オリンピック雑感
風太郎不戦日記という漫画がある。
作家の山田風太郎氏の戦争体験を漫画化したものである。
実はずいぶん前から、第二次世界大戦末期に空襲にさらされつつも、それを日常の一部として生活していた時代と、新型コロナ感染の危機にさらされつつも飲み会をする現代とは似た部分があるのではと感じていたが、やはり似ていると感じた。
不戦日記の中には、「かくて日本に不機嫌と不親切と不平とイヤミ充満す。」という文があるのだが、さすが有名作家ともなるとうまく言うものだと感心した。昔も今も同じ日本人だけあってよく似ている。
さて現代に視点を戻すと、オリンピックがついに始まった。
私は、もとよりオリンピック賛成、ワクチン接種賛成なのだが、スポーツそのものに特段の関心があるわけではない。
なぜ賛成なのかというと、石橋を叩きまくって、理屈をつけて結局渡らないというのが気に入らないだけのことである。
それに、もし中止した場合に、この先10年も20年も、4年おきに実はオリンピックを開催できたのに惜しいことをしたなどと未練がましく、くどくどと騒ぐのだと考えると鬱陶しいことこの上ないと思うのだ。どうせ、開催しても中止しても、あいつが悪い、こいつが悪いなどとぐだぐだ騒ぐのなら開催したほうがいっそスッキリする。
政府はアスリートファーストを軽視しているなどと騒ぎつつ、オリンピックを中止すべきなどというマスコミを、当のオリンピック選手はどう思っているのだろう。彼らの大半にしてみると、まず開催されることが希望の最低ラインではなかろうか。開催反対しつつアスリートファーストを旗頭に政府を批判する左派マスコミなど噴飯ものだろう。
さて、この四連休、高速や空港、駅は混雑しているそうだ。
しばらく前にオリンピック開催反対が国民の80%という報道があったが、それらの人々は自宅でNETFLIXかYoutubeでも見ていればよいものを、なぜ出かけるのか?せめて、自宅のテレビでオリンピックでもみていればよいのだ。例え海外選手が新型株をもっていても、リングの貞子ではないのだから、液晶画面から新型コロナウィルスがにじみ出てくることはない。
コロナが広がるのが怖いのでオリンピックに反対だが、自身は旅にレジャーに出かけるというのは、実に理屈に合わない行動である。
まるでブッダの説法の「旅人と虎」の世界だ。(この説話を書くと長くなるので割愛します。)
そうすると、人間の行動というのはブッダが生きた2000年以上前から変わらないということか。
つらつら考えるうちに、オリンピックで盛り上がって視聴率が上がれば上がるほど、自宅のテレビ前にいる時間が長くなるので、実は人流は減るのではないかと気づいた。すると、日本全体を統計的にみると、オリンピック関係者から日本人への感染と、オリンピック放送時間中の人流減少を数的に比較すると、相殺されて感染数は大して変わらない可能性がありうる。
言い換えると、日本人選手が大活躍をして人々がテレビに釘付けになれば、その分、外出に使える時間が減るので、結果として感染する機会が減ることになる。そうこうしているうちにワクチンの接種率はあがっていく。
いずれにしろ、日本オリンピック選手諸氏には、是非頑張ってもらいたいものである。