敵の親玉の正体
落ちる、落ちる、落ちる、落ちる……。
地面までの高さはどのくらいだろう。七メートル? いいや十メートル?
ともかく高い。高い。落ちたら死ぬ。
しかし、そんなことにはならなかった。
「ガゥガァ!」
吠え声を上げたウルフィーが、ビルの壁面の出っぱりに手をかけたのだ。
たくましい腕でなんとか引っ掛かることができたわけだが。
「これからどうするの! 身動き一つしたら落ちるわ!」
「大丈夫! 僕に任せて」
『任せて』だなんて言われて、私はそれ以上何も言えなくなる。
信じると言ったのは私なのだ。こうなれば最後まで貫くしかない。
「……わかった」
狼青年は黄金色の尾を揺らし、ビルの壁づたいに走り出した。
その足取りは危うく、しかし美しい。満月がぽわんと金狼を照らしている。
私は夜風を思い切り受けながら、ただただレイちゃんを抱き止めていたのだった。
△▼△▼△
「どぅ? 参ったかしらぁ?」
誇らしげに胸を張るメリーさんの下には、倒れて動かない五人の男。
決して死んでいるわけではなく、金縛りの怪によって固められているのです。
あの後、こちらでは大奮戦が起きまして。
妖怪たちに襲わせたんですけど、さすがは『狩人』。全然負けてくれませんでした。
あっ、『狩人』ってのは除霊の札を持って街に繰り出す雇われ人、つまり妖怪退治班のことらしいです。
そしてちょこっと手こずった挙句、あたしは大きな化け物――ヌリカベとかつるべ落としとかを呼び寄せて、その上あたしの自慢の体当たりとかも食らわせちゃって、一人ずつ倒していったわけです!
それにはさすがの『狩人』たちも敵わなかったのか、あっという間に仕留めちゃいましたよ。
「いや~、どうしましょうね。まあここで大人しくしてもらうのが一番でしょうけど……。とりあえず片付いたわけですし、妖魅ちゃんの待つ上の方にでも行きますかね」
あたしは男どものことは後回しにしようと決めました。金縛りに見守っててもらえばいいだけですもの。
一旦はメリーちゃんにでも電話してもらって、妖魅ちゃんの方の状況確認を、ということになったのですが。
「……ワタシ、メリーさん。……。……………………。えぇ!?」
なんだか、不穏な気配がしました。
何なのかと問い詰めると、メリーちゃんはこう言ったのです。
「妖魅さん、銃で狙われてるらしいのぉ!」
「銃!?」
物事というものは常に意外な方向へ進んでいくようです。
一つだけ、文句を叫ばせてもらってもいいですか?
「これのどこがオカルトなんですか――! もはや怪奇現象の範疇超えちゃってますよっ!!!」
△▼△▼△
丘子の絶叫が聞こえた気がしたが、気のせいだろう。
ほぼ垂直の壁を駆け回るウルフィーにしがみついていた私は、目を回していた。
あちらへ飛びこちらへ飛びをしていたから、すでに方向感覚はないに等しい。地面が星空だったり空が地面だったり……。もはや頭がパンク状態だ。
そんな中、突然全身をどこかに打ちつけられて、私は呻き声を漏らしていた。
地面に落ちたのかと思ったが、どうやら違うらしい。どこかに投げ出されたようだった。
「ごめん、振り落としたみたいだ」
そう言って申しわけなさそうな顔を寄せてくるのは、金色の狼。
目がチカチカする中で私はなんとか頷いた。「だい、じょうぶ……」
薄れそうになる意識をなんとか引き留めようと唇を噛み締める。
ここで気を失ったら負けだ。しっかりしろ、と自分に喝を入れた。
「レイちゃん……。レイちゃんは」
見ると、私の腕の中でレイちゃんが窮屈そうにしていた。
目立った外傷はない様子。慌てて腕を離すと、彼女が勢いよく転げ出した。
「ぷはぁ! はぁ! おねえちゃん、いきがとまる!」
「あっ、ごめんなさい」
そんなこんな騒ぎつつ、私たちはようやく体勢を立て直した。
状況を整理すると、壁伝いに走ってきて、今は最上階の窓を突き破って中へ入ってきたところらしい。あたりにガラスが散乱していた。
「気をつけて。あっちの方に、ピストル野郎がいるはずだ」
この部屋は電気がついておらず薄暗い。が、一つ窓を挟んだ向こうは射撃者のいる部屋であり、バルコニーにいる彼と対戦になるのは必至であろうと思われる。
「下手に動けないわね。……行く?」
「その女の子はここに残った方がいいだろう。できれば君も待っていてほしい」
ウルフィーに言われて、私は少し躊躇った。
確かにレイちゃんをあの銃弾の嵐の中に連れ込むのは危険だし、それは私とて同じ。
でもウルフィーを一人だけで行かせるわけには行かなかった。いくら狼の化け物とはいえど、銃には敵うまい。
「私も行くわ。レイちゃんはここに残ること」
「え、でも。おねえちゃん、いっちゃいやだ。わたしとまってようよ。しんじゃうよ」
不安そうな目で、私に縋ってくるレイちゃん。
しかし私は彼女を振り切った。
「いいから、大人しくしてて。戻ってくるから」
ただの高校生が、銃に敵うのか?
――否、断じて否。私は撃たれるかも知れない。そして撃たれたら死ぬ。
でも現在、状況は圧倒的に不利だ。私たちには何の武器もない。だからと言って、再び窓から飛び出しても地面に降りることはできない。階段を使おうにも襲撃者がいる。
逃げ場はないのだ。
「はぁ……」
場違いなため息が漏れた。
厄介事に絡んでいる自覚はあったけれど、ここまでとは思わなかったわ。でもいいわ、やってあげる。
私はウルフィーと一緒に、隣の部屋へ出た。
「来たか」
その人物は笑っていた。狂気的な笑みを浮かべている。
拳銃を構えているのは、三十代過ぎくらいの女性だった。全身を黒ずくめのドレスで包んだ姿は、童話に出てくるような魔女を想わせる。
私は正直、度肝を抜かれた。
「ここまで来たのか。……驚いているようだな。まあ、構わない」
訂正しよう、かなりドン引きした。
予想に反して女性だったのもそうだし、格好もそうだし、当たり前のように銃をこちらに向けているのもだし、口調とか、色々。
いやもちろん、これが漫画とかアニメならわかる。しかしこれは現代日本のとある一角で起きている事件であり、だからこそ違和感が半端ない。現実離れしている。
開いた口が塞がらない私とは違って、ウルフィーは割合冷静だった。
「銃を下ろしてくれ」
「いいや。どうして下ろす必要がある。私の寝首をかくつもりだろう」
「銃を人に向けてはいけないよ」
「そんなのは知っている。知っている上で向けているのだからな」
本当に日本人? 宇宙人ではなかろうか?
本気でそう思うくらい、女はとてつもなく異様だった。
「あなたが『妖怪根絶部隊』のリーダーなのね」
「いかにも」
これが敵の親玉なのか……。意外としか言えない。
彼女と話していると、なんだか寒気がした。
それ以前に銃を向けられている以上、下手なことを言ったら撃たれるという恐怖があるのだろうが。
「お前らは私を止めに来たと? 一般人なのに?」
「そうよ。あなたも、霊視者なの?」
「霊視者であることは前提中の前提。私が言っていることは身分だ。一般人が警官に勝てると思うのかと訊いている」
――考えてはいたが、やはり。
日本でピストルを手にできる人間はそれほど多くない。ましてや、拳銃など。
警官でしかほとんどあり得ない。
「でも私たちは何の罪も犯していないわ」
「不法侵入。これだけで充分だろう?」
「でもあなただってそうでしょう?」
私の言葉に、彼女は答えなかった。図星と見える。
しかしここで追求することはできなかった。いつ撃たれるかわかったものではないからだ。
気づくと私は、ウルフィーの尻尾を強く握りしめていた。
恐ろしい。とてつもなく恐ろしい。どんな妖怪に対面した時よりも、黒く静かな拳銃を突きつけられている今が、一番怖い。
「大丈夫だよ。僕がきっと、なんとかする」
そう言ってウルフィーは笑う。いや、正確には狼顔なのでわからないが、笑ったように見えた。
「撃たないでくれ。僕と話をしよう」
「何を言うか半妖が。捻り殺すだけだ」
目を見てわかった。彼女は、人ならざるものを強く嫌悪している。それこそ今すぐ殺したいと喘いでいるかのように。
これ以上ウルフィーに喋らせたらまずいと私は思った。だから、声を上げたのだ。
「話をしましょう。あなただって警官なら、安易に殺人は犯せないでしょう?」
彼女は私を殺せない。私は人間だから。
すると女はこちらを馬鹿にするように、ふふっと鼻で笑った。
「いいだろう。教えてやる」
そして彼女はゆっくりと語り始めたのである。




