マッチポンプ
太陽はぼんやりと歩いていた。もうすっかり夜になっていて、生暖かい空気の中を歩く。
繁華街を徐行で通り抜けるタクシーのヘッドライトが眩しい。派手なファー付きのジャケットを着たホストっぽい男が香水の匂いを振り撒きながら通り過ぎていく。
小さなドラッグストアの前を通り過ぎた時、太陽はぼんやりと空を見上げた。
「……あれ、これって現実?」
ポケットに突っ込んだ手には硬い感触がある。軽く握ってみるとじゃりじゃり音がする。
戦神アガが「支度金だ」と言って押し付けて来た金貨だ。でかいアガのでかい手の一握り分の金貨だから、結構多い。三十枚近くある。
ポケットはパンパン。重みでブレザーが傾ぐ程だ。
ドッキリな訳はねぇな? こんなもん押し付ける必要ねぇしな。
太陽がうーんと唸っていると、聞き慣れた声が聞こえてきた。
「タイヨー、どうした?」
「文太か」
「なんだお前? ポケットパンパンだぞ」
「あぁ、パンパンだな」
三村 文太だった。黒地に金のアクセントが入った派手なジャージを着ている。
チンピラ感が凄い。
「ちょっと今日面白いことがあったんだよ」
「ふん? 図書館に可愛い子ちゃんでもいたか?」
「いや、図書館には行けなかった。……ちょっと俺の頬っぺたをつねってくれ」
文太は思いっきり太陽の頬っぺたを引っ張った。遠慮や躊躇なんて物は一切無かった。
「ぐがががが!」
「もう良いか?」
「OKだ!」
太陽はひりひりする頬っぺたを擦りながら満足げに頷く。
「現実だな」
「お前が変なのはいつもの事だが、今日は特に変だな」
「文太、真紀さんのところに付き合ってくれ」
「そりゃ良いがちょっと待て」
文太は派手なジャージの上を脱いで太陽に投げ渡してくる。
「それ着てろよ。もう良い時間だからな」
「サンキュ」
確認してみるとスマホの時計は20時を過ぎていた。こんな時間に制服で繁華街を歩いていたら補導されてしまう。
太陽は文太を連れて繁華街の端まで歩いた。目的地はシルバーショップの隣。胡散臭さ満載の小汚い店である。
”文化堂”
どこがどう”文化”なのかは分からないが、奇妙な民族衣装やら古臭いタペストリーやら怪しげな物を並べている店である。
この文化堂の店主、小泉 真紀は顔馴染であった。
「いらっしゃい」
小泉 真紀はニット帽がトレードマークのお姉さんである。いつもニット帽を被っていて、その日の気分によって色が違う。
今日はイエロー。何か良いことがあったらしい。
この怪しげで小汚い店を経営する以外にも、街頭で占い師をしている事もある。本当に胡散臭いお姉さんだ。
いつもぼーっとしていて何を考えているのか分からない。文太が言うには太陽は真紀のお気に入りらしいのだが。
「あー? ようちゃん」
ぼんやりとした声の真紀。太陽の顔をジッと見つめた後に眉を顰める。
「……凄いね。超ヤバい気配がする」
「え?」
「近付いただけで食べられそう。まぁ良いけど」
要領を得ない物言いはいつもの事だ。噂によればオカルトに強いらしい。
いつもなら気にしないが今日は確かに”何かあった”。太陽はポケットから金貨を引っ張り出した。
ジャラジャラとカウンターに散らばる金貨。文太がうお、と驚く。
「おまっ、なんじゃこりゃ! 何かヤベェ事に首突っ込んだんじゃねぇだろうな」
「簡単には説明出来ねぇ」
太陽と文太をよそに真紀は単眼鏡を装着し、金貨を手に取る。
「見た事ないなぁこんなの。これ、どうしたいの?」
どうしたの? ではなくどうしたいの? と来たもんだ。
小泉 真紀は一々他人の事情に深入りしない。
「幾らぐらいになるかな、真紀さん」
「現金化したいのかぁ。面倒だねぇ」
表も裏もじっくりと覗き込みながら真紀。今度はペンライトを当てる。
「盗品じゃないよねぇ?」
「それは約束する」
「盗品とか適当に流しちゃったら文ちゃんのお兄さんに殺されちゃうからねぇ」
文太が肩を竦めた。彼の兄は繁華街で危ない仕事をしているらしい。太陽は別に興味ない。
「ひーふーみーよー……」
金貨を数える真紀。文太が太陽を肘で突く。
「で、何なんだよこれ」
「仕事の前金」
「何の仕事だよ。金貨で給料支払う仕事って」
なんて答えれば良いのだろうか? 太陽は考えた。信じてもらえる材料が少ないように思えた。
「言うなれば中間管理職?」
「意味不明だぞ」
「まぁ、危なそうな仕事さ」
「冗談だろ。やめとけよそういうのは」
文太の言う事はもっともだった。だが太陽は拒否した。
「そう簡単に約束を破る訳にはいかねぇ」
「っかー、要らんところで格好つけやがって」
「まぁ大丈夫じゃない? 文ちゃん」
金貨を数え終えたらしい真紀がぼんやり言う。
「この金貨、悪い感じじゃないしねぇ。多分コイツ、ようちゃんが大好きなんだねぇ」
「……悪い真紀さん、何言ってんのか全然分かんねぇぜ」
険しい表情の文太を無視して真紀はカウンターの下、足元にある金庫を蹴っ飛ばした。
中から薄い札束を取り出すと無造作に放る。
「取り敢えず二十万くらいかな」
「おぉ~」
太陽はバカっぽく感嘆した。二十万。高校生の身には大金も大金だ。こんな金額を見るのは歳を隠して競馬場に忍び込んだ時以来である。
真紀は何が気に入らないのか太陽の鼻を抓んでぐりぐりと引っ張る。
「いででで」
「単純に金の価値だけでももっと高いんだけどさぁ、流石にこんなよく分からない物をどうにかしようってなると、色々手間とお金が掛かっちゃうんだよねぇ」
「ありがどうございまず、まぎざん」
「あたし以外には黙ってた方が良いよ。すっごく危ないからねぇ」
「あい、わがりまじだ」
「よろしい。あたし素直なようちゃん大好きだよ」
からかうように真紀は笑った。
その後、手数料代わりに、と良くわからないスカーフ(なんと1,1900\もした)を買わされて、二人は文化堂を後にした。
文太は溜息を吐く。
「……言いたくねぇのは分かった」
「悪いな。上手く説明できん」
「しゃーねぇ」
文太はもやもやしているようだ。しかし人間、他人に言いたくない事なんて幾らでもある。文太もそれは分かっていた。
「でもマジであぁ言うの真紀さん以外に見せるなよ」
「おう」
「……なんかスッキリしねぇけどまぁいいか。取り敢えず飯奢れ! 肉だ肉!」
「よし、贅沢しようぜ」
太陽はにっかり笑って文太とお高いステーキを食いに行った。
高校生の好物と言ったら肉で、贅沢と言ったらステーキなのだった。
――
その週の終わりまでアガは何も言ってこなかった。一体何が始まるんだろうと身構える太陽は、土曜の朝になるまで悶々としていた。
「太陽、身支度を整えろ」
自室でエロ本を読んでいると忘れもしない戦神アガの声がした。
「(来やがった)」
太陽は飛び起きて着替えた。何をさせられるのか今一分かっていなかったが多分アウトドアだろう。
頑丈なジャケットにジーンズ。ワンショルダーバッグにはスポーツドリンクとチョコバーを突っ込む。
トレッキングシューズを履いたらマンションのドアを開け、いざ出陣である。
廊下に出ようと思ったら、そこは桜の広場だった。
「んあ?」
アガと出会ったあの広場だ。相変わらず季節外れの桜が花びらを散らしている。幻想的な光景だ。
太陽は背後を振り返るがたった今通り抜けた筈のマンションのドアはどこにもない。
「おう、英気を養ったか?」
「兄貴、俺今ワープしたんすけど」
「したな、ワープ。早く慣れろ」
だったらどうしたと言わんばかりの返答。
アガは一本の桜の根元に居た。幹に頭を預けながら寝そべり、リラックスしきった状態で盃を呷っている。
「準備は出来ているか」
「へい。とは言っても具体的に何が必要なのか俺は知りやせん」
「うん、確かに」
アガは太陽を手招きした。
太陽は戦神の前であぐらを掻く。アガが左手を太陽の前に差し出すと、それが赤く光る。
次の瞬間、太陽の目の前に分厚い本が浮かんでいた。
「oh、ファンタジー」
ワイヤーで吊られている訳ではないようだ。太陽の知らない不思議な力で浮いている。
古めかしい本だ。表紙は分厚く、中身も太陽のよく知る白い紙でなく、何かの皮のような物で出来ていた。
「俺の軍団目録だ。お前が使い易いようにしておいた。これを授ける」
「おぉ…………って、真っ白ですぜ」
本を開いてみたがなにも書かれていない。
アガは鼻を鳴らす。
「以前は勇者達の名と戦歴で埋め尽くされていた。こうして見返す度に残念な気持ちになるわ」
「なるほど」
「俺の率いた可愛い兵ども。いずれ名を取り戻し、再び奴らを傘下に加えたいな」
「……ま、のんびりやりやしょう」
よし、とアガは息を吐いて身を起こす。
「太陽、お前をこれから目的の大陸に送り込む。しかし平和な国で育ったお前は身を守る術もろくに持たん」
「一応鍛えてはありやすが……」
筋肉モリモリマッチョマンの戦神を前にすると、太陽なんて吹けば飛びそうな枯木にしか見えない。
鍛えてる、と自信満々にはなれなかった。
「お前には俺の加護を与えている。当然だがな」
「加護ですかい?」
「色々だ。飛び道具が中り難くなったりとかだ。弓矢を恐れなくていいぞ、良かったな」
「へぇ……」
弓矢で狙われた事なんてこれまで一度もない。実感が湧かなかった。
「いよいよ危なければ俺自身が手を出す事も出来るが、あまりしたくない。
散々暴れてやったから向こうの連中もピリピリしとる。俺の気配を感じ取れば即座に強敵どもが動くだろう」
「うーん、危ない事が好きって訳じゃありやせんが。……まぁ、俺もまだまだやりたい事が沢山ある。いよいよ命が危なけりゃ、兄貴に御出まし願いやす」
「よいよい、そういう時は出たとこ勝負だ。折角盃を交わした男を死なせるのは惜しいでな」
フルーツジュースですがね。
軽口で返す太陽。アガは話を戻した。
「身を守る術だが、お前の近衛となる者に目星を着けてある」
「近衛?」
「あぁ、人間にしてはでたらめに強いぞ。恐らくはいずこかの神の血を継ぐ一族。そして先祖返りと見た。
奴の死を看取る事が出来たのは幸運だった」
「その人、死んでるんですかい?」
「そりゃそうだろ」
そりゃそうだった。アガは死者の魂を集めて軍団を作り直せと言っているのだから。
「最初はそいつのところまで案内してやる。お前が言葉を交わし、誓約を交わせ。俺は手伝わん」
「練習って訳ですかい」
「……くく、この俺がこうまで世話を焼くところ、他の神々には見せられんな」
ぼやくように呟いて屈強な肉体が立ち上がる。太陽も立ち上がりジーンズに付いた土をはらった。
「よし行くか」
何でも無いように言ってアガは太陽の手を肩を掴んだ。
その瞬間太陽は空中に投げ出されていた。
冒険は、高高度からの降下で始まったのである。
――
猛烈な風が吹き付ける。地面は遥か下にある。
桜の広場など影も形も無い。広大な草原が遥か彼方まで続き、水辺には動物達がくつろいでいる。
「ここどこだよ」
太陽は重力に引かれて落下していた。当然だった。
大きな鳥が落下する太陽とぶつかって羽毛を散らす。太陽は身を捩る。
「ぬぁ!」
『大丈夫だ、恐れんでも……って恐れるような男では無かったな』
「兄貴?」
声はするが姿は見えない。
『顕現してしまうとこの地の神々に嗅ぎ付けられてしまうやも知れん』
「へぇなるほど」
そういうもんか、と納得する太陽は落下を続けていたが、それが何かの力を受けて停止した。地面まで二メートル程の距離だった。
それもすぐなくなり、太陽はまた落下する。しかし高々二メートルだ。二メートルあれば人間は死ぬが、身構えていればそうでもない。
「潰れたトマトみてぇにならなくて良かったぜ」
着地し、じんわりとした痛みを足の裏に感じながら地面に手を突いて、太陽は大きく息を吸った。
足元の草を引き千切ってみる。青臭い。
「(……別に、普通だな)」
土も、草も、空さえも、別に変わりはしないんだな、と太陽は思った。日本のどこかだと言われても信じてしまうだろう。
まぁそれもそうか。人間が生きているのなら。
『ほれあそこだ』
アガの姿は見えないのに彼がどこを示しているのか何となく分かった。太陽は右手側、強い風の吹き付けてくる方を見る。
「なんだありゃ」
『お?』
どこかの民族衣装を纏った女が膝を抱えて体を前後に揺すっている。どんよりと暗い空気。
歳は二十かそこら。長く美しい黒髪がその度に揺れ動き、異様な雰囲気を放っている。
ドキッとするような美貌のお姉さんである。その表情に狂気を孕んでさえいなければ、だが。
太陽は首を傾げた。女の周囲だけ土がめくれあがったり、背の高い草が薙ぎ払われていたりして荒れている。
何かが暴れた後のように見えた。
「兄貴、あの人ですかい」
『あー、そうなんだが』
太陽は体操座りで体を揺らし続ける女に近寄った。
女はぶつぶつと何か言っていた。呪文のようにも聞こえた。
「様子がおかしいですぜ」
太陽が言い終わるか終わらないかのタイミングで、女はバタバタと手足を振り乱して叫んだ。
「あぁぁぁぁぁぁぁ! うわぁぁぁあああああぁぁぁ!」
天を引き裂くような声。狂ったような悲鳴だ。
「あぁぁあぁがぁぁ! 殺せぇぇ! 殺してくれぇぇ!」
「……なんかヤベー事言ってますぜ兄貴」
「戦神よォっ! 何故ワシをこんなところに閉じ込めておく!
何故暗闇で満たす! 何故何も無い! ワシはどこにおるのだ?! ここは地獄なのか?!」
『いかんな、待たせすぎたか』
女の叫びは意味不明な物だった。ここはだだっ広い草原で、彼女はどこに閉じ込められている訳でもなければ暗闇の中に居る訳でもない。
『死した者とお前とでは見えている物が違う。奴の目には暗闇と、そこに閉じ込められた己の姿が映っているのだろう』
「どんだけ待たせたんで?」
『うーむ、……かなり。人間が真っ暗闇に弱いのを忘れとった』
とうとう女は自傷行為に走った。自分の腕に噛み付いたと思ったらそのまま肉を食い千切る。
「んんん! むあぁッ! あれーり! あれーり! 母なる大地! お前を裏切った罰なのか!
お前だってワシらを救わなかったじゃないか! 畜生! 殺してやる、殺してやるぞ!
どいつもこいつも食いちぎってやる! あぁぁ! おあぁぁぁ!!」
血飛沫が上がり女の体が真っ赤に染まった。と思いきやずるずると肉がうごめいて傷が癒えていく。
なんだありゃ。太陽は興味深くそれを眺める。
『声を掛けてやれ』
「誓約ってのはどうやれば?」
『目録をもって奴に名乗らせ、”配下になる”と誓わせろ。後は目録に任せておけ』
「呪われろ大地よ! 呪われろ神々よ! カルベンの渦の底に! 煮えたぎる潮の底に! 何もかも飲まれてしまえ! 滅びよ天地!」
呪いの言葉を吐き出す女の目は金色に輝いているように見える。
太陽は意を決して行動に移す。
「あー、その、なんだ、聞こえるか?」
反応は劇的だった。暴れまわっていた女はぴたりと動きを止めて太陽の方を向いた。
「何じゃ、誰じゃ、ワシを呼んだのか?」
「そうだ。何というか、災難だったな」
「何モンじゃ……邪霊か? このような地獄におるんじゃ、そうじゃろ? どこにおる? 何も見えん」
邪霊って何だよ。
女は幼い子供のようにぐすぐすと泣き始めた。常人が真っ暗闇に閉じ込められるとこうなってしまうらしい。
「取り敢えず俺は幽霊とかじゃない。ここも多分地獄じゃない」
「な、なんだって構うもんかい。こ、ここは何も無い、音も聞こえない。さ、さ、寂しすぎる、寒すぎる。
もっとワシと話してくれ。お、お、おかしくなりそうじゃ」
あんまりにもあんまりなので太陽も流石にかわいそうになった。
「アンタをそこから出してやりたい」
「ほ、ほ、本当か?! 出られるのか! この地獄から!」
「あぁ、多分」
太陽はぼろぼろ泣いている女の手を取った。驚くほどに冷え切っている。
太陽よりも背の高い女は突然与えられた手の温もりに縋りつく。まるで跪くような格好なので、太陽としてはなんとも座りが悪いと言うか、居心地が悪いと言うか。
「あぁぁ、あったかい……」
「アンタは戦神と取引したんだよな?」
「した。確かにしたわい。魂を捧げれば我が一族に加護を授けると。
そうしたらこんなとこに放り込まれちまった。ここは堪らん。今にも凍えそうじゃ。
……あぁ! 手を離さんでくれ!」
太陽がちょっと指を動かそうとすると女は手を離されると思ったのかぎゅうぎゅうに握りしめる。
とんでもない握力だ。
「いでででで」
「だだ、ダメじゃ。今このあったかいのを失くしたら今度こそワシはおかしくなる」
「分かったから力をゆるめてくれ、いでででで」
「は、離さんよな? ううウソついたらお、怒るぞワシ」
手が圧し折れる寸前でやっと力がゆるむ。太陽は左手に目録を持ち、女に問いかけた。
「配下に……うーん、何だか脅迫みたいだが、取り敢えず俺の仕事を手伝ってくれ」
「そ、そうすりゃ出られるんか」
「もともと戦神の兄貴もアンタをこんな目に会わせるつもりは無かったんだ」
「誓うとも。邪霊よ、お前に従う。はようここから出してくれ」
「邪霊じゃねーんだけど……。アンタ、名前は?」
女はかちかち歯を鳴らしながら答えた。
「ガウーナじゃ! はようはよう!」
「俺は太陽。よろしくな」
「太陽、心得た! 邪霊太陽に忠誠を誓う!」
だから邪霊じゃねーって。
太陽が口をへの字にした時、戦神の目録が炎を放った。
目録自体は少しも損傷していない。湧き上がるように炎が零れ、火の粉がガウーナの震える体に降り注ぐ。
ガウーナの体が目録と同じように燃え上がった。オレンジ色の光に包まれたガウーナは、それが収まったとき、自らと手を繋ぐ太陽を見てぽかんと口を開けた。
「…………」
「…………」
そよそよと風の音がするばかりの草原に沈黙が満ちる。ガウーナは太陽から視線を外し、次に草原を温かく照らす本物の太陽を見た。
「……アァァオォォォ!」
ガウーナは叫んで、飛び上がった。
「ハウ! ハウ! ハウ! アオォォーン!」
狼のような遠吠えが草原のかなたまで飛んでいく。
周囲に何かの気配が現れる。背の高い草むらをざわざわと揺らし、それは現れる。
巨大な灰色の狼が高く高く跳躍していた。でかかった。
「でけぇ、マジか」
ガウーナは目の前に着地した灰色狼の背に飛び乗ると草原を疾走した。
「わはは! うわーはははぁー! 戻ってきたぞ、草原にー!
すごいぞ、あたたかい! 戻ってきたのじゃぁー!」
大喜びで狼を走らせるガウーナ。太陽は戦神に尋ねた。
「異世界人は狼に乗るのか、へぇ」
『竜に乗るのもおれば、シャチに乗るのもおるぞ」
「兄貴、なんも無かった風に言ってやすがちょっと気まずくありやせんかね」
『後で謝っとくわ』
「わははー! 太陽よ!」
いつの間にかガウーナが戻ってくる。ガウーナは狼を疾走させたまま怪力で太陽を引っ張り上げ、自らの前に乗せた。
太陽は灰色狼が地を蹴る度にがくんがくんと揺さぶられる。ぐえ、ぐえ、とうめき声が漏れる。
だがしかし、それよりも遥かに太陽の本能を刺激する事がある。しっかりと背後から抱きしめてくるガウーナと、背中にあたる柔らかい感触だ。
太陽を目を見開いた。これは……!
急激に頭に血を登らせた太陽の事など知らず、ガウーナはきゃんきゃん吠える。
「感謝するぞ! ワシを救い出してくれて!」
「……いや、それに関しては何というか……」
「おう、果たすとも誓約! 示すとも我が武名! 何でも言ってみぃ! お前様の邪魔をする奴ぁ、どいつもこいつも喉笛を噛み千切っちゃる!
そうとも、このガウーナがのぅ!」
解放された喜びを爆発させるガウーナはその後も暫く太陽を乗せたまま走り続けた。
対して太陽は気まずさを爆発させた。言ってしまえばこれは、間抜けな戦神の意図せぬマッチポンプだった。