回復
薬を与えてからしばらくすると、少女の顔色は改善していき、上がっていた熱も落ち着いてきた。正直、明日まで待機する事を覚悟していたため、薬の意外な即効性に驚いた。
この様子ならすぐに目を覚ますだろうから、今の内に移動の準備をしておこう。余った薬草や、その他諸々を必要なものに分け、不要なものはその場で燃やして処分した。ついでに暖も取れて一石二鳥といったところか。
少女が目を覚ますのを待ち続けて、10分と経った頃だった。
「う…ん。え?…あれ?」
少女は目を覚まし、周囲の状況の変化に混乱していた。自身の両腕を触り、傷の具合を確認すると、痛みがほとんど無い。そして、身体中に施された応急処置に気づき、気絶する前、目の前の怪物に果敢に飛び込んできた青年の姿を思い出す。
パチパチと音のする方を見ると、簡素な焚き火を隔てた反対側の壁に、背をつけて座って寝ている青年の姿を見つけた。その姿は、ある程度は記憶と一致しているが、なぜか上半身に服を着ていない。あの上着は何処に行ってしまったのか、と思い周りを見ると、綺麗に畳まれ、自分の枕になっているそれを見つけた。
改めて自分の身体中にある応急処置の跡を見る。布などは一切使われておらず、葉やツルなどといった自然のものだけで間に合わせてある。しかも、そのどれもが薬効を持った植物であり、傷口には丁寧に薬も塗られてあった。持ち前の治癒力も相まって、擦り傷程度なら既に塞がっている。
消えかけている火の中には自分の治療に使われたものと同じものが残っていた。火の具合からしてだいぶここで待っていたのだろう。畳まれた服を元に戻し、青年の肩を揺さぶると眠たそうにゆっくりとまぶたを上げた。下を向いていた顔が左右に揺れた後、徐々に上を見上げ視線が合う。
「気分はどう?」と青年は問う。
「おかげでだいぶ良くなりました。その、ありがとうございます。…あの後何があったか聞いてもいいですか」
「あぁ、そうだね。実は…」
青年はそれから、私が意識を失ってからの事を話してくれた。気絶した私を抱えて逃げてきた事、そして傷の処置をした事。ひと通り話し終えた時の彼の表情は、なぜか暗かった。
「すまなかった。もし、俺があそこで一歩踏み出すのを迷わなければ、君はこんな傷を負わなかったかもしれない。その、申し訳ない。」
彼はそう言って頭を下げた。
「そんな、ここまでして頂いて、責めることなんて出来ません。むしろ感謝するくらいです。助けて頂いてありがとうございます。」
慌てて感謝の意を伝える私を見て、彼は少し微笑んだ。
「…ごめんね。聞きたいことがあるんだけどいいかな?」
「はい、大丈夫です。何が聞きたいんですか」
そう答えると青年は立ち上がり、その辺に落ちていた木の枝を拾い上げた。足で地面をならした後、簡単な図を書き始める。しばらくして、それがここの周囲の地形であることがわかった。しかし、最後の描かれた4の様な記号の意味だけは分からなかった。
「ここが海で、ここが君が襲われていた場所。そこから走って、今はここの洞窟にいる。太陽の位置的に海側が東だと思うんだけど、どうかな?」
「逆ですね」
太陽も月も西から登って北を通り東へ沈む。これは変わることのない常識だ。
「逆なのか…。こっちの常識はここでは通用しないみたいだな。」
青年は間違えた照れ隠しのためか、そんな事を呟いていた。初めの淡々とした印象から、少し色がつき始めた気がする。
「よし、わかった。で、聞きたいことなんだけど、ここの近くに人が住んでる土地はないかな?街とか、市とか」
「町ですか?それなら…」
青年から木の枝を受け取ると、描かれた地図に追加で線を引く。
「ここから北へ進むと、道があると思います。その道の東側に沿って進むと、西の山脈の町ラストルへ続いています。距離はそれほど遠くはないです。馬車で数刻程度の距離だったと思います。」
「なるほどね。うん、ありがとう。俺は、そこに行ってみるとするよ。君はどうする?」
急に聞かれて、ドキリとした。そういえばこれからの事を何も考えていない。無我夢中で逃げてきて、そんな事を考える余裕も無かった。
「もしかして、決まってない?」
返事に困る私を見て、青年はそう問いかけてきた。
「そう…ですね。その、迷惑でなければ、ついて行っても良いですか。」
側から見たら、完璧に怪しい提案だ。それは自覚していた。しかし、青年はその心配をよそに、良いよ、と軽く返事をした。何かあるのではないかと、こちらが疑ってしまうほどだ。
「なら、自己紹介をしないとね。俺の名前は透。よろしくね。」
「私は、メディアナです。よろしくお願いします、トールさん。」
自己紹介を済ませると、トールは洞窟の外へと歩き出し、私もそれに続いて行った。
後ろについてくる少女、メディアナと共に歩き始めてから数十分。彼女の足には、枯れた木の蔓を編んで作り上げた靴が履かれている。彼女の体力は、やはり平均かそれ以下のもので、長く歩くと荒れた息遣いが聞こえてくる。
「一回休憩しよっか?まだ日暮れまでには時間があるし。」
そう言うと、彼女は首を振った。
「いえ、大丈夫です。もうすぐ道に出ると思うので、そこまではこのまま行きましょう。」
「わかった。ほら、乗って」
彼女の目の前で膝をつき、背中に乗る様に促す。
「喉が渇いても、飲ませられる水は無いんだ。だから、疲れて汗をかかれたり、呼吸が荒くなると困る。大丈夫、女の子一人背負うくらい、普通に歩くのと大差ないから。」
「そう…ですか。なら、失礼します。」
納得してもらえた様で、彼女はおとなしく背中に乗った。自分が想像していた以上に軽く、心配になるくらいである。こんな少女がなぜ森の中でひとりで行動していたのか。考えると不審な点がいくつも出てくる。体力も無い、力もない、それに今でこそ警戒は解けたものの、彼女の中には何かに怯えるような感情が残っている。
何があったのか、と聞くのは流石にまずいだろう。しかし、その辺を明確にしないとこちらも安心できない。町についてからそれとなく聞き出すか、調べてみよう。
彼女を背負って歩き始めてから4、5時間くらい経った頃、視界の先に大きな壁のようなものが立っていることに気づいた。彼女が言っていた街とは、あの外壁に囲まれたた建物のことなのだろうか。
聞こうとも思ったが、背中の少女は歩いている途中に寝てしまい、小さな寝息が聞こえている。
...起こすのも可哀想だから、近くに行くまではこのままにしておこう。
そうして、目の前の建物に向かって、平原の道を静かに歩いて行った。
お疲れ様でした。