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010 挨拶の恐怖

 牛乳瓶の箱詰めが終わったので、ご近所さんへ配っていくことにした。量が多いので二手に分かれて行動する。


「本当にお一人で大丈夫ですか? ミレイユ様」


「大丈夫大丈夫! 挨拶して牛乳瓶を渡すだけなんだから! ほーんと、じぃやってば心配性なんだからぁ!」


「ミレイユ様は幼い頃からずっと聖女でしたので、心配になって当然です」


「平気だってば! じぃやこそバーミリオンさんの家で長居しすぎないでね?」


「がっ……これは一本取られましたな」


「じゃ、お互いに頑張ろうねー!」


 じぃやは笑顔で頷き、白馬のバリチェロを進ませた。連結されている荷台の車輪がキュルルと音を立てながら引っ張られていく。


「私達も頑張ろうね、ウシコちゃん!」


「モォー♪」


 ウシコちゃんにも荷台が連結されている。じぃやが作ってくれたものだ。


「まずはあそこのお家へレッツゴー!」


 ウシコちゃんの進路方向は言葉と指さしによって指示する。手綱などの牛具を装着していないからだ。じぃやはそれらも作ってくれたのだが、ウシコちゃんが嫌がった。


「すみませーん! すぐ近くに引っ越してきたミレイユ・ガーネットです! 本日は私のお家で作った牛乳を持って参りました! この町の皆様に倣い、私も牛乳作りに挑戦しようと考えています! よろしければご賞味下さい!」


 事前に考えていたセリフを言い切った。詰まることなく言えたので、握りこぶしを作って「やった!」と呟く。


 だが、しかし。


 ……。


「あのー! すみませーん!」


 …………。


「あのー!」


 ………………。


 留守だった。ガラス細工より繊細な心が粉砕されそうになった。


「し、仕方ない! ウシコちゃん、次はあっちに行こう!」


「モォー♪」


 気を取り直して、別の牧場へ向かった。




 ◇




 記念すべき最初の訪問で留守だった時は絶望したが、その後は順調だった。この町の人々は優しくて、快く牛乳を受け取ってくれた。


 しかし、それに対する反応は予想と違っていた。


「すごく美味しいわね、この牛乳!」


「お嬢ちゃんが作ったのかい? 大した物だねぇ!」


「これほどの牛乳を作る子にアドバイスなんてできないよ!」


 誰一人としてアドバイスをくれなかったのだ。また、「ウチの牛乳なんてこの牛乳に比べるとダメダメだから」などと言って、牛乳を分けてもらうこともできなかった。私がいかに世間知らずの小娘だからといって、その言葉を額面通りに受け取ることはない。


 きっと秘密にしたいテクニックがあるのだろう。私達は生乳をただ加熱殺菌しただけだが、プロはそこに手間を加えるわけだ。例えば、成分を調整して独自の味付けをするとか。


 小娘相手に警戒し過ぎだとは思ったが、不快には感じなかった。むしろ、その逆だ。小娘相手にすら手の内を明かさないところに、プロの本気が垣間見えた……気がする。


 そうして気がつくと、牛乳配りも残り一件になっていた。


 ラストはフレッドさんの牧場だ。怖くて後回しにしていた。


「おい、23番の味が薄くなっていたぞ。担当者は気をつけるようにしろ。それと87番の雄牛だが、食事の量が先週に比べて10%も減っているではないか。痩せ細った牛の肉など客は求めていない。もっと頭を使え」


 フレッドさんは各部門の幹部連中を館の前に集め、資料を片手に話をしていた。昨日に続いて口調が厳しく、なんだかカリカリしているようだ。


 それを見た私は、すぐさまウシコちゃんを反転させて帰ろうかと思った。しかし、じぃやに「一人で大丈夫!」と啖呵を切った手前、ここで逃げ帰ることはできない。


(じぃやも言っていたじゃないか。フレッドさんは根は優しい人だって! 大丈夫よ、ミレイユ。自分を信じなさい。貴方ならやれるわ!)


 私はウシコちゃんから降り、恐る恐るフレッドさんに近づいた。


「あのー、お忙しいところすみません、近所に引っ越してきたミレイユ・ガーネットですが……」


「あぁ?」


 フレッドさんが振り返る。目つきが鋭い。


「ミレイユさんよ、俺は今、部下とミーティング中なんだ。見て分からないか?」


「わ、分かります……」


「だよな。なら話を遮るなよ! 緊急の用件じゃないならそこで黙って待ってろ!」


「ひぃぃぃぃぃぃ! すみませんすみません、誠にごめんなさぁい!」


 涙目で謝り倒す。やはりこの人は苦手だ。怖いよぉ、じぃやぁ……。


(話しかけずに帰るべきだったよ……)


 この時の私は後悔していた。しかし、それから数十分もしない内に、私は考えを改めることになる。


 勇気を振り絞ってフレッドさんに話しかけたことが、私の人生を大きく変えた――。

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