幕間・日本のどこかで
クロエ視点のエピソードです
どこかで聞いたことがある話だけど、あまりにも精密につくられたものは命が宿る、なんていう言い伝えがあるらしい。
あるいは神の怒りを買う、とか。
だから、昔の人は意図的にリアルにし過ぎないように作品や建物を作ったんだそうだ。
何処の国の言い伝えだっただろうか。
ミッドガルド・オンライン
第7世代CPUを使ったVRMMO作品の一つであり、マイナーだけど根強いファンを持つタイトルだ。
この作品の売りは恐ろしいほど精密に描かれたグラフィック。
本物と見間違うほどの背景描写、おどろおどろしく描かれた多彩なモンスター、ド派手な魔法のエフェクト、ち密に作り込まれたダンジョン。
そして、叩かれがちなオンラインゲームの運営の中でこのゲームの運営はかなり優秀なのもポイントが高い。
バランス調整も適切で大きな不満は聞かれない。定期的に追加マップとか武器とかも増えていく。
一方で飛び散る血までリアルに再現した演出のせいでプレイヤーの年齢制限がかけられている。
あまりに精密すぎて、ゲームと現実の区別がつかなくなって傷を負ったところが赤く腫れたり、ゲームの中に取り込まれたプレイヤーがいる、なんていう噂もあるくらい。
下らない噂だと思っていた。
でも自分の身に起きて分かった。というより噂どころじゃなかった、というべきかもしれない。
それは噂でもなんでもなかった。
一つのダンジョンでレベリングを終えてログアウトせずに寝落ちして、気づいたら私は草原に寝そべっていた。
◆
初めは夢かと思った。
次に寝落ちしたまま目を開けて、VRゴーグルに映るグラフィックを見てるだけかと思った。
でもすぐ違うことに気付いた。
匂いがある、肌に触れる空気、風の感覚、草の葉擦れの音、普段と体が感じる情報量が全く違う。
リアリティがあるゲームと本当のリアルは全く違う。
頬を叩いたら痛みが走って、痛みが頬に残った。それで確信した。
私はゲームの中にいる。
ダメージを受けた時は血のエフェクトは出るけど、ちょっとピリッと痛みが走る程度だ。頬を叩いたくらいだと痛みも何もないはずなのに。
「ステータス・オープン」
声を掛けるとステータスはいつも通り開いた。システムウインドウも。
でも……ログアウトの項目は無かった。
◆
あまりに唐突に起きたことに気が狂いそうになったけど、たった一つだけ幸運があった。
私のこの世界の体は私のキャラクターと同じだった。
つまりミッドガルド・オンラインの上位ランカー、星騎士レベル98のクロエ・ファレン。
所持金も武装もすべて引き継いでいた。
起きたのもゲームで寝落ちした場所そのまま。S難度ダンジョン、ブラムバストス大地溝のすぐそば。
すぐ近くには拠点であるサーグレアがある。
でもゲームだとカーソルを移動させればいいだけだけど、そんな風にはいかなかった。
丸一日歩いて、どうにかサーグレアまでたどり着いた。
所持金も引き継いでいたから一番いい宿の一番いい部屋に泊った。
起きたら何事もなく家に帰っていられるようにと祈ったけど、それがかなうことはなかった。
◆
次の日から3日間宿に引き籠った。お金はいくらでもあった。
でも3日たっても何も起こらないままだった。何事もなかったように夜が明けて朝が来る。この世界で。
そう……帰れない。3日目には現実を受け入れざるを得なかった。
叫びたかったし、逃げ出したかった。
でもそんなことをしても意味が無い。逃げる先なんて無いし、叫んでもどうしようもない。どうにかするしかない。
試しに町の近くでモンスターとも戦ってみたけど、ゲームの中でモンスターと戦うのとは全く違う。
モンスターの咆哮は耳だけでなく全身を震わせる。肌を刺すように殺意が伝わってくる。
HPが残っているから攻撃を受けても死なない、というのはゲームの中では当たり前だけど、本当のリアルになれば平気でいられるはずもない。
そもそも、HPがなくなったらどうなるんだろう。
ゲームの中なら一時的に行動不能になってその後、再出撃する。でも、これが現実なら。
戦ってしまえばほとんどは震天雷の一撃でケリがつく。
でも恐ろしいという気持ちは消えない。
それよりなにより恐ろしいのは……独りぼっちだってことだ。
こんなこと誰に話せるんだろう。
ギルドにいる冒険者は私と同じようにこの世界に来てしまった人なのか、AIが制御しているNPCなのか、それともアバターで中にプレイヤーがいるのか。
一度、見た中で一番レベルの高いキャラクターに思い切って声をかけてみたけど
……何を言っているのか分からないって顔をされて諦めた。
戻れるのか。ずっとこのままなのか。
一刻も早く帰りたい。こんなところにいたくない。
どうすればいいのか……希望として思いついたのはたった一つだった。
攻略すれば運営がプレイヤーの要望を叶えてくれる、蒼穹の礼拝堂というクリア報酬が設定されたダンジョン、星見の尖塔。
そこに行けば願いが叶う……かもしれない。
でも、そもそも元の世界に戻してほしいなんて言う願いなんて通じるのか。
分からないけど、希望はそれしか思いつかなかった。
ただ、星見の尖塔はそのクリア報酬のおかげで恐ろしい高難度が設定されたダンジョンだ。
あまりの難しさと100階建てという長さゆえに、ミッドガルド・オンラインの名うてのプレイヤーたちも攻略を投げてしまった。
時々忘れたころにアップデートで難易度調整が入るけど、いまや誰も挑む者はいない。
だからあの尖塔については情報が少なすぎる……やるしかない。でもどうやって。
◆
しばらくこの世界に居て分かったことがある。
この世界はミッドガルド・オンラインの中だけど、教会の制度とか、様々なものがゲームとは違っていた。
この中はこの中の文化と現実がある。
ただ、LV98が幸いして、どこでも気を使ってもらえるし言うことは大抵は通った。
レベルが高い方が偉いというか発言力がある、というのはオンラインゲームの中の不文律だけど、良くも悪くもそれがより極端になって社会制度になっている。
教会に頼んで準備してもらった馬車で、サーグレアから星見の尖塔の近くの町であるアルフェリズまで移動した。
移動には10日間掛かった。その間、どうやって攻略するか考えていた。
恐らく一人で行くしかない。
同行者を増やすのは面倒だし、この中の人はそれぞれ意思を持っていることくらいは分かった。
クリアした後にもめ事になると困る。
でも、少人数で行くとしても……最低でも案内人は必要だ。
星見の尖塔は100階建て。中ボスもいた筈だ。
そしてマップは全く分からない。マップを知らない100階層のダンジョンを一人で力押しは無理だ。
ただ、案内人を選ぶプレイヤーは恐ろしく少ない。
そこはこの世界も同じの様だった。
マップ確認やアイテムボックス拡張、要石によるダンジョンの途中のショートカット、安全にスタミナやMPを回復できる結界。
案内人のもつスキルは便利だ。
ステータス的にもさほど不遇ではない。それは間違いない。
でもクラスチェンジもなければ魔法も使えない。
STRとHPが高いだけの脳筋前衛。序盤なら便利。それが案内人へのプレイヤーの評価だ。
見栄えのいい他のクラスがあるのに、そんな便利屋を敢えて選ぶ物好きなプレイヤーは少ない。
選ぶプレイヤーが少ないせいか、アップデートをきちんとするミッドガルド・オンラインの運営もテコ入れせず放置している。
それに攻略サイトを見ればある程度地図とかは分かってしまうわけで。
だから、案内人は少ないし、いてもほとんどが前衛兼任のポジションでプレイヤー同士で固定メンバーのパーティを組んでいる。
野良プレイヤーの案内人はほとんどいない。
道中のギルドで探したけど一人もいなかった。
この世界は独自の文化はあるけど、一部は私の現実とリンクしている。多分案内人が少ないのもその影響だろう。
アルフェリズにもいなかったらどうしよう。
アルフェリズは最初期のサーバーに設置された町で今でもアクセスするプレイヤーが一番多い。
もしここにいなかったらどうすればいいのか。
それに、万が一気まぐれな上位ランカーがあの塔をクリアしたら、私はどうなるんだろう。
早くいかなくては。
◆
アルフェリズのギルドには、幸運にもたった一人だけ案内人がいた。
「低レベルですよ。あなたに合うとは思えない」
ギルドの可愛い受付嬢の子が言ってくれた。
「いいんです」
教えてもらった案内人の方を見る。
疲れた顔で食事をしていて、なんとなく沈んだ雰囲気を感じた。
顔立ちは20歳後半ってくらいだけど、金色の無造作に切った感じの短い髪に無精ひげ。
整っているけど疲れた顔立ちで目の下にはクマが薄く浮いていた。
この人のプレイヤーは何を考えてこんなアバターにしたんだろうか。
でも、そもそもアバターなんかじゃないのか。
この世界の人は自分の意思を持っている。簡易的なAIで決められた動きをするだけのNPCじゃない。
だれにも人生があるんだ。この世界で。
私にはゲームの中としか思えないけど、この世界のみんなにとってこの世界は確かに唯一リアルなものあって、他の世界なんてない。
そして、誰かと共に戦う達成感は知っている。
あまり固定メンバーは組まないけど、臨時で組んだパーティの仲間たちで未踏のSS難度のダンジョン、黒水晶の迷宮を抜けた時の高揚感は今も忘れられない。
でも私の目的は一つ。元の世界に帰ることだ。だから彼を仲間としてみてはいけない。
深呼吸して頭の中で今から言う台詞を反芻する。私に気付いたのか、彼が私を見上げた。
……これから私は彼を利用する。
「あなたは案内人ですね?」





