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ハルミナ、キレた!(二回目



 霧島太陽と言う男は危機意識に欠ける人間だ。

 だから脇腹からぶち込まれた金属が大腸をぐちゃぐちゃに掻き回しているこの状況にも、怯む事はしなかった。


 「流石によぅ」


 自分を刺した正体不明の影を掴む。腕……にあたる部分を握ったと思う。

 ぐずぐずに溶けた肉が崩れる感触がした。


 このローブの中身、腐っているのか。


 「刺されると堪えるぜ」


 ローブの腕を両手で捻り上げて一本背負いの体勢。

 相手は太陽より背が高いため、身体を振り回す遠心力に加えて腰を跳ね上げた。

 腹筋が絞られると同時に突き刺さった短剣がより存在感を主張する。生暖かい血液で服が肌に張り付く。


 実は最後まで手加減せずに背負い投げをするような機会はあんまり無い。自分の体勢が完全ならば、相手の足が浮いた時点で勝負は決まるからだ。

 だから思い切り相手を叩き付けるのは、太陽も初めてだった。

 古びた家屋の屋根。亀裂の入った石造りが叩き割れる。


 太陽は腹に短剣が埋まったままの状態で右足を高く振り上げる。

 当然腹筋が捩れ、内臓がそれに合わせて動く段階で、吐き気を催すような激痛がする。


 こんなに痛いの初めてかもしれねぇ。金玉を思いっきり蹴られた時と同じくらい痛い。

 だがここは見栄と気合が物を言った。


 「男の傷に名誉ありってなぁ!」


 防塵マントが翻る。太陽、渾身の踵落としが炸裂。

 濡れたローブの頭を叩き潰し、泥か腐肉か分からない何かが飛び散る。

 タリズマンが光を放ちそれを焼き尽くした。腐った肉が燃え散って蛍のように燐光をばら撒く。


 『……致仕方ない!』


 太陽を庇うようにジギルギウスが姿を現した。彼は騎兵刀で新手の足を薙ぐと、次は投槍で掛かる一体を突き殺す。


 「ジギル!」

 「いい加減、見ていられん!」

 「ありがとよ!」


 太陽はジギルギウスの背中に頼もしさを感じ、膝を突く。


 「ウーラハン、御見事!」

 「見事なり!」


 古狼軍の戦士達が太陽の許へ駆け付けようと屋根に飛び上がる。影はまだまだ無数に現れ、太陽一人に狙いを絞る。


 「馬鹿どもが! さっさとボンを助けに行けぃ!」


 一番早いのが矢張りガウーナ。怒り心頭の彼女は手近に居た影の首を圧し折るや、次の敵の頭を踏み付けて高く飛んだ。


 「ソル! 壁となれ! 反対はワシがやる!」

 「ウルフ・マナス! 忠誠を示せ!」


 尖った歯を剥き出しにして咆えるソル。ウルフ・マナスの剣士を集結させるや無数に湧き出る影達の前に立ち塞がった。


 「太陽殿、太陽殿」

 「どうって事ねぇよ。俺は平気だ。大丈夫さ。……ウレグはどうした?」

 「早く横になってください、直ぐに手当てします」


 真赤に染まった銀の短剣。太陽は浅い呼吸を繰り返しながら一思いにそれを抜いた。


 「抜いてはなりません、出血が増えます」


 途端に血の塊が零れ落ちる。ハルミナの顔が真っ青になる。


 その頃になると既にガウーナや古狼軍の戦士が駆け付けていて、波の如く襲い来る影達に打ち掛かっていた。


 「だから……良いって! 平気なんだ俺は!」

 「何処が平気なんですか、強がり言ってる場合ですか。今は退いて治療してください」

 「ハルミナ、俺の傷よりもすべき事が有る。……親衛古狼軍! ウレグはやったのか?! ソルはどうしてる?!」

 「あー! この馬鹿め!」


 ハルミナが太陽を殴った。グーだグー。ジギルギウスがギョッとする。

 今やウィッサから諸地方に恐怖と影響力を発信する猛き狼達の長に、グーパンである。恐れ知らずとはこの事だ。


 「かはは、あの娘っ子本当に肝が据わっとる」


 敵を切り倒しながらげらげら笑うガウーナ。

 中々振りの早いフックを食らった太陽は思わずよろける。


 「貴方の武張りで死ぬのは貴方だけではありません!

  今更私に君主の何たるかを論じさせたいのですか!

  言った筈ですよ! 私は! 既に!」

 「……何を?」

 「次の百年の事を考えぬなら、玉座から退けと!」

 「だからそりゃ、ハルミナがやってくれって言ったじゃねぇか」

 「私の持つ“輝石の懐剣”の権威は貴方にのみ保証されているのです!

  貴方が死ぬ時、私も死ぬ! 今最も安定を必要としているウィッサも、大勢が死ぬでしょう!

  貴方も、多くの戦士達も! 名誉を守って殺して、死ねれば、それで良いと思って! 他の事なんて知らぬ振り!

  他の誰が貴方を甘やかしても私は絶対に許しませんよ!」


 ハルミナの鉄拳が再び太陽を襲った。

 おいおい俺、腹に穴があいて血がスゲー出てるんだけど。


 「貴方の負けだ、ウーラハン殿」

 「ジギル。…………敵わねーな」


 太陽は激痛と吐き気を堪えながら腹の傷に手をやる。出血は続いている。

 我が事ながら信じられないくらい血が出てるなぁ、と思った。ちょっと現実感が無い。


 よし、と深く溜息。


 「ガウーナ!」

 「……いかようにも!」

 「逃げるぞ!」


 ハルミナはぜぇぜぇ言いながら太陽を見上げている。

 燃え盛る周辺の家屋のせいで頭の芯まで熱い。肌が焼けそうだ。


 「不死公は潰す! ウレグは殺す!

  でも今はハルミナの顔を立てる!」

 「インディケネ! 白き野花の同胞達よ!

  入念に敵を殺し尽くしてから戻って来い! ウーラハンの武名を侮らせぬようにな!」


 雪崩の如き狼騎兵が宙を舞う。それは一気呵成に汚らわしい影達を蹂躙し、包囲に大穴を開けた。


 「忘れるなよ不死公の走狗ども! お主らこのガウーナを腹の底の底、骨の髄の髄まで怒らせたぞ!

  根絶やしに、根切りにしてくれる! その日まで震えて眠れぃ!」


 ガウーナが太陽とハルミナを担ぎ上げ、次々と屋根を飛び移っていく。

 見事な遁走だった。


 「ソル! さっさとこんか!」

 「うるさい狼公、今行く!」


 ソルは反吐の出る思いで背後を振り返る。

 路地裏のごみ溜め、沸騰する血液の中に沈んだウレグが、歯をガチガチと鳴らして全身を震わせながら、それでも立ち上がろうと身を捩らせている。


 ガウーナの振るうウルフ・マナスの秘剣は不死の怪物すら地に沈めた。


 「逃げる、な……! 俺と……戦え……!」


 何と言う闘争心だ。人間はここまで戦いと復讐に身を捧げる事が出来るのか。


 「戦士ウレグ。いずれ、必ず、もう一度戦おう」

 「……その言葉、嘘じゃ……ないな……」

 「我らを追って来い。我らはハラウル人とは違う。お前を見捨てはしない」


 ソルの言葉を聞き届けると、ウレグは全身を弛緩させる。

 燃える様に熱い吐息を吐いて、ソルも屋根を蹴った。



――



 ウルフ・マナスのシャーマンと言う奴に、実を言うと太陽はあんまり期待していなかった。

 だって如何にもまじない士みたいな雰囲気あるし。現代医療の恩恵を受けていた身としてはそういう超自然的ミスティックパワーに懐疑的になっても仕方ない。


 しかし戦神との出会いも異世界での冒険も、与えられた目録もその中の戦士達も、最早太陽の全身はこれミスティックパワーの塊である。


 シャーマンの秘薬と祈祷によって腹の傷がみるみる塞がっても今更と言う物だ。


 「おーすげぇ、大分ちっちゃくなったな」

 「いや、まさか……このように回復なされるとは……。この治り方は明らかに私の力を越えています」

 「そうなの?」

 「やはり戦神の加護に御座いましょう」


 適当な一軒家の庇に座り込み、太陽は壁に背を預けていた。

 この家屋も含め周辺の住民は既に避難した後らしい。怒号と悲鳴とおぞましい雄叫びは今も続いている。


 シャーマンは長い睫毛を震わせていた。驚いているようだった。


 「もう動いていいか?」

 「……はい。しかし傷が小さくなったように見えても、臓腑の方は治っておりませぬ。

  無理をすれば死にます」

 「はは、死ぬか。ハルミナに怒られるから、死ぬのは止めとくかな」


 大腸が傷ついている。痛いのは当然だし、破れた箇所から便が漏れれば当然腹の中が面白くない事になる。


 そうだよなぁ、腸が破れてんだよな。こいつぁスゲェ。


 「まだベリセス軍は戦ってんのか。ゼキエレってのも中々頑張るな」

 「陽が昇ります。いつまでも逃げ隠れはできません」


 ハルミナが太陽の腹に触れ、様子を確かめると慣れた手付きで包帯を巻き始める。

 こなれていた。意外な特技である。


 「破れたはらわたの治療となるとここでは無理じゃ。ボン、はよう帰ろう」

 「……いや、感覚的にゃ結構大丈夫な感じだ。ウルフ・マナスのまじない様様だぜ」

 「身に余るお言葉です」


 シャーマンは一礼すると火の粉となって掻き消える。


 「地元に戻ったら病院行くよ。そっちの方が早そうだ。

  ……あぁでも、お医者さんになんて説明したモンかな」


 ハルミナは露骨に苛々し始めた。

 何を呑気な、と目が言っていた。


 「どう脱出します」

 「あんまり余裕無いから、押し通る」

 「……貴方の傷の事を思えば止むを得ませんか。兎に角、一刻も早い治療を」

 「やる事やったら帰ろう」

 「やる事? これだけ言ってもまだ分かって頂けませんか」

 「観光だけして帰ったんじゃ格好つかねぇし。最初の目的は果たしたい」


 傷も少しは塞がってんだし、多めに見てくれよ。

 頭を掻きながら言う太陽。ハルミナはもう一度握り拳を固めたが、流石にソルが止めに入る。


 「ウィッサ公、そこまでにされよ。揉めている余裕は無い。

  ウーラハン、斥候が戻りました」


 太陽が立ち上がる。包帯にジワリと血が広がった。


 「様子は?」


 砂色のフードを被った戦士達が太陽の前に跪く。



 現在、タンティオの至る所で戦いが起きている。太陽達の大立回りの現場は呼び水に過ぎなかったようだ。

 戦いと民衆の保護にベリセス軍は忙殺されている。手薄なルートを、砂色の戦士達は探り当てた。


 「オーケー、行こうぜ。家庭訪問だ」

 「…………もう知りません。言っておきますが、腹の傷が化膿したら死ぬほど苦しいですよ」

 「心配しなくても一言挨拶したら帰るさ」


 古狼軍の招集。太陽は目録を掲げた。

 いの一番にインディケネが現れる。彼等は太陽の腹を見て険しい顔をするが、沈黙を保ち、命令を待った。


 「本当はもっと静かにお邪魔したかったんだけど、こうまでなったら無理だな。

  もうこそこそする必要は無いぜ。…………待たせたな、インディケーネ」


 ハウッ! ハウッ! ハウッ!

 吠え声が木霊する。


 太陽の隣に火の粉が舞う。姿を現したのはジギルギウス。


 おや、と太陽は首を傾げた。ジギルは完全武装状態だ。


 「約束だし、ジギルは戦わなくて良いぜ」

 「…………事、ここに至り」


 ジギルは苦し気だったが、ハッキリと言った。


 「太陽殿を助けぬ訳には行かぬだろう。曲りなりにも主君なのだから」

 「故郷のダチとかと戦うの苦しいだろ」

 「祖国と戦うのではない。祖国を脅かしている汚らわしい魔物どもと戦うのだ」


 今更なんじゃ、勿体ぶりおって。ガウーナが難癖付ける。

 ジギルギウスはそれを黙殺。


 「狼公に完全敗北したが、我が赤光騎兵の統率はインディケネに劣る物ではない。

  戦線破壊の為に生み出された騎兵突撃の威力をお目に掛けよう」

 「すっこんどれ若造。ワシの麾下だけで手は足りとる」

 「これでも多少は顔が利くつもりだ。我らに先陣を任せて貰えれば無駄な戦いを避けられるかも知れんぞ?」

 「相手がベリセスでもゼキエレでも不死公でも、避けるべき戦いなど無いぞい。

  ボンの腹の傷を百倍にして、奴等それぞれ一人一人に刻み込んでくれるわ」


 からからっと笑うガウーナは一見何も無い風を装っているがその実ブチ切れているようだ。


 太陽は笑った。ジギルは己が矢面に立つ事でベリセス軍に手出しさせない様にするつもりなのだろう。

 結果的に無駄な戦いは回避される。彼は嘘は言っていない。


 「ジギルに任せる」

 「ふ……。我が兵達は、必ずや太陽殿の期待に応えるだろう」


 あーそうかい、とぼやきながらガウーナが太陽を抱え上げる。

 高く遠吠え。近くまで呼び寄せていたらしい灰色の巨狼シドが風の様に現れた。


 「先陣は譲ってもこれまでは譲らんわい」

 「ガウ婆」


 先に太陽を跨らせ、その背を抱くようにして手綱を取る。

 いつもの二人乗りだ。


 「行軍速度は徒歩の者に合わせる。シドの背は揺れる故、あまり早く奔らせてはボンの傷にも障るでのぅ」

 「あぁ……助かるよ、ガウ婆」

 「インディケネ! 矢の構え! 鏃はシン・アルハ・ウーラハン! 名誉と思え、この背を追う事を!」


 ハウッ! ハウッ! ハウッ!


 「……私も徒歩で移動して良いですかね」

 「ウィッサ公、不測の事態に備え、インディケネの一騎に同乗されよ」

 「……憂鬱です」


 猫の子にするように首根っこを掴まれて狼の背に放られるハルミナ。


 「良いぜ、行こう。ジギル、赤光騎兵の招集を許す」


 太陽の言葉を受け、ジギルは背筋を伸ばし、速足で通りにでた。


 人気の無いタンティオの通りにジャベリンの石突を叩き付ける。

 かっ、と高い音がすれば、陽炎のように景色が歪み、炎の中から騎兵達が現れた。


 磨き上げられた鋼の鎧。銀糸で飾り立てたレギンス。

 燃えるような赤いマント。兜には、こちらも赤い羽根飾り。


 彼等はジギルの記憶そのままの姿で現れた。


 愛馬がジギルの胸板に鼻面をぶつけてくる。いじらしい。

 軽やかに飛び乗り、背を撫ぜる。自然と口端が持ち上がる。


 「兵ども」


 暫し沈黙。


 「速足、進発! 威風堂々と!」

 『サー・ジギルギウス・アッダァーテッ!』


 赤光騎兵が進む。ジャベリンを握り締め、いつでも戦いに移れる。


 その後ろを徒歩の戦士達が。それに護られるようにしてハサウ・インディケネ、太陽達が。


 「くくく、古狼軍も意外と使えそうな連中が揃って来たではないか」


 ガウーナはにやにやし始める。


 「どうじゃ、ボン。折角じゃ、このままタンティオを落としてくれようか。

  ウィッサを降したように」

 「止めとくさ。色々と面倒事が多そうだ」


 太陽は答えながらガウーナに背を預ける。

 出血で意識が朦朧とし始めた。

 思ってたより全然、何と言うか、気持ち良いんだな。布団の中で寝ぼけてるような感じだ。

 太陽はそんな風に、場違いな事を考えた。


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