プールで泳いで飯を食う話
ここはウィッサ。この度冠の“ベリセス”が取れ、ただの“ウィッサ”になった要塞都市。
混沌の街。アサシンや密偵、異民族や邪教の徒、食い詰め傭兵や飛躍を狙う商人達の坩堝。
先の戦によってガタガタにされた経済活動、物流を急速に回復させ、その代償に様々な諸問題を負ったウーラハン親衛古狼軍の最重要拠点である。
その政庁、玉座の間で、今や誰もが平伏する行政面での大英雄ハルミナは、己の頭を掻き毟っていた。
「う、嘘だ。嘘でしょう」
いつもウーラハンが人懐っこい大型犬を思わせる笑みを浮かべながら座する黒檀の椅子。そこに羊皮紙と懐剣が放り出されている。
羊皮紙は委任状。
ウィッサ行政の裁量権を多数、ハルミナに任せると記されたウーラハン・タイヨー直筆の命令書。
懐剣は彼が権威を示す為に作らせた宝飾品、芸術の品である。
――この目に痛い輝石の懐剣をちらつかせながら、ウィッサを統治せよと言うのか?
「飯、物、金、お膳立てして後はポーイ。ふ、ふふ、ふひひ」
ハルミナはぶつぶつと呟いた。必要な物はある。が、それを使うのにだって労力が必要だ。
コストを消費する為にコストが必要なのだ。ふひひ。
正に今、ハルミナに分を超えた仕事が襲い掛かろうとしている。
「いい加減に覚悟を決めたらどうだ?」
知った風に、他人事のように言ってくるのはミンフィスのアーメイ。
「覚悟ですと? このハルミナがそう易々と……ウーラハン殿の思惑通りになると思われては困ります」
「ハルミナ殿がこれを拒否したら、その時は」
「私に脅迫は通用しませんよ」
ぴしゃりと言うハルミナだが、アーメイは自信を持って続ける。
「また難民が増えるぞ。この地の機微を掴み切れておらん俺でも分かる」
「うぐっ」
「状況は収束に向かっているが、全てが纏まった訳では無い。ここが正念場と思うが」
「ぬぅぅ~!」
ハルミナは腹を括って毛皮帽を被り直した。宝石でごてごてした短剣を懐に突っ込む。
ウーラハンめ。
あの人は本当に私を帰すつもりがあるのか?
二度と故郷に戻れぬなら、せめてもう一度、母の墓前に花とワインを添えたい。
「えぇいままよ」
だがしかし
例え人間は何処へ行き、何をして居ようとも、最後には死んで土に還る。
恐れる事は無い。……と、ハルミナはそう思っておく事にした
「まずはウルフ・マナスの乱暴狼藉の取り締まりから!」
「いきなりそこから行くか。剛毅だな」
「その次は物資流通の見直しです!」
「おっと、今度は同じ役人どもを敵に回そうと?」
「懐剣を持たされた以上、治安を乱す者はウルフ・マナスであろうと処罰します。
懐剣を持たされた以上、汚職を行う者はどのような官僚であろうと処罰します。
恨むならウーラハン殿を恨んでください」
「恨む物か。どんどんやってくれ」
勝者たるウルフ・マナスの振舞いは正に勝者に相応しい驕慢な物だ。ウーラハンの爪の垢を煎じて飲ませてやりたい、とハルミナは常々思っている。
同時にこの大混乱に乗じて私腹を肥やす役人の多い事。恐れ知らずも良い所、炎の戦神より与えられた物資を恣にする者も現れている。
難民問題の解決を遅れさせている二大要因だ。ハルミナは常々苦々しく思っていた。
当然それだけでない。必需品を売り惜しみして値を吊り上げているマージナ商人なども標的だ。
ハルミナは文明人である事を自認している。人の皮を被ったけだものどもの首を撥ねるのに、何の良心の呵責も無い。
「言っておきますが、私が首を撥ねろと言ったら実行するのは貴方達ですよ」
「その為に来たのだ」
アーメイは本当に何でもない様に答えた。即座の了承だ。
アルハ・ジードは太陽の意思に沿うよう新たな軍法を打ち立てた。ハルミナはそれから外れた者を処罰すると言っている。
大いに結構である。アーメイはウルフ・マナスだが、同胞達の全てを愛している訳では無い。
スーセや自分の意にそぐわぬ者は死んでくれて良い。戦力の掌握が益々進むと言う物だ。
――
ハルミナが覚悟完了していた時。
我らが霧島 太陽とその配下名だたる亡霊の戦士達は。
プールで泳いでいた。
「オロク、もう一本!」
「懲りん奴だ」
ここは瑞泉スプラッシュワールド。巨大な公共グラウンド、瑞泉市民グラウンドに隣接して作られたレジャー施設だ。
流れるプールを始めとして一通りのギミックプールを取り揃えており、泳ぐに少し早い今の時期などは全面温水プールにするなど至れり尽くせり。
「太陽、蹴り足が鈍い! それではオロクには勝てんぞ!」
競泳用のスクエアプールで勝負に興じる太陽とオロク。
太陽に無理矢理ブーメランパンツを履かされたジギルの野次が飛ぶ。
太陽は陸上ではオロクに逆立ちしたって敵わないが、泳ぎならばそこそこ勝負になる。
種目はクロールだ。オロクは太陽から教えられたこの泳ぎ方を極短時間でマスターし、今や太陽を抜いている。
バイタリティの根本が違った。
決着。敗北。太陽は荒い息を吐きながらオロクを称える。
「敗けた! 流石だぜ!」
「身体が何の問題も無く動くと言うのは素晴らしい事だ」
太陽の倍以上はありそうな腕と肩をぐるぐる回しながらオロクは言った。
「楽しいったら無いな。オロク、何か望みはある?」
「では、先程のアップルジュースとか言う奴をもう一杯貰おうか」
太陽がオロクに勝者の権利を行使させようとした時、白いビキニのガウーナが飛び込んできた。
見よ、この脚線美。シドの背に揺られて鍛えられた彼女の肉付きは天下無双である。
「たわけー! 勝負は決まっておらぬ!」
どぱーんと水しぶき。
「なんだ狼公」
「ボンがお主に勝つ必要は無い、ワシがお主に勝てばよいのよ!
我が勝利がボンの勝利それその物じゃて!」
「ガウーナ、勝負に水を差すか!」
ジギルがガウーナを追って飛び込んでくる。どぱーんと水しぶき。
「飛び込まないでくださーい!」
「ごめんなさーい!」
監視員のお姉さんが怒る。太陽は謝る。
「例え遊びだとしても男の勝負、余人が口を挟む物ではない!」
「我はガウーナ、ボンとは一心同体よ。主君をむざむざ負けさせるかい!」
「誰が相手だろうと構わん。狼公、ジギルギウス、どちらも掛かって来るが良い」
再燃する戦いの炎。今度はガウーナ、ジギル、オロクの三人が水練を競う。
「うわ、早い……」
オロクもジギルも中々の物。しかしそれでもガウーナが飛び抜けて早い。流石の身体能力である。
結局ガウーナが勝利し、周囲の野次馬から喝采が上がる。彼女はそれを受けてご満悦だった。
「君、若いけど中々良い身体してるわね。日本には観光? 留学かしら」
「い、いや、俺はそういった者では」
「あ、もしかしてハーフとか? 日本国籍なの?
じゃぁ君、自衛隊に興味ない?」
その時ソルは、腹筋が六つに割れた蠱惑的なお姉さんに誘惑されていた。
――
各種プールを堪能して時刻は夕暮れ。太陽は瑞泉市民グラウンドに部下達を並ばせた。
「はーいアンケート取りまーす。プール楽しかった人ー」
太陽が引率の先生宜しく挙手を求める。ガウーナら四人は迷うことなく手を上げた。
彼等の意見が戦神の作るリゾート施設に反映される。どしどし希望を伝えてほしい物である。
「特に何が良かったかな? はいガウーナちゃん!」
「波のあるプールが良かったわい」
「うん、そうだね。好奇心に任せて排水溝の蓋を引き千切るくらいには満喫してたね」
排水溝の蓋は金属製だった。まさか人間の力で破壊できる代物ではない、と普通の人は考えるので、ガウーナに御咎めは無かった。
寧ろ施設の老朽化を謝罪されたくらいだ。波の打ち寄せる瑞泉スプラッシュワールドの目玉プールは暫く使用停止になった。
夏のシーズンには修理も間に合うだろ。まぁよし、と太陽はガウーナの意見をメモする。
「気を取り直してソルくん!」
「湯の中で泳ぐ、と言うのは中々よい物かと」
「そうだね、身体を温めながらだと怪我もし難いしね。
でもソルくんなんで温水プールの中で水着脱がされそうになってんの」
いやそれは……と弱々しく
反論するソル。こればっかりはソルに落ち度はない。……筈だ、多分。
何を興奮していたのかは知らないが、プールの中でソルに淫行を働こうとしていた不届き者は自衛官らしい。
太陽が気付いた時にはぴゅーっと逃げ出す所だった。全く困った話である。
やれやれ、と言いながらソルの意見をメモ。
「次はオロクくん!」
「くん……とは……、まぁ良い。プールとか言う物は、酒があれば尚楽しめるだろう」
「うん、そうだね。でも酔った状態での水泳はウーラハン権限で禁止します」
何故だ? と心底不思議そうに言うオロク。危ないからに決まってるだろ、と太陽。
ジギルがぼそりと口を挟む。
酔ったまま舟遊びに出てそのまま帰ってこなかった将校が何人かいたな、とわざとらしく。
水深の浅いプールなら良いかな、と太陽は一応メモ。
「最後にジギルくん!」
「より激しい激流を再現し、兵どもの水練に適した物を準備しよう」
「そうだね、ジギル君はそんな奴だった。勤勉で責任感に溢れ、真面目精一杯。
でも今考えてるのは慰労の為のレジャー施設なので鍛錬からは離れてくださーい」
ダメか、と顎を撫でるジギル。彼は直ぐに思考をそちらの方に持って行ってしまうのだ。
だがユーモアも併せ持っている。文句は無い。
なんだかんだ、より自然の激流に近いのも需要があるだろう。太陽はこれもメモした。
「はーいでは、今回の総評としては」
太陽はメモ帳をポケットに突っ込んだ。
「楽しかったです、以上!
さー飯食いに行くか」
「ボン、この新入りの若造どもにこちらの肉を食わせてやろう!
ステーキがよい! 上等な奴を、血の滴るような焼き加減で!」
ガウーナが早速自己主張した。それ自分が食いたいだけだろ。
――
太陽達は飲み屋街を歩いていた。
当初の予定ではガウーナの希望通り御高い肉を食いに行く予定だったが、飲み屋街で多種多様な料理を見て、その匂いを嗅いだ太陽はもう堪らなくなってしまったのである。
泳ぐと体力を使うのだ。
「こういうのも悪くねぇよな」
屋台やら店頭販売やらでたこ焼きや牛櫛、手巻寿司なんかを適当に買い食いする。
これには最初ジギルが拒否反応を見せたが、この国の食品衛生の話をすると彼は矛を収めた。
「……ベリセスでこのような形の出店を許せば忽ち死者が増えるな」
「それは食中毒とかって意味?」
「そうだ。一体どのようにして安全を確保しているのか気になる。
方法と言う意味でも、法律と言う意味でも」
とは言っても、ジギルだって自分の祖国と太陽の国の隔絶した技術を目の当たりにしている。
そう言う物なのだろうと納得して、疑問の追及はまたの機会にした。
「……この国では調味料の類が安価で手に入る。食材自体も。
人々が食を娯楽として追及できるとは……素晴らしい」
手に持った牛櫛をまじまじと見つめるジギル。
その隣ではガウーナとオロクが最後のたこ焼きを奪い合っている。
「小僧、年長者に譲らんかい」
「断る。この不思議な舌触りが気に入った」
太陽が横から爪楊枝をぶすり。ソルに差し出す。
「食って良いぜ、ソル」
「あっ」
「ぬっ」
「頂戴します」
迷うことなくソルはたこ焼きを頬張った。あーんと言う奴だ。
「不思議な味です」
「どう?」
「濃い味がして、好みです」
ガウーナとオロクは押し黙った。まさか太陽のする事に文句が言える筈も無い。
「こ、これは太陽の言う通り本当に生魚なのか? 驚きだ」
牛櫛を堪能したジギルは、今度は手巻寿司に戦慄していた。
魚を生で食うと言う発想は彼には無かった。普通に生きて普通に死ぬだけでは思いもつかなかったに違いない。
「物流の量と技術はそのまま国の実力を示している。恐ろしい国だ。……しかも美味い。このしょうゆと言うソースは何だ? 正に魔性の味わい……」
もぐもぐしながらぶつぶつと独り言。常に紳士たるを心がける彼らしくない不作法だったが、咎める者は居ない。
海から遠い内地へ鮮度を落とさぬまま運ぶ技術と輸送力。
しかもこれらの商品は特別な物でなく、様々な商人が毎日取り扱っていると言う。一般的で恒常的なのだ。
そして庶民にも手に入れやすい値段。(らしい)
魚についている虫をどうにかする方法も気になる。
「素晴らしい。ここには我々の常識を覆す手法や技術が満ちている」
ジギルは呑気に歩いている太陽を見遣った。
「(初めてこの国を見た時は)」
それは疑念であった。
「(何故彼の持つ技術を我らの世界に持ち込まないのかと疑問に感じたが)」
が、それも今では氷解している。
「(成程、正に隔絶。我々の世界はこれらを受け入れられる段階ではない)」
技術と身分、社会、法の各制度は同じ段階を踏んで成長していかなければならない。
他国の先進的な部分に学ぶのは良いが、無思慮なままにそれを利用しようとすると逆に発展を阻害する。
進んでいるから、実績があるから、実証されているから、と安易に導入しても、その土地に合っていなければ逆効果だ。
ジギルは何度か頷いた。ウーラハンと言う男が少し分かって来たぞ。
「……何かよく分かんねーけど満足してるな」
太陽の方は特に何も考えていなかった。
おすしおいしい。
あぁ~書いててノンビリする




