りざると画面
「……間違いない、灰色の毛並み、胸の十字傷。そちらの狼は狼公の騎獣シドとお見受けする」
「然り」
濡れた肌着のままで鷹揚に答えるガウーナ。
十騎の狼騎兵達は狼から降り、ゆっくりと歩み寄ってきた。
「アーメイ」
男の子が呼び掛ける。無精髭の男アーメイは一つ頷いた。
「無事だったかハルディン、ニナウも。……長達とソルは残念だった」
「……偉大なるウーラハンとガウーナ様が助けてくれた」
「父さんたちの事は……」
ウーラハンとガウーナ。その二つの名が出た時、狼騎兵達は視線を鋭くした。
「ウーラハン? ガウーナ? 何を馬鹿な」
「止せ。……まずは力を貸してくれた事に感謝する。俺はアーメイ。ミンフィスの戦士」
「アーメイ、お前があの馬鹿げた襲撃を考えたのかい」
「俺は名乗った。そちらも名乗ってはどうだ?」
生意気なガキじゃ。しかし確かにその通り。
ガウーナは太陽より前に進み出る。
「ワシはガウーナ。ハサウ・インディケネ戦士長。こちらは我が主君、太陽殿であらせられる」
アーメイはなんとも言えない顔をした。実際何と言ったらいいのか分からないようだった。
「会えて光栄だ。…………だがその名がどういった意味を持つのか、正しく理解した上で名乗っているのか?」
「たわけた事を言うでない。ワシがワシの名を名乗って何が悪い」
「お前は自分を”狼公だ”と言っているんだぞ。つまり、俺達ウルフ・マナスを纏め上げたかつての盟主だと」
「だからワシが”狼公だ”と言っておるんじゃ。もうとっくの昔に隠居したがの」
まるで言葉遊びだ。
「戦士としては類稀であるようだが、俺よりずっと若いだろう」
「死してワシは異邦の戦神と誓約を交わした。この老いぼれの死後を捧げ、太陽殿に従い戦うと。
ワシは一度地獄に閉じ込められ、そして再び現世に戻ったときには若き肉体を取り戻しておった」
「そのような事が起こり得るのか……。確かにその灰色狼はシド。そして、その……」
アーメイは慎重に言葉を選んでいる。
「太陽殿……が羽織っておられるのは、マルフェーの極限られた戦士のみが纏う白の誉れ。
……だがなぜ戦いのクルテを持ち主で無い者に羽織らせている?
誇りはないのか」
ガウーナはけらけら笑った。
「くだらねぇ、この戦装束は格好つけるために誂えさせただけじゃて。純白ならば敵の返り血がよく映えると思うてこんな色にしたんじゃ。
それをお前さんらが勝手に有り難がっとるだけじゃ」
「ぬぅ」
「それにワシのクルテをワシが献上したんじゃ。よそにどうこう言われる筋合いはないのう」
「……委細承知した。今後は口を挟まない」
「そうせよ、アーメイ」
ガウ婆上から目線だなー、と太陽は思った。アーメイは見たところ三十前と言ったところ。ガウーナにとっては自分の半分も生きていない子供なのだろう。
「俄かには信じられんし尋ねたい事も沢山あるが、何にせよ長の子供たちを救ってくれて感謝する。ミンフィスは恩義に報いるだろう」
「礼は太陽殿に申せ。ワシはこの方の下知に従ったにすぎぬ」
アーメイは太陽に向かって丁寧な礼を取った。
「感謝いたす、太陽殿」
どう答えたもんかな、と少しだけ考えて、太陽は胡坐を掻いたまま言った。
「あいつ、ヘク……なんだっけか、そう、ヘクサとか言う奴は」
アーメイは太陽の言葉を待っている。
「玉無しだった」
「ふはっ」
アーメイは破顔した。肩を竦める太陽の前でアーメイは少しの間声を出して笑っていた。
ガウーナはその様子をジッと見ている。胡散臭い物を見るような目つきだ。なぜかは知らないがアーメイの事を不審がっている。
「……ま、よいかの」
ボソリと一言。太陽にはその呟きが聞こえていたが問い質さなかった。
一頻り必要な話を終えたと感じたのか、少年ハルディンが太陽の前に跪く。
「偉大なるウーラハン、どうか俺達のところへ!」
「出来る限りの礼がしたい」
アーメイもハルディンに賛同し、太陽を誘った。
太陽は拒否した。さっさとお家に帰りたくて仕方ないのである。
「止めとく」
「……ウーラハン、何か私たちが失礼なことを?」
不安そうに言う少女ニナウ。
「んん、そんな事を言い始めるとワシなんかは疑われてばっかで腹立ちまくりじゃぞ」
「ガウ婆、茶化すなよ」
「はっ」
「……誘ってくれて嬉しいぜ。でも用事がある」
太陽はすげなく言った。ウソではない。戦神に今日の出来事を報告してさっさと帰るのは大事な用事だった。
取り付く島もない口振りに無理を悟ったかアーメイはそれ以上言い募る事はしなかった。
何かの作法なのか、拳を軽く握りその中で人差し指の関節だけを浮かせ、それを眉間にあてながら太陽に一礼する。
狼騎兵達は各々の狼に跨った。ハルディンとニナウは相乗りだ。
代表としてアーメイが口を開く。
「恩人に報いる事が出来ないのは本当に残念な事だ。今は無理でも、いずれは我等ミンフィスのもとへお越し願いたい。歓待させて頂く」
「おいアーメイ」
ガウーナの険しい口調。
「ワシは死の間際、マルフェーの後継者に狼の一族を西へ導くよう言い残した。
故郷は離れ難き物、全ての者達がそれに従うとは思っておらんが、お前らはどうじゃ?」
「…………今まではその言葉を無視していたが、これ以後は俺が主導して西への移動を開始するだろう。
ハルディンとニナウはまだ若い」
二人は少しの間見つめ合い、やがてガウーナは「それでよい」と素気なく言って視線を逸らした。
夜の闇の中を遠ざかる狼騎兵達。獣の匂いが薄れていく。
ふと、満天の星空に目が向いた。
日本では容易には見られない空だ。美しい。
太陽の住んでいる場所も街の明かりで見えないだけで、本当はこれくらいの星々が瞬いているのだろうか。
「ボン、あのアーメイとか言う若造、自らの長を謀殺したのやも」
唐突に言い出したガウーナ。
「謀殺?」
「馬鹿ではないように見えた。なのにとても捕虜を救い出す気があったとは思えん。寡兵で攻めかかってわざと殺させたんじゃぁねぇかの」
「ふぅむ……」
確かに、太陽から見てもアーメイは冷静沈着と言った感じの男だ。クールガイである。
ガウーナの言う事は証拠も何もない推測だが、説得力があった。
「なぜ?」
「さてのう。じゃがいざこざなんぞどこにでも転がっとる」
「そうだとしたら面白くねぇな」
「ワシも好かん」
「でももういいだろう。頭に来てつい首を突っ込んだが、俺があーだこーだ言うのも変だし」
第一証拠なんて無い訳だし。太陽の言葉にガウーナも矛を収めた。
「ハルディンとニナウを助けられただけでも暴れた価値はあった。
…………もしガウ婆の想像が正しかったとしたら、あの二人はどうなる?」
「大丈夫じゃろ。アーメイとやらは随分と幅を利かせておるようじゃし、この上力のない子供を殺す理由なんぞ無い筈じゃ」
「なら良い」
ま、ボンがそう言うのなら。
ガウーナがそう言ったとき、目録が震えた。
『太陽よ、成果を得たようだな』
「兄貴」
戦神の声が響く。太陽はこめかみを押えた。
『今、俺の領域に引き戻そう』
「安心しやした。帰りはどうしようかと」
『準備はよいな?』
太陽はガウーナを見遣り、彼女が頷くのを待ってから答えた。
「オーケーでさぁ、兄貴」
太陽の全身に熱のない炎が迸る。
――
桜の広場で、矢張り戦神は酒を呑んでいた。広場には篝火が燃えておりそれが桜を照らし出している。
夜桜も中々に趣深い物。太陽は風流人っぽいなと考えながらうんうんと頷いた。別に風流人などではなかったが。
「よくやった、太陽」
桜の根元に寝そべる戦神は上機嫌に笑いながら太陽を手招きする。
朝と違うのはその傍らに一人の青年が控えているところだ。そして太陽は彼に見覚えがあった。
ベリセス・ウィッサ城壁上で太陽達を逃がすために兵士に体当たりした青年だ。
彼は兵士の持つ槍で突き殺され、その直後燃え上がった。
目録が何かしたんだろうとは思っていたが……なるほど、魂を回収してたんだな、と太陽は納得する。
「兄貴、大冒険でした。まさか初日からこんな大立ち回りをする破目になるたぁ」
「俺は非常に機嫌がよい。早速の戦果に期待が高まると言うモンだ」
言いながら戦神は身を起こし、太陽に手ずからお椀を渡す。中身はやっぱりフルーツジュース。
「(お、今回はリンゴ味)」
ガウーナが太陽と戦神の邪魔をしないよう脇に控える。
「お前はガウーナを軍団に加え、すぐさま戦いに赴き、敵を殺し、恐怖を植え付けた。
お前は物静かで、それはハラウルの連中には不気味に見えた事だろう。ガウーナが口に出した”炎の戦神”から俺の力を思い出す者もいる筈だ」
「戦いたかった訳じゃありやせん」
「そうか? お前は戦機と見るや敵を殺す事を厭わなかったではないか」
女子供を殺そうとする連中だ。それも笑いながら。
自分たちが殺されたって文句はねぇだろう。太陽はあの時殺意と悪意を抱いた。
殺したのはガウーナだが命令したのは太陽だ。くたばっちまえ、と確かに思った。
太陽はフルーツジュースをぐいっとやって口を滑らかにする。
「奴らの薄ら笑いがどうもトサカにきやしてね」
「わはは! そうか! よいよい、存分に殺せ!」
「いや、あー……、まぁ良いや」
何を言ってもダメな気がした。戦神は上機嫌に話を続ける。
「太陽、契約通りだ。
お前はガウーナを軍団に加えた。これに対し褒美を与える。
お前の軍団……、ま、今回戦ったのはガウーナとお前だけだが、これは十数名の戦士を討ち取り、俺の武威を知らしめた。これに対し褒美を与える。
お前は更に一人、この類稀なる若者ソルを軍団に加えた。これに対し褒美を与える」
ソル。そういえば戦神の傍らに控えるこの青年はそんな風に呼ばれていた。
「今ここで改めて誓約を交わすが良い」
戦神の言葉に促され、ソルが太陽の前に跪いた。
よく日に焼けた肌、背は太陽よりも僅かに高い。二本の曲剣を佩き、スリットの入った黒いスカートみたいな腰巻がなんとも太陽の美的センスをくすぐる。頭には狼の一族の布冠。
細身に見えるがよく鍛えられているようだ。太陽の対抗心を刺激するルックスである。
「シン・アルハ・ウーラハン、この出会いと戦神の導きに感謝します」
「あー……なんだかなー。ウーラハンってのはガウ婆が勝手に吹いた大法螺だ」
「俺にとって貴方はそれに等しき方。貴方がハルディンとニナウを救ってくれた。俺の弟と、妹を」
「全部ガウ婆のおかげさ」
ソルはガウーナに向かって会釈する。ガウーナは鷹揚にそれを受け取った。
「ボンに忠誠を捧げぃ」
「そのつもりだ、偉大なる戦士ガウーナ」
ソルは跪いたまま身を丸め、両手を握りしめて祈りを捧げる。
「俺はソル。……死は終わりではなかった。どうか俺を、貴方の軍団の末席に」
「んん、あぁ、ソル。成り行きでこうなったけど、宜しくな」
誓約は成された。太陽の持つ目録が炎を放ちソルを包み込む。それが晴れた時、ソルの名が目録に刻まれていた。
何だか落ち着かねーなーと太陽。キラキラした目で見つめてくるソルにどうも座りの悪さを感じていた。
「では、褒美を与えよう」
戦神が拳で地面を突く。ずん、と鈍い音がする。見る見るうちに土が盛り上がりその中から金貨が現れた。
いつの物とも知れぬ古い金貨の小山。所々に宝石まで混じっている。そんな物が一抱え程。
太陽は口をぽかんと開いた。すげーなぁ。ひょっとしたら現金で数百万円とかいっちゃってるかも知れない。いや、八桁いくか?
「日給幾らになるんだこれ。貰い過ぎのような気もしやすぜ」
「おいおい太陽、お前が部下にしたガウーナはその肉体と同じ重さの黄金よりも価値ある戦士だぞ」
戦神はガウーナに視線を送る。戦神の威圧にあてられたガウーナは僅かに身を震わせる。
「んむ」
「それにこのソルも優れた戦士の素質を秘めている。この報酬は妥当だ。見る者によっては足りんと言うかも知れん」
背中をぱしんと叩かれたソルは頭を叩きつける勢いで平伏した。
「更にお前は戦いに赴き敵を討ち取った。成り行きだろうがなんだろうがそれは俺の望みだ」
「その辺の褒美はガウ婆にやってくだせぇ」
「いいや、俺が褒美を渡すのはお前だ。そしてお前は自分の裁量で、ガウーナに褒美を取らせるのだ。それが君臣のスジと言うモンよ」
へぇ、そういうもんですかい。太陽はガウーナを振り返る。
「ガウ婆」
「…………気持ちは有り難いが、どこでどうやって使えば良いんじゃ? ワシはボンから離れられんぞい」
初耳である。
「そうなのか? あーっと……じゃぁまぁ仕方ない。取り敢えずは俺が預かって、後は追々考えるか」
「ほほ、期待しとるぞボン」
太陽が戦神に向き直ると更に一つ褒美が示される。
「これを持て」
銀のタリスマンだった。小振りだが、翼を広げた鳥の美しい装飾が施されている。
薄汚れた皮紐でぶら下がっている事以外は最高だ。
「俺の炎がお前に向かう邪な物を焼き払うだろう。これから先、目に見える物ばかりが相手とは限らんでな」
「コイツぁイカしたアクセサリでさぁ。……紐を変えてもよござんすか?」
「それくらい好きにしろ。肌身離さず持っていればそれでよい」
やったぜ、シルバーかなんかに変えちまおう。にんまり笑う太陽。
戦神はその様子を見ながら、タリスマンが不可視の様々な物から身を守るだろうと教えた。
「あの大陸に干渉しているのは俺だけではない。それはソイツに対する備えだ」
「……と、言いやすと?」
「お前もあの場所の混乱を少し知った筈だ。どさくさに紛れて好き勝手しようって奴は居るモンだ。
…………ソイツは自らの事を不死公と称する大戯けだ。古い古い魔術の使い手で、人間には不相応なほど長い時を生きている。ひょっとすると下手な神より年を食っとるかも知れん」
「不死公。不老不死って訳ですかい」
「そうだ。奴は不死者、殺しても蘇る。そして不死公は気に入った者を誘惑し、不死の呪いを授ける。そいつも不死公のようになる。
――死を望んでもそれを得られず、永き時、腐った足を引き摺りながら世界を彷徨うのだ。……奴隷ですらない。不死公の玩具だ。
そのタリスマンはそういった邪悪と対峙するとき役に立つだろう」
おぅ、ファンタジー。しかも結構ダークな感じ。マジで不老不死かよ。
太陽はうめき声をあげて彷徨うゾンビとそのゾンビの親玉みたいなでっかい奴を想像した。
「ひょっとして今日さっさとどっか行っちまったのは、その不死公とか言うのと揉めてたんで?」
「ふん」
戦神は不死公と名乗る者が大っ嫌いなようだ。
「もし不死公の眷属を見つけたら容赦は要らん。首を撥ねて骨も残さず焼け。手に余るようなら俺を呼ぶがいい。奴らの天敵である炎の槍を遣わす」
「はぁ……、今一つピンときやせんが、覚えときやす」
「褒美は以上だ。今日はよくやった。特に褒めおこう」
太陽は頬っぺたを掻いて苦笑いした。
「そうだ兄貴、給料とかボーナスの話なんですが」
「ん? なんだ、言ってみろ」
「現金でお願いしやす。日本円で」
高校生の身分で金貨を日本円にするルートなんて持っている訳がない。このままだと太陽は”文化堂”店主の真紀に延々頬っぺたを突かれ続ける事になるのだ。
割と切実だった。
「あぁー……成程」
「…………」
「…………あぁ、おう、分かった。取り計らおう」