助けたい命がある限り
*今回の話は火事の表現・描写があります。
この小説はフィクションです。
実際の事故とは異なりますが、苦手な方はブラウザバックでお願いします。
馨の鼻の先に嫌な煙の臭いが強くなってくる。近付く度に表情が険しくなってきていた。馨の脳内にあの時の記憶がよみがえる。
幼い馨が何も知らず、気が付けば家族が居なくなってしまった記憶。近付けば近付くほど記憶が鮮明になり、悲しみが込み上げてきているのが馨でも分かっていた。
不意に腕を掴まれて振り返る馨の目には涙が溢れていた。
「もうやめろ。あとは俺たちが行く。馨はここで、」
「俺は、大丈夫。ここで、引き下がったら、過去と、向き合えない。俺も、行かせてくれ」
袖で涙を拭うと、二人に真剣な目つきを向ける。馨の手は未だに震えていて、涙も止まっていない。
「いいのか? ここから先は」
隼人が馨の気持ちを確認するように問い掛ける。
「コレがあれば、問題ない。先頭は、隼人に任せたい」
突然、馨はポケットから鼻栓を取り出して装着する。馨の気持ちは変わらなかった。
忘れられない悲惨な過去があっても、それが理由で助けられる命を見捨てる選択はなかった。一度、力弥に助けられたことがあってからは。
「無理だと分かったら、立ち止まっていいから」
「分かってる。けど、助けられる命を見捨てるなって力弥さんに教わった以上は無理でも助ける。それが俺のやり方だから」
弱々しい表情と打って変わって、強気の表情から本気だと隼人は確信した。一方、風粏は呆れている。
「本当、みんな変なの。あの人に似てきてるよ。俺、あの人苦手」
「風粏はお菓子ばかり食べてるせいで注意される。だから、苦手意識するようになるんだ」
「そうそう。お菓子を控えれば、」
風粏が独り言のように言葉を呟くと、隼人と馨に言葉を返されてしまう。そんな二人に風粏はまた落ち込んだ。
その様子に二人は慌ててなんとか宥めようとする。
「悪かったって。風粏が選ぶお菓子はどれも当たりだし、今度食べてみるか」
一番食べるのを拒否していた馨が食べると言い出し、風粏は不機嫌な顔を見せる。
そんな雰囲気の中、隼人は我に返る。
「こうしている場合じゃない。早く行くぞ」
すっかり忘れていた三人。隼人の言葉を合図に動き出す。
馨と風粏は先頭を行く隼人の後ろで目的地へと向かっていた。
嗅覚が優れている馨の指示を頼りに目的地に到着する。光景を目の当たりにした三人は驚きを隠せなかった。
遠くからでも見えていたせいか、近付くにつれて隼人と風粏も異変を感じてはいた。建物をよく見れば、橙色の炎が燃え盛っているのが確認できる。それに加えて煙が立ち昇っている。
馨が苦手だと言っていたのは煙の臭いだった。過去に火事で家族を亡くした馨にとっては辛い情景が目に映っていた。馨はぐっと堪えるも辛さが胸を締めつける。
「母さん、父さん、兄さん」
思わず声に出して一歩踏み出そうとする。咄嗟に隼人が行かせまいと馨の腕をぐいと掴んだ。馨ははっとして我に返る。
「悪い。つい、思い出してしまった。……最悪だよな」
すぐに冷静さを取り戻し、ぽつりと言葉を漏らす。二人は馨を心配そうに見つめる。その反応に馨は苦笑いするだけ。
現場は悲惨な状況だが、消防隊や救急隊が大勢いるおかげでなんとかなりそうだった。
そんな状況の中、それは起こった。
突如、五階建ての建物の中が大きな音を立てて爆発した。ガラス窓が砕け散って破片が地面に散乱し、辺りの人たちは悲鳴をあげる。
爆発の影響で炎の勢いが増していく。
多少の怪我人が出た。消防隊が現場に近づかないように必死になって呼び掛ける。それでも、野次馬は離れようとはしない。
「真和さん!」
野次馬に混ざって大きな声で叫ぶ女性が隊員を突破しようと前に出ようとしていた。女性は力及ばず、泣き崩れる。隼人たちが駆け寄った。
「大丈夫ですか?」
隼人が声を掛け、手を貸そうと差し出す。女性は顔を上げてそっと立ち上がった。
「真和さん、夫が中にいるの! 助けて」
必死で助けを求める姿に馨の表情が曇る。
「大丈夫です。今、救助隊が助けています。信じましょう」
女性の表情は少しも変わらない。当然、隼人の言葉では不安感をぬぐえない。
火事で既に大きな被害が出ている。簡単には信用できないのは隼人も分かっている。それでも、隼人は女性を落ち着かせようと言葉を掛け続けた。
時間が経過する度に要救助者が次々と救助されていく。中には自力で脱出している者もいるようだ。
その中に女性の夫である真和は出てきていない。女性の不安が増すばかりだ。
その状況に一人、覚悟を決めて動こうとする者がいた。馨だ。
馨は飛び出すように駆け出していた。隼人が呼び止めてもお構いなしに現場に向かっていく。
「おい、馨。勝手に動くな!」
隼人の大声にも振り向かない。隊員たちを押し切って煙が舞い上がる建物の中へと入っていってしまった。
「嘘だろ……」
風粏は呆然と立ち尽くしている。
隼人も駆け出すが、建物の中に入らず、隊員に馨が中に入ったことを説明する。隼人は隊員たちが焦りを見せるも救助に向かうと思った。
一人の隊員が首を横に振る。隼人は隊員たちに必死に訴えた。
次の瞬間、建物内から爆発音とともに爆風が起こった。一同が一斉に振り向く。
「馨!」
隼人が建物内に向かって大きな声を張り上げる。返事は返ってこない。
炎が弱まるまで救助に行けないため、消防隊は炎を必死に消している。弱まるのを待っていたら、救助が遅れてしまうだろう。
そうなれば、中に入っていった馨は助からない。ましてや、今の状況も無事かも分からない。
そんな考えが隼人の頭に浮かんでくる。直後、中から人が出てきた。隼人が直ぐに視線を向ける。
「馨、大丈夫か!」
中から出てきたのは煤だらけの馨と男性だった。男性は怪我をしているのか、足を引き摺りながら馨に肩を貸してもらってなんとか歩いている。よく見れば、額から血が出ていた。
隼人は直ぐにその人物が誰なのか察する。
「真和さん!」
大声を上げていた女性が駆け寄ってきた。馨が助けた男性は女性の夫、真和だった。
建物の中に入る前に馨は戸惑い、いても立ってもいられなくなった。あの時の記憶が馨の気持ちをそうさせていた。
家族と同じような状態にはしたくない気持ちがあった。それなのに、馨の気持ちと裏腹に隼人と風粏の表情が不満そうにしている。
「無茶しすぎでしょ。いなくなったら、俺たち落ち込む」
「馨の行動を見ていなかったって力弥さんに責められる。本当、気をつけてくれよ」
「悪い。けど、助けることが出来た。結果、良かったから許してもらえるかな」
三人はそれぞれ口にし、じっと見つめ合う。不満な顔だった二人は表情を緩め、目はうっすらと涙ぐんでいるものの安心したように笑いだした。馨も笑いに釣られて笑顔になる。
そこに駆け寄ってきた女性と真和は声を掛ける。
「ありがとうございます」
「本当にありがとうございます」
二人は深々と頭を下げて、感謝の言葉を口にする。馨は肩身が狭い思いで受け取った。
女性と真和は感謝を告げると、その場を後にして救急隊がいる所へと歩いていってしまった。
隼人と風粏は馨の肩を軽く叩き笑い合う。
「なんだよ!」
馨は袖で涙を拭うと、不満そうに口をとがらせる。三人は追いかけっこのようにその場を走り去った。
暫くして、建物内の火事は収まり、完全に鎮火された。
三人が力弥にこぴっどく怒鳴られるのは少し先の話のこと。
次話更新日は1月25日(木)の予定です。
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