アイツを斬ってやってくれ
太陽はフードとシュマグを取り払うと右手を上げた。
友人に挨拶するかのような気安い仕草だった。
「それで、どうするんだ?」
「知れた事!」
「そうやって、気を吐くのは良いけどよ」
ウレグの望みは今更言うまでも無い。
だが、どうやってそれをする? 健気にもたった一騎で戦列を突破してきて、それは良いのだが。
どうやってこの先を戦う?
「アンタのお仲間は厳しそうだぜ」
太陽麾下、黒い剣士団はゼキエレの魔物を苦にして居ない。
太陽の身を案じて、ただでさえ少人数で構成された戦士団から護衛を回そうとしているくらいだ。太陽は「いーからいーから」と手を振って彼等を戦線にとんぼ返りさせる。
だが魔物達と太陽達を同時に相手取らなければならない(少なくともそれを見越して作戦を立てねばならない)ベリセスの兵士達は如何にも苦しそうだ。
いずれ訪れる増援を待っているようだが、太陽がどう出るかで彼等の運命は大きく変わる。
「仲間?」
果たしてウレグは苦戦に喘ぐベリセス兵達を振り返る事すらしなかった。
「仲間など何処にもいない」
「へぇ」
「俺はただ、屈辱を雪ぐのみ」
「だから、どうやってそれをするんだ。
……ひょっとしてアンタの望みは、さ。戦って死ぬ事かよ」
「長話するつもりはない」
人間は数ヶ月で劇的に変われるだろうか。
そりゃ、変わる事もあるだろう。骨と腑が燃え落ちるような激しい怒りと屈辱で、今正にこのウレグの様に。
だがそれでガウーナを殺せるようになるかと言ったら、流石に無理だ。
(ジギル、どういう教育してるんだ?)
(…………少なくとも、命を惜しめとは教えていないな)
苦悩するようなジギルギウスの声。
「仲間なんて居ない、か。切ねぇな」
「ボン、変に情けを掛けるんは無しじゃぞ。
あぁいう手合いに一々大将が出張っておってはいかん」
ガウーナはずっこけた際についた埃を払いながら言った。
「敵をな、可愛がってやるのはえぇんじゃが、いつかその我儘で苦労しますぞ、お前様」
「……そうだな。それに関して、一度話をしなきゃと思ってた」
「はぁん?」
「ま、今はそんな事よりアイツだぜ」
太陽は屋根の縁にしゃがんでウレグを見下ろす。
その凶相、血走った眼を覗き込むように。
「ウレグっつったよな。本当にやるのかい、たった一人で」
ウレグはもう答えなかった。騎兵刀を握り締めて小さく長い息を吐いている。
「…………乗った。男、霧島・太陽、お相手しやしょう!」
屋根から飛び降りようとする太陽。咄嗟にソルとガウーナが飛び付いて引き摺り倒す。
ついさっき見た様な光景だ。ガウーナはハァヤレヤレと頭を振っている。
「無礼を承知で申しますがの、ボンの剣技はまだまだ棒振り遊びじゃ。奴には勝てん。
ソル、ボンがひーとあっぷする前にあの小僧を斬り捨てぃ」
「……承知。ウーラハン、御身が出るまでもありません」
双剣に手を掛け、ソルが屋根から飛び降りる。
音も無く着地。すらりと抜かれた刃。切っ先がだらりと下がる。
「ウーラハンは尋常の勝負を好まれる。故に、お前を数に任せて切り刻む事はしない。
ウーラハン親衛古狼軍、ソル。お前を斬る」
「蛮族風情が、一騎討ちを気取るかよ」
ウレグはその時何故だか小さく笑った。
「だが、好ましい」
騎馬が駆け出す。
ガウーナにしっかりと肩を捕まえられたまま太陽はソルに言った。
「ソル、ソルが負けたら俺の負けだかんな」
は? そのような事、唐突に仰るか。
否が応にもソルの満身に力が籠った。本気でも冗談でもソルは、主君を負けさせるつもりは無かった。
――
ウレグは馬上にあることに固執しなかった。整然とした騎兵突撃なら兎も角、こんな路地裏では地に足着けて戦う方がよほどやり易かったのだろう。
しかしそれはソルにとっても好都合。
「あやつ、何か隠し玉があるのぅ」
交差する双剣とそれに噛み付く騎兵刀。
手首を返すソル、身を泳がせるウレグ。ソルの前蹴りがウレグの脇腹に入るが、何の痛痒も無いとばかりに騎兵刀の反撃。
ソルの右手が鞭のように撓り騎兵刀を弾く。互いの気勢の声。ガウーナもにっこりする程度には殺意に満ち満ち、鍛え込まれた二人の殺し合い。
「無策で死にに来たんじゃ無い訳だ」
「ボンには互角に見えるかも知れんが、剣士としてはソルが凌駕しておる。あの歳であれほどの手練はそうおらぬでな。
しかしソル一人に勝てぬようではワシらにはなお勝てぬ。人間辞めるくらいの“奥の手”が無くば」
「ふぅん?」
「おうソル! カンカン刃を打ち合わせて御遊戯でもしとるのか!
不甲斐無い戦いを見せて、親衛古狼軍の名に泥を塗るでないぞ!」
ソルの表情が変わった。鼻梁がくわ、と持ち上がり皺が寄る。牙を剥き出しにした狼のようだ。
アオォォォ!
左右に振り払われた双剣。胸を開いて遠吠えを響かせるソル。気迫が違う。
「褒めてるのかと思ったら貶すんだもんな、ガウ婆」
「ソルは解りやすい奴ゆえな、ほれ」
ウレグの逆袈裟を掻い潜り、ソルは双剣を突き出した。今までよりもなお早い。
右の刃はウレグの胸甲の上を滑ったが左の刃が太腿を貫いた。
「くあぁ!」
ウレグは怯まなかった。腿に剣を貫通させたまま倒れ込むようにソルにむしゃぶりつく。
「ジャァッ!」
ソルは容赦しない。掴み掛って来たウレグを頭突きで迎え撃つ。
僅かに仰け反った。一瞬の隙。ソルの刃が閃いて、ウレグの喉首がバサリと割れた。
喉から断続的に血が噴き出す。太陽が時代劇で見た様な血煙のような奴じゃ無くて、ぼたり、ぼたりと血の塊が落ちるような感じだ。
ウレグは目を見開いて、二歩、三歩と後退る。間違いなく致命傷だ。
「良くやった! イケてるぜソル!」
激し過ぎもしなければ、丁寧過ぎもしなかった。実に理に適った戦いの運び。
もっと言えば敵の身体を惨く破壊する事もしていない。実にウーラハン好みだろう。
ソル、会心の手応えに刃を掲げる。
「この勝利を、ウーラハンに!」
「良い立ち合いだった。……でも、遺言は残せそうにねぇな」
膝を突くウレグは自分の首をおさえながら太陽を見上げていた。
息も吸えない。声も出せない。急速に脱力していく四肢。
やはり無謀な戦いだった。死に行くウレグを太陽はジッと見下ろす。
「ソル、構えぃ!」
「なんだと?」
が――明らかに、出血の量がおかしい。
へたり込むウレグの首から流れる血の量が多過ぎる。
首を斬られたのだ。出血が多いのは当然だ。
しかしいくら多いと言っても、その本人の体積より多くなる事など無い。
「おいおいおい、うなじが疼くぜ」
「あーこりゃ、アレじゃな、一床山で嗅いだ臭いとよぅく似ておる」
松明を増やせ!
太陽は近くに控えていたウルフ・マナスに命令した。
その狼は手近に松明の材料となる物が無いと判断するや、近場の家屋に松明を投げ込む。
木造りの古いあばら家だ。住人はこの騒ぎに怯えてとうの昔に逃げた。
乾燥し切ったそれは良く燃える筈だ。
乱暴と取るか機転が利くと取るか、取り敢えずそう待たぬ内に巨大な松明が一つ、出来上がるだろう。
「前線は?」
「あのままならば問題ないじゃろ。敵を皆殺しにする勢いじゃ」
黒い戦士団は相も変わらず雄叫びと共に敵に打ちかかっている。
「よし、見せろよウレグ。お前の隠し玉って奴を。
……良い予感はしねーけどな」
首からぼたぼた零れ落ちる血で全身を真っ赤に染めたウレグが、太陽の声に歯を食い縛る。
「まりぃぃーなぁぁぁ……!」
目が爛々と赤く光っている。痙攣する身体の内側で何かがのたうち回り、内臓と筋肉をべこべこと隆起させていた。
既に人間とは呼べない有様だ。惨いモンだな、と太陽は呟いた。
「きゃばぁぁぁーりえぇぇぇ!」
地の底から響く様な悲鳴と共にウレグは立ち上がった。
取り落とした騎兵刀を握り直し、血を吸って重たくなった直垂を千切り取る。
地面に落ちたウレグの血がぼこりぼこりと泡立つ。沸騰していた。
「……彼の方が、余程“ゼキエレの魔物”ではありませんか」
言葉を失っていたハルミナが唾を呑みこんだ。
「卑怯だ無粋だとは言っておれんじゃろ!
どぅれ! 血沸き肉躍る怪物退治じゃぁ!」
「しゃしゃり出るな狼公!」
「その小僧の方はやる気のようじゃがのぅ!」
ウレグが地面に出来た血だまりに手を突っ込む。沸騰する血液の中で何を掴んだか、彼は身を引き絞った。
じゃりじゃりと金属の音がする。熱き血の中から引き揚げられたのは幾重にも分かたれた鎖だった。
「俺一人ではァ……! 死ねん……んん!」
掬い上げる様に左手が持ち上がった。
握られた鎖が地面や瓦礫を引き裂きながら走った。ガウーナが太陽の前に立ち、シャムシールを構える。
「ほいっと!」
じゃん、と鈍い音を立てて鎖が弾ける。鎖は空中で軌道を変え、再びガウーナを襲った。
「ほほぉ!」
感心したように一振り、二振り。
そして三振り目でガウーナは鎖を断ち切った。
「かぁぁ!」
身を屈めて跳躍の姿勢を取るウレグ。させる物かとソルが走る。
「魔物と契ったか、ハラウル人!」
双剣を騎兵刀が迎え撃つ。一合交わしただけで分かる。
つい先ほどと比べて膂力が増している。比べ物にならない程。
「見下げ果てた奴!」
「……好きなように言えば良い!
どのような神も! 精霊も! 俺達を救ってくれはしなかった!」
口から血の泡を吐き出してウレグが喚く。腰を刈り取るような蹴りが一発。
ソルは双剣を交差させて防ぐが余りの力に宙を舞う。そのままあばら家に突っ込んだ。
「魔物が何だ! 邪悪な存在が何だと! 異邦の邪神と契った貴様らと何が違う!」
「……あぁ、まぁ、宗教観から言ったらそんな感じだよな」
「ボン、何を呑気にしとるんじゃ」
ウレグが雄叫びと共にぐるりと一回転。満身の力で以て煮え立つ鎖を振り回す。
それは家屋の上に陣取った古狼軍の戦士達に襲い掛かった。彼等は各々の得物で身を守る。
「ぶんぶんと鬱陶しい鎖じゃぁ!」
ガウーナも流石に本気になった。上下左右から迫る鎖を前に一咆え。全て叩き落す。
「ウレグ」
「ウーラハン! 首を寄越せぇ!」
「ウレグ、良いのかい。まともに死ねんぜ、お前」
「死など恐れるか!」
「いやそうじゃねぇって」
太陽はガリガリと頭を掻きながら言った。
不死公が死者をどう扱うか、大城 瑞樹の一件やオロクの息子クラースを思えば瞭然だ。
「もう人間として死ねねぇんだぜ」
ウレグは破れる程に唇を噛んだ。
「戯言無用ォ!」
ほー成程な。そうまでして屈辱を雪ぎたいか。意地を通したいか。
死も、或いは不死も恐れないか。自分が穢れた魔物に変わる事も。
未来永劫不死公にしゃぶられる、ちんけな飴玉に成り果てる事すらも。
「――斬れ! ガウ婆、ソル! アイツを斬ってやってくれ!」
「ボン?!」
「ここで殺してやらねぇと、アイツもうどうになんねぇぞ!」
太陽の胸で戦神のタリズマンが光を放つ。燃える様に熱を放っている。
かつて戦神アガは言った。『不死公の眷属を焼く為に炎を遣わす』と。
それでなきゃ奴を殺せないのか? 喉をぱっくりやられても死なないのはたった今見た。
オロクの話に違わず相当しぶといらしい。
だがそれでも。
殺してやってくれ。今、ここで。
「ウーラハンの命とあらば!」
ソルがあばら家の壁を突き破って戦いに復帰した。
「俺は負けん!」
「ほざけ小僧、戦う前から負けとるわ」
「負けん、負けられん!」
ソルを先頭に古狼軍の戦士達が四方八方から飛び掛かる。
太陽は尋常の勝負を好む。その彼が命じたゆえに彼等は獲物をソルに譲ったが……。
新たな主命は下った。ウレグ、死すべし。
「ハルミナ」
「なんです? おしゃべりしてる場合ですか?」
「ゼキエレの魔物ってどうすれば死ぬんだ?」
「アレはただの伝承ですよ」
「だから、伝承だとどうなってる?」
「不死です。ゼキエレの魔物は死なない。
汗馬の嘶きや剣の鞘鳴りを嫌うらしいですが、彼を見る限りどうもアテにはなりません」
古狼軍の戦士達は激しく打ち合う。恐るべきはウレグで、何度も致命傷を受けている筈なのに微塵も怯まない。
腹を一突き、胸を一突き、首を一突き。次々と傷が刻まれていく。
古狼軍の戦士達は流石に手練れであったが、不死の魔物との戦いは未経験だった。
雄叫びと共に身を捩るウレグ。大地を引き裂く不死公の鎖。何人もの戦士達が打ち据えられ、身を横たえた。
傷口から噴き出す沸騰した血液。瞬く間に肉が盛り上がり、爆ぜた身体を修復していく。
ウレグは悪趣味なオブジェに変わりつつある。赤い目、砕けた身体、ぼろぼろの手に、煮えた鎖。
――あーやれやれ、とガウーナが頬っぺたを掻いた。
「あのなぁ小僧。流石に同情もしたくなるわ」
「がうぅ……なぁぁ……!」
「じゃが侮られては困るぞぃ。ワシはガウーナ。狼公じゃ。
どーも最近の若い奴は、ワシの名の意味を忘れとるらしくて困る」
何とも気の萎えた様子でガウーナは屋根から飛び降りた。
鎖が走る。ガウーナを打ち据えようとする。
ガウーナは小首を傾げた。鎖が通り過ぎていく。ととと、と小走りに前に出て、シャムシールを一振り。
がいん、と引き千切れる鎖。踊る様に腰を振り、追撃をかわし、踵を高く上げて大地に叩き付ける。
四本の鎖がガウーナに踏み付けられて大地に縫い止められた。戦いのクルテがぶわりと浮き上がる。
「まずは腕」
ふらりと身を傾がせて更に前進。何の力みもなく掬い上げられる刃。
鎖を握り締めるウレグの腕が飛ぶ。沸騰する血液を撒き散らしながら、どた、と地面に叩き付けられた。
「そして首じゃ、小僧」
ガウーナがしゃなりと身を立て、手首をくるりと返す。
太陽はそれをジッと見ていた。猛烈な違和感が噴き出した。
「ガウ婆ぁーッ!」
彼女の頭上の空間が歪んで、ずぶ濡れのローブを纏った影が四つ、舞い降りた。
何に濡れているのかは分からない。影達は銀に輝く短剣を振りかざしガウーナに躍りかかる。
「じゃっかぁしゃぁ!」
どこのどいつの横槍じゃぁ! くるりと一回転。四つの影を纏めて切り伏せる。
「ウーラハン! 後ろを!」
ソルが走りながら叫んだ。太陽は後ろを振り返ろうとする。
短剣が突き出されていた。影は、太陽の背後にも居た。
(ガウ婆が離れるのを待ってたのか)
古狼軍の追加招集。
いや、間に合わねぇ。
かっ、とタリズマンが光を放つ。太陽を突き刺そうとした影がその光に焼かれて燃え上がる。
虫の鳴き声のような悲鳴。太陽は慌てず騒がず影にドロップキックを食らわせた。
「ボン! 今行く!」
影は無数に居た。あちらこちらの暗がりから滲み出るように現れ、古狼軍の戦士達に襲い掛かる。
「不死公の舎弟どもかい」
太陽はハルミナを庇うように抱き寄せて周囲を見渡した。
黒い影達が周囲の屋根を猿か何かの様に飛び跳ね、太陽に迫る。
「ハルミナ、俺から離れるな!」
「こういう時は貴方が下がるべきでしょう」
太陽は軍団目録を懐から引っ張り出す。
「俺には兄貴のタリズマンがある! そーいうお説教は後!」
「後も先もありますか!」
流石のクソ度胸である。ハルミナは太陽に体当たりして、迫る影達の前に身を投げ出した。
太陽はたたらを踏みながら、させるかよとハルミナを抱き寄せる。
「女の為に命張るの、男の本懐って奴でさ」
周囲を取り巻く幾つもの影。戦神のタリズマンが熱を持って輝き、それらを焼き尽くす。
しかし一本、たった一本。戦神の加護を潜り抜けて凶刃が太陽に到達した。
ずぶりと音を立てて太陽の脇腹に銀の短剣が突き刺さる。
「ちょ」
ハルミナが血相を変えた。冷や汗掻きながらも涼し気な顔をしていた癖に。
「ウーラハン! た、太陽殿!」
太陽は歯を食い縛って足腰に力を入れた。
男はここぞと言う時踏ん張る物なのだ。
「下がってろ、ハルミナぁ!」




