不毛な登山
藤崎城霊園はそこそこ規模の大きい所だ。
小屋が設置されていて初老の男が管理人として勤めている。
彼は太陽達を見るとあからさまに嫌そうな顔をした。
「アンタら肝試しかね」
「いえ、違いやす」
「おや、そうかい」
人探しだ。肝試しやってる余裕は無い。
否定はする物のその管理人は余り信じていないようだ。
二、三言、当たり障りのない挨拶を交わす。
「最近の子らは滅茶苦茶するからねぇ。敷地内で花火したりする子まで居て、困ってるんだよ」
「そいつぁ……。安心してくだせぇ、俺達はそんな事しやせんから」
「あぁ、そう……。それなら良いんだ。御免ねぇ疑っちゃって」
管理人は作業帽を脱いで頭を掻くと、振り返って一床山を見遣る。
「……アンタらひょっとして、一床山に登るのかね?」
「えぇ」
「止めといた方が良いと……思うけどね」
んなこたぁ分かってる。三笠は苛々している。
「私も『頭がおかしい奴』みたいに言われるの嫌だから、普段からこんな事話して回ってる訳じゃ無いけど……あの山、危ないよ。
熊とか野犬とかじゃなくて、ほら、ね」
「承知の上でござんす」
ちょっと驚いたような顔。
そんな返答をされるとは思っていなかったようだ。
「ならもう、しつこく言わないけど。
……暗くなる前に帰りなさいよ。本当の本当に、危ないからね」
「お気遣いに感謝しやす」
三人は山を登った。三笠が以前言っていた通り、一床山の山道は決して複雑では無かったし、ある程度整備されていた。タウン用のシューズでも問題なく昇っていける。
「スカートじゃなくて良かった」
黒いホットパンツの涼はそんな軽口を叩いた。強がっているのは明らかだ。
三笠も、涼も、目を伏せ、視線を遠くまでやらないようにしながら山を登っている。
何かが見えているのかも知れない。
妙に薄暗かった。地面が湿っていた。夏が近づいていると言うのに虫の鳴き声が聞こえない。
じっとりと暑い。生臭さがどこかから流れてきている。首筋がちりちりちりちり痒い。
「結構かかりやすか」
「……そうだな」
口数も少なくなっていく。特に涼は時折汗を拭う以外足を動かす事に集中しているようだ。
はぁ、はぁ、と荒い息遣い。そのまま昇り続ける。時間を忘れる様に。
「(あれ、なんかヤバいな、涼さん)」
暫く昇った時だ。
唐突に涼が足を止めた。鼻先から滴る程に汗を掻いている。
荒い息を堪える様にしながら地面を睨んでいて、唇が震えていた。
「涼さん?」
涼は答えない。異様な雰囲気がある。
「涼さん」
「うるさい!」
もう一度太陽が呼び掛けた時、涼は耳を覆って蹲った。
三笠は涼を見下ろしながら何も言わない。太陽はあららと肩を竦め、座り込んだ涼を宥める様に肩に触れた。
「やぁ! やだぁ!」
涼は身を捩る。太陽はそれを無理矢理捕まえる。
「俺です俺、オレオレ」
「…………太陽?」
「こー言う時は気持ちが大事だぜ。強気に跳ね返せ、ってずっとまえ真紀さんが言ってやした」
「う、うん」
涼は頷いたが奥歯をかちかち鳴らしている。
一体何を見たのか、太陽は聞かずに置いた。
「おい、霧島」
「へい」
三笠が首をがりがりと掻き毟りながら言う。鳥肌が立っているようだ。
「……やっぱりヤバいぞ、この山は」
「らしいっすねぇ、俺には分かんねぇけど。……でも、だったらどうしやす? 瑞樹さんを放って逃げ帰りやすか?」
「ンな訳ねぇだろ。後悔するなよってだけだ」
良い男だねぇ、三笠の旦那。
太陽がニヤリと笑った時、ポケットのスマートフォンが震えた。
画面に表示された通話先は小泉 真紀。
「あいもしもし」
『あー、ようちゃん、今何してる?』
「登山してやす」
『危ない所にいるでしょ』
「ばれちゃいました?」
真紀は太陽が何をしているか大よそ察しているらしかった。
『まぁ別に心配してないけどねぇ』
「俺の事、気にしてくれたんじゃないんで?」
『一床山のなんかよりよっぽどヤバいのに溺愛されてるじゃん』
「あぁ……まぁ、良くしてもらってやす。
……所でどうして俺が危ない事してるって?」
『実はちょっと前にお客さんが来てさ、それが結構大物だったんだよねぇ』
「大物?」
『警察の……まぁようちゃんは知らないだろうけど、今回の事件みたいなタイプを専門にしてる連中だよ。
それと宮内庁の特別祭祀相談役って胡散臭い奴。
それがタッグ組んでさ、ようちゃんの事聞きに来た』
成程ね。戦神の兄貴関連かな。
『そいつらが今ようちゃんが何してるかってちょっと口走ってたんだ。……なんか心当たりありそうだね』
「少し。っていうか良く分かんねぇけどその人達、俺の行動把握してるンすか」
『もしかしたらそっちの方に向かってるかも知れないけど、まぁ何言われても気にしないで良いと思うよ。
皇室直属か何だか知らないけどさ、連中もようちゃんに手を出すような馬鹿な事しないでしょ』
真紀は本当に何も心配していないようだった。実にあっけらかんとしている。
だが次の瞬間雰囲気が変わった。何がどう、とは言えないが、確実に何かが変わった。
『じゃぁようちゃん、涼ちゃんの…………』
「……あれ、真紀さん」
スマートフォンからは沈黙が返って来る。
「真紀さん? 真紀さーん」
次の瞬間、周囲に大音量の笑い声が響いた。
女の声だが真紀の物ではない。何時の間にか太陽のスマートフォンはスピーカーモードになっていて、そこから流れて来る狂気を孕んだ笑い声が山の木々の間を木霊する。
『あははははははははははは!』
大音量にやられて太陽の耳がキーンとなる。
『あははははははははははははははは!』
「あーもしもし?」
『ははは! はは! あははははははははははは!』
「もしもーし、真紀さんと話してる途中だったから、ちょっと代ってくれる?」
『ひ! ひ! ひひぃ! あはははは! あははははぁー!』
「うるせっ」
太陽は仕方なく通話を切る。
「ったくしゃーねーなもう」
もう一度真紀に掛け直そうとするが何時の間にか通信状態が圏外になっていた。
たった今まで電話していた筈なのに。
これじゃ真紀が最後に何を言おうとしていたのか分からない。
「た、太陽……今の」
「あぁ、真紀さんです」
「そうじゃ無くて……その後の」
「さぁ? 何か面白い事でもあったんでしょ」
「イカレてんな、お前」
三笠と涼は揃って宇宙人でも見るような目で太陽を見ている。
なんだその視線。心外だな。
先に進みやしょう。話を打ち切ってスマートフォンをポケットにしまおうとした時、また着信があった。
「どうなってる」
青褪める三笠。画面にはとても電話番号とは思えない無意味な英数字の羅列が表示されている。
「出ない方が良いよ!」
「霧島、電源切れ」
二人の言葉を無視して太陽は通話ボタンをタップした。
『ひぃーひひひぃ!』
「うるせっ」
天丼はギャグの基本である。太陽は即座に通話を切った。
電源を切ってポケットに突っ込む。迷惑な奴だなぁ、と一言。
「行きやしょう」
二人はもう何も言えないようで、黙って太陽の後に続いた。
――
『ウーラハン』
再び無言で昇っていた時、ソルが呼び掛けて来た。
『感じます。まやかしを』
「ふぅん?」
太陽は二人を立ち止まらせる。
「霧島、どうした」
「ちょっとね」
疑問符を浮かべる二人を無視して太陽はソルの導きに任せた。
『このまま山道を登っても無意味でしょう。
右手の森です』
「お二方、森に入りやす」
三笠と涼は青褪めながら顔を見合わせる。
「……霧島、何度も馬鹿みてぇに同じことを言うが……」
「ヤバいってんでしょ。森の中、やっぱり今も何か居るんで?」
涼が太陽の手を握った。汗を掻いているのに、酷く冷たい。
「見てるの」
「どんな奴が?」
「森の中から、木に隠れるみたいにして、泥まみれの」
ガリガリに痩せ細った異様に手足の長い小人。
三笠も涼もそう言った。
背丈は精々子供ぐらいしかない。
血走り、ぎょろついた目。恨めし気な口元。
手足は異様に長く、顔はくちゃくちゃに皺だらけ。
それが木々の隙間から、枝の上から、茂みの奥から。
じっとじっと見ている。
太陽は涼の手をやんわり解くと山道を外れ、森の中へ踏み入った。
「太陽!」
ひらひらと手を振る。やっぱり何も感じない。
首筋に感じるちりちりとしたむず痒さ以外は。
『ご命令を、ウーラハン』
「(ソルの出番はまた今度だな。……オロク)」
『命令しろ。十数える間にこいつらを黙らせてやる』
「追い散らせ」
途端、鋭い風が奔った。
周囲で何かが弾けるような音が無数に上がり、目の届かない薄暗がりの奥で何かが地を蹴る。
ばき、と枝を踏む音が聞こえたかと思えば風鳴り。ど、と鈍い音が聞こえたかと思えば悲鳴。
そう、悲鳴。とても人間の物とは思えない、奇妙に甲高い悲鳴。いくつもいくつもこだまするそれらをオーケストラのように聞きながら、太陽は十秒数えた。
「おっ、うなじの痒さが消えた」
『話にならん羽虫どもだった』
「(頼りになるぅ)」
『ただの弱い者虐めだ。……次の号令を待っている』
太陽は振り返る。
「一先ず大丈夫。行きやしょう」
「霧島、お前……一体何なんだ?」
「中間管理職でさ」
――
森は薄暗かったが意外にも青々としていた。木々は太く、木漏れ日すらない程に葉を付けている。
しかしやはり生物の気配はない。鳥どころか虫すらも見られない。
「凄い、本当に居なくなった」
涼が唖然と呟いた。心なしか足取りが軽い。
「涼さんが迷ったってのはここら辺なんで?」
「分かんない……けど、多分そうだと思う」
「瑞樹さんが逃げて行ったってのも?」
涼は言葉を詰まらせた。
「……位置的には近いよ」
ふぅーん、と自分から聞いておきながら気のない返事。
太陽は先頭をずんずんと進む。
『ボン、ワシらで露払いをしといてやろうかの』
「(良いよ。今回は大城 瑞樹さんを見付けるのが目的だし。
喧嘩売りながら歩くのはよくねーや)」
もう遅いような気もするけど。
まぁ、不死公の影響を受けてるってのが具体的にどういう事なのか詳しく聞いてないから、正直な話何をどうしたら良いか分からないのだが。
『そうじゃのぉ、足手まといを二人も連れておってはな』
「(向こうさんが何かアクションを起こしたら助けてくれ)」
『承知』
――
『ウーラハン、遠ざけられていますね』
「ここさっきも通ったな」
『やはり力尽くで道を拓くべきでは? ご命令とあらば』
「うーん……」
太陽は一本の大木に手を突きながら言った。他のよりも一回り太い木で、十数分前に一度見た。
一直線に進んだ筈だ。同じ道に戻って来るとは思えない。
「……一度、戻らない?」
涼は心底参っているようだった。一床山の不気味な気配にやられている。
太陽はちょっと考え込んだ。実を言うとだが、少しだけ怒りを覚えていた。
「一床山の神様なんだろ? ビビってねぇで出てこいってんだよなぁ?」
「……」
三笠に向けて肩を竦めて見せるがこっちはこっちで消耗しているらしく無言。
「嫌だな、ったく。
涼さんとか、死んだ岩木さんだか相手にゃ強気だった癖に」
女の子を虐める事は出来ても、こんな未成年のガキ相手と会って話す事は出来ないらしい。
そもそも話の通じない相手らしいが。
「弱った相手は死ぬまで虐め抜いて、俺からは逃げるのかよ」
口に出して言うと更に不快感が増した。
時刻は既に夕暮れになろうかと言った頃。直ぐに日も傾き始める。
このままでは夜になる。
「(…………燃やしてやりてぇな、この森)」
『そりゃえぇわい。この山を焼き払い、禍つ神とか言うのを炙りだしてやろう』
「(そういう気持ちは確かにあるんだが、まず瑞樹さんを見つけねぇと。
一緒に燃やしちまったら三笠の旦那に悪い)」
燃やす。酷く良い考えの様に思えた。
「……どうなってんだ、一直線に進んだ筈だぞ」
汗を滴らせながら三笠が言う。声には恐怖の色がある。
三人は山道に戻されていた。太陽は頭を掻いた。
「陽が落ちる」
太陽は兎も角、涼や三笠はそろそろ拙い気がする。
「一旦降りやしょう。でも帰る訳じゃねぇ」
二人は反対しなかった。
疲れ果てた身体に鞭を打ち、速足で藤崎城霊園に戻る。
散々無駄な山歩きをさせられた後は自販機が輝いて見える。
適当なジュースを三本買って、太陽は霊園の休憩所へ向かった。
二人にそれぞれジュースを放って一息。
三笠は灰皿の前でタバコを銜えながら太陽に硬貨を一枚投げて来た。
「……とっとけ」
五百円玉だった。気にするタイプなんだな、この人。
断るのも失礼か。太陽は素直に受け取る事にした。
「ちょっと面倒でやんすね」
涼も、三笠も、何も言えないらしかった。
本音を言えばこんな山に関わりたくはない筈だ。
しかし三笠は恋人の為に、涼は罪悪感の為に逃げられない。
「この後もこんな感じだったら」
「…………なんだよ」
「本当はやりたくねぇんですが、ちょっと荒っぽい手を使って……全部終わったら火を付けようと思います」
「へ?」
涼がぽかんとする。
「一床山を燃やそうと思います」
「ちょ、ちょっと。何言ってんの、太陽」
「今回の件が片付いたとしても、このまま放置しとくのはちょっと拙いでしょう?」
「いや、そうじゃなくて」
「くく、お前、狂ってんな」
三笠は小さく笑っていた。
太陽はオレンジジュースを一気飲みして伝える。
「俺、たった数時間ですがこの山の事が大嫌いになっちまいやした」
「……こんな山、好きな奴が居るかよ」
「盛大な山火事にしてやったらさぞかし気持ちいいだろうなー」
「そしたらお前はカンカン行きだ」
カンカン? 太陽は首を傾げる。
「……少年鑑別所だ」
「あぁー……」
「警察の捜査って結構凄いらしいから、直ぐにバレちゃうよ」
涼が窘めてくる。太陽が冗談で言ったようには、彼女には思えなかった。
平然と決断しそうな気配が確かにある。
「そこら辺は宛てがありやす。結局人任せでやんすが」
戦神は自ら手を下すのはマズいと言っていたが、ちょっと放火するくらいなら何とかならないだろうか。
太陽は背凭れにどっかりと身体を預けた。
「それはちょっと勘弁して貰えませんかねぇ」
不意に声が掛けられた。休憩所兼喫煙所の入り口は吹きさらしになっていて遮る物が何もない。
そこにいつの間にやら黒スーツ姿の男が立っていた。
年は三十代半ばと言った所か。人当たりの良さそうな笑顔を浮かべた、痩せ過ぎの男である。
スーツの襟に渋い銀のバッジが輝いている。ヤクザか?
涼に視線を送る。彼女は知らない、と首を横に振った。
「……お初にお目に掛かりやす。俺は霧島 太陽。不躾ながら、名をお聞かせ願いやす」
太陽は自ら名乗った。男はこりゃいけない、と答える。
「これは失礼。私は警視庁00課の宮崎 茂と申します」
人当たりの良いニッコリ笑顔。
「00課……?」
「はい。数字のレイと幽霊のレイで00課。面白いでしょう?」
「いや、……あんまり」
どうやら真紀さんが言っていた人物らしかった。




