悪いのは人間よ
「くだらない」
私は口の中だけでそう呟いた。
だって彼女――土井女警部の動機が、あまりにも幼稚過ぎたためだ。
聞いて失笑を隠せないくらいだった。
△▼△▼△
土井警部は弱冠三十歳の女性。
昔から霊視ができる体質だったそうだが、霊的なものに関わらぬように生き、警官の仕事について働いたのだという。
そんな彼女には一人の娘がいた。
娘は幸恵という名で、土井警部は幸恵をとても愛していたのだそうだ。小五になるまで、一人親で育て続けていたらしい。
しかし幸恵は、とある事件がきっかけで精神を壊してしまった。
表向き原因不明とされていたが、娘のうわごとでわかったのは『こっくりさん』という怪異現象で遊んだ故ということだった。噛み殺されそうになり、恐怖のあまり気が狂ったのだろう。
周囲は誰も信じなかった。けれど土井警部は霊視能力者であったから、その事実を受け入れたのである。
今まで無関係同然に思っていた怪異を強く憎悪し、彼女は復讐を誓う。そして、もののけ全てを皆殺しにするため動き出した。
探してみると霊視ができる者は多く、同じく怪異を恨んでいる者や金で動いてくれる者を選び、仲間として集めて組織を形成していく。
警官という地位も充分に役に立った。
後は拠点をこの廃墟ビルと定め、黒服の男たち――『監視』や、妖怪を駆除する『狩人』などの役目を作って組織を動かすだけだったらしい。
そうして、『妖怪根絶作戦』と名付けられたこの計画は実行されることとなったのであった……。
△▼△▼△
……私とウルフィーは顔を見合わせた。
ともに呆れていたのであるが、一方の女警官はというと真剣な顔で。
「さあわかっただろう。妖怪がどれほど危険なおぞましいものなのかを」
呆れると同時に、胸の内に怒りが湧いてくる。
妖怪がみんな悪い? そんなのは間違っている。
だって守護霊などのように陰ながらこの世界を支えているもののけもいる。
それに、私が今までに会ってきた妖怪は、たまに厄介なやつもいるけれど、すごく優しくて私の心を温かくしてくれたもの。
だからはっきり言える。言わなければならないと思った。
「それは違うわ。……悪いのは人間よ」
△▼△▼△
「ふざけるな!」
突然に激昂したものだから、私は驚いてしまった。
鬼の形相で私に詰め寄って胸ぐらを掴もうとする土井警部を、ウルフィーが突き放す。
「彼女に触らないでくれるかな」
ああっ……、男前でますます惚れてしまう。
ダメダメ、目の前のことに集中しなくては。
軽く突き飛ばされてよろめいた女。ピストルを握る手が震えているのが見えた。
「や、殺るぞ。狼の化け物め」
でも拳銃の引き金が引かれることはない。外階段でいた時はあんなに撃ってきたのに、いざ対面するとなると怖いらしい。
私はそれに構わず、言葉を続けた。
「人間が無理に関わろうとするから妖怪に祟られるんだわ。自業自得よ」
「ならお前は、お前がもし妖怪に家族を殺されてみろ。恋人を殺されてみろ。恨むだろう? 恨んで当然だ」
そりゃあ……まあ確かに恨むだろう。
けれど彼女の論理は破綻している。
「もしそうなったとしたら、私はその妖怪を見つけ出して滅させるでしょう。でも、もののけ皆殺しなんて考えない。――例えばとある男に大切な人を奪われたとしましょう。そうしたらあなた、世界中全部の男を殺して回るつもり? それは狂気の沙汰というものよ。狂人だわ」
現に、「人間が憎いから」「世界に復讐をしたい」などと言って人を殺めた凶悪な人間たちがいる。彼らは全て狂人と呼ばれ、しかるべき処罰を受けているはずだ。
それと何が違うのだろうと、私は現実を彼女へ突きつけた。
警察という地位を生かす? 拳銃などは手軽に入手できやすい。でも、警官だってもちろんのこと逮捕される。いや警官だからこそ隠すことは難しいのではないか。
「人ならざるものも、人と同じ。悪いのもいる、いいのもいる。だからできるだけ共存していくべきだと私は思うの」
私や丘子だって、今まで悪い妖怪を強制的に成仏させたことはある。
しかし彼女の理論はあまりにも大袈裟すぎていた。もしも妖怪根絶などということが本当に果たされてしまったら、この世界は歪んでしまうだろう。だから、
「こんな馬鹿なことはやめなさいよ」
――直後。
土井警部の顔がどんどん赤くなっていく。怒りに染まるのがわかった。
「戯言を」そう履き捨てるように言うなり彼女は、一発、銃弾を放った。
ドスン。
銃口が光り、轟音が部屋中を揺らす。が、狙いがブレて、私の背後へ飛んでいった。
……死ぬかと思った。今のは本気で死ぬかと思った。
思わず足から力が抜けて座り込む私を抱き止めるのはウルフィーだ。
「大丈夫か!」
「あ……。ええ、ありがとう」
私はどうやら無事のようだ。無事のままで、愛する彼に包まれている。
ああ……なんて幸せなんだろう。
その時、遠くの方からパトカーのサイレンが聞こえてきた。
私は自分の、いや私たちの勝利を確信する。
あれは敵への援軍ではない。むしろ、私たちへの援軍なのだ。
「くっ……!」
カチ、カチと虚しく引き金を引く音がする。
運命の女神は私に微笑んでいる。ちょうど彼女は弾切れだった。
膝をつく女警部の前に、温かい毛の感触から抜け出した私は、そっと歩み出た。そして静かに笑った。
「――ほらね、これでもう終わりよ。あなたの負けだわ」




