怨霊美女大城瑞樹爆誕
テレビのニュースで大規模な山火事が報じられた時、三笠 譲司は全く違和感を覚えなかった。
安っぽい革のソファーにどっかりと背を預けてひたすらにぼんやりとしていた。
全く衰えを見せない猛火に向け、健気に散水を行うヘリコプターの映像は奇妙な愉悦を三笠に感じさせた。
「燃えちまえ。全部」
霧島 太陽と言うガキはやると言ったらやるタイプの男だ。
奴は一床山を燃やすと言った。どんな方法でそれをしたのかは知らないが、実際にあの忌々しい山は燃えている。
「瑞樹、今どんな気分だ?」
フローリングの床の上で膝を抱えていた女がぐりん、と首を回した。
ぽっかりと空いた穴のような両目。三日月みたいに吊り上がった口。にたにた。
あぁ、嬉しそうで良かった。
猫が跳ねる様に瑞樹が譲司に飛び乗る。
ゾッとする程冷たい肌の感触。譲司もいつしか笑っていた。
にたにた。
後日、検死を終えた瑞樹の葬儀が行われ、譲司もそれに参加した。
火葬場で譲司は感情を堪え切れず瑞樹の遺灰を握り締める――
――演技をした。どさくさに紛れて遺骨と灰の一部をポケットに忍ばせ、その後難燃性の袋に収める。
パッと見はただの携帯灰皿だ。誰にもバレなかった。
「三笠君、改めてお礼を言うよ。……ウチの娘を連れ帰ってくれてありがとうございます」
白髪の大城夫妻は米つきバッタの様に頭を下げてくる。ここ数日ずっとこんな具合だ。
「瑞樹も……きっと喜んでるわ」
瑞樹の母はやつれた顔に涙の跡を残しながら言った。
それには譲司も同意した。だって瑞樹は今も譲司の隣で微笑んでいるのだから。
まるで子猫が親に甘えるようにして譲司に身体を擦り付けてくる。
死ぬ前と変わらない、呆れるくらい呑気で甘えたがりな様子だ。
これで外面は良かったから、周囲にはクールなインテリで通っていた。
「……今まで黙っていたんだけどね、瑞樹が見つかった時、あの霧島と言う子から言われていたんだ」
「へぇ……、まぁ予想は付くが、なんと?」
「君を見張っているようにって。君が……」
大城の父は固く拳を握りしめながら苦し気に言う。
「……“例の彼等”を、殺したりでもするんじゃないかって、疑っていたみたいだね」
「事実です。隠す気はない」
「でも彼等はもういない」
「あぁ」
譲司はじゃれついてくる瑞樹にふい、と視線を遣る。
「先を越されちまった」
大城夫妻は何も言えないようだった。先日死亡した三井達三人は彼等にとっても憎い仇だ。
それが偶然にも、立て続けに、惨たらしく死んだ。そんな都合の良い話を大城夫妻は信じていない。
だから何も言えなかった。ただ、太陽や譲司に感謝していた。
「三笠君、娘は君に沢山の事をして貰った。私達も。
私達にとってそうであるように、今回の事は君にとっても受け入れ難いと思うけれど……」
もう娘の事は忘れて、新しい人生を歩んで行ってほしい。
数日前と比べて幾分と落ち着いた様子の大城夫妻。
譲司は何も答えなかった。面倒くさそうに肩を竦めるばかり。
節度ある大人って奴は大変だ。人目憚らず泣き喚く事も出来ない。
いや、もうそういう段階は過ぎたのか。
三笠は短く別れの挨拶を交わし、斎場を後にする。
「難しい事簡単に言ってくれるぜ」
瑞樹はどことなく不貞腐れた様子で譲司の腰に抱き着いていた。
ぐしゃぐしゃとその頭を撫でまわす。すれ違った大城家の遠い親戚らしい女が訝し気な視線を譲司に向ける。
「くくっ」
「ご機嫌でやんすね、三笠の旦那」
駐車場で譲司を待ち受けている者が居た。
譲司にとっても得体の知れない人物。しかしこの一件に尽力してくれた恩人である事に変わりはない。
このクソガキが居なけりゃ瑞樹は永遠に見つからなかっただろう。
「霧島、借りが出来たな」
「精々借りといてくだせぇ。その内返してもらう事もあるかも知れやせん」
「本当に、口の減らねぇ奴だ」
笑って見せる譲司に、霧島 太陽は真剣な目をした。
「……んー? 旦那、良いんですかい、それ」
太陽が指差すのは譲司の喪服の胸元。
瑞樹の遺骨を忍ばせた袋がそこにある。
「…………良くはねぇだろうな」
「あら、そう。……まぁご両人が納得してるってんなら、そういう愛の形もアリですかね」
「で、お前は無駄話しに火葬場まで来たのか?」
「いや、そう言う訳じゃねぇが……。折角だから飯でも食いに行きます?」
「……止めとく。今は気分じゃねぇ」
「然様で。それじゃぁ俺も用事を済ませる事にしやす」
霧島は三笠の前に立ち、じっくりと顔を眺めまわした。
「用事ってのは旦那のご機嫌伺いでさ。
顔色良さそうならそのまま帰るつもりだったが」
「顔色悪そうなら?」
「帰りやす」
「なんだそりゃ」
譲司のキツイ視線を受け流して太陽は踵を返す。
「旦那とは仲良くしてーからな。またつるんでどこぞに冒険に行きやしょうぜ」
ひらひらと手を振る彼の背で、一瞬火の粉が巻き上がったように見えた。
「何だ今の」
現実か、幻覚か。まぁどちらだっていい。
譲司は今更あの男に何を見せられても驚かない事に決めていた。
「……あ? 瑞樹?」
どこ行った? さっきまで、すぐ傍に居たのに。
――
「……その女の臭いが鼻に突く。さっさと焼き尽くせ。一床山のようにな」
「兄貴、どうかそんな事を言わず、お願いしやす」
「確かに我らメンデの神々は人間の魂に関わる権能を自然と備えているが、流石にソイツは専門外だぜ」
桜の花弁舞い散る戦神の領域。腕組みして不機嫌そうな顔をする戦神に太陽は只管に頼み込んだ。
背後には大城 瑞樹を庇っている。彼女は戦神の威に恐れ戦きながら震えていた。
幽霊になったとしても得体のしれない神様は怖いらしい。しかも見た目がマッスルだ。
「元々、素質と言うモンがあったんだろうな。
一床山の祟り神、不死公の力、訳の分からぬままに己の物にしていやがる」
今更だが戦神は不死公の痕跡の一片までも世界から根絶しようとしている。
何がどうしてそうなったのやら、邪悪な神々の力を取り込んでしまった瑞樹は戦神にとって耐えがたい悪臭を放つ汚物のような物だ。
「パッと見で分かるくらい危なかったモンで捕まえてきやした。このままじゃ三笠の旦那まで死んじまう」
「お前と一緒に居たあの男か。確かにこの娘は周囲に呪いをばら撒いている。
下手をすりゃあそこら一帯を死霊の地へと変えるだろうな」
「え、そんなレベル?」
太陽は瑞樹を振り返った。瑞樹はぶんぶんと首を横に振っている。
「……否定してますけど」
「自覚が無いだけだ。……俺にとってそれは、中々愉快ではある」
「何言ってんだ兄貴」
戦神は獅子の鬣のような長髪を掻き上げた。何やら考え込んでいる。
「昔からの経験則だがな、凄惨な戦場では多くの勇者が生まれる」
「はぁ」
「人間が比喩でよく使う“地獄”って奴だ。追い詰められた人間が放つ魂の煌めき。
地獄の底に堕ちてなお剣を取る闘争心こそ……我が軍団に相応しい」
「瑞樹さんを使って地獄を作れなんて言いやせんよね?」
「…………ふぅむ」
おいおい嘘だろ?
興味深そうに考える仕草の戦神に太陽は眉をへにゃりとさせた。
「面白いが……地獄で勇者が生まれたとして、その地獄を生んだのが俺ならば、その勇者は俺には従うまい」
「あー安心したぜ」
「……安心? 前から思っていたが、お前は時々面白い事を言うな、太陽」
「……? 今なんか変な事言いました?」
「何故その女に肩入れする」
何故って。
太陽は瑞樹をジッと見た。可哀想に瑞樹は完全に縮こまっている。
ガウーナやソルですら戦神に対し恐怖を感じているのだ。この前までただの大学生だった瑞樹が抗える筈も無い。
「……同情心でやんす。この人がどうやって死んだのか見ちまったから。
苦しかったろうな、恐かったろうなって」
「ほぅ」
戦神は太陽と瑞樹をじっくりと見比べ、やがてからかうような声音で言った。
「いつまでも人間の振りは出来んぞ」
「あい?」
「太陽、お前の働きは大きく、俺はそれを評価している。その娘を目録に加える事を許す。
多少時間はかかるかも知れんが、目録はその娘の内底から不死公の邪悪な力を消し去るだろう」
多分な。最後に不安になる一言を付け加えてくる戦神。
「しかしさっきも言った通り解呪は俺の専門外だ。それだけではその娘をまっさらな状態に戻す事は出来まい。後はお前の方で方法を探れ」
「そりゃ有難いんでやすが……」
「俺は用事が出来た。お前が先日献上したあの呪物、赤子のミイラ。アレから不死公を追わねばならん。
それに当たり、お前の麾下からオロクと適当な戦士を五十名出せ」
「はぁ、戦争ですかい」
「あぁ、派手な祭りにしてやるぜ」
くっくと笑う戦神は瑞樹の事など忘れたかのように上機嫌だ。
太陽は頬っぺたを掻きながら聞き直した。
「なぁ兄貴、“人間の振り”って瑞樹さんの事?」
「己で判断する事だ」
つれねぇなぁ。太陽はぶすっとした。
「あのミイラ、正確には呪物を縛る鎖の方だが、予想外だった」
「……ってぇと?」
「鎖が不死公の気配を完全に抑え込んでいた。道理で気付けん訳だ。
恐らくアレだけでは無い。どれ程の品が世に散らばっておるか予想も着かんぜ」
「他にもまだまだ沢山あるって事か。……気に入らねぇな」
「あぁ、気に入らねぇ」
戦神は胡坐を掻いたまま首をごきり、ごきりと鳴らす。
気に入らねぇと言いつつもその仕草には何処か楽し気な物を感じた。
「俺が見付ける端から奴らを焼き滅ぼしたモンだから、少しは知恵を使ったようだな。
こうなると何もかもが怪しい。太陽、お前の周囲すらもな」
「あー、そうなりやすか。……いやしかし……ふむ、望む所」
「ふん? 何が言いたい」
太陽は腕組みしながら考えた。
今回太陽は一床山で不死公の力の一端に触れた。あの異形の祟り神に。
あれは世間一般で言えば相当ヤバい奴だったようだが……それでもガウーナやソルの方がよっぽど強い。
「何て言うか、根拠のない勘って奴だが……。
不死公には負ける気がしねぇんだ、兄貴」
「クククッ」
戦神は嬉しそうだ。人間の物言いに一々肩を震わせる神など他にはおらんぞ、と自分の言葉で更に笑う。
「実によい。太陽、呪物を手に入れた事で今後戦いは激化する。
大ハラウルと戦う以外にも、世に蔓延る不死公の勢力を駆逐する為、軍団の練成を怠るな」
「俺も不死公が大嫌いだ。奴らをぶっ飛ばしてやりてぇ」
「良い返事だ。……お前は極めて短い間で随分と俺の領域に馴染んだ。
期待してるぜ、我がチャンピオンよ」
――
「たーいよっ!」
「涼さん、御加減宜しそうで」
「ぜっこうちょー!」
鳳学園を出た所、吉田 涼がけらけら笑いながら抱き着いて来た。
先日あんな思いをしたのも喉元過ぎれば何とやら。
あの悪夢から今度こそ、完全に逃げ切ったとなればこうなるのも不思議ではない。
「ガッコ終わった?」
「見ての通りで」
「タイヨーは平然とサボるからなぁ~」
「あぁ……こりゃ一本取られた。でも今日は本当に終わりで御座い」
「OK、じゃぁラーメン行こうよ。優しい涼先輩が奢ってしんぜよう」
太陽の返答も聞かず涼は腕を引っ張って歩き始めた。
出会った当初からは想像もつかない快活な姿。これが彼女本来の姿か。
「(……出しゃばった甲斐があったな)」
夕暮れの街を二人で歩く。涼はその途中で小泉 真紀の事を口にした。
「もう大丈夫だろうって。お墨付き貰ったよ。……やっと解放された感じ」
「そりゃ良かった。涼さん、お疲れ様で御座いやす」
「でもタイヨーの事なんか気にしてたけど」
あぁ、と太陽は頷いた。
真紀は太陽が一床山を焼き払ったのを気にしているようだ。
アシが付くようなやり方はしてないが真紀を誤魔化せるとは思っていない。案の定ばれていて、しかも彼女はそれを苦々しく思っている。
他人の事情に我関せずを貫く彼女には珍しい事だ。会って少し話をしたが、やはり何か言いたげだった。
地元で有名なラーメン屋に入る。夜のピークタイムには少し早く、店内は空いていた。
太陽は醤油ラーメンを啜りながら切り出した。
「こんな事言うと気分悪いかも知れやせんが、俺に取っちゃまだ終わってねぇみたいなんだ。
涼は太陽の隣で中途半端に麺を口に入れたまま硬直した。
「勿論涼さんがどうって訳じゃ無い。ただ……今回みたいな事件は、これから沢山増えると思う」
「…………どういう事?」
涼は口に出した後、慌てて前言撤回した。
「いや、やっぱなし。聞きたくない」
「それが良いと思いやす」
へらへら笑いながらラーメンを啜る太陽。
「涼さんの家系はこう言った事に巻き込まれやすいと聞いてやす」
「うん、まぁ……ほんと、サイテーだけど」
「もし今回みたいな事件の話を聞いたら、俺にも教えてくれませんか」
「それは良いけど……。本格的に拝み屋でも始めるの?」
「似た様なもんですね。上司からそういう業務指示が出てるんでさぁ」
涼は変な顔をした。そりゃそうだ。
業務命令で悪霊退治をやれなんて、変な会社もあった物だ。
「……はい! 分かった! この話はやめよう! やめやめ!」
「で、やんすねぇ」
「お化けよりラーメン、妖怪よりチャーシューだっての。
って訳でチャーシュー一枚ちょうだい」
「良いですぜ。って、おわ」
涼はにっこにっこ笑顔で太陽の丼に箸を突っ込み、チャーシューを分捕って行った。メンマごと。
太陽はその見返りに涼の豚骨スープを要求するのだった。




