ベリセスあれこれ
ヘクサは全身から汗を噴き出させながら馬を駆った。
途中馬を二度も換え、鎧も脱ぎ捨ててパササへ。
そしてそこに陣を敷く、ウィッサ方面から這う這うの体で撤退してきたベリセス先遣軍の陣に駆け込んだ。
到着した時は立っている事すら出来ず、地べたを這いずるような有様だった。
「じ、ジギルは……!」
ヘクサを助け起こそうとする将校。それに取り縋るようにして詰問する。
「報せは真実なのか。ジギルは、死んだのか」
ジギルギウス・マウセは死に際の撤退戦で名を上げた。悲運の名将として。
彼の副官であった男が唇を噛み締めながら頷いた。
ヘクサは震えた。
「畜生! ウルフ・マナス! けだものどもめ! 奴らはいつも! いつもいつも俺達から奪っていく!
今度は、じ、じ、ジギルまで!」
ヘクサは頭を掻き毟りながら泣いた。およそ将として相応しい振舞いではなかったが、誰も咎められなかった。
この男以外は。
「ヘクサ、立て」
「お、叔父上……」
ヘクサの早掛けに着いて来たドニ・スチェカータと供回りの者達。
憎悪で醜く顔を歪ませていたヘクサは馬上のドニを見上げて声を詰まらせる。
「こ、この者達は!」
思わず罵声が飛び出そうになる。
悪戯に兵を損ない、対マージナ戦線の兵を置き去りにし、ジギルを生贄に捧げて生き延びた。
要点を、兎に角悪い言い方だけで並べ立てればそうなる。
ヘクサは固い絆で結ばれていた腹心の死に心を乱し、その捌け口を求めていた。
この目の前に跪く敗残兵達がもう少しまともであれば、ジギルは死なずに済んだのではないか。
そんな思いが後から後から溢れてくる。
「皆力を尽くした。見れば分かる」
ドニはヘクサの肩を叩き、跪く将校達の前に進み出る。
誰もが言葉を失う。彼らにとってドニは死人である。
「ドニ将軍?! 戦死なさった筈では?!」
「生き恥を晒している」
「そ、そのような! いえ、これは御無礼をば!」
平伏する将校達、その先頭の一人を立たせ、ドニは体のあちこちをパンパンと叩いた。
「……怪我はないな。兵は無事か? どれ程の被害を受けている?」
「ジギルギウス殿のお働きにより兵の損害は軽微に留まっております。
…………“想定されていたよりは”と言う意味で、ですが」
「基幹要員は動ける状態にあるな?」
「ご命令があれば直ちに」
「うん、良かった」
大柄のドニは、その将校の頭をポンと撫でた。子供をあやすように。
「よく生きて戻ってくれた。お前達がいればまだ戦える。
お前達こそベリセスの宝だ」
将校はかちかちと歯を鳴らした。誰も何も言えなくなった。
ウィッサを奪われてからの先遣軍の失態は目に余る物だった筈だ。皆、心のどこかで敵を侮っていた。
「ガウーナは死んだ。狼の一族など取るに足らぬ」と。緊張感を保っていたのはヘクサや、フィラド砦での戦いを指揮したジギルギウスなどのみ。
叱責どころか場合によっては失職も有り得たが、ドニはただの一言も責めなかった。
ヘクサの頭が冷えていく。叔父上に比べて己の無様さと来たらどうだ?
「援兵が間もなく着くだろう。重傷者を優先して兵を治療せよ。
……大丈夫だ、食い物や毛布も運んできた。酒もある。
神官の手配も済んでいる。死した勇者達を出来る限り故郷に帰してやろう。
ほら、行け。ベリセスの為にもうひと頑張りしてくれ」
「……はッ!」
将校達は立ち上がり、役目を果たす為に散っていった。
ヘクサは呼吸を整えてぽつりと言った。
「……叔父上、申し訳ありません。醜態を」
「俺もお前の立場になれば冷静で居られんさ。
……ジギルは優れた男だった。お前と彼が居ればスチェカータの先行きになんの不安も無かったのに」
ヘクサは何と言えば良いのか分からなかった。ただ両手を握り締める。
「だが打ちのめされた兵を責めてはならん。敵はガウーナだ、生半の相手ではない。
力を尽くして戦い生き延びても、それを叱責されたとしたらどうだ?
彼らは祖国に絶望するだろう。受け入れてやるのが私やお前の役目なのだ」
「恥じ入るばかりです。彼らの司令官であった己の職責も忘れ……」
「…………まぁ、俺達は完璧な存在ではない、時々叫びたくもなるさ。
さぁ仕事に取り掛かれ。まずはジギル達の遺体の返還交渉だ」
「奴らと交渉?」
「ガウーナは首級を山と積み、己の力を誇示する筈だ。許しておけるか?」
「……いえ」
ヘクサは丁寧に敬礼し、供回りを連れてパササに向かう。
これ以上兵の前で無様を晒せない。嘆くのは夜、一人の時で良い。
ドニは草原の彼方を見詰めた。その先には隘路があり、更にその先にはウルフ・マナスが居る。
「ガウーナ」
風が青褪めた頬を撫でる。ドニは苦し気に言う。
「我ら死して今一度、戦うさだめだ」
――
「本当かよ」
金の長髪を弄びながらマーガレットは唖然とした。
いつも人を小ばかにするように細められている目が、今は見開かれている。
「我らの偉大なる国軍は、血に飢えた野蛮人どもにまんまとやられて追い返された訳だ。
前線の兵を置き去りにして。へっ、楽しくって涙が出るね」
ベッケス歩兵連隊擲弾兵、“マーガレット百人隊”はウィッサに向けて南下していた。
しかしその道程は問題だらけだった。ウィッサ陥落を知りベリセス弱しと見て調子付いた土豪への対応や、マージナ傭兵への対処に追われ、それらを片付けたと思えば再び高原へと戻って来たウルフ・マナスとの戦い。
マーガレット百人隊は只管に消耗させられ、補給は途切れ、苦しい状況に追い込まれていた。
移動は遅々として進まず、そこに更なる悪い知らせだ。
先遣軍本隊はウーラハン親衛古狼軍に撃滅され、パササに押し戻されたと。
後方との連携を寸断されたマーガレット達は堪ったものではない。
「親分、どうしやす?」
「どーしよっかなー、ほんっとによー」
物資を積んだ荷車の上で胡坐を掻きながらマーガレットは言う。
戦いの最中にシャムシールで切り裂かれた軍用スカートから膝当てが覗く。
将校の威儀を保たねばならないマーガレットでこれなのだから、兵達の有様などお察しである。
「ウィッサ周辺の領主はどう出ると思う?」
「さぁ?」
「おめーらに聞いた俺が馬鹿だった」
拙いな、とマーガレット。これまでのウルフ・マナスなら領主達も頑強に抵抗するだろうが、今回は少し毛色が違う。
ウーラハン・タイヨーは無駄な殺しや放火をしないそうだ。霧島 太陽と言う男の人柄を知らなければマーガレットは鼻で笑っただろうが、肌を重ねる寸前まで行った仲だ。
領主達は懐柔される。
伝令に出した兵は健脚だが、それでも行って戻るには時間が掛かる。その時間の事を加味して考えれば……どうだろうか。既にウィッサ周辺は完全にウルフ・マナスの物になっていて可笑しくない。
「ジギルギウスの話は本当なのか?」
「狼騎兵達がウィッサに取って返したのは本当みたいっす」
「勢いに任せてパササを取られて無いって事は、本当なんだろうな」
ジギルギウスの話は驚くほどの速さで広まっている。
自身の命と引き換えにウルフ・マナスに二週間の進軍停止を約束させたと。
馬上の英雄が外交上でも英雄になった瞬間だ。笑わせやがる、とマーガレット。
――そりゃ奴は満足だろうよ。散々格好つけて死ねたんだから。
だが自分はそうはいかない。マーガレットは悪相の部下達を見回す。
マーガレット百人隊はマーガレットに負けず劣らずの問題児が揃っている。
下品で欲張りで乱暴者。気に入らなければ上官の顔に唾を吐く様な馬鹿どもだ。
だがマーガレットの言う事は良く聞いた。文句は言うが仕事はする奴等だ。マーガレットは彼らに対して責任があった。
「……“鉄の口付け”は?」
ハラウルの兵器、爆ぜる油の事である。
爆発によって鉄片と炎を撒き散らし、敵戦列を木端微塵にする戦いを決定付ける兵器だ。
マーガレット達ベッケス歩兵連隊の中でも精鋭中の精鋭のみに支給され、それが擲弾兵部隊と呼ばれる。
「マージナ相手にはあんまり使ってねぇですから」
「余ってるか」
「十回は突撃できやす」
マーガレットが再び頭の中で計算を始めた時、斥候に出していた部下が叫びながら戻って来た。
「敵襲! ウルフ・マナス!」
マーガレットは荷車から飛び降りて腰のポーチに手を突っ込む。
取り出したるは歪な多角形。油の染み込んだ導火線がついたそれこそ“鉄の口付け”だ。
「野郎ども! 親分の道を開けろ!」
マーガレットは野営のたき火から燃える木片を一本抜き取り口に銜えた。
左手に鉄の口付け、右手に投げ斧。首をごきごきと鳴らしながら兵の前に出る。
見れば成程、三騎の狼騎兵が丘陵を疾走してくる。流石の速さだ。
ハウ、ハウ、ハウ、と彼等独特の雄叫びが響く。マーガレットは怯まない。
小ばかにするように細められた目、小癪に吊り上がる口端。いつものマーガレットだ。
銜えた木片に導火線を近付けて着火。跳ぶように走り出す。
部下達が斧を握り締めてそれを追う。狼騎兵がいきり立った。
「首を貰うぞ! ハラウル人!」
マーガレットは木片をべ、と吐き捨てて答えた。
馬鹿丸出しの蛮族どもがのぼせ上がって、たったの三人で掛かって来やがった
「てめーらにやるのは“死の口付け”だけだ!」
投擲。着弾。爆発。
爆ぜた鉄と炎に先頭の狼騎兵がぐしゃぐしゃにされる。ウルフ・マナスの戦士も、狼も、血を撒き散らして吹き飛んだ。
後続の二騎が明らかに怯んだ。燃え広がる炎の前で必死に狼を御す。
獣は轟音と炎を恐れる。狼とて変わらない。これは周知の事実。
マーガレット達はそれを自在に操れるのだ。
「シャァーッ!」
気勢を上げながら手斧を投擲。
炎の壁の向こうから飛来したマーガレットの投げ斧が一騎の頭蓋を叩き割る。
彼女はそれだけでは満足せず自ら炎の壁に飛び込んだ。腰の小剣を抜き放つ。
熱風の中を突っ切って最後の狼騎兵に襲い掛かる。その一騎は撤退ではなく戦いを選んだ。
「ウーラハン! ご加護を!」
振り下ろされるシャムシール。それがマーガレットの頬を薄く裂く。
同時にマーガレットの小剣が狼騎兵の胸を貫いた。
落下し足をばたつかせる。自らを貫く刃を握り締め抵抗しようとする。
マーガレットは小剣を捻じった。狼騎兵は血を吐いて動かなくなる。
残ったのは主を失った狼二匹だ。
マーガレットは立ち上がり、両手を掲げて威嚇した。
「うがーっ!」
巨大な狼達はマーガレットを恨めし気に見ていたが、主人達の遺体を銜えて逃げ出す。
マーガレットは乱れた髪を整えながら鼻を鳴らした。
部下達が溜息を吐きながら駆け付ける。
「あーあ、一人で片付けちまいやがった」
「死体を二つも取られちまいましたね。マージナ傭兵の二十倍の金になるのに、勿体ねぇ」
ウルフ・マナスの首にはマージナ傭兵の首の二十倍の褒美が出る。
だが今の状況でそんな事を言っても仕方がない。明日をも知れぬ身で、褒美の心配など。
今はまだ良い。隊にも元気が残っている。
だが補給が途絶えた以上、時間と共に百人隊は疲弊していく。その内やられてお終いだ。
「ウーラハン、か」
マーガレットは腹を括った。
「ウィッサに行くぞ。戦える余力がある内に」
「……まさか一戦構える気で?」
「馬鹿、嬲り殺しにされてお終いだろ」
自分は太陽の事を覚えている。太陽だって自分の事を覚えている筈だ。
多分そうだ。……そうだと良いな。
まぁ兎に角太陽と話が出来れば生き残る目も出てくるだろう。
「弱ると足元を見られる。元気な内に交渉すんだよ」
「故郷に帰った時に何を言われるやら」
「見捨てられた以上、ベリセスに義理立てする理由も無いだろ」
「まぁそりゃ、俺らマージナ傭兵や狼騎兵よりも、威張り散らすお貴族様連中の方が大嫌いですがね」
よし、とマーガレットは頷いた。方針を決めれば不思議と足が軽くなる。
マーガレットはるんるん気分でステップした。
太陽と再会したら今度こそ一発ヤろう。……再会出来ずに首を撥ねられる可能性の方が高いが。
「なんでウキウキしてんだ親分。とうとう頭がイカれちまったのか?」
「ずっと前からイカれてるだろ」
マーガレットは百八十度ターンして軽やかなステップのまま部下を殴り倒した。
――
ハルミナは激務を押し付けられていた。異常事態である。
机に噛り付きながら羊皮紙を何枚も何枚も処理していく。元はウィッサの官僚の一人であったから本職と言えば本職だ。
だが自分は一応捕虜の筈だ。その捕虜が何をさせられているかと言えば、何故か捕虜の処遇についての処理を行っているのである。
捕虜が捕虜の処理をしているのだ。なんだそれは。ハルミナは頭を抱えた。
「追加だ、ハルミナ殿」
いけ好かない笑みを浮かべたウルフ・マナスのジードが羊皮紙の塔を追加で持って来た。
アーメイとか言う奴だ。ウルフ・マナスにしては珍しく達筆で頭の回転が速く、こういった事務仕事も容易くこなす人材である。
が、ハルミナはアーメイが嫌いだし、アーメイはハルミナが嫌いだ。出会ったその場で宣言された。
「ハラウル・ベリセスの女など好かないが、貴殿はウーラハンの寵姫だ。
アルハ・ジード直々の命令でもある。協力しよう」
なんだ寵姫って。そんな関係ではないぞ。
こういう言い方をされて黙っているハルミナではない。
「私も粗野で無知な狼の一族など嫌いですが、貴方は私の半分くらいは仕事が出来そうです。
我慢して使って差し上げます」
「くくっ」
「あと私はウーラハンの妾ではありません」
「おや、そうだったか」
二人は互いに挑戦的な笑みを浮かべながら握手した。
で、ハルミナは今地獄を見ている。
捕虜の取り扱い。遺体の回収。後は戦いのどさくさに紛れて奴隷として売り飛ばされたベリセス兵の買戻し。
戦場に打ち捨てられた各軍旗、或いは貴族の紋章の選別、保管。
占領地の保全に関してまで一部仕事を投げられている。図書館の保護などがそうだ。
これら全てベリセスに返還されるのだ。いや、図書館は無理だが。
仕事量は結構な物だ。ウーラハンは周辺領主に文官の派遣要請までしている。
だがハルミナは感動していた。感動していたから、本来そんな義理は無いのに身を粉にして働いている。
「ウーラハン殿は、文明人ですね」
「……何が言いたいのか分かりかねる」
以前から思っていたが、ハルミナは太陽のやりようを見て確信を深めた。
ハラウルの神官達、特にエクリマ教の信徒達は蛮族や異教徒に対して非常に攻撃的だ。
同じ人間ではない。蛮族達は地底の悪鬼と同様で、異教徒達はおよそ知性や品性など持たない非文明的な存在だと。
だが、ウーラハン・タイヨーを見て同じ事が言えるか?
彼はハルミナの知るベリセスの一般的貴族よりも余程文明的で、紳士的で、寛大だ。
何より書物や芸術の価値を理解しているところが堪らなく良い。文化の偉大さを知っている。
戦費調達の為に歴史ある宝や芸術品を売り飛ばした先王などとは比べ物にならない。
「貴方達の守護神にしておくには惜しい方です」
「……貴殿、ハラウル人にしては度胸があるな」
「刃を突きつければ皆恐れると思うのは間違いですよ」
「実感しているさ」
アーメイはハルミナの嫌味を受け流す。
ウーラハンは人たらしだ。生粋のベリセス人、それもガチガチに捻くれた官僚ですら、絆されかかっている。
「ベリセスの文官としては望ましくないですが、この分なら周辺土豪との交渉も上手く行くでしょう。
良かったですね、ウルフ・マナスの春ですよ」
「この程度で満足してはいない。まだまだ戦いは続くさ。長く、激しく」
「どうぞご自由に。一官僚の関知する所では無いので」
二人はそこで無駄口を止め、仕事を再開した。
膨大な量を黙々と片付けていく。ふと、ハルミナは窓の外を見遣った。
中庭でウーラハンが何やら遊んでいた。護衛のソルと肩を抱き合い、何かの道具を弄っている。
スマホとか言う奴だ。
「ほら、ほら、ソル、もっとニッコリ」
「こ、こう、でしょうか」
「いいよーそれそれ。ほら、ピースピース」
「ぴ、ぴーす」
その後二人揃ってスマホを覗き込んでいる。
アレはハルミナもビックリの魔法の品だ。アレをなんやかんやすると、その場の風景をまるで切り取る様にして保管できるのだ。
どんな画家だろうと描けない精緻な絵を。シャメだかシャシンだか言う行為らしいが。
ハルミナの姿もアレに取り込まれている。危ない事は無いらしいのだが……。
ちょっと欲しい。
「……おぉ、イケてるじゃねーか」
「イケておりますか、ウーラハン」
「スゲェ良い。格好良い」
ウーラハンの絶賛にはにかむソル。
「よし、じゃぁこれを参考にしてソルの二つ名を考えようぜ」
「はぁ……二つ名ですか」
「ガウ婆は狼公って呼ばれてるし、それに箔があるだろ?」
「しかし二つ名と言うのは自然に呼ばれるようになる物であって、自分で付ける物ではないのでは」
「まーまー、考えるだけならタダだ。…………そうだな。
スイートブラックとかどう?」
「それは……以前頂いた“ちょこれーと”の名前では?」
ハルミナは羊皮紙に視線を戻して呟いた。
「仕事は専門家に任せる、と言うウーラハン殿の方針は理に適った物ですが」
「……うむ」
「我々がひーひー言ってるのにあぁものんびりされると反応に困りますね」
結構手加減した表現だ。ハルミナの頬はひくついていた。




