俺の目を見ろ
ぐずぐずに溶けた腐肉の中に異様な物があった。
赤子のミイラだ。太陽ははぁん? と首を傾げながらそれを拾い上げる。
べとべとになった赤い布でくるまれ、黒く塗られた鎖が巻き付けられている。
凄まじい形相だ。ムンクの「叫び」みたいな感じの顔をしている。
頭部に角らしき物が二本あった。なんだこりゃ、鬼?
「よくもまぁ……オロクの斧でぐちゃぐちゃにならなかったモンだな」
「……不死公の気配を感じる」
「この赤ん坊のミイラから?」
「そうだ。この異形の呪物、戦神にあずけるのがよいだろう。……一歩敵に近付いたな」
オロクは犬歯を剥き出しにして笑った。獰猛だ。
「持っといてくれ」
太陽はミイラをオロクに投げ渡した。気になる事は他にあった。
「三笠の旦那はどこ行っちまったんだ?」
「見つけておる。じゃが……」
「じゃが?」
ガウーナは顎を撫ぜてにやにやしていた。
「取り込み中らしかったんでのぅ、少し時間をやったわ」
「取り込み中って、何があったんだ」
「久方ぶりの逢瀬、邪魔する程野暮ではないわい」
おや、その口ぶりだと……。
どうやら三笠は大城 瑞樹を見つけたらしい。
――
そこは一床山の森の中でも特に青々としていてまともに歩くのも難しい場所だ。
茂みを突っ切って行けば唐突に視界が開けて、崖が現れる。小川の音が聞こえた。
「高いな」
落ちたらひとたまりも無いくらいには。
「それに臭う」
最近太陽も慣れてきてしまったが、生き物の腐った臭いがする。
実体験するまでピンと来なかったが、この腐った臭いと言う奴は本当にすごい。
かなり遠くまで届く。山頂から麓まで臭う、と言うような事もあるらしい。
「ボン、おいで」
ガウーナに誘われるまま彼女の腕に身を任せる。
するとガウーナは切り立った崖を躊躇なく飛び降りた。軽やかに着地し、川べりに太陽を降ろすと火の粉となって姿を消す。
太陽はハンドライトで前方を照らした。河の向こう側、何か動いた。
「三笠の旦那、生きてやしたか」
「…………おう」
三笠は一本の木に背を預けて座り込んでいた。火の点いたタバコを銜えながらぼそりと返事してくる。
「……見つけやしたね。おめでとうございやす」
三笠は放り出した太腿の上に女の死体を寝かせていた。時折、思い出したように死体の髪を手で梳く。
死んでからそれなりに時間が経っているし、ここ最近は気温が上がって来た。当然、大城 瑞樹の遺体は酷い有様だ。
でも三笠はそんな事気にもしていなかった。
「こいつが助けてくれた」
「……で、やんすか」
沈黙が満ちる。太陽は三笠の隣に腰を下ろした。
猛烈な腐臭が漂っている。三笠は徐に大城 瑞樹の服のポケットに手を突っ込んだ。
「あぁ……まだ持ってた」
出て来たのはタバコだ。三笠は今銜えている、吸いしろの殆ど残っていないタバコを放り捨て、瑞樹が持っていたタバコを改めて銜える。
「…………健康に悪いからってよ」
「へい」
「取り上げられてたんだよなぁ」
大城 瑞樹はどうやら崖から落ちたらしい。手足が変な方向に曲がっている。
タバコも彼女と同様にぐしゃぐしゃになっていた。
『ほほほ、仲睦まじい物よ』
唐突にガウーナが笑った。微笑ましいと言わんばかりの好々爺然とした笑い方だ。
『二人寄り添っておる。可愛らしいわ』
「(見えるのか)」
『ボンも見て置くがえぇ。あの……なんつったかのー、ほれ、ボンを突き飛ばしたガキじゃ。
あのガキをどうするか考える為の材料になるじゃろ』
ガウーナは大城 瑞樹の具体的な死に様を探れと言っているのだ。
太陽は戦神のタリズマンを首から外し、目録を握り締める。
ぼぅ、と火の粉が舞う。三笠はそれを目にしたが、何の反応も見せなかった。
様々な超常現象に見舞われた三笠は心も体も疲れ果てていて、それが彼から“現実感”と言う物を奪っていた。
「あぁ、綺麗な人だ」
目録の力を開放した太陽も、その姿を目にすることが出来た。
三笠の隣に寄り添い、共に闇を見詰めている女の幽霊。
大城 瑞樹。
「大城さん、アンタなんで死んじまったんです?」
太陽が問えば、彼女はぽっかりと空いた穴のような目を太陽に向けた。
激しい耳鳴りがして太陽は意識を失う。
――
あーあ、と太陽は溜息を吐いた。
結局、三笠の旦那の推測通りだったんだな。こんなに悲しい事はねぇ。
太陽の視界には三人の男が写っていた。彼等に手足を取られ、馬乗りの状態で抑え込まれていて、少しも動けない。
大城 瑞樹が死ぬ前に見ていた光景だろう。
『大丈夫だから! 平気だから! へへっ!』
馬乗りになった男が言う。三井だ。酷く興奮している。
嫌な笑みだった。この状況が楽しくてたまらないって感じの。
女の悲鳴がする。首を絞められた。
『うるせぇんだって! 殺すぞ!』
『止めろ、萎えちまうだろ』
こいつ等が澤と黒崎なんだろ、多分。
『俺、結構上手いって言われるんだよ! 彼氏よりよくしてあげっから!』
下着を無理矢理引き千切られた時、大城 瑞樹は激しく抵抗した。
三井はそれに怒り、腹を二度も殴った。また悲鳴。そして許しを請う声。
「(やべぇ、キレそう)」
太陽が苛々していると状況が変わった。
出鱈目に暴れた時、偶然足が三井の股間を蹴り上げたのだ。
『ちっくしょう、ふざけんな! このブス!』
悶絶する三井。澤と黒崎が大笑いし、また大城 瑞樹を殴る。
だが彼女は拘束が緩んだ隙を突いて必死に逃げ出した。転がる様に山道を走る。
そんなに走らない内に男女の二人組と出会う。
吉田 涼だ。だとしたら男の方は自殺した岩木。
『みっきー?!』
二人に助けを求める事は、大城 瑞樹には出来なかった。
誰が敵で誰が味方なのか、錯乱した彼女には判断できなかった。
後はまぁ、予想通り。
出鱈目に森を走って、ズタボロになって。
そんな哀れな彼女を一床山は見逃さなかった。
――
太陽は意識を取り戻した。大城 瑞樹のぽっかりと空いた穴が太陽を見詰めている。
ゲロ吐きそうな気分だ。太陽は努めて平静を装った。
「三笠の旦那。大城さん、酷い事されてますね。
あっちこっち殴られてる」
三笠はぼんやりしたままだ。
詳細はとても聞かせられない内容だ。でも、三笠だって何があったか気付いている。
太陽はタリズマンを付け直しながら思った。
残念な事にこの世の中、死んだ方が良い奴ってのは確かに存在している。
三笠は山を降りたら三井達三人にキッチリとツケを払わせるだろう。
だが、奴らの為に、この男が犯罪者になる必要は無い。
「痛かったろうなぁ、苦しかったろうなぁ、恐かったろうなぁ」
太陽はぼんやり言った。
男三人に乱暴されて、崖から落ちて足を折り、重傷で動けず、電話は通じず。
山の怪物に嬲られ、絶望の内に死んでいった。そして今その体は腐り果てている。
「…………降りるぞ」
「へい」
唐突に三笠は言った。大城 瑞樹の死体を背負う。汚液が背中を濡らすのも、彼は気にしなかった。
――
それから何時間か掛けて山を降りた。
携帯が通じるようになった時点で三笠は大城 瑞樹の家族に電話をした。
藤崎霊園の駐車場まで死体を運んだ三笠はとうとう体力の限界に至り、座り込んで目を閉じた。
「瑞樹!」
初老の夫婦が駆け寄って来る。大城 瑞樹の両親か。
二人は娘の死体に取り縋って泣いた。三笠はそれを無表情で見詰めている。
「太陽……」
「あぁ、涼さん。お疲れ様っす」
「……えっと……うん……」
ハサウ・インディケネによって先に下山させられていた涼は幾分か元気を取り戻したようだ。
彼女は痛まし気に三笠達を見詰めている。
「涼さん、居るもんですね」
「……何が?」
「死んだ方が良い奴って」
「それって」
太陽は大きく伸びをすると再びタリズマンを外す。
大城 瑞樹はちゃんとついて来ていた。自らの死体に取り縋って泣く両親を見詰めていた。
「(大城さん、連れて行ってやるよ。ケリを着けようぜ)」
太陽が目録を片手に呼び掛けると、彼女は心底嬉しそうにニタリと笑う。
「涼さん、警察呼ぶの暫く待ってもらえません?
大城さんのご両親も上手く誤魔化して」
「何で?」
「いやぁ、事情聴取とかで時間取られる前にやっときたい事があるんでさぁ」
「…………分かった、良いよ」
涼は太陽の“やりたい事”とやらが何なのか、何となく察した様子だった。
「後、三笠の旦那を昼ぐらいまで捕まえといてくだせぇ。
放っとくと多分、三井達を殺しにいっちまうでしょうから」
時刻は深夜。陽が昇るまで結構ある。
電車の始発まで長い。仕方ない、タクシーで帰るか。
太陽はタクシー会社に電話しながら頭を掻いた。
守の姐さんに、怒られはしないだろうが、また心配掛けちまうかな。
――
朝早くから孝心館大学に行ってずーっと事務局のロビーで張り込んでいた。
この大学、正門から各教室等に移動するにはこのロビーを通るのが一番早いらしい。ここに居れば三井は見つかる。
昼まで待ってもダメならどうにか住所を調べて自宅に乗り込もう。あんまり時間も無いし。
既に太陽のスマホには見知らぬ番号からの着信が山ほど入っている。多分、警察からだ。
太陽は電源を切った。
『来たのぅ』
ガウーナの言葉に顔を上げる。ロビー出入口から三井が入って来る所だった。
背中がざわざわした。激しい苛立ちを感じる。
『で、どうするんじゃ』
「(俺達が決める事じゃない)」
奴らをどうするか、それを決めるに相応しいのは、やっぱり大城 瑞樹だ。
「…………あっ?」
三井は直ぐ太陽に気付いた。
太陽は待っていましたとばかりに立ち上がり、その進路を塞ぐ。
「何お前。何か用?」
「三井、コイツ知り合いか?」
三井の取り巻きが訝し気な視線を向けてくる。
太陽はジッと、ジッと三井を見詰めた。
三井はガラス玉のような瞳に射竦められ明らかに怯んだ様子だった。後ろ暗い事があるからこその反応だ。
「知らねぇ、行こうぜ」
横を擦りぬけて行こうとした三井の手を掴む。
三井は激しく抵抗するが振り解けない。太陽は万力のように彼の手首を締め付けていた。
「な、なんだよテメェ! 離せ!」
「…………」
「クソ、離せっつってんだよ!」
怒鳴り声に衆目が集まる。太陽は三井を力尽くに引っ張って、事務局の前に放り出した。
受付の事務員が目を白黒させている。
尻餅を突く三井。丁度事務局の監視カメラに写る位置だ。
「あれ、アイツって昨日の子じゃん」
野次馬の一人が声を上げた。三笠がこのロビーで大暴れしたのはつい昨日だ。
「なんだコイツ、頭おかしいぞ」
三井の取り巻きがへらへら笑っている。太陽も思わず笑った。
頭おかしい。最近よく言われるセリフだ。
「三井、アンタに話があって来た」
「はぁ? バッカじゃねぇの。俺には無ぇよ!」
「大城 瑞樹さんの事だ。……ケリを着けに来たんだ」
三井は立ち上がるが、明らかに腰が引けている。
「俺は関係無いっつってんだろ!」
「あるだろ」
「ねぇよ!」
「ある。俺は知ってるんだ」
ハァァ? 三井は威嚇してくる。馬鹿にしたような笑みが浮かぶ。
「何を知ってるっつーんだよ! 三笠と言いテメェと言い、常識ってモンを知ってますゥ?
法律ってモンを中学で習ってこなかったんですかねェ? えぇ?!」
「ははっ、頑張るじゃん」
太陽は可笑しくなって笑った。弱い犬程何とやら。
三井が大声で威嚇し、身を守ろうとする姿がなんだか滑稽に思えた。
「おいもうほっとこうぜ。コイツなんかおかしいよ」
「ただでさえお前先輩に目ぇ付けられてんだから」
「お前もどこの誰だか知らないけど、警察呼ぶぞ」
取り巻きは三井を連れて行こうとする。太陽はぽつりと言った。
「『大丈夫だから、平気だから、へへ』」
「は? なんだ?」
棒読みの太陽に三井は気持ち悪い物を見る目を向けた。
本当に頭がおかしい奴を見る目だった。
一瞬心外だな、と思ったが、よくよく考えれば自分が正気だと言う保証はない。
「『うるせぇんだって、殺すぞ』」
「何言ってんだお前」
「『止めろよ、萎えちまうだろ』」
「は……?」
「『俺、結構上手いって言われるんだよ。彼氏よりよくしてあげっから』」
「…………お、前」
三井ががくがくと震え出した。太陽が何を言っているのか、漸く意味を理解したのだ。
野次馬達はその異様な光景に呑まれている。割って入る者は一人としていない。
「『ちっくしょう、ふざけんな、このブス』」
「なんなんだよお前! マジ、マジでわっけわかんねぇ!」
一歩近付く。恐慌状態の三井は足を縺れさせて倒れ込んだ。
もう一歩近付く。這いずって逃げようとする三井。
「痛かったろうな、大城さん。お前と澤、黒崎は三人がかりであの人を押え付けた」
「う、嘘だ!」
「あの人が抵抗したら、お前は腹を殴った。二回も。女の腹をだ。お前はあの人が苦しむのを見て大笑いした」
「なんなんだよぉ! 居なかっただろ?! 俺達以外、あの場には!」
取り巻きがサッと顔色を変えた。目の前で何が起きているのか気付いたらしい。
「三井……お前……それ……」
「いやっ、ちがっ」
「違わねぇよ」
太陽は更に一歩近付く。
「お前達はあの人の首を絞めて、頬を殴った。口の端が切れて血が出た。
あの人が必死に抵抗する度に、何度も何度も乱暴した。
笑いながら。
笑いながら。
笑いながらだ。暴力を振るった。心底楽しそうに」
太陽は自分の肌に泡立つような物を感じた。
自分の中の暗い感情をよく理解できていた。
「あの人を見付けたよ。崖から落ちたみたいで、手足が折れてた。
動く事も、助けを呼ぶ事も出来ず、たった一人で死んでいった」
「うわぁぁ! 俺の、俺のせいじゃねぇだろ!
かか、勝手に死んだんじゃねぇか! 俺達は殺す気なんて無かった!
勝手に走り回って、勝手に落ちたんだろ! 俺は悪くねぇ!」
最低
誰かがぼそりと呟く。
太陽は腰を屈めて三井を覗き込む。怯え切ったこの卑怯な男と視線を合わせた。
「俺の目を見ろ」
「ひ……ぃ……!」
「逸らすな! 見ろ!
――何が見える?」
その時、三井は確かに見た。
太陽の真ん丸に見開かれた、ガラス玉みたいに感情の無い瞳。
その中から自分を覗き込む別の誰か。
ぐしゃぐしゃに腐って崩れた顔。にたにたと笑っている。
ぽっかりと空洞のようになった目。砕けた頬骨。
変わり果てた大城 瑞樹が、自分を見詰めていた。
ひぃぃぃやぁぁ
三井は鶏のような声を上げた。転がる様に逃げ出してロビーの自動ドアにぶつかる。
涙と鼻水を撒き散らしながら外へ走って行き、
そして道路に飛び出したところでトラックに跳ねられた。
頬が砕けて、口から血を吐き、手足は折れていた。大城 瑞樹のように。
通行人から悲鳴が上がり、俄かに騒がしくなる。
しかしそれとは対照的に孝心館大学のロビーは静まり返っていた。
霧島 太陽の放つ異様な気配に、誰も動けなかった。
「わははっ、飛び出し注意だな」
太陽はにっこり笑った。




