008 生乳の加工
008 生乳の加工 通常、トマトが花を咲かせるのは、種をまいてから約2ヶ月後のことだ。ところが目の前のプランターには、立派なトマトの花が咲いていた。種をまいてから一日、いや、半日しか経っていないのに……。
そのことにひとしきり驚いた後、私はじぃやに言った。
「ねー? 奇跡のジョウロならいけたでしょー?」
「ぐぬぬ……これはミレイユ様が正しいですね……」
「だったら言うことがあるんじゃなーい?」
「じぃやが間違っておりました……」
「ふっふーん、よろしい!」
じぃやの頭を撫で撫でしてあげる。
それにしてもジョウロの効果が凄まじい。想像以上のミラクルジョウロである。
「モォー!」
ウシコちゃんが「私も撫でろ!」と文句を言ってきた。
バリチェロはウシコちゃんの隣で眠っている。私が生まれる前からじぃやと苦楽を共にしてきた老馬なだけあって、ウシコちゃんが喚く程度じゃ動じない。
「よーしよし、ウシコちゃんもおはよー!」
「モォー♪」
「なんだかお乳がパンパンだねぇ。ちょっと搾ってみよっかぁ」
「モー♪」
ということで、搾乳に挑戦することにした。
「こちらで大丈夫でしょうか?」
じぃやが大きなバケツを持ってくる。
「大丈夫でしょ! たぶん!」
バケツをウシコちゃんの下に置く。ジョウロの水で手を洗い、ウシコちゃんのお乳を握る。乳頭を下へ伸ばすようにして搾った。
ブシャーと大量の母乳が放出される。バケツが瞬く間にいっぱいになった。
「ウシコちゃんはジョウロの水を飲んだし、きっと牛乳の味が凄いことになってるよー!」
「確かめてみましょう」
じぃやはバケツに溜まった母乳を指ですくい、ペロリと舐めた。ただでさえ皺だらけの眉間に、彫刻刀で削ったような深い皺ができる。
「ミレイユ様、この牛乳は濃い過ぎて飲めたものではありませんよ。それになんだか普通の牛乳とは違う妙な味がします」
それを聞いた私は声を上げて笑った。
「じぃや、貴方は牛乳がどうやって作られているか知らないようね」
「といいますと……?」
「搾りたての母乳は牛乳じゃないわ」
「そうなんですか?」
「生乳って言うのよ。このままだと菌がたくさんあるから、加熱して殺菌するの。そうした加工を経て出来たものが牛乳なのよ。もちろん生乳と牛乳で味も違うからね」
「初めて知りました。ミレイユ様は博識ですね」
「ふっふっふ。王宮ではたくさんの本を読んだからね」
「流石です。ただ、もう少し早く教えてほしかったですな。菌だらけの生乳を飲んでしまいましたよ」
「念の為にジョウロのお水で消毒しないと!」
「それで大丈夫ですか?」
「たぶん大丈夫でしょ! ミラクルジョウロだし」
じぃやは「ですね」と頷き、ジョウロの水を飲んだ。
「せっかくだしウシコちゃんからいただいた生乳を加工して牛乳にしようよ!」
「名案ですね」
「でしょー! それではじぃや、牛乳を作ってきてちょうだい!」
「じぃやが生乳を加工するのですか? つい今しがたまで生乳のことを知らなかったのですよ」
「うん! だってじぃやは凄いもん! できるできる! 大丈夫!」
「かしこまりました」
「私はもう一度寝るから、出来たら起こしてねー!」
「はい」
自室に戻って眠りに就く。
――――。
「ミレイユ様、牛乳と朝食ができましたよ」
じぃやが起こしに来た。
「流石はじぃや、本当に牛乳を完成させるとは!」
「ミレイユ様の説明だけでは分かりにくかったので、バーミリオンさんにも教えてもらいました」
「なるほど、その手があったかぁ!」
じぃやと一緒に一階の居間へ移動する。たくさん寝たので頭がすっきりしていた。
ダイニングテーブルに向かい合って座る。目の前にはじぃやの手作り料理が並んでいた。コップが二つある。片方には水、もう片方には牛乳が入っていた。
「わぁ、すごい豪華! 相変わらずじぃやの料理は素敵だぁ!」
と声を弾ませたところで、私は気づいた。
「じぃや、その首は?」
「首が何か……あっ」
手鏡で自らの首を確認した瞬間、じぃやの顔が真っ赤になった。
「こ、ここ、これはですね、ミレイユ様、違うのです」
「ふふーん、じぃやも隅に置けないねぇ!」
じぃやの首には、口紅の跡がついていたのだ。内出血を伴わないタイプのキスマークである。どうやらじぃやは、私が寝ている間にバーミリオンさんと楽しく過ごしていたようだ。
「と、とにかく、これで完成です! 食べましょう!」
じぃやは必死に話を逸らし、食事を促してくる。
「あとで詳細を話してもらうからねー」
ニヤニヤしながら、私は牛乳の入ったコップへ手を伸ばす。
そして牛乳を口に含んだ瞬間――。
「んんんんんーーーーーーっ!」
とてつもない衝撃が全身を襲った。
じぃやをからかう方法について83通りの方法を考えていたけれど、その全てを一瞬で忘れてしまった。