恋に落ちる音
「助けてあげなくちゃ」
どうしてそんなことを思ったのかは自分でもまったくの謎である。
たまたま雨宿りがてらに入った山でたまたま崖崩れに遭い、たまたま助けてもらった。
ただそれだけ――と言うにはあまりにも『たまたま』が重なりすぎた結果だが――の出会いだったはずだ。完全なる赤の他人であり、どうして霊視のことを言おうなどという気になったのかも、今では正気を疑いたくなるくらい。
でも、きっと、彼が悲しげに見えたからだと思う。
金髪に緑色の瞳を持つ、美しいけれど人間離れをした青年ウルフィー。
彼が、どことなく哀れに思えて。私に助けを求めているような、そんな気がして。
だから、彼を追った。
△▼△▼△
「……僕を見て驚かないのか。僕は狼だぞ」
「わかっているわ。そして驚いた。でも、以前に出会った猿の化け物がずっとおぞましかったものだから、そこまで怖くはないわよ」
結局、洞窟へ戻ってきてしまっていた。
私と彼は草のカーペットの上に座り込んで、言葉を交わしている。
あれから色々あったが、とうとうウルフィーは諦めたようだった。
ここまで帰ってくると暴れるのをやめて四つ足を折り曲げて座り、最初に発した言葉が「驚かないのか」との言葉なわけだ。
「僕を見た人は、大抵警察に通報するか、逃げるかするのに。君は変わり者だね」
「言ったでしょう。私、人ならざるものにはずいぶんと慣れているのよ。なんたって、毎日妖怪と一緒にいるんだから」
それはそれは恐ろしい怪異に出会ったことだってあるのだ。それに比べたら、狼くらいなんてことはない。
私が笑いかけると、ウルフィーは顔を逸らした。
「本当は見られたらいけないんだ。夕方までには君と別れるつもりだったのに」
「夜になると狼……いいえ、狼男になるの?」
「そうだよ」
狼男は、西洋では特に有名な化け物だ。
満月の夜、一人の男が狼に変身するという話は数多くある。
私はそれを単なる作り話だと考えていたし、まさか実在するなどとは夢にも思っていなかったのだが、目の前の彼は狼男で間違いなかった。
一見すると完全に狼だ。言葉を喋らなかったらどうやってもわからないだろう。
「……僕は、狼の孫でね。父方の祖父がここらの野生の狼で、とある人間の女を娶った。そして生まれた父は僕より濃い狼男だったそうでね、苦労していたよ。そして日本人の母と出会い、僕を産んだわけだが……僕は父を知らない。死んでしまったらしくて」
「うん」
「母も十歳の頃に亡くしたので働かなきゃならなかったが、僕は夜になると獣になる半獣だ。だからろくな仕事にありつけることもなかった。やがて……そう、十三歳くらいからかな。この山で引きこもるようになったよ」
それから七年、ずっと昼間だけ少し山を降りて街に出るだけの、寂しい生活を送っていたという。
山に人は入ってこない。たった一人で、お金もないので少々の盗みを繰り返しながら。
「だから君を見た時、夢かと思った。こんなところに人が来てくれるなんて……。でも夜が近づいてきて、慌てて山を下りさせようとしたんだが、手遅れだった。そして現在こうして見られてしまっているというわけさ」
「見られたくなかった?」
私の問いかけに、ウルフィーは沈黙で答えた。
しばらく、気まずい静寂。
「……あなた、寂しかったのよね」
ポツリと呟いた私。狼青年の緑色の瞳が見開かれる。
「私も孤独だった時期があった。ずっとずっと長い間。……自分は普通の人間なんだって信じたいのに、やっぱり違うの。みんなと違うからって自分の中に引きこもってしまって」
かつて――そう、あの時までの私は、友達はいなかった。家族ともどこか距離感を感じていた。
ウルフィーはきっと、そんな心境ではないのだろうか。濃くなった霊気に包まれた彼を見ながら私は思う。
「……ねえ、ウルフィー」
「――――」
「私の名前、まだ言ってなかったわね。私は妖魅。変な名前でしょう?」
あの時……運命のあの日を思い出しながら、微笑む。
そして金色の毛を靡かせる狼は、こちらを見つめて言った。
「変な名前なんかじゃないよ。僕は可愛いと思うけどなあ」
――その瞬間、私は恋に落ちる音を聞いた。
△▼△▼△
私は人ならざるものに、また恋をしてしまった。
正確に言うと『半分』人ならざるものだけれど。
生田が言ってくれた言葉を、そっくりそのまま返してくれたから?
それとも……それとも、私が単に惹かれてしまっただけ?
わからないが、ただ確かなことがある。
それは、胸がこんなに熱くて高鳴っていること。再び恋に目覚めてしまったということだった。
私は、力強く金狼の手を取って言った。
「私はあなたを助けるわ。だからあなたも私に力を貸してちょうだい」




