004 エウロープ≒ヨーロッパ
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その日の昼下がり。
駅周辺の繁華街をブレザーを着た女子高生と少女が散策していた。
楸が散歩したいと言うのでついて行ってみれば、散歩好きが興じたのかいつの間に駅前まで来てしまっていた。
大した距離ではないし苦にはならなかったが、普段見慣れている風景の中で半日を潰すのは流石に辛い。
遥香は特に気にならないものでも、楸にとっては物珍しいものばかりだった。
「…それ、そんなに気になる?」
「え?べ、別に?まあ気にならないわけではないけど…」
「人間の世界?っていうかここに来たのって別に今回が初めてって訳でもないでしょ?」
「霊徒は自分の持つ領域が他の霊徒の領域と重ならない限り、眠ったままなの」
「へぇ…そうなんだ」
「そして、その間に記憶は1度リセットされるの。霊徒にもよるけど、記憶は覚えているものと忘れてしまうものがあるわけ」
「なるほど…だから珍しく感じるんだ…」
「そういうこと、この前に目醒めたときはEuropeに行ったことがあるわね。まあ、そこでの記憶は曖昧だけど」
「Europe…?」
「ええ、知らないの?」
「…ああ、Europeか」
「ここじゃそう言うのね」
「発音っていうか読み方が違うからね」
知ることが一番好きなのか、自分の頭にないものを見ているときの楸の目はいつもと違ってきらきらしているように見えるが、どこか不満そうでもある。なぜなら、
「それにしても…何でわたしがこれを着なきゃいけないのよ」
「え…?だって、その普段の服が何か洋風だったりして違和感があるから…」
「別に、あれが普通よ。どこに違和感があるのよ…」
「でも結構似合ってるよ、その制服わたしが中学のときに来てたやつだけど」
「あれがわたしの正装なの。これが嫌いってわけじゃないけど…着なれない服じゃ落ち着かないし」
「でもやっぱりさ、ああいう服はこんな人の多い場所じゃどうしても浮くし…」
そんなことを言いながら散策を続けていると時の経つのが早く感じる。
楸の背は身長165cm弱の遥香と比べて低いこともあり、遥香にとっては楸が妹のようにも感じられる。まあ、危険な少女…には変わりないのだが。
そうして遥香が周りの目を気にしている間、楸が話しかけてきた。
「ねえ、遥香…あれ…」
「ああ、たい焼きがどうかした?」
「たい…焼…き?」
「ほら、昨日の夜にお茶と一緒に出したやつ」
「ふーん…今日もお茶と一緒に頂いてもいいかしら?…たい焼き」
「ふふ、別にいいけど…そんなに気に入った?」
「まさか、お茶に合うだけよ…!」
楸は茶化されたりするとすぐ顔が赤くなる。
遥香にはそれが面白くてたまらない。
だが、素直な性格ではない楸はやはりどこか不満のようだ。
無理もない。
「そう言えば…何で散歩がしたかったの?」
「好きだからよ、こうして外の空気を吸いながら歩くのが」
「へえ…」
遥香にとっては外の空気は毒だ。
DQN勢か陰キャラか…と言われれば比較的自分は後者。
だからということではないが、外出にはあまり気分が乗らないし、特に用事がない限りは一切外に出ない。
遥香には日常の一部に過ぎないものが楸にとっては貴重なものだったりするように、遥香にとって非日常の元凶である楸をもっと知るために同行したと言っていい。
楸は周囲の目を気にすることもなく、堂々としている。
実際、止めなければそのままの服装で出かけるところだったし。
「そろそろ帰る頃かしらね」
「え?…うん」
時刻は午後6時半、もう3月とはいっても日が落ちるのは早く、夕焼け空の片隅には闇が差し広がっている。
夕飯の食材は一通り揃えたし、朝食用の魚も買ったし、楸の要望でたい焼きも買った…買い忘れもなく、楸も十分に駅前を堪能したようである。
完璧に思えたのだが…
(あれ?…忘れものないよね…?)
喉の手前まで出かかっている何かがいる。
間違いない、確実に何か忘れてる。でも思い出せない。
気づけば、夕焼け空はすっかり暗くなってきていた。
「あ、あ…あ!」
「!?…何よいきなり」
遥香が閃いた途端、楸の手を引いて駆け出していた。
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「はあ…叔母さんにどう説明しよう…」
「ごめんなさいね、迷惑で」
「別に迷惑ではないけど…あれ?」
「…どうかした?」
「いや、何でもないよ。それより…」
遥香の叔母―――立河夕香の家は、遥香の最寄り駅から高校と反対方向に4駅ほど離れている。
歩いても着くことには着くのだが、あえて電車に乗った。
主に理由は2つ、1つはちょうど電車が着く時間帯だったから。
もう1つは楸に電車を経験させるためだ。
乗車を提案すると、是非乗ってみたいと食いつく。こういうところは実に容易いものだ。
「いきなりどうしたかと思えば…今日1日の予定くらいは立てておきなさいよ」
「お前…!散歩したいって言ったの楸の方じゃんか」
「わたしは『暇なら』ついて来てと言ったの」
「わたしだって半日ずっと散歩だなんて思わなかったし」
遥香は定期券があるが、当然楸は持ってないので切符を買って乗る。
「これが電車なのね…馬車より速い」
「馬車って…楸がここに来たのって随分昔だね」
「そうね、どれほど経ったかわからないけど」
「馬車…他に見たのは?」
「噴水、彫刻、花畑…それと時計台」
「時計台?大学の交差点にあるあんな感じの?」
「そう」
「じゃあ…大体4、500年くらいは経ってるんじゃないかな…」
「そう…」
「まあ、時代も文化も随分違うし仕方ないよ」
「………久しぶりにここに来れて良かった」
「え?」
車窓に目をやりながら話す楸の言葉はそれとは真逆に聞こえる。
「人間の世界はとても綺麗な場所で活気に溢れている。同じその世界で生きることが許されない霊徒にとってオアシスみたいな場所………と、わたしは思うけど」
「………」
わからない、何故楸は人間の世界に来たんだろう。
じっと外を眺める楸を見て遥香はその理由を考える。
「ゲームを回避するために逃げ込んだ」というだけではない。
それ以外の理由として考えられるのは、やはりこの世界が恋しかったからだろうか。
「大切な場所なんだね、ここって…」
「まあね、たまに来たくなるだけ」
自分の居場所を見つけられないから霊徒には領域がある。
不意に、楸がこちらを振り返った。
「この分だと後どのくらいかしら?」
「15分したら家には着いてるよ」
「そう…」
馬車より速い車窓の流れを食い入るように眺めながら、楸はカルチャーショックとは違う何かを味わう。
「やっぱり電車に乗せて正解だったな…」と考える間もなく、電車で4駅はあっという間だ。
駅から夕香の家に向かう途中、楸が話しかけてきた。
「あなたの叔母ってどんな人?」
「うーん…すごく心配性」
「…要は鬱陶しいのね」
図星だ。流石としか言えないくらいに。
「た、確かにそう感じるときもあるけど…でもその分わたしのことを大切にしてくれてるよ?」
「それはそれでいいけど…過保護は感心しないわね」
「それはわたしもそう思う…」
叔母の夕香の過保護ぶりは身内の中でもかなり突出している。
逆に遥香の母はどちらかというと放任主義だったらしい。
どういう経緯で夕香の家に引き取られたのかは未だわからないが、子供のいない夕香には目にいれても痛くないほど可愛いのだろう。
叔母の家に行くのはちょうど1年ほど前、姉の四十九日以来。
この家のベルはボタンを押すのではなく、紐を引っ張る仕組みだ。
「叔母さーん?わたしだけど…」
ドアが内側から開き、夕香が顔を出したその時、彼女の顔からが血がすーっと引いていった。
「あ、ああ…」
夕香のその顔は、まるで死人にでも会ったような顔だった。