石の小部屋にて
背中が冷たい。いや、そもそも既に何も感じていないのか。
胸が苦しい。心臓は動いているのだろうか。
全身に感じていた冷たさが、やがて痛みに変わる。
初めての感覚、そしてこれが最後。
機能しなくなった視覚が、あるはずのない光を見せてくる。
停止したはずの胸の鼓動が、激しく体を打ち始める。
最後まで生に縋り付くかの様に、あり得るはずのない幻想で包まれた。
意識はまだある。だが、それがいつまで続くのか分からない。
…というか、背中の冷たさだんだんと強くなっている気がする。
俺は死んだのか?それとも死ぬ前なのか?
死後の世界など信じていない。神様に救ってくれと祈った事も無い。
それでも、二度と起きないと思っていた意識が覚醒している。
自分の存在をまだ確信できる。
そのことに気づくと同時に、麻痺していた恐怖が襲ってきた。
ふぅー…ふぅー…
歯を食いしばり、溢れる涙を腕で隠す。
漏れた嗚咽が不自然に反響していることに違和感を覚えながらも、
襲いかかる恐怖が、そんな事を考える余裕すら与えない。
押しつぶされそうになる心と、実際に押し潰れた感覚が混ざり合って、頭の中がおかしくなりそうだった。だが、その感覚も時間が経つにつれて落ち着いていき、大きなため息と共に冷静さを取り戻す。
何が起こったのかと、頭の中で考えるも、何一つとも自分の理解できる範疇ではなかった。
死ぬ前に見たあの景色も、死んだことによる感覚も。そして、死んだはずの俺が生きている事も。全てが予想外、今まで体験したことのない経験だ。そしてそれが、その経験が、異様なほどに俺の心を躍らせた。
ただ生きていることに喜んでいるのではない。今までとは違う、新しい経験が出来たこと。
視界がぼやけ、暖かい雫が目の端から頬をつたって落ちた。まるで自由になったかの様だ。
はぁ、と先程とは違う感情のため息をつく。そして、その声がまるで狭い空間の中にいるかの様に反響している事に気づいた。
そういえば、風を感じない。俺は外に落ちたんじゃないのか。
視界は変わらず暗いままで、東京の夜空とは到底思えない。
体を起こそうと地面に手をつくと、ヒヤリとした感触が伝わった。
アスファルトとは違う、ツルツルした石の感覚、だが大理石ほどではない。
石でできた小部屋、そんなふうに思う。
そして同時に、自分が服を着ていないことにも気づいた。
ありえない、まさか俺は一瞬で別の場所に飛ばされてしまったのか。
ご丁寧に服を除外して。
だが、先ほどまでのことを考えると、あり得ない話では無いのかもしれない。だが、現状を理解しないことには、決めつけることは無理だ。
暗いままではどうにもならない。取り敢えず、灯りが欲しい。
そう思い、手を前に突き出しながら少しずつ歩く。一歩踏み出すごとに、足の裏から冷たさを感じる。そして、数歩歩いた所で手の先に足と似たような冷たさを感じた。しかし触った感覚は石ではなく、木のように感じる。棚やタンスの類だろうか。手探りで取手のような突起を見つけると、それを掴んで手前に引く。中から少し古臭いような匂いがしたが、気にせずに手を突っ込んだ。懐中電灯やマッチのようなものは無いかと探しているうちに、無意識にライト…ライト…と呟いた。
次の瞬間、目の前が急に明るくなり、うぁ、と情け無い声を出して後ろに倒れ込んでしまった。
目がぁ…目がぁ…。
突然のことに驚き、何が起こったか分からなかった。しかし徐々に目の前の光に目が慣れてくると、何が起こったのかをようやく理解した。
光の原因は目の前に浮かぶ白い物体、いや、物体かどうかは分からないけれども。
その発光体は、ちょうど俺が手をかざしていたあたりを浮遊しているだけで、動いたりはせず、丁度いいくらいの光を出していた。
何だこれ?
好奇心から、少し警戒しながらも謎の発光体の中に手を伸ばした。すると、スッと指先から何かが入り込んでくる感覚がした。
っ、やばい、触るのはまずかったか!
急いで手を引くが、入り込んだ感覚は腕を通り、やがて頭へと到達する。そして激しい耳鳴りと共に、あるものを流し込んできた。
ライト?
それはこの不思議な発光体の正体と使い方、そして聞き慣れない、魔法というものについての情報だった。どうやらこの発光体は、俺が先程ライトと呟いたことによってできたものらしい。ただ、その存在が余りにも不思議なもので、理解するのに少し時間がかかった。
魔法…か。聞いたことはあるけど、どれもゲームの中の話だったよな。まさか現実で使えるとは思ってもいなかった。
いや、それは少し違うのかも知れない。本来なら現実で魔法なんかが使える訳ない。だったら、ここは夢の中か、魔法が使えるような場所であるかのどちらかなのだろう。
別の世界。考えた事もなかった。たしかに自分のことを誰も知らない場所に行きたいと願ったことはあるが、こんな形で叶うとは思いもしなかった。
…いや、無いか。
冷静になって考えると、まだ夢の中であることの方が現実味がある。異世界なんて、空想の産物にも程がある。そう思っていたのに、いざ目の前に出されるとそれを信じたくなってしまう。この歳にもなって、一時的にでもそんな空想を信じてしまうような子供らしい感覚が残っていたことに、少し驚いた。
ただ、使えるものは使わせてもらおう。これが夢であったとしても、もう少し状況が知りたい。
白い発光体に手をかざし、先程の情報をもとに動かそうとする。すると、意外にもそれは素直に動き出し、指示通りの場所へと移動した。
改めて周りを確認すると、この部屋はやはり石で作られていて、少し豪華なベットとタンスが一つ、そして左の壁に木でできた窓があり、後ろ側には同じく木の扉があった。
窓に近づき、ゆっくりと前に押す。流石に全裸で窓をいきなり開ける勇気は無かった。
窓から見えたのは、見渡す限りに繁茂した森。人の気配が無いことに安堵すると同時に、不安も生まれた。夢の中では、窓の外には景色が無い事が一般的らしい、もちろん諸説はあるだろうが、これが夢ではない可能性が出てきてしまったという事だ。
そして同時に思った。この景色が夢でなければ良いのに、と。
暗い夜空に大きく輝く月が二つ、湖に反射しているものを含めて三つ。そして爽やかな風と共に木々がざわめき、木の葉がチラチラと煌めいては、まるで空が二つあるかの様に感じられる。夢にしておくには勿体ないほどのものだった。
窓から入ってきた風に寒気を感じ、ゆっくりと窓を閉める。
そして、何か着る物を探すために、ライトを操作しながらその部屋を出た。
こんにちは、作者のニアです。
2話目の投稿、無事にできてよかったです。
物語の序盤の序盤、プロローグすらまだ終わってない感じで、テンポが非常に悪い気がしますが、最後まで付き合って頂けたら幸いです。
ヒロインが登場するのは何話先のことになるのやら。