砂浜
ドアを開いた先、そこに広がっていたのは夜の砂浜だった。
足をつくと、砂の感覚が繊細に伝わってくる。踏み締めた砂が、足の指の間に入り込む。冷たい風が頬を撫で、夢から覚めるように思考を研ぎ澄ませた。
「どこだよ、ここ」
城から見た景色は確かに森だった筈だ。こんな潮風も、波の音も一切聞こえなかった。海だって…
そう考えた時、波が後ろから流れてきた事に気づいた。
慌てて振り返ると、そこには先程通ってきたはずの扉などは一切無く、ただ海が広がってた。城も何もかも、そこにあると思っていたものの全てが跡形もなく消え去っていた。
「冗談だろ…」
心のどこかで、元の場所に戻れると思っていたのかもしれない。あの城の中にいた時は、戻る手段がどこかにあると、そう考えていた。でも、甘かった。
城の中にいた時、妙に警戒心が薄れていた。いつもなら気にするような事も、なぜか気にしていなかった。廊下のカーペットが途切れていた時、なぜその奥を確認しなかったのだろうか。あの少女が倒れていた時、なぜ俺は鍵だけを取って、少女を無視したのだろうか。
原因は分からないが、あの城には正常な思考を妨げる何かがあったとしか考えられない。
だからこそ、俺はあの城での出来事を夢と認識していたし、今の扉をくぐるのにも躊躇いを感じなかったのではないだろうか。
俺はその場に座り込み、すがるように夜空を見上げた。
見上げた空には、星が無かった。あるのはたった二つの月。そういえばあの窓から覗いた時も、星が無かった気がする。今さら驚く事はないが、それでも不思議な光景である事に変わりは無い。渦巻くような不安が心の奥底から湧き上がってくる。
…二人とも元気にしているかな。流石に放っておいたりはしないと思うけど、それでも心配だ。帰れるなら、出来るだけ早くに帰ろう。
父の再婚相手は、自分の子供の面倒を一切見ない人だった。その代わりに、世話役の人が何人かついていた。食事や洗濯などの家事はそれで何とかなっていたが、家族として何かをしてあげられるのは俺くらいしかいなかった。だから自分なりに出来ることを考えて、弟たちが寂しさを感じないようにしていた。
ただ、今は二人とも10歳と9歳になっている。あの家の環境下なら、精神的に十分成長しているはずだ。俺がしばらく居なかったとしても、もう大丈夫だと思う。
それにあの父のことだ。今までは俺がいるからと弟たちにあまり干渉して来なかったが、俺が居なくなったと判ればそれなりの対応はするだろう。そういう人だ。
取り敢えず、家のことは心配しなくても良いだろう。今は自分のことに集中するべきだ。
今の状況で役に立ちそうな物は持っていない。このまま救助を待っても来るはずがない。不安は残るが、最低限の水や食料を確保しながら、人のいる場所へとたどり着くしかないだろう。
立ち上がり、ズボンについた砂を払う。湿り気を帯びた砂が膝あたりにまでくっついていた。一度水に流して落としてしまおうと、少し深いところまで歩いて行き、水を手で掬っては足にかけ、ひっついている砂を落とした。
足を洗い終え、海から離れた少し高い位置に立ち、砂浜の周りを見渡すと、遠くの方に森が見えた。ひとまずあそこまで行って野宿をする事にしよう。そう思って歩き出した時、後ろの方から、先ほどまで聞こえなかった波の音がはっきりと聞こえてきた。
…おかしいな。既に波の音が聞こえなくなるくらい離れているはずなのに。
不思議に思って振り返ると、自分のすぐ後ろの所にまで波が迫っていた。潮の満ち引きによるものだろうか。そう考えるが、この短時間でここまでの変化が起こるはずが無い。明らかに自然現象によるものでは無いと分かる。
ふと、目の前に迫る波の向こう側を見る。すると、そこには平然と満ち引きを繰り返す波が見えた。不思議に思い、もう一度目の前ほ波に目を落とすと、ある事に気づいた。
波が、引かない。
その事に気づいた丁度その時、目の前の波では無い何かから、短い触手の様な物が伸びてきた。その触手は、ゆっくりと先端の向きを変えて、俺の顔を真っ直ぐ捉える。
そこからはまさに、刹那の動きと言っても過言では無かっただろう。パシュ、と言う甲高い音と共に高速で突き出された触手が、先程までの自分の頭を正確に貫いていた。反応できたのは奇跡に近いだろう。動体視力には自信がある方だったのに、それを嘲笑うかのようだった。目で追うことができたのは、加速し始めた直後のほんの一瞬。次は、きっと避けられない。
交戦する手段も、防衛する手段も無い、相手の正体も分からないという圧倒的に不利な状況。俺にできたのは、その場から逃げ出すことだけだった。
場面が変わるごとに話を変えていますが、一つの場面だけでこんなに時間かけてたらいつまで経っても話が進まないし、これでも最低限の内容に収まるように努力してますし、ゆっくり見て貰えば良いと思うんです。
と、まぁ言い訳はこのくらいにしておきます。