第33話:おいこのボケ猿!
シンミアの姿が詳細に見える距離まで近づいた。
こうして見るとその狂暴性がよく分かる。
口には太い牙が飛び出しているし、手足の爪も太く鋭い。
まあそんなの無くても私相手くらいなら単純に殴るだけで十分必殺になるだろう。
問題はここからどうするか。
上空からシンミアを見下ろしながら考える。
そう言えばバードモンキーとの特訓の最中、基本的にジンさんは手を出すことは無かったけど、休憩の度に色々とアドバイスをくれた。
『物事には優先順位を付ける必要がある。
絶対に達成したい目標。極力達成したい目標。出来れば達成したい目標。ついでのおまけで出来たら嬉しい目標。
一応言っておくが死んでも達成したい目標、なんてものは考えるな。そもそも自分が生きる為にどうするかを考えるんだから』
えっと、今で言えば絶対に達成したい目標はシンミアを町に行かせない事だ。
そして出来る事なら町から遠ざけつつ、援軍が来るまで時間を稼ぐ事だ。
シンミアを倒してしまうのが一番良いとは思うけど、それは流石に無理かな。
私の短剣ではオークですら苦戦する。
それなのにそのオークより脅威度の高いシンミアを倒せるとは考えにくい。
あ、でも、今ならまだ向こうは私の事を気付いてないっぽいし、上空から一気に急降下で頭に短剣を突き刺せば行けるかも。
ううん、ダメダメ。
『1か8かの賭けなんてものは他に手が無くなった最後の手段だ。
失敗すれば死ぬ。そんなものに頼ってるようじゃ冒険者はやっていけない。
そんな手を取る前に、本当にそれをしないといけないのかを考える事だ』
そう、ですよね。危険な賭けをしてまですることじゃない。
だから今はあいつの気を私に引き付ける程度の攻撃で十分。
「やああっ」
私はシンミアに向けて突撃するとその後頭部に短剣を振り下ろした。
コンッ
「ギッ?」
「え?」
私の短剣は致命傷を与えることは出来ないだろうなとは思っていたけど、剛毛に阻まれて傷一つ与える事が出来なかった。
むしろ向こうからしたら「何かぶつかったかな?」程度の感覚だったみたいだ。
その証拠にのんびりとこちらを振り返って来た。
「……」
「……」
一瞬目がある私とシンミア。
続いて私の持っている短剣を目にしてようやく攻撃されたことを理解したみたいだ。
シンミアは鋭い歯をむき出しにしながら甲高い叫び声をあげた。
「グギーーッ」
その声が全身を恐怖で支配する。
至近距離から浴びせられた殺気で動けなくなった私の目に、スローモーションでシンミアの腕が振りかぶられるのが映った。
だめだ、死ぬ!
「ガッ」
振り下ろされた腕がぶつかった瞬間、まるで大岩にでも弾き飛ばされたように私は遠くの木に叩きつけられていた。
「がふっ」
全身がバラバラになったかのように痛い。
ギリギリ両手でガードが出来てなければ間違いなく死んでいただろう。
痛みをこらえて目を開ければ、シンミアは蝿に興味はないとでもいうかのように私を無視して再び東に移動を開始していた。
止めないと。
でも今の状態で飛び出しても満足に動けなくて殺されるだけかもしれない。
せめて傷薬の一つでも持ってきておけば良かった。
「あっ」
ふと目の前の草に目が行った。
あの草は確か傷薬の材料だったはず。その隣のは根が鎮痛剤になる奴だよね。
そう思った瞬間、私は腕を伸ばしその草を無造作に引き抜くと口の中に放り込んだ。
普段食べてるのより苦みが強い。でも我慢できない程じゃない。
しっかり噛み砕いて呑み込めば……よし。多少なりとも回復してくれたし痛みも引いた。行ける!
私は飛脚術で森の中を駆け抜け、シンミアの背中を蹴り飛ばした。
「ギっ」
「ダメージにならないのは百も承知!」
「グギーーッ」
再び私を見て殺気を飛ばしてくるシンミアだったけど、今度はすぐに飛びのいて距離を空けていたし、なにより2度目なら多少は慣れた。
やはりバードモンキーとの戦いは良くも悪くも命を賭けた殺し合いではなかったという事だ。
それでも猿は猿だ。
「おいこのボケ猿!」
「ギギッ?」
「でかい図体してか弱い女の子ひとり倒せないなんて情けないわね」
「ウガーーッ」
多少知性がある分、こちらの挑発には簡単に乗ってくれる。
怒って飛び掛かってくるシンミアを横に跳んで避ける。
シンミアの飛び掛かる速度はバードモンキーと遜色は無い。逆を言えばバードモンキーに慣れた私には避けられない程の速度じゃないって事だ。
「ほらほら。こっちよこっち~」
「グギャーッ」
右手の手のひらを上にかざす動き。それも知ってる。石弾の魔法の予備動作だ。
予想通りシンミアの手の上に石と呼ぶにはちょっと大きすぎる岩が生み出され、私に向けて投げつけてきた。
『バードモンキーの投石は直線にしか飛んでこない。だから細かく木々の間を縫うように走ればこちらまで届くのは極僅かになるだろう。
そうして攻撃の特性を理解すれば今よりずっと戦いやすくなる』
「って、バードモンキーと違って木ごと吹き飛ばされそうなんですけど!」
動きが同じでも規模が違えば対応方法も変えないといけない。
それでもシンミアの岩も横にカーブすることはないので左右どちらかに避ければいい。
『余裕があればだけど、敵が左右どちらの手で魔法を放つのかは見ておくと良い。
仮に右手で魔法を放ってきたとしたら避けるのはこちらから見たら左、つまり敵の右手側に避けた方が追撃を受けにくくなる』
「つまりこっちだね!」
私は左に飛びつつ、そのままシンミアの周りをぐるぐると回る。
『肉体を持つ生き物なら魔物であろうと関節の可動範囲は有限だ。腰が180度回って足は前を向いてるのに上半身は後ろを向ける奴はそうそう居ない。
そうして敵の攻撃の届かない位置や死角を意識して動けば優位に勝負をすることができるだろう』
シンミアはちょこまかと動く私を煩わしそうに手を振り回して追い払おうとするけど、そのどれもが空を切った。
こっちとしては1撃でもくらえばまた立ち上がれる自信はないし、今度は見逃してはくれないだろうから慎重にかつ大胆に動き続けるしかない。
それにしたって2か月前の私ならこんなに動けなかったし、多分緊張と合わさって早くも体力切れ魔力切れに陥ってただろう。
あ、そもそもコルヴォさんに付いて来ることすら出来なかったかな。
そうやって考えるとこの数か月でだいぶ成長出来たのが実感できた。