003 元聖女の覚悟
人って薄情な生き物だと思った。いや、私が薄情なだけかもしれない。
とにかく、数時間が経った夜には、ホールデン公国の滅亡を受け入れていた。今は中庭で草花に水やりをしながら、じぃやと此処を出た後の物件について検討している。
「ミレイユ様、こちらの物件はどうですか? 一等地とは言いがたいですが、敷地面積は相当なものです。ミレイユ様の大好きな名店アレサンドロも近くにありますよ」
「んー、なんだかしっくりこないなぁ! 他は?」
「この都市の物件は以上になります」
「なら別の街にするかぁ。それよりお金はどうやって稼げばいいの? 私みたいな無能を雇ってくれるところなんてないでしょ」
「たしかにそうですが、そこは気合いでなんとか……」
「ちょっと! なに普通に認めてるの! 『ミレイユ様は無能などではありません』とか言ってよ!」
「ふぉっふぉっふぉ、じぃやは正直者ですので」
「酷ッ! ことさらに酷い!」
「それで物件の候補ですが――」
「ここにおられましたか、ミレイユ様」
「むっ」
中庭に軍のお偉いさん方がやってきた。その数、10人。
私は水やりを中断した。じぃやはスッと私の後ろに移動する。
「ミレイユ様!」
お偉いさん方が一斉に跪く。
「今一度、聖女にお戻りください」
「えっ、ええっ、どういうことですか? この国は降伏しちゃうのでは?」
「たしかに陛下はそのような決定を下しましたが、それは大きな間違いだと我々は考えています。戦わずに降伏するなど愚の骨頂! 徹底抗戦をすべきです! ミレイユ様が聖女にお戻りくださるのであれば、我々は即座にクーデターを起こして国の権限を掌握します!」
「ク、クーデタァ!?」
「ご安心ください。ミレイユ様には迷惑をかけません。今まで通り聖女の間にいてくださるだけで問題ないのです。ミレイユ様としても、聖女でいられて一石二鳥ではありませんか?」
「えっと、その……」
気の乗らない話だった。彼らの言い分が正しいのかどうかは分からないが、彼らは未来のことを見ていないように思える。それとも、帝国軍を打ち破る秘策があるのだろうか。
「も、もし、皆様が帝国軍と戦った場合、勝つことはできるのですか? 何かその、凄い作戦があるとか?」
「そんなものはありません!」
きっぱり断言されてしまった。
「帝国軍との戦いに勝つのは不可能です。ただ、一矢報いることはできるでしょう。我々は抵抗したぞ、と爪痕を残せます。それこそが大事なのです! 軍人の誉れであります!」
この発言によって、私は決心した。
「そういうことであればお断りします。私は聖女に戻りません」
「なっ……聖女でいられるのですよ?」
「分かっています。それでも、結構です」
「そうですか。しかし、我々もここへ来る以上は覚悟を決めています。断られたからといって引く気ははございません。力尽くでも聖女の間へ連れていかせてもらいます」
お偉いさん方は立ち上がり、その内の一人が「やれ」と右手を挙げる。
どこからともなく大量の兵士が現れ、私とじぃやは包囲されてしまった。
「ミレイユ様を連れて行くならまずはこのじぃやを倒しなさい」
じぃやが私の前に出る。
「じぃや、貴方の腕前は存じ上げています。もし貴方が単独であれば、この程度の数では分が悪かったでしょう。だが、今の貴方はミレイユ様を守りながら戦わねばならない。それでは実力の半分も出せないでしょう。抗うだけ無駄です。それに、貴方はもうミレイユ様の世話役ではない。彼女を守る義理はないはずだ」
「私は私の信じた道を進むのみ。役職などもとよりオマケに過ぎません」
「じぃや……!」
「それでは、貴方には死んでもらうとしましょう」
軍部の男が挙げていた手を下ろす。兵士がじわじわ迫ってきた。
「ミレイユ様、絶対に離れないでください。命に代えてもお守りしますので」
じぃやが両手に拳を作る。彼の背中からは死の覚悟が感じられた。
(このままじゃじぃやが死んでしまう!)
それは何よりも避けたいことだった。親のいない私にとって、いつも一緒にいてくれたじぃやこそ親なのだ。
だから私は、じぃやの前に出た。
「じぃや、私を守る必要はありません」
「ミレイユ様!?」
困惑するじぃや。
「聖女の任、引き受けて下さるのですね?」
ニヤリと笑う軍部の男。
「いえ、そのつもりはございません」
「はい?」
誰もが首をかしげている。
「私は聖女にならないし、じぃやを殺させもしません。その代わりに、私は私の存在価値を捨てさせてもらいます」
右手に持っていたジョウロを掲げ、そこに魔力を注いでいく。
「ま、まさか、全ての魔力を只のジョウロに注ぐおつもりか!?」
「その通り。あなた方にくれてやる魔力などありません!」
「なんという愚行! やめろ、今すぐやめるんだ! 馬鹿げたことはよせ!」
「もう遅い!」
全ての魔力がジョウロに注がれた。
ジョウロは全身から凄まじい光を放っている。光ったからといって何も起きない。
「聖女には戻らない――これが私の覚悟です。去りなさい」