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眠らぬ死者達



 オロクは剣と盾、戦斧を携えて旅立った。

 アストリドや家畜達は後程ケイルスの家人が迎えに来てくれる。


 「長生きはする物だ。“隻眼のオロク”の鎧姿をもう一度見られようとは」


 馬上のケイルスは髭をしごきながら言う。その隣でやはり馬上にあるオロクは軽口を返す気にはなれなかった。


 「俺は老いた。もう五十だ」

 「俺もだ。皆歳を取る」

 「だがやらねばならん」

 「……そうだな。俺も任務がある」


 ケイルスは禿げ頭をかりかりと掻いて暫し悩んだかと思うと、懐から精巧な木彫りの紋章を取り出した。

 彼の家紋である。


 「オロク、パササに向かうならこれを持っていけ。俺の任務に協力していると言えば多少融通が効くだろう」

 「感謝する。ベリセス軍からどうやって息子の事を聞き出そうか悩んでいた」

 「俺は他の地域の状況を把握しなければならん。ここで別れよう」

 「ケイルス」


 オロクは剣呑な目でケイルスを見る。


 「危険な予感がする。クラースの事は……有り得ない。あんな事は。

  東で戦った魔女達とも、アルマキアのシャーマンとも違う。死霊術死達の業に近いが、明らかに昨日のあれの方が格上だ。

  油断ならない相手が潜んでいる」

 「あぁ、俺もそう感じる」

 「死ぬなよ」

 「妻がな」


 途端にケイルスはひょうきんな顔になった。


 「『私より先に死んだら、神々の御許で貴方の恥ずかしい話を暴露する』と言うんでな」


 そういえばケイルスの家は恐妻で有名だ。オロクも堪らず苦笑した。


 「ではさらばだ。エクリマの善き神々の加護ぞあれ。

  はいやッ!」


 ケイルスは馬を走らせた。禿げ頭が街道の彼方へと消えていく。


 「……さらばだ、友よ」




 オロクは街道を行き、草原を行った。西の敗戦の為かベリセスの各地は剣呑な気配に満ちている。

 殺気立った兵団が移動する姿も見る事が出来た。誰しも余裕のない顔つきだった。


 途中の町や村で、ケイルスの追う事件の裏付けとなる話を聞く事が出来た。


 「妻が……蛮族どもが遺体を返してくれたと言うから……待っていたんだ。

  でも、いつまでたっても彼女は……」


 戦死し、遺体も見つからないと言うのはそう珍しい事ではない。

 しかし遺体が確認されているにも関わらずそれが消え去るのは何故だ?


 「遺体を運ぶ部隊を見た。彼等におかしい所は無かった。

  ……でも彼等と一緒に居た神官達は、少しおかしかったと思う。

  神官の癖に、エクリマのどの神の聖印も下げていなかったんだ。普通はタリスマンや刺繍を見せびらかしているのに」


 消える遺体と奇妙な神官の話は、どうやら少しずつ広まっているらしい。

 オロクは少しずつ情報を集めながら北西、パササへと向かった。



 途中、山賊などにも出くわした。

 ベリセスは西での戦いに注力している。東から現れた忌々しい連中、フィーン暗殺教団の蠢動もあり、治安の維持に問題が出ている。


 更に嘆かわしい事に、オロクが遭遇した賊は脱走兵の集団だった。

 ウルフ・マナスに怯えた腰抜けどもが、祖国で弱い者虐めをしようというのか。


 オロクはそれら全てを討ち取り、街道に首を晒した。


 「こんな連中ばかりだから、狼の一族を調子付かせるのだ」



 途中問題もあったが、オロクは無事にパササへと辿り着いた。

 少し前にフィーン暗殺教団の魔手に晒されたこの町は至る所に瓦礫が残されたままだ。火事の痕跡も其処彼処に見られる。


 町の近くに陣を敷くベリセス軍の一部がパササの治安維持を担っている。この町は今厳戒態勢にあった。


 「息子の死について疑問がある」

 「我々には無い」

 「息子の遺体には異常があった。詳しく話をさせてくれ」

 「そんな物に興味は無い。お前の息子は臆病風に吹かれ、狂った振りをした。

  そして牢に入り、目論み通り戦いから逃げ遂せた。

  ……だがどうやら、蛮族どもの刃からは逃げられなかったようだな」


 クラースが所属していた隊の十人長はオロクに対し冷酷で、クラースの事を侮辱した。


 オロクが彼を殺さずに居られたのは奇跡に近い。

 息子の死の真相を知り、名誉を回復する。その為には我慢が必要で、その決意が無ければ直ぐにでも発言を後悔させていた。当然力尽くで。


 ケイルスの紋章を使って複数人の将校に近付いた。

 大体の者は「ケイルスの任務を手伝っている」と言えば積極的に協力してくれたが、件の将校……クラースが所属していた部隊の十人長だけは何故か頑なだった。


 そしてクラースの死体が起き上がり、獣の様に襲い掛かって来たと聞かせても、誰も信じないか、「死霊術師の仕業だろう」と言った。そのような様子では無かったのに。


 しかし只一人、驚くべき大身の者が違った反応を見せた。




 「知っているだろうが、ヘクサ・スチェカータだ。会えて光栄だ、“隻眼のオロク”」


 ヘクサ・スチェカータ。スチェカータ家の長子であり、次期当主。

 今この町の近くに陣を敷く軍団の長は、このヘクサの叔父にあたるドニだ。

 ヘクサ自身も軍内で重要な職責を果たしている。


 「お前の勇名は聞いている。俺達は皆、お前のアルハニ帝国との戦いの話を聞きながら育ったのだ」

 「それは……光栄だ」

 「退役したとは言え勇者に礼を失する事は出来ん。お前の話を聞こう」


 この蜂蜜色の髪の若者は実に丁寧だった。クラースと同じ年頃だろうか。


 遺体が消え去る事件に関してこのヘクサも調査しているらしい。


 「死体が起き上がったと言うのだな」

 「誰も信じてはくれないが、事実だ」

 「……いや」


 ヘクサは執務室に撒き散らされた羊皮紙の一枚を拾い上げる。


 「緘口令を出しているが…………実はそういった報告が上がってきている」

 「……やはり俺の息子だけでは無かったか」

 「戦死者を移送していた隊が被害を受けた。突然死者が蘇り、襲い掛かって来たと」

 「もしや、戦死者が遺族の元に戻らないと言うのは……」

 「我らの目が無い内に何処かへと姿を消したのだろう」


 だが何処に? 何の為に?

 死者が何の理由も無く蘇る筈がない。何者かが事件の裏に居る筈だ。


 「俺はウルフ・マナスを疑っている。確たる証拠は無いから公言はせんが」


 ヘクサは高原の蛮族達を疑っているようだ。オロクもそれは考えた。


 聞けばかの蛮族達は異邦の戦神の加護を授かり、“シン・アルハ・ウーラハン”なる神話上の守護神を戴いたと言う。

 その軍団では死者の魂が炎を纏って顕現し、戦列を成すと。


 死体が起き上がるのとは少し様子が違うように思うが、死者が蘇ると言う点では共通している。


 「息子が居た隊の十人長、少し様子がおかしい。何かを隠している」

 「ふむ?」

 「奴に話を聞きたいが、頑なに拒まれる」

 「……分かった、俺の名前を使って構わない。それと……多少手荒な真似をしても良い」


 どうやらオロクが何度も十人長を訪ね、口論している事はヘクサも把握しているようだった。


 「感謝する。数日中に奴を締め上げる」




 オロクは言葉通りにした。


 二日後、パササの路地裏に十人長を呼び出した。ヘクサの紹介状も添えて。

 十人長如きに拒める内容ではない。彼は現れた。


 人気は無かった。オロクは十人長を有無を言わせず引き摺り倒し、馬乗りになって剣を突き付けた。


 「何のつもりだ」

 「改めて……息子について話を聞かせて貰う」

 「懲りない奴だ。こんな真似までして」

 「ヘクサ・スチェカータはお前に手荒な真似をしても良いと言った。

  だが俺はお前が嫌いだ。…………殺してしまっても構わないと考えている」


 オロクは言いながら剣を少しずつ降ろした。みち、みち、と少しずつ十人長の肩に埋まっていく。


 「よせ、後悔するぞ」

 「後悔するのはお前だ。言え、何を隠している」


 度胸だけは一人前だ。この十人長は顔色一つ変えない。

 或いはハッタリだと考えているのか。オロクに自分を殺す事など出来やしないと。


 「(…………腐臭?)」


 その時になってオロクは漸く気付いた。僅かに鼻を突く臭いがする。


 そしてそれはオロクが拘束する十人長から漂ってきていた。


 ハッと気付き、オロクは剣を突き立てた。

 十人長は肩を刺されたと言うのに呻き声一つ上げない。そしてその体からは一滴たりとも出血が無い。


 クラースと同じだ。


 「貴様、魔物の類か!」


 突如として十人長は怪力を発揮し、オロクを押し退けた。

 地面を転がり、廃墟の壁にぶつかって止まる。十人長は立ち上がり突き刺された剣を抜いた。


 やはり出血は無い。なんの痛痒も感じていないようだった。


 「老いぼれめ。首を突っ込まなければあともう少し長生き出来た物を」


 オロクの全身が熱くなった。

 この男はクラースと同じだ。しかしハッキリとした自我がある。

 何かを知っている。クラースの死の原因を。


 腰を落とし、戦いに備える。十人長は片方の眉を上げた。


 「逃げんのか? 助けを呼んでみたらどうだ?

  悲鳴を上げる間もなく殺してやるぞ」


 オロクは十人長をじっくりと観察し、鼻で笑った。


 「お前では無理だ」


 十人長が飛び込んでくる。抜剣と同時の横薙ぎ。

 オロクは背中に手をやり戦斧を握り締めた。そしてそれは解き放たれる。


 「なんとォ!」


 一合交えるまでもない。剣を握り締めた十人長の右腕が飛んでいた。

 オロクの戦斧の冴えは凄まじいばかり。十人長は目を白黒させる。


 「痛みを感じず、血も流さないお前のような奴にも、驚くと言う感情はあるのだな」


 もう戦斧は使わなかった。オロクは十人長に組み付き、腕を捻って廃墟の壁に叩き付ける。

 怪力で抵抗するがただ力が強いだけの者に後れを取る道理はない。オロクは十人長の抵抗をいなし、何発もの打撃を加えた。


 「逃げんのか? 助けを呼んでみたらどうだ?

  出来るのならば、だが」


 冷酷なオロクの瞳。初めて十人長の顔が恐怖に歪んだ。

 何かの呪文を早口で唱える。十人長の左手から黒いもやのような物が放たれ、それがオロクを縛り付けようとする。


 魔術か


 「痒いわ」


 オロクは強引に身を捩る。若い頃から酷使して来た身体はあちらこちらに問題を抱えていたが、戦いの場でならばそれら全てに目を瞑る事が出来た。


 黒いもやを振り払い、再度十人長を殴る。


 「ぐ、ぐお」

 「お前が何も答えなくとも、ヘクサ・スチェカータはお前の身辺を調べ尽くすだろう。

  遅いか早いかの違いだ。抵抗は無意味だ」


 膝を突く十人長。威圧するオロク。


 十人長は進退窮まり、オロクの知らない名を叫んだ。


 「し、シャルラ、様ァ! お、お助け下さい!」

 「それがお前の主の名か?」

 「シャルラ様! シャルラ様ぁ!」


 そのシャルラについて語ってもらおう。

 オロクが一歩踏み出した時、背後で馬の嘶きが聞こえた。


 馬? このような路地裏に?


 振り返れば空間が歪んでいた。松明によって闇の中に浮かび上がる廃墟の壁に、暗い穴が空いている。

 嘶きはその向こう側から聞こえたのだ。そしてど、ど、と言う重たい馬蹄の音すらも。


 オロクは状況の拙さを悟った。あの暗い穴が何らかの魔術であるのは明らかだ。


 「なんだあの穴は」

 「おぉ、イルシギナの汗馬よ! 不死公は我を救い給うた!」


 それは現れた。壁に空いた暗い穴から飛び出してきた騎兵。

 明らかに尋常の存在ではない。首の無い馬を駆り、藍色の古びたローブを纏い、鉛の鎖を曳いている。

 フードに隠され表情は知れない。しゃああ、と言う呼吸音なのか唸り声なのか分からない音ばかりが聞こえる。


 「イルシギナの不死騎兵! この老いぼれを殺せ!」


 藍色の騎兵は走り出す。この路地では避けられない。

 オロクは戦斧に手をやった。奴の一撃をいなし、馬の脇を潜るしかない。


 馬蹄の音、掲げられた銀の槍。

 それと真っ向から打ち合おうとした時、その騎兵はオロクの身体を“すりぬけた”。


 内臓の奥までを冷たい感覚が支配した。身体の芯まで吹雪く北海に使ったような感じだった。

 騎兵が正に霊体とでも言うしかない存在になり、オロクの体内を通り抜け、その背後で再び実体化したのだ。


 「な、なにを」


 騎兵は唖然とする十人長に突撃を仕掛ける。その胸を銀の槍が串刺しにし、十人長の身体は天高く掲げられる。


 松明に照らされたその有様の、なんと禍々しい事か。


 「何故、だぁぁぁ!」


 腕を切り落とされても血を流さなかった十人長の身体から、黒い泥のような粘液が溢れ出した。

 それと同時に身体が枯れ果てていく。最後には指の先から砕けて粉微塵になった。


 後には十人長であった砂の山が残るばかり。オロクは唸った。

 仲間割れか?


 「怪物め」


 思考が読めない。人知の外の存在だ。しかし

 それで俺が怖気付くとでも思うのか。


 「舐めるなよ化け物!」


 戦斧を構え直すオロク。十人長と言う有力な手がかりを失った以上は、この謎の化け物を捕えるしかない。


 しかし騎兵はオロクを挑発するようにゆったりと馬を歩かせた。銀の槍を掲げたまま路地裏から出ていく。


 オロクは追い掛けた。路地裏から出ると、首のない馬が早駆けを始める所だった。


 「待て!」


 騎兵は疾走する。パササの町の東門を突き破り、夜の草原へと。


 ベリセス軍もそれに気付く。一瞬で騒然となった。


 「て、鉄門を一撃で……。今の騎兵はなんだ! 何処の隊の者だ?!」

 「あれは生者ではない、首のない馬を駆っていた!」


 混乱する兵士達の隙を突き、オロクは騎馬と松明を奪った。

 ベリセスの伝令用の軍馬ならあの騎兵を追跡できる。


 夜の草原は松明一本ではどうにもならない。

 しかしあの騎兵は何故かぼんやりと闇の中に浮かび上がる。その背を追ってオロクは馬を走らせ続けた。


 どれ程追ったか知れない。体感的には半刻も無い。

 藍色の騎兵は突如として早駆けを止めた。


 逃げるのを諦めた訳では無い。元より逃げていたのでは無い。

 オロクは誘い出されたのだ。オロク自身もそれを承知で追うしかなかった。


 闇の中に浮かび上がる影達。

 藍色の騎兵と同様の存在と思われるローブの者達が、十数名も。


 オロクは取り囲まれていた。


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