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ガウ婆



 太陽は軍団目録のページに浮かび上がった文字を穴が開くほどに見つめた。


 見た事もない文字なのだが、なぜだか読めてしまう。そこにはガウーナの戦歴が記されている。


 「マジか、80歳過ぎてるのか」

 「死んでから体が戻ってきたわい。嬉しいのぅ、満足に動けると言うのは」


 小さな湖のほとりに灰色狼のシドを寝そべらせ、その腹に凭れ掛かるガウーナ。どこからどう見ても二十歳かそこらにしか見えない。

 魂だけとなって全盛期の力を取り戻したようだ。太陽は再び目録に視線を戻す。


 「狼公」

 「おぅおぅ、ワシを御呼びかな?」


 ガウーナの異名。南の方にあるデカい国と一戦やらかして得た称号だと目録には記されている。

 太陽も健全な男の子であるからこういう英雄譚には心がおどる。


 「スッゲェ」

 「スッゲェじゃろ!」


 からから笑うガウーナには溌剌とした魅力がある。民族衣装に隠れていて分かりにくいが、ボディの方もべりーぐーだ。

 実年齢八十歳以上だからってなにが問題だろうか。「一晩一緒に過ごしませんか」と誘えないのが本当に惜しい。


 何故誘えないのかって? たとえ建前だとしても太陽はガウーナの上司だ。良く知りもしない部下に対してそんな事を言ったら、立場を笠に着てるようじゃないか。


 「ほほぅ、ハサウ・インディケーネ」

 「ワシ自慢の最精鋭! ワシが吠えればたちまち現れ、お前様の敵を食い殺すじゃろう!」

 「やっぱりその人達も死んでんのか?」

 「そらそうじゃ。生身があるように見えてワシだって死んでおるんじゃから」

 「むーん、不思議だなー」

 「不思議じゃろー? ワシも不思議じゃ。しかし世の中ワケの分からん事が沢山ある。今更だのう」


 「この歳まで生きとっても不思議だらけじゃわい!」ガウーナはそう言った直後に訂正した。「ってそういや死んどったわ!」




 湖のほとりでのんべんだらり。何をやっているのかと言われたら職場面談だ。上司は部下の事をよく把握しておかねばならない。

 軍団目録に大雑把な経歴は書かれているが、流石に大雑把過ぎる。真正面から向かい合って話してみないとどういう奴かなんて分からない物だ。


 ちなみに戦神アガは太陽が上手く事を運んだと見るやとっととどこかへと失せてしまった。


 「面白いなぁ」

 「お前様と話しておるとワシも面白いぞ。だらーっと自然体で話してくれる男なんぞいつ振りか」

 「……まぁ、ガウーナ婆ちゃんの活躍を読んだ感じじゃ誰だって尻込みしそうだな」


 太陽から見たガウーナは肝が太くて気の良いおばちゃんだ。率直で嫌味っぽいところもなく、相性良好に思える。

 あっけらかんとしているが会話の内容や運び方にインテリジェンスを感じさせる。亀の甲より年の劫って感じだった。


 しかし目録は彼女がそれだけの女では無いと記している。更に深く話を聞こうとして、ガウーナがにんまり笑っている事に気付く。

 彼女はこれまでも大体陽気に笑っていたが、その笑い方とも違うように感じた。


 「えぇのうその呼び方」

 「呼び方?」

 「ワシには結構親戚がおってな、ガキどもなんぞはガウ婆、ガウ婆と言って懐いてくれておったんじゃが、どうも若い衆はワシをガキどもに近付けたがらんかったでのぅ」

 「そりゃまたどうして?」

 「ワシはガキどもを甘やかしまくってダメにするとかほざきやがる。確かにそりゃまぁ……厳しくしつけるっちゅーのは苦手じゃが……。

  だからって引き離すこたぁ無いじゃろ?」


 太陽は神妙な表情で唸った。ガウーナのイメージは「孫に甘い婆ちゃん」で固定されてしまった。


 「どれ、もう一回呼んで見ぃ」

 「ガウー……ガウ婆ちゃん」

 「わっはっは! ほいほい、ガウ婆ちゃんですぞ、と!」


 よっぽど太陽の事が気に入ったのか、血縁関係でなど当然無いのに、ガウーナは喜びいっぱいに太陽を引っ張り寄せて頭をぐりぐりと撫で始める。


 ふくよかな胸があたる。太陽はむぅと唸ってその拘束から逃れる。


 「ボン、改めてこのガウ婆になんでもお任せじゃ。ワシは強いからのぅ、手始めにハラウルのボケどもをちょっと小突いて、小金を巻き上げて来てやろう」

 「はっ?」

 「ワシらが暫く大人しかったから使いもせん金銀を貯め込んどるじゃろ。金があると色々楽だからの、ちょちょいのちょいで略奪じゃ!」

 「ストォォーップ」

 「?」

 「不思議そうな顔されても困る」


 どうやら略奪や焼き討ちなんかはガウーナにとって特になんでもない事のようだ。彼女の経歴の中でもそんな文字がちらっと出てきた。


 「俺はそう言うの好きじゃない」

 「おや、そうかい」

 「それに俺の仕事はそういうのが無くてもまぁまぁ何とかなるんだ」

 「……ふむ、そういや聞いとらんかったわ。ボン、ワシは戦神からボンに仕えろとしか言われておらん。一体どんな神託を受けておるんじゃ?」


 太陽は頬っぺたを掻きながら、戦神が語っていた内容を多少オブラートに包んで伝えた。



 「ほほ! そいつぁスゲェ! 勇敢な死者達が蘇ると言うのか!」

 「ガウ婆がその一番手だろ」

 「堪らんのぅ! 嬉しいわい! わははー! こりゃ楽しくなりそうじゃ!」

 「……凄い喜びようだな」

 「そうとなりゃボン、やっぱり金も要るんじゃないかの?」


 首を振る。


 「嫌いだっつったろ」

 「……そんなに深く考えるこたぁ無い。ハラウルのボケどもも一昔前はワシら相手に散々好き勝手やっとったんじゃ。

  一時期なんぞ、ワシらの一族を見たらとっ捕まえて奴隷にするのが当たり前、みたいに思われとった」

 「ふぅん? そりゃ酷いな」


 結構えげつないな、と思ったが同時にそんなモンだろうな、とも思った。太陽の世界だって大昔はそういう事柄が沢山あって、しかもそれが経済活動や制度、文化の一部として組み込まれていた。

 きっと今でもどこかで誰かがそういう事をしているだろう。


 「ワシも結構やってやったわい。一晩の内に奴らの村を十かそこら焼き払ってな、奪えるもんは全部奪って、売り払われた仲間達を買い戻す足しにしたんじゃ」

 「ほぅ」

 「そうしたらハラウルのボケども怒り狂ってのぅ。……詰まりはそう言う連中じゃ。自分がぶん殴るのは良くても逆は嫌なんじゃな。奴らから何を奪っても、ボンが気に病むことも無いじゃろ」


 太陽は鼻で笑った。反骨心と共に言い返す。


 「他の誰がどうかは関係ねぇ」

 「あん?」

 「そいつらが悪党でも善人でも知らん。実際に面を見た訳でもない。多分どんな目にあってようと気にしないと思う。

  だが少なくとも今は誰かを襲って金を奪おうって気分じゃない」


 余所がどうだから、と言うのは太陽には関係ない。太陽には太陽のルールがある。

 風呂掃除は率先してやる。洗濯物は早めに出す。女子供には優しくする。約束を破らない。漢のプライドを尊重する。etc.etc.

 色々あるが兎に角、他の誰が何をしていてたとしても、太陽は太陽の都合で動く。


 今は略奪をする気分じゃない。太陽はガウーナが見とれる程のゾッとする顔をしていた。一応は上司なので威厳を見せないと行けない時もある。



 「俺は二回も「やらない」と言ったぞ。三回目が聞きたいのか、ガウーナ」



 ガウーナは唇をぺろりと舐めて目を細めた。


 「……お前様、そんな面も出来るんじゃのぅ」

 「どうなんだ、答えろ」

 「ほっほ! ガウ婆は、お前様に従いますとも」


 太陽は一つ頷いて気持ちを切り替えた。


 「取り敢えずどうするか決めよう。幽霊達を探さないと」


 水辺に座り込む太陽。ガウーナはにたりと笑ってちょっとだけ太ももを擦り合わせた。


 「(こいつぁ……えぇ益荒男の素材を見つけたわい)」



――



 ガウーナとは長い間話し合った。太陽はこの大陸に関して知らな過ぎる。ガウーナは知識に偏りこそあったが、多くの物事に関して太陽に教えてくれた。


 「ワシも結構あちこち暴れ回ったぞい。まぁ大体は南の大ハラウル連盟王国じゃ。取引することもあったが、奴らとワシら”狼の一族”は結局のところ仇敵じゃから」


 南に広がる肥沃な土地を支配するのは五つの王国からなる大ハラウル連盟。

 今まで飢饉に怯えた事がないと言われるほどに豊かな穀倉地帯を持ち、技術の発展に実に意欲的。不凍港を持っていて造船技術も大陸有数。


 ハラウルはなんでも持っているとガウーナは言った。

 物、人、美しさ、神々の加護、…………そして残忍さまでも。


 「五ヶ国の同盟じゃが、ハラウル・イニセスタの上級王が大体の事を仕切っとる。ほんっとうに手強い連中じゃて」

 「イニセスタ……」

 「イニセスタ、ベリセス、ルールク、シャンデ、アマウーディス、五つに分かれておるがほぼ単一民族じゃ。じゃから結束しやすいんじゃろ。

  敵に対して容赦ない連中じゃ。奴らが長い時をかけて領土を広げる間に、一体どれほどの者達が滅んだか分からんわ。

  ……まー、負ける奴が悪いんじゃがな。ワシら狼の一族も、ワシがおらんかったら滅んだ連中の仲間入りしとったろうの」

 「……すげぇ話だ」

 「大昔はさむーい北の方や、西の砂漠の民までも臣従させておったと聞くが、とうの昔に独立されてしもうたらしいのぅ」

 「当たり前だけど、色んな国があるんだな」


 経歴や口ぶりから理解できるがガウーナはハラウルの事が大嫌いらしい。

 愚痴や悪口もそこそこに別の国の話に移る。


 「北の方はおっかねぇぞ。アケンドラ公国とか言うのが数百年前から進歩の無ぇ殺し合いをしとる」

 「公国? ガウ婆の狼公とか、狼公領とは違うのか?」

 「アケンドラの方はハラウルの王族から分派したらしいぞい。連中に言わせりゃ”由緒正しい”って事になるんじゃろ。

  ワシは二代前のハラウル・イニセスタ上級王アデリクを追い回しとったら、いつの間にかそう呼ばれとった」


 それは軍団目録にも書いてあった。ガウーナはアデリクと言う王を散々に恐れさせ、失禁までさせたらしい。


 「つまり、ガウ婆はすげぇ」

 「そうじゃ、ワシってばすげぇ!」


 むふん、と胸を張るガウーナ。


 「雪原に生きとる連中はな、結構不思議なのが多い。独特の言葉、独特の文化、統一なんて無理な話じゃが、それをアケンドラは鋼鉄の掟で支配しとる」

 「鋼鉄の掟?」

 「”恐怖”じゃよ、ボン」

 「なるほど、恐怖」

 「まぁそれでも北の大地には……どこか自尊心の強い戦士を育てる土壌があるんじゃろ。縄張り争いを繰り返しとるわい」


 アケンドラってのは相当おっかない所らしい。


 「そういやアケンドラってのは戦女神ローローが国教らしいぞい。王位には女が着き、美を好む女神の意向からか王家に生まれる女は美女ばっかりじゃそうじゃ」

 「なにローローって。面白い名前だな」

 「そうかの。結構良い名前じゃと思うが」


 ネーミングセンスに意見の違いが発見された。


 「西にはどんな国が?」

 「ザイルだとかドゥームだとか幾つかの国で縄張り争いしとるらしいが、ワシもよー知らん。結構忙しくしとったから砂漠くんだりまで行くことは殆どなかった」

 「そうなのか」

 「そうなのじゃ。……ただ……そうじゃの。人の身の丈を超すような大鷲を操る戦士を見た事がある」

 「大鷲? 空を飛ぶ?」

 「そう、鷲じゃ。見事なまでに調教しておった」

 「まさかそれに乗って飛んだりとか?」

 「いや、それは無理なんじゃと。でも戦ったら鬱陶しそうじゃったのー」


 懐かしそうにガウーナは語り続ける。太陽もおぼろげにだが大陸の理解を深めていく。


 分かる事もあるが分からない事もある。たった今の大鷲の話など特に太陽の理解を超えている。


 人間よりもデカい鷲なんて地球には存在しない。いや、太陽が知らないだけで存在しているのかもしれないが。


 兎に角、太陽の常識は通用しないだろう。そう思うとワクワクした。


 未知の物に触れるのは太陽にとっては喜びだ。

 ぶるぶるっと体を震わせる。


 「おう、寒いのか? クルテを貸してやるわい」

 「違う違う、楽しみなんだ」


 狼の一族では”クルテ”と呼ぶらしい民族衣装を脱ぎ太陽にかぶせようとするガウーナ。

 太陽は笑いながらそれを突っ返す。


 「ガウ婆の話を聞いてるとワクワクしてくる。自分の目で確かめられる瞬間が待ち遠しいぜ」

 「おんや、行楽気分かの」


 ガウーナは意味有り気に笑った。


 「だが今大陸は荒れとる。あっちこっちで斬った張ったしとるからのぅ。ゆっくり楽しめるか分からんぞ」

 「へ?」

 「数年前にこの大陸を襲撃した恐るべき神がおってな……」


 あ、それって


 「海を越えた先、異邦の大陸の戦神が、震える程の怒りと吹き荒れる炎を携えて、この大陸の神々に戦いを挑んだ」

 「兄貴の事か」

 「そういやそんな風に呼んでおるのか。豪胆じゃな、ボン」

 「兄貴の事は好きだ」

 「好きか! はは! ボンの大好きなその戦神はな、おっそろしく強い神じゃぞ。

  ハラウルの国教であるエクリマ教を襲撃し、北部の商業都市同盟では戦いと商いの神タンデールを殺したと聞く。

  海に魚人どもの守護神ミチェータを、山岳に古き王ダランを打ち破りその縄張りを荒らしまくった」

 「俺の知らない名前だらけだ。全部神様なのか?」

 「そうじゃ。今名前を挙げた神々以外にも、多くの神と信徒達が死んでおる。戦神は、ワシら嫌われ者の守護神は、本当に強き神じゃ。

  ……そして神々の縄張りの変動はワシら人間の世にも戦いを撒き散らした」


 確かに戦神は大暴れしたと自慢気に言っていた。しかしその規模は太陽が思っていたより遥かに大きいようだ。


 「ワシらは今のほほーんとしとるがの、今この大陸は、正に歴史が変わる瞬間にあるぞ」


 ふぅむと唸る太陽とは対照的に、ガウーナは面白そうな顔をしていた。




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