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出立前に



 「ウーラハン殿、変装のつもりですか」


 ハルミナはウシャンカの位置を直しながら呆れていた。


 目の前には太陽がいる。いつも着ている鮮烈な紅の装束ではなく、傭兵がするような旅装束だ。


 しかしどうやらこの衣服を準備した者はウーラハンに小汚い服を着せる勇気が無かったようで……

 ハッキリ言えば綺麗すぎた。


 顔を隠す様に巻かれた黒のシュマグは特にそうだ。銀糸の刺繍がされていて、とても平民や傭兵が身に着ける物ではない


 「そんな直ぐ分かっちまうかな?」

 「少なくともただの傭兵には見えませんね」


 ウィッサ南門。周囲に詰める兵士達は皆一様に緊張の面持ち。

 シン・アルハ・ウーラハンは腰の軽すぎる男だ。唐突に市井のあちこちに現れて護衛や衛兵達を戦々恐々とさせている。

 平然としているのは彼に絶対の忠誠を誓う亡霊達ぐらいな物だ。


 「うーん……でもまぁ、大丈夫だろ。俺がウーラハンだぞーって宣伝してなきゃ」

 「……本当にベリセス王都まで乗り込むおつもりで?」

 「乗り込むなんて物騒だな。ちょっとハルミナの里帰りに着いてくだけだって。

  観光だよ観光」


 それで通用すると思ってるのかこのすっとこどっこい。ハルミナは器用に片方の眉を吊り上げた。


 「で、そっちは? 覚悟決めたか?」

 「……別に、私もこのままで良いとは思っていませんでした。

  クラッセの者として一つ言葉を交わすのが筋でしょうね」

 「だよな。よし、んじゃそろそろ」


 南門に複数の狼騎兵が駆けてくる。金の装具をあしらった新高原起軍のマルフェー親衛隊だ。

 そしてそれに守られた狼の姫。スーセは騎獣グルカからパッと飛び降りると周囲を見回し、少しも迷わず太陽の許へと走り寄って来た。


 「ウーラハン! 良かった、まだおられましたか」


 太陽は神妙な顔になる。未だにシュマグで顔を隠したままだ。


 「……スーセちゃんもか」

 「はい?」

 「何故だ? どうして一瞬で俺だと分かった?」

 「えぇ……」


 スーセは本当に困った顔をする。


 太陽は、何と言うか、太陽だ。隠そうと思っても隠せない奇妙な存在感がある。


 言われて見て初めて気付いたが、確かに装束を変えて顔まで隠した太陽を一目で看破できる要素など無い。

 でもこれはこの方だな、と分かる何かがあるのだから仕方がない。


 「はぁ、その、なんと申しましょうか」

 「うーん、俺って変装下手か」

 「いえ、そのような……えぇと」

 「正直に“下手糞”と言ってやれば良いのです。変に阿っても彼の為になりません」

 「おー? 言ったなハルミナァー」


 ハルミナが太陽に頬を引っ張られ、ぐべべべべと呻いた。

 スーセは羨ましくなった。


 「で、何か用? 出発時刻は教えてなかったと思うけど」


 あんまり仰々しい事になっても嫌なので、出発の日時は百官達には秘密にしておいた。

 いや、「絶対隠そう」と思っていた訳では無いから推測するのは難しく無かったろうが……。


 ガウ婆が教えたのかな。


 「ガウ婆か」

 「はい……御見送りに参りました」

 「嬉しいじゃん、そういうの。ありがとな」

 「は」


 恭しく応えるスーセ。その背後の雑踏から長身の女が現れる。


 「ほぉ……いや、これは皆様御揃いでっと」

 「げぇっ、放火魔マーガレット!」

 「あーん? つれないねハルミナ。そんなに嫌そうな顔をしなくても良いだろうに」

 「その吐き気を催す猫被りをいい加減に止めたらどうです?」


 げっそりするハルミナ。にやにや笑うマーガレット。いつも通りのやり取りだ。


 「そんな格好してても分かるよ、太陽。少しばかり水臭いんじゃないか、黙って行くなんて」

 「敵いやせんね、姐さんにゃ。バレバレでやんしたか」

 「おつむの出来には少々自信があるのさ。……小賢しい女は嫌いか?」

 「まさか」


 しな垂れかかろうとするマーガレットをスーセがブロックした。


 「場所を弁えろベリセス人」


 蚊蜻蛉でも追い払うようにしっしっと手を払っている。マーガレットは全く気にしていない。


 「それにしても太陽、そういうのも中々悪くないね」

 「うーん、でもな、姐さんにも、か」

 「“も”って何だい?」

 「どうも俺の変装、だーれも騙せなくってさ」

 「ははぁ」


 マーガレットはスーセを押し退けて吐息の当たる距離まで太陽に近づいた。

 太陽と彼女の関係は周知の事実だ。公の場でなければ結構気安いし、太陽もそれを望んでいる。


 全ての者が良い顔をする訳が無かったが、敗軍の将であるマーガレットがデカい面をしていても誰も文句を言えない程度には、太陽の支配力は強い。


 「うーん、もうちっと考えた方が良いかな。スーセちゃんは何か歯切れ悪いし。


 ぐだぐだ言う太陽にマーガレットは大体何が起きていたのか悟ったようだ。

 太陽の頭を抱きしめると耳元で囁く。


 「……止せよ、アタシがお前を見間違える筈ないだろ」

 「うぉ、……口説きやすねぇ」

 「砂漠でも、海の底でも、アタシはお前を見つけるよ。雑踏の中でも、どんなボロを着てたって、ね」


 そしてくくっと笑って顔を離した。太陽はほえぇ、と変な声を出す。

 相変わらず男前な女だ。


 「く、ぐぐ……痴れ犬め……」

 「分かるか? 誘惑ってのはこうやるんだぜ、ウルフ・マナスのお姫様」

 「やかまし! やかまし! 誘惑など、このっ、破廉恥な!」


 マーガレットは歯軋りしそうなスーセにニヤニヤ笑って見せた。

 二人は犬猿の仲だ。傍から見るとスーセが一方的に嫌っているように見えるが、マーガレットの方もスーセに良い感情を抱いていない。


 太陽にだってそのくらいの雰囲気は掴める。


 「って、ぐだぐだやってる訳にゃ行かなくなってきたな」


 マーガレットやスーセがぎゃあぎゃあと騒ぐせいで衆目が集まって来た。

 元より太陽の存在に戦々恐々としていた番兵たちの事もある。


 「マーガレットの姐さん、本当は出発した後に手紙を届ける手筈だったんだけど、折角だから今伝えるぜ」

 「ふぅん? 良いとも。何でも言ってくれ」

 「姐さんにゃこれまでも助けて貰ってやすが、そろそろ約束を果たす段取りが立ちそうでして」


 マーガレットは眉を開き、そしてへにゃりと落とした。何を考えているか分からない顔だ。


 元々彼女は悪たれどものボスで、身代金の支払いなど望むべくも無い鼻つまみ者の部下達を、どうにか生かして帰してやろうと太陽に協力していた。

 …………自分の趣味も大幅にあったが。


 「御家来衆ともども身の振り方をハッキリさせといてくだせぇ。

  お帰りになるなら責任もってお返ししやす。誰にも文句は言わせねぇし、手出しもさせねぇ。

  姐さんには色々して貰いやしたから」


 それはマーガレットの望み通りの言葉の筈だった。

 圧倒的不利な状況から綱渡りを繰り返して手に入れた、謂わばマーガレットの暗躍の結実である。


 しかしどうしてこう……奇妙に切ないのか。


 「太陽は、それで良いのかい?」

 「去る者は追わず。俺の国の言葉でさぁ」

 「冷たいんだな。……悪くないけどね」

 「ウーラハン殿、少し私への態度を思い返して、貴方の祖国の言葉と照らし合わせてみてはどうです?」


 マーガレットは口を挟んでくるハルミナの頭をべしっと叩いた。殆ど無意識の行動だ。


 自分もこの若者の歳不相応な冷たい瞳に震えるような熱を覚えた物だ。

 だから、彼が時々するこんな物言いも、嫌いではない。


 マーガレットはウシャンカを吹っ飛ばされて悶絶するハルミナを視界に入れる事もせず、太陽を見つめ続ける。


 「それにねぇ、姐さんが腐っちまったら悲しいんだ。

  姐さんのようなお人は結局、自分で選んだ道で無きゃ食っていけないんです。

  無理したってどこかで必ず燃えちまう。炎のような人だもんな」


 ハルミナがはぁ? と首を傾げている。

 ひょっとして放火魔の異名と掛けたウーラハン・ジョークなのか?


 太陽が指笛を吹く。何処かで遠吠えが響き、城門付近の人並みを絶ち割って巨大な狼が現れた。


 シドだ。べたりと地に伏せるその背に飛び乗り、太陽はマーガレットを見下ろした。


 「ご自身の事、狡賢くて、冷酷だと思ってやすね」


 お前の前では、淑女然とした面で居た筈なんだけどな。

 マーガレットはうすら笑いを浮かべたまま肩を竦める。


 「……まぁ、多少はね」

 「俺から見るとそれだけじゃねーんだよな」


 周囲の狼騎兵達がシャムシールを解き放ち、天に掲げる。

 出立するウーラハンを見送る敬礼だった。太陽はそれらに軽く手を掲げて答えながら、マーガレットに微笑む。


 「去る者は追わず。それは変わりやせんがね。

  でも……もう少しマーガレットの事、見ていたい気はするな」


 言い終えると太陽はハルミナを担ぎ上げた。


 「えっ、ちょっ」


 アウッ! シドが一咆え。忽ち城壁を駆け登り、外へと飛び出していく。

 入出管理を行っていた番兵達、順番待ちをしていた商人達が唖然と見送る。スーセの親衛隊が駆る狼達が高く、長い遠吠えでシドを称える。そしてハルミナは悲鳴を上げる。


 「ぎぇぇぇぇぇぇっ」


 マーガレットはにやつく頬を手で抑えながら溜息を吐く。


 「い……色男を気取りやがって」


 何だかイラッと来たスーセ。


 「おい狂犬」

 「……なんだよお姫様」

 「あぁ、その凶暴な面付きの方が気持ち悪い猫を被っている時より好ましい」

 「そりゃどうも。別にお姫様に好かれたいとは思っちゃいねぇがな」


 太陽が去り、途端に悪辣な表情を剥き出しにするマーガレット。


 「ウーラハンがお前の好きにさせると仰ったから……去るも残るも好きにすれば良い。

  だが故郷に戻った所で、ベリセスはお前達を労わってはくれないぞ」


 マーガレットは無言を返した。分かってんだよそんな事は。


 「分からないな。何故ウーラハンはお前のような悪党に、炎を見出されたのか」

 「炎……? 狼の古語だか知らねぇが、何が言いたいのか分からんぜ」

 「燃え尽きてしまえ。命の限り」

 「はぁ?」


 スーセはグルカに跨るとそのまま振り返りもせず走らせた。


 「……アルハ・ジードたる者としてあのような手合いも御さねばなるまい」


 全く以て不愉快な女だった。マーガレットとか言う悪党は。

 ベリセス人だし、悪口が過ぎるし、狡猾だ。

 ウーラハンに対し従順に振舞っているように見せて、その実ウーラハンの定める法の抜け穴を常に探っている。


 だが、使える女だった。激しい気性やあくたれの部下どもの為に身体を張る姿勢も嫌いではない。


 「性分か、狂犬。生き難い物だな。

  せめて力の限り、燃え上がるが良い」


 恐らく穏やかな末期など得られまい。意図して敵を作っているような女だ。


 楽な生き方もあったろうにな……。

 そこまで考えてスーセは我に返り、反吐が出そうな顔で思考を振り払った。



 「……なんだアイツ。酔っぱらってんのか?」


 首をごきごき鳴らすマーガレット。


 彼女の前に黒い直垂を纏った異民族の男が現れる。

 今のウィッサでは別に珍しくも無い。蛮族、異教徒、異国人、何もかもが入り乱れる混沌の街だ。


 「金の髪の女。我が主からの手紙だ。受け取るが良い」

 「お前、亡霊兵か」


 ウーラハンの率いる亡霊軍団の一人らしい。

 男はマーガレットの問いに答えず、押し付けるように羊皮紙を渡すと火の粉となって消えた。


 手紙はウーラハンの私的な言葉を交えた任命状だった。


 マーガレットがこのまま帰順するならば、親衛古狼軍麾下として迎えると書いてある。

 与えられる報酬や権限もデカい。マーガレットは悪名高いが、それでも所詮百人長でしかなかった。

 この手紙を受け入れれば忽ち千人規模を動かす将軍様になれる。なれてしまう。


 「…………へぇ、ふぅん、ほぉ」


 マーガレットは羊皮紙を懐にしまった。なんだかもやもやする。


たらたらし過ぎたので次回から巻いて行きます

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