう!」

「やめろ馬鹿気付け世辞じゃ世辞……!」


 ラミアは段々とツッコミ疲れてきた。どうせなら階下に降りて行って直接言ってやりたかったが、そうなるとずっと聞き耳を立てていたことがバレてしまうため、それはそれで判断の難しいところがあるのだった。


不躾(ぶしつけ)なことをお尋ねしますが、」

 商人が言った。


「男爵さまは、お世継ぎの生まれる予定はございますかな。予定がおありなら、こちらとしましても事前に色々用立てる準備がございますが、奥さまには連れ子がおられると伺っていますので」

「……あの馬鹿、何を言い出すんじゃ……!」

 ラミアは思わずギョッとしてしまった。


 貴族ともなれば当然、嫡子(ちゃくし)をどうするかとかの問題に直面することは、薄っすら分かっていたつもりだった。揉めごとを警戒して子どもをつくる気が無いのではないか、商人が聞きたいのは要するにそういうことだろう。


 子どもをふたりも生んでおいて今更ラミアだって生娘みたいに怯えるつもりはない。しかも相手はたかだか二十数年生きただけの人間である。だがしかし、子どもたちのことを考えるとルシアスの「男としての本音」を聞かされるのには、やはりどうしても不安を覚えてしまうのもまた事実だった。


「気遣いは有難いが、」

 ルシアスは制するように言った。


「当面はそういうことは考えていないよ。ラミアはぼくと出会う前に、色々と辛い想いをしていてね。子どもたちのこともあるし、まずは彼女の心がきちんと癒えるのを待ちたいんだ。そのために彼女を妻にしたんだから」

「あやつ……」


 ラミアは何だか自分でも意外なぐらいホッとして、落ち着きを取り戻すと椅子に座ってドレスを整え、深呼吸した。今更、ルシアスの何を疑っていたんだろうと遅れて馬鹿馬鹿しくなる。

 と同時に、単に利害の一致で夫婦を装っているにもかかわらず、ラミアは心の何処かでルシアスに裏切られたくないと考えている自分に気付き、ややびっくりもしていた。


「奥さまを深く愛しておられるのですね」

 商人の口調は、いささか感慨深げに聞こえた。


「ではこれ以上の無粋は申しますまい。実を言うと、男爵さまに結婚祝いの品を持参していたのですが、話を聞く限りは当面これも不要と見えます」

「何だいそれは」

「王都で人気の、白のネグリジェでございます。結婚して間もない夫婦には、貴族平民を問わず夜のお供にと引く手あまたですが……」

「そうだな、ぼくらには必要ない。言っただろう?」


 ルシアスの即答が聞こえて、ラミアは部屋でひとり、よしよし偉いぞと頷き倒していた。さりげなくとんでもないものを持ち込まれていたが、直ちに持ち帰ってしまうなら問題はあるまい……。


「彼女は一番、黒が似合うんだ」

 ラミアはとうとう椅子から音を立ててずり落ちてしまい、それを聞きつけたルシアスが流石にびっくりしたらしく、慌てて二階へと上がって来て心配したように訊ねた。


「ラミア、どうかしたいのかい! 怪我は?」

「ルシアスお主、いっぺんそこへ直れっ!」


 何故怒られているのか訳も分からずにきょとんとする青年貴族は、似合いの色を全身にまとった蛇の女神にその日、こっぴどく絞られる羽目となったのだった……。

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