今日は客が多過ぎる
「世の中上手く行かない事だらけだよ」
そう言いながらしな垂れかかって来るマーガレット。
太陽は彼女の身体を受け止めながら小さく笑った。
周囲は人払いが済んでいる。何かあったとしても目録からソルが飛び出してくるだろう。
太陽の為に設えられた部屋には大きな天蓋の着いたベッドがある。
マーガレットは巧みな体術で太陽をそこに引き摺り込む。
「姐さん、嬉しいお誘いでやんすが……」
「乗り気じゃないかい?」
「次の話し合いまでそんなに時間が無いんで」
マーガレットが鎖骨に噛み付いてくる。そのまま舌を這わされると太陽だってむずむずしてくる。
彼女の頬っぺたを捕まえて太陽はそれを制止する。
「むぐぐ」
「俺が言うのもなんですが、随分とご苦労なさった様子で」
「その通りさ。部下を連れ帰ってやらなきゃいけない。私だって必死だよ」
「敬服しやす。姐さんの所のお歴々、風体はちょいとアレですが、それでも姐さんを信頼してるように見えやした」
「くすぐったい事を言うじゃないか」
身を清めたマーガレットからは花の香りがする。こっちの世界にもそーいう感じの石鹸があるんだな、と太陽は感心した。
「この前の事は本当に残念だった。あれからずっと逃した獲物の事を考えていた」
「獲物って俺の事でやんすか」
「私と太陽、立場は違えどいつ死ぬか分からないのは互いに同じ。生きている内に触れ合いたいよ」
「もし姐さんがご自身や百人隊の命の対価に身体を差し出しているつもりで居るんなら、心配ご無用とハッキリ申し上げておきやす」
ちげーんだよ。マーガレットは猫の様に目を細める。
確かに親衛古狼軍の首魁と濃密な関係になっておけば命を拾う公算は高くなるだろう。
マーガレットだって自分や部下達を生き残らせる為に身体を開く事を厭うつもりは無い。
だがしかしそれ以上に、この狂犬、魔獣の斧、放火魔マーガレットが
カワイコちゃんを頂く寸前でお預け食らったんだぞ?
もー我慢しねーからなぁ。
「ウーラハン! 失礼いたします!」
「ミンフィスが遅参の議、御免な……れ……」
その時、ものすごい勢いで扉を開け放った二人組が居た。どこかで見た覚えのある少年少女だ。
ウルフ・マナスでも高位の物が着る野花の刺繍が施された装束を着ている。
その二人は、太陽の上に馬乗りになるマーガレットを見て絶叫した。
「下郎! 貴様――」
「衛兵ー! ウーラハンをお守りしなさい!」
「――ハラウルの刺客かッ!」
即座に抜剣する二人。衛兵を呼集。
どったんばったんすったもんだの大騒ぎである。
「畜生! またこれかー!」
咄嗟にベッドの傍に置いてあった燭台を握って応戦するマーガレットの嘆きが響いた。
――
ミンフィス前氏族長が子、ハルディン。少年ながらも大人に混じって起軍に参加した狼騎兵。
そしてその妹ニナウ。狩猟に関して非凡な才覚を見せる少女。
二人は太陽の前に平伏していた。
「ご、ご、ご容赦を……」
「ごべんなざい……」
「あー良いから良いから」
苦笑いの太陽は肌蹴た上半身に毛皮の外套を羽織りながら答える。
傍の椅子にはこれまた苦笑いのマーガレットが座っている。太陽の前で猫を被りっぱなしの彼女は内心の怒りを表す事も出来ず頬を引き攣らせている。
「少し前にさ、ソルも同じ事をしたんだぜ」
ハルディンとニナウはパッと顔を上げた。
ソルは彼等二人の兄だ。かつてウィッサ城壁上で、二人を逃がす為に死んだ。
「な、ソル」
太陽が目録に触れると火の粉が舞い、人型を成す。
よく日に焼けた肌。ズボンの上にはスリットの入った黒いスカート。ベルトの左右に双剣。
ソルである。彼は過去の失態を思い出しているのか何とも複雑な表情で現れた。
「うわー!」
「兄様ー!」
ハルディンとニナウがソルに突進する。ソルは二人にアイアンクローを食らわせて無理矢理跪かせる。
「ウーラハンの御前だ。厳かに跪くのだ、馬鹿者ども」
「いだだだだ」
「ににに兄様」
「ソル、ソル、良いから」
死んだ筈の家族に会えたんだぞ。そりゃ取り乱すってもんでしょう。
太陽は威儀を正そうとするソルこそを逆に窘めた。
「は」
本当にそれだけ。全く短く答えるソル。
二人を開放して規範になるように礼を取る。ミンフィスの少年少女は涙目になりながらそれに倣った。
「ウーラハン、俺の一族の者が御無礼を」
「OK、大丈夫、問題無し。…………あと何回許せばいいんだ?」
「ご厚情、有難く」
形式だけの茶番が終わる。
「で、ガウ婆の差し金なんだろ。何か用事?」
太陽の部屋まで続く通路はガウーナが見張っている筈だ。
彼女は太陽がハラウル人と関係を持つ事を望んでいない。さぞや喜んで二人を通した物と思われた。
しかしこの二人はガウーナの内心など知りようも無い。
「申し訳ありません、ウーラハン。実はウィッサに入る前、敵軍の小集団と遭遇しました」
先程の醜態を取り繕うようにきびきびと答えるハルディン。子供とは思えないしっかりした態度だ。
俺がハルディンくらいの歳だった時って何やってたかな……。思わず太陽は思いを馳せる。
…………幼さを言い訳に相当馬鹿をやっていた。保護者の高野 守にはそれこそ言い様も無いくらい迷惑を掛けた物だ。
深く思い出すのは止めて置こう。
ま、兎に角。
「……へぇ、意外だな。狼の一族の警戒網に引っ掛からずにここまで来たって?」
「はい、……歯痒く思います。俺達ミンフィスならばこんな事には」
「で、その敵さんがどうしたんだ」
ニナウが自己主張するように声を上げる。ハルディンばかりに喋らせないと目が言っている。
「彼等はベリセス、スチェカータ軍団の使者として来たと」
おっ。
とうとう太陽の待ち望んだ展開になったのかも知れない。
「狼公は私達自身でそれをお伝えしろと、ここへ通して下さいました」
目通り、報告にかこつけてマーガレットとの情事を邪魔して来いって訳だ。
まぁそれはもう良いか。
「千客万来だな……。分かった、直ぐ行く。休憩はお終いだ。
二人とも先に行っててくれよ」
ハルディンとニナウは立ち上がり、改めて礼を取る。
「ウーラハン、俺達を助けて下さった事、兄と再会させて下さった事、ありがとうございます」
「私達ミンフィスはウーラハンに忠誠を捧げます。何かあった時は、如何様にもお申し付けください」
本当に子供とは思えない立ち振る舞いだ。太陽はからから笑った。
二人が去った後、太陽はソルに視線を遣る。
「後で二人と話して来たら?」
「……お許し下さるならば」
「家族は大事にしねーとな」
「はい」
ソルは火の粉となって姿を消す。
嵐が過ぎ去ったのを確認し、漸くと言った感じでマーガレットが溜息を吐いた。
「姐さん、悪いけど」
マーガレットは立ち上がり太陽に詰め寄る。突き飛ばすような激しさで掴み掛り、太陽を壁際に追い遣った。
あれ? 怒ってる?
太陽が何か言う前にマーガレットは身体を擦り付ける様にしながら熱烈なキス。
世に名高い壁ドンである。されてるのは太陽だが。
吐息の触れ合う距離でマーガレットはにやりと笑った。
「後で続きをしようぜ」
イケメンかよ。太陽がぽかんとしている間に彼女は踵を返す。
「姐さん、化けの皮が剥がれかかってますぜ」
ずっこけそうになった。
――
ベリセスからの使者達はウルフ・マナスに囲まれながらも平然としている。
普段彼等が“蛮族”と呼ぶ者達のど真ん中に居るのだ。まさか殺される事は無いと高を括っている訳では無いだろうに、自室で寛ぐようなゆったりとした調子で並み居るジード達と弁舌を戦わせていた。
「まぁ、外交官と言うのは誠実さと胆力が必要ですので」
「あ、そーなの?」
「私も誠実さは兎も角、度胸には自信があります。威張り散らすだけの武官よりもね」
謁見の間、玉座の後ろにある大きな青いカーテン。その裏側で太陽はハルミナとこそこそ話していた。
ガウーナが顎を撫で擦りながら謁見の間の様子を探っている。
「おうおう、ベリセス人が朗々と歌っておるわ。今暫し自由に囀らせてやろうかの」
彼女は何処か上機嫌。
「ハルミナは誠実だと思う」
「そのような評価を下さったのは太陽殿が初めてですね」
「ウィッサやその周辺都市の市民の為に、踏み止まってくれてる」
「……逃げ遅れただけなんですけど」
「謙遜せんでよいぞ娘っ子。ワシはハラウル人は嫌いじゃが、お主の事は好きじゃ」
明け透けな好意を伝えるガウーナ。ハルミナは何と答えたら良いか分からず変な顔をする。
ハルミナが捕虜の身でありながら太陽から押し付けられた仕事をこなしているのは、それが民衆の生活に密接に関係しているからだ。
実際ハルミナが居なければ市民への被害は更に拡大していた筈である。
「まぁ、お褒めの言葉、有り難く頂きましょう」
「それにしてもアイツら、使者ってだけあって話が上手いなぁ」
太陽達が盗み見する先では相も変わらずベリセスの使者とウルフ・マナスのジード達が激しく口論している。
が、どうも使者の方が上手だ。ミンフィスのアーメイならば互角の罵り合いが出来そうだが、彼は茶番劇に興味が無いようで我関せずと言った態度を崩さない。
「ここは既におのれらの土地ではない!」
「この地の正統をいつベリセスが手放したと言うのです?」
「力で奪い、焼き尽くし、滅ぼす。お前達がやって来た事だろう」
「そのように極論に走れば我らは対話の機会を失いますぞ。それも永久に」
「都合のよい時だけ話し合いか」
「悪し様に言われますな。機を逸した交渉をしないだけです」
「ほう、では俺が今ここで刃を抜けば、機を逸した事になるかな……!」
「――ウーラハンの名に!」
使者はいきり立つ一人のジードを一喝した。
「侵略しながら焼かず、壊さず、奪わず、それどころか多くを与えた君主の名に!
未来永劫消えぬ汚点を残す事になりましょうな!」
「汚点となるは、貴様如き卑劣なハラウル人に好き勝手言わせた事だけよ!」
腕組みしながら黙っていたスーセが吠える。
「控えぇぇぇーい!」
「……アルハ・ジード」
「その男の生き死にを、どうして我らが決められようか」
加熱した場が静まっていく。
太陽はへぇ、と感心した。ガウーナは感動している。
「す、スーセよ、立派になったわい。ワシは泣きそうじゃ」
「スーセちゃんかっこいー」
「……いつまで此処に隠れているおつもりで?」
「いや、マーガレットの姐さんが着替える時間が欲しいって言うからさ」
別に隠れて待つ必要はないのでは?
そう言われて太陽は、そういやそうかと考え直した。
カーテンを手で払って堂々登場。場がどよめき、ジード達が平伏する。
玉座に背を向けていた使者達も状況の変化に気付き、慌てて太陽に向き直った。
「ウーラハン!」
「シン・アルハ・ウーラハン!」
ジード達が高らかに叫び太陽を称える。
連戦連勝、神速の攻め手。戦神の加護を受けた大君主のその名は、僅かな間でウルフ・マナスの畏敬を勝ち取った。
実態がどうであれ、だ。太陽としてはちょっとばかり辟易しそうな気持ちである。
ガウーナが玉座より一段下座に立ち、大笑いしながら号令する。
「はっはっは、者ども平伏せぃ! ウーラハンが参られた!」
「我らを照らす、峻烈なる太陽に!」
続いてソルが現れ、太陽の傍で静かに佇む。
演出はばっちり。はったりも武略。
太陽は気さくに微笑んで見せる。
「どーも初めまして、太陽 霧島だ」
「……ウーラハン殿にお目通り叶い、我らこれで責務を果たせると安堵しております。
私めはダリオ・エシェンコ。スチェカータの禄を食んでおります」
ベリセス式の礼を取る、ダリオを始めとする使者達。
ダリオはたっぷりと口髭を整えた恰幅の良い男だ。見る者に余裕を感じさせる堂々たる体躯だが、所作はスマート。その上、先程までの口論など忘れたかのような涼し気な態度である。
「ウィッサの近くに忽然と現れたって聞いたぜ。秘密の道でもあるのか?」
「残念ですが、私の口からは申せません」
「そりゃ残念。こっちも警戒しとかねーとな」
警戒を潜り抜ける手段。或いは太陽達の把握していない道。何かがある。
それを意識させて牽制しようと言うのだろう。だが太陽がそんな事で一々気を揉む筈も無い。
「以前からアンタらとは話したいと思ってたんだ。でもアンタらはそうじゃなかったらしくてさ」
「……おや、そうでしたか」
「これは戦神の兄貴に聞いた話なんだけど」
「戦神?」
前置きも何も知った事かと言った感じの太陽。
唐突な切り口だったがダリオは興味を持ったようだ。
「不死公とか名乗る奴が居て」
「不死公、初耳です」
「それがアンタらの王様と繋がってるって」
「ヨアキム王と」
「ウチの兄貴と不死公は仲が悪くてさ、だから交渉ルートを潰してるんだろうって話」
「なんと、不仲」
「…………そのオウム返しみたいに一々口を挟んでくるのがアンタの遣り口なのか?」
「これは失敬」
にっこりと愛嬌たっぷりに笑って見せるダリオ。先程までジード達相手に舌で大立回りしていたとは思えない笑顔だ。
軽妙に話している風だがペースを取られる。
「太陽様、とんでもない事をさらりと口にされましたな」
「そうかな?」
「私はスチェカータ家の臣。己の分を超えた働きは出来ませぬ」
「その割にはさっき随分と調子よく舌戦してただろー?
……まぁ、他愛無い御伽噺ぐらいに思っててくれりゃ良いさ。
不死公がどんな奴だろうと、俺のする事に変わりはない」
太陽はそれで、と居住まいを正す。
「ダリオ、アンタと深く話す前に済ませたい事がある。大事な事だ」
「……突然現れた我々に、即日謁見を許して下さったのです。これは望外の喜び。
我々が何の文句をつけられましょうか」
「そういうもん?」
ガウーナがにやにやしながら補足してくれる。
「御主君、普通は2、3日くらい待たせるものですぞ。もう少し勿体ぶった方が良いかと」
「はー、無駄を楽しむのが良い人生ってどっかで聞いたが、流石にそんな無駄な事できねぇや。
なぁソル?」
「御随意にされませ。我ら、従うのみ」
ソルは双剣の柄に手を這わせ気配を尖らせている。
ソルが「護衛する」と言ったらいついかなる時でも油断は無い。今はその時だ。
話が途切れたその時、どん、どん、と謁見の間の入り口が強く叩かれた。
『お待たせしました、太陽様』
遜った声音。マーガレットの物である。
「あぁ、済ませたい用事が来たみたいだ」
話が進まない




