夜話2
若い噺家が、今度こそはと話し始める。客は一切、笑う様子がない。
何処にでも箸にも棒にもかからない若い奴ってのはいるもんですな。若い奴なんて鼻っ柱だけ、威勢だけ、世の中なんて何にもわからねえ、大概そんなもんです。私が言うのも何ですがね。そんな半端者の半三郎が訳あって仕事を任された。任された方も半信半疑だから始末が悪い。
『熊五郎の棟上げ』
「若、お早うございやす。」
「おう、熊、早いね。やる気だね。だけど、若はやめてくれ。皆、笑ってるだろ。名前で呼んでおくれよ。」
「じゃあ、半三郎!」
「馬鹿野郎、さんぐらいは付けろい。」
「若さん?」
「戻っちまってるよ。」
「若様!」
「最上級に間違ってるよ!半三郎さん!」
「何だ、いつも通りじゃないですか。この熊五郎をからかってらっしゃるんですかい?」
「あんたが変えてきたんだよ。一体、何でだい?」
「いや、今日は棟梁に代わって半三郎さんが仕切るってんで、遂にかなと。」
「遂に、何だい?」
「遂に、あの、その、言っていいんですかね、これ。」
「言わなきゃ分かんないよ。」
「へえ、遂にあのアルマゲドンかなと。」
「アルマゲドンってどういう事だい?」
「日本語に直すと世も末かなって。」
「馬鹿野郎、なんであたしが仕切ると世も末なんだい!」
「遂に代変わりって事ですよね?」
「違うよ、馬鹿野郎、あたしだってここへ来てまだ2年だよ。代われる訳がねえだろ。親父がこの寒さで、ぎっくりで動けねえから今日だけだよ。」
「あっしもギックリして動けやせん。」
「あたしが仕切るのがそんなに嫌なのかい?」
「いえ、滅相もない。嫌なんてとんでもない。怖くて仕方ない。」
「何だよ、もう怒る気もしないよ。朝から皆の笑い者だよ。」
「半三郎さんを笑う奴はこの熊五郎が許しゃしねえぞ!」
「よしなよ、あんたのせいで笑われてんだよ。相変わらず、いい年して、箸にも棒にもかからない人だね。」
「半三郎さんにはかないませんよ。」
「どういう意味だい?ほら、見ろ。また、笑われちまってるよ。」
「半三郎さんを笑う奴は!」
「だから、これ全部あんたのせいだからね!とにかく、そんなに用心しなくても、今日は棟上げ式をパパッとやっちまえば終わりだからね。」
「なんだ、それなら半三郎さんでも、何とかなる。」
「熊五郎、お前、わざと言ってんだろ?」
半三郎と熊五郎、それに大工仲間が、わーわー言いながら現場に向かう。怖え棟梁がいねえもんだから、皆、どっか抜けちまって、仕事だってえのに、大の大人達が修学旅行の学生みたいになっちまってる。何か起こる時ってえのは、大概、こんな時ですな。
「あれ、半三郎さん、今日は棟梁は?」
「実は腰をやっちまいましてね。代わりにあたしが。」
「半三郎さんが仕切るのかい?ちょっとそれは何だね。」
「ぷっ!半三郎さんを笑う奴は!」
「よしなよ、熊さん!建主さんに向かって、何を言うんだい。それに、笑ってんの、あんただからね!」
「そんな事ありません。皆、笑ってます。」
「あんたが言うのを聞いて笑ってんの!勘弁しておくれよ、頼むから大人しくしてておくれ。」
「分かりやした、そんじゃあ、今日は何にもしません。何にもしませんよ、全く何だってんだい、偉そうに、この半公め。」
「熊五郎さん?」
「はい?はい?」
「顔の背け方が反対。あたしの方に向けてるから、あたしの耳の直ぐそばで囁いてたよ、全部、丸聞こえだよ!」
「いえっ!いえっ!そんな、半公なんて、そんな筈はねえ。」
「何がそんな筈はねえだい、言った筈がねえってのかい?」
「聞こえる筈がねえ。」
「だから、顔の背け方が反対だからだよ!右も左も分からねえのかい!」
「すいやせん、すいやせん。偉っそうに半公め!」
「今度は、顔の背け方はあってるけど、声の出し方が反対だよ。悪口の方が大きくなってるよ。どうなってるんだい。全く嫌になるね。」
半三郎と熊五郎が揉めちまったもんだから、場が変な空気に。大工達も手持ち無沙汰もあってザワザワしだした。熊五郎はむくれちまって、隅っこに、半三郎は腕を組んでむっつり黙り込んでる。仕方がねえと建主が気を使って、酒を配り始める。
「さあ、皆さん、今日は寒いからね。もっと焚き火にあたって下さいよ。酒も売る程あるんだ、いくらでもやって下さい。さあ、半三郎さんも、さっきは悪かった。棟梁に現場を任されたんだ、これから一人前に育てようって腹に違いないよ。」
「そうですかね。親父には、ガキの頃から散々、迷惑かけて恥もかかせて。あんなおっかねえ人だし。見捨てられてんじゃないですかね。」
「そんな事はないよ。きっと期待してるよ。親はそんなもんさね。」
「ありがとうございます。なんか、元気が出てきました。よし、皆!仕切り直しだ!始めようか!」
建主さんのお陰で場の空気も良くなって、じゃあ始めようかって時に、あの野郎が。
「おい!半公!この野郎!この熊五郎さんを差し置いて、何、勝手な事をしてやがる!」
「おい、おい、誰だよ、あいつに酒飲ました奴は!」
「何をグズグズ言ってやがる!顔の背け方が反対だろ!」
「反対じゃねえよ!お前に向かって言ってんだろ、馬鹿野郎!」
「酒なんか売る程あるんだろ!構わねえだろうが!」
「お前さんのじゃねえ!構うに決まってんだろ!馬鹿野郎!」
熊五郎、普段は大人しいトボけた野郎だが、酒が入ると人が変わっちまう。その上、とんでもねえ怪力の持ち主で、怪我でもさせられたらと大工達は誰も手が出せず、遠巻きに見てる。半三郎も口は達者だが身体は細い。真っ赤な顔して怒鳴ってるが、内心はビクビク。建主は、まさかこんな事になるとは思ってもいなかったもんだから、手をひらひら、口はパクパク、鯉かタコみてえな有様。
「おい、熊!てめえ、せっかくの棟上げを台無しにしやがって!」
「ふざけんな、この野郎!何がパパッとだ!出来やしねえじゃねえか!」
「邪魔してんのはてめえだろうが!」
「誰が邪魔だ!棟木上げりゃ済むんだろうが!俺が一人で上げてやらあ!」
言うが早いか、熊五郎、何メートルもあろうかって棟木を頭上高く持ち上げちまった。とんでもねえ怪力に誰も止めに入れねえ。そのうち棟木を持ち上げたまんま、グルグルグルグル、その場で回り始めて、終いにゃ、棟木をぶん投げて、うおーっ!まるで、ハンマー投げの室伏みたい。悪い事は重なるもんで、その棟木のあたり所が悪かったのか、しっかり建てた筈の家の柱がドミノみたいに倒れ始めた。一同は何とか逃げられたものの、あって間に、酒屋の豪邸は全壊。しかも、焚き火が引火してメラメラと威勢のいい炎があっちこっちから上がり始めた。これには、さすがに熊五郎の酔いも冷め、顔は真っ青、身体はぶるぶる、汗がだらだら。半三郎は、腰が砕けちまって地べたに膝を付いて、アホみたいな顔で茫然自失。建主は、やっぱり、鯉かタコみたいにひらひらひらひら。
「すいやせん!若っ!許してください!このとおり!土下座でも、なんでもしやすから!」
「土下座したってすみゃしないよ。こんな豪邸、壊しやがって。いくら掛かってると思ってんだい?あたしとあんたが何百年働いたって払えやしねえよ。」
「だから、このとおり!何でもしやす!酒も控えます!なんなら女も控えます!だから、このとおり!」
「酒なんて、何回言っても控えなかったじゃないか。」
「控えます!控えます!それでも足りなきゃ、分かりました!若の子供になります!一生、仕えます!」
「養子縁組しようってのかい?あんたの方が年が上だろ?さすがに年上は子供に出来ねえ法律だよ。」
「法律?そんなの大丈夫です。」
「何が大丈夫だよ?」
「若が来てから、遠慮して、若より先に年をとるのだけは控えてます。」
名調子と言える出来で話し終わり、下げた頭を上げるが、一向に誰も笑わない。それどころか中には怖い顔で睨んでる客も。
おいおい、どうなってんだよ?随分長く話しただろ?一箇所も笑わねえって、ありえねえだろ!特に真ん中のジジイ!土みてえな顔色しやがって。目ぐらい開けてやがれ!死んじまってるんじゃねえだろうな!ガキでもドタバタでも、笑わねえって、贅沢な客だ。じゃあ分かった、こっちも意地だ。次のネタ、行くぜ。