004 道中の牛
私が魔力を使い切ったことで、クーデターは中止になった。軍の方々は渋々退散し、その後は特に問題も起きずに済んだ。そしてホールデン公国はマイクロン帝国に降伏し、驚くほどあっさり滅亡した。
とはいえ、反乱を企てていた者達が素直に諦めたとは思えない。水面下では何かしらの活動をしているはずだ。
だが、そんなことは私にとって関係ない。それをどうにかするのは帝国の仕事だ。
「じぃや、まだー? 私、もうお尻が痛いんだけどー」
「だからもっと近くの街にしましょうと言ったのです」
私はじぃやと共に新天地を目指していた。
今はじぃやの愛馬こと白馬のバリチェロが引っ張る荷台に座って、がたんごとんと揺られている。荷物は最低限の着替えと魔力の詰まったピカピカのジョウロのみ。
ジョウロは必要なかったのだが、覚悟の証として持ってきた。これを見る度に、「馬鹿なことをしたなぁ」と後悔すると同時に、「あの時の私は我ながらかっこよかったなぁ」とニヤけてしまう。
「楽しみだなぁ、モーモーちゃん」
「モーモータウンですよ」
「分かってるし!」
新天地の名はモーモータウン。かつては公国領の端、今では帝国領の中途半端な場所に位置する辺境の町だ。公国時代は「酪農家の町」とも称されていた。牛の畜産で名を馳せており、周辺の草原には野生の牛が生息している。
モーモータウンを選んだのは、新聞に載っていた「セカンドライフはまったりのんびり田舎町で決まり☆」などというワードに踊らされたからだ。じぃやは都会のほうがいいと強く主張していたけれど、そう言われると田舎に行きたくなるのが私である。
「むむっ」
じぃやがバリチェロにストップをかけた。
「なに? 到着したの?」
「違います。前方に障害物がありまして」
「障害物? じぃやのパンチで吹っ飛ばしてよ」
「それが……」
私は「にょん?」と荷台から顔を覗かせる。道のど真ん中で牛がぐったりしていた。
「じぃやのパンチをしますと、あの牛は粉々になって死んでしまいます」
「それはダメね」
私は荷台から降り、牛に近づいていく。
牛は威嚇するように鳴くが、襲ってくるだけの力はなかった。
「ミレイユ様、危険です」
「大丈夫よ、へーきへーき」
牛の体を撫でてあげる。優しく、丁寧に、撫で撫で、撫で撫で。
それでも牛は緊張を解かない。体をこわばらせたままだ。全力で警戒している。
「じぃや、この牛を持ち上げてもらえる?」
「持ち上げるのですか?」
「怪我の可能性を考慮して慎重にね」
「かしこまりました」
じぃやが牛を持ち上げる。ほいっと片手で。牛の体重は700~1200kgなのだが、じぃやを見ているとそんな風には感じなかった。力持ちのおじいちゃんだなぁ。
「うーん、特に怪我とかはしていないね」
「ミレイユ様、牛にお詳しいのですか?」
「南米の森で色々とあってね」
「南米って……また異世界の作り話ですか。本当にお詳しいのかと思いましたよ」
「なんにせよ目立った外傷はないし、脚の骨が折れているわけでもないみたいだから、水分不足なんじゃないかしら」
「ではその可能性を信じて水を飲ませてみましょうか」
「そうね」
私はバリチェに装備されている革の水筒を手に取った。蓋を開けて、手のひらに水を溜める。それを牛の口に近づけた。
だが、牛はぷいっとそっぽを向くだけだ。飲もうとはしない。
「飲みませんよ、ミレイユ様」
「頑固な子ね。ならばこっちにだって考えがあるわ」
私はジョウロに水を入れ、それを牛の顔にかけた。
「ちょっと強引だけど、これなら否応なく飲めるでしょ」
牛の額を滴る水が、水滴を大きくしながら口へ向かう。
案の定、喉が渇いていたようで、牛は舌を伸ばして水を舐めた。
ひとたび舐め始めるともう止まらない。イカれた風車の如き勢いで舌を回転させ、顔中の水滴をペロンペロンしていた。
「この調子でガンガン飲ませよう!」
「ミレイユ様、そんなことをすると我々の水がなくなります」
「なんですと」
その時、牛が「モォオオオオオ!」と吠えた。
ぐったりしていた体を起こし、再び嬉しそうに鳴く。それから私に向かって体をすりすりしてきた。なんだか元気になっている。
「どうやら水はもう不要みたいよ。やったね、じぃや!」
「いやいや、あんな少量の水でそんな……おかしくないですか?」
「そうは言っても、私は別に特別なことはしていないわよ? ただこのジョウロで水をしゃーって掛けただけで……」
次の瞬間、私達は同時に「あっ」と気づいた。
「ミレイユ様、そのジョウロ、魔力の注ぎ過ぎで凄い効果を得たのではないでしょうか?」
「じぃやもそう思う? 只のジョウロから奇跡のジョウロになっちゃったかも!?」
私は「もしそうならラッキー!」とジョウロを掲げた。