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狼が走り始めた



 「いい加減のんびりし過ぎたから、さくっと行くか」



 すべき事は意外と沢山あった。


 太陽は取り敢えず学校に顔を出した。戦神は企業実習と言う名目で上手く話を通してくれたらしく、太陽の出席日数は何とかなりそうだ。

 その代わりに戦神がでっち上げてくれた企業実習関係やら公欠届やらひたすら大量の書類を頂戴した。

 更に勉学に遅れが出ないよう個人課題もしこたま。

 机の上に積み上がった書類と課題のタワー。太陽は腕組みしてむっつり。


 「先生、ちょっとぐらいまかりやせんかね」


 太陽の担任はうんと一つ頷いて無情に告げた。


 「霧島、実を言うとな、先生はお前に感心した。

  既に将来の事に目を向けて自分で実習先を見つけてくるなんてなぁ。……ちょっと聞いた事のない会社だが」

 「ハハハ、俺が見付けたってぇより向こうに目を掛けて貰ったって感じでさぁ」

 「しかしそれとこれとは話が別だ。企業実習も忙しいだろうが、期限は夏休みまでだからな」

 「駄目ですかい」

 「ダメだ」


 うへぇ。流石に嫌にもなる。



 で、それら事務処理を片付けている間に異世界ではスーセが軍団編成を進めていた。

 新高原起軍の中でも特に素早く、しぶとく、勇敢な者を千名。

 …………とは行かないのが悲しい所。


 ウーラハンの軍勢に合流するとなればウルフ・マナスも格好を付ける必要がある。

 それなりの格のある人物を参加させねば面子が立たない。そしてかつての盟主狼公ガウーナとウーラハンの許に送り出しても恥ずかしくない格となると、それはやっぱり氏族長辺りになる。


 そんな訳で出てくる出てくる。あちらこちらの氏族長、或いはその名代となる親族が、自慢の手練を引き連れて。

 そうなるとどうなるかと言えば政争が起こる訳だ。



 ウィッサに戻った太陽は合流した新高原起軍の実態をスーセから聞き、別に良いんじゃねぇか? と首を傾げた。

 結果的に強い奴が集まるのは変わりない。


 「余り良い事とは……。我の強い者達が揃ってますから、意地の張り合いに。

  抜け駆けや独断専行などする者が現れるかと」

 「スーセちゃんはアルハ・ジードなんだろ? 言う事聞かせられないのか?」


 スーセはそれを叱責と受け取ったようだった。

 申し訳ありません、と膝を突くのを慌てて立たせる。


 「私は若く、一族を率いて大軍と戦った経験もありません。邪魔する者は粛清しましたが、それでも私を侮って掛かるジードは多いんです。

  …………当然、今後も命に従わぬ者は首を撥ねます」

 「はー成程。でも何だって俺にそれを報告する? ガウ婆に何か言われた?」


 スーセの率いる各氏族の事なんて太陽に言われてもちんぷんかんぷんだ。それにハッキリ言って醜聞の類だから、あんまり他人に言わない方が良いだろ。


 「あの、それは、ですね」


 ジッと見詰める。


 以前ガウーナはスーセの事を自慢していた。夜のような黒髪、稲妻のような瞳、炎のような心臓。

 それらの意味するところは太陽には良く分からないが、美しい娘なのは認める。


 ガウーナと違って唇は薄いし、何処とは言わないが身体も……まぁスレンダーなタイプだ。

 しかしアスリートのような鋭さがスーセからは感じられる。風のような少女だった。


 歳も俺と変わらないこんなかわいこちゃんが、マルフェーのボスとして頑張ってんだなぁ。


 「どした?」

 「狼公は……」

 「良いよ別に畏まらなくて。俺だってガウ婆って呼んでるし」

 「……はぁ。えぇと、婆様は……」


 スーセは何やら覚悟を決めたようだった。

 ガウーナと同じでハッキリしない物や迂遠な言い方などは性に合わないらしい。


 「婆様は、全ての問題をウーラハンと共有せよと。可能な限り御傍に居ろと」

 「……そりゃまた何で?」

 「貴方の寵愛を得て、貴方の子を産めと」

 「はぁぁいぃぃ?」

 「い、言ったのは婆様です!」


 太陽は目録を握り締めてガウーナを呼ぶ。


 「ガウ婆―!」


 何処からか土を蹴る音。シド疾走。


 政庁の渡り廊下の屋根の上から狼騎兵が降って来る。ガウーナだ。


 「御呼びかのぅ、ボン!」

 「スーセちゃんから聞いたぞ」

 「おや、教えてしまったのか。いや、それはそれでよい」


 ガウーナはシドの背から飛び降りると、彼の首を何度か撫ぜて自由にさせた。シドは中庭で日向ぼっこを始める。


 謁見の間に向かいながら太陽とガウーナはあーだこーだ。


 「この前の話本気だったのか」

 「あのシグーの糞ジジイが、“スーセに婿が居らんのはお前のせいじゃ”なぞと……。

  じゃったら用意してやるわい、大陸で一等の男をな!」

 「そりゃ光栄な話だが、俺は結婚する気も子供を作る気も無い。言ったろ?」

 「しかし共に居れば情が移る。そして情が移ればそのおなごを抱きたくもなろう。

  案ずる事は無い! 生まれた子にはシャムシールも弓も、狼の乗り方も、ワシがしっかり仕込んでやる。任せとけぃ!」


 スーセは二人の後ろに続きながらちょっと頬を赤くしていた。

 マルフェーの女として覚悟はしていたが、いざその時になれば緊張もすると言う物。


 「(私は、この人とまぐわうのか)」


 不思議な事にストンと腑に落ちた。スーセは太陽の出自すらも知らないが、この人の話し方や雰囲気は別に嫌いではない。

 甘すぎる部分も多いようだが情け深いと言い換える事も出来る。

狼の一族の文化を余り重視していないように見えるのが少し気になるが……。


 「“あっちの方”じゃ色々なおなごに声を掛けとるじゃぁ無いか。今更怯む事も無いじゃろ?」

 「俺は強引なのは嫌いなの。本人の意思が重要なのよ、男と女は。オーケー?」

 「では本人に聞こうではないか、のぅスーセ」


 にやにやと言うガウーナ。生まれた時からスーセの事を知っている。

 この自慢の孫の孫が、「ウーラハンの子を産め」と命じられて、別に悪い気分で無いのに気付いているのだ。


 スーセはガウーナの想像通りの答えを返した。


 「私はウーラハンに不満など。

  それに次代の強き子を産むのは私達の使命」

 「マルフェーの長として?」


 何故そんな事を聞く?

 スーセは首を傾げる。


 「名誉な事です」

 「…………良いかガウ婆、スーセちゃん」


 太陽は剣呑な声音で言った。


 「俺が女の子を口説くのは仕事じゃねぇ。キュートでチャーミングな女の子とコミュニケーションを取るのが楽しいからだ。分かる?」

 「性欲じゃろ」

 「当然ある。だが“そういう関係”に至るまでには互いの好意が必要だ。

  そりゃスーセちゃんみたいな可愛い子相手なら正直勃起するが、それでも仕事や義務感では抱かない。

  これは霧島流男の美学だ」

 「ほぅ……これはこれは、美学と来たか」

 「昔の映画の受け売りだけど」


 色々台無しである。


 スーセは焦った。早歩きで太陽に追い付く。


 「私がお気に召しませんか?」

 「早い話がそうだ」

 「なんじゃと? ウチのスーセのどこが不満なんじゃ?」

 「何が名誉だ。ステータスの為にセックス出来るかよ。俺のチ○コはオプションパーツじゃねぇぞ」


 太陽は足を止めてスーセに向き直る。

 彼女の頬を手の甲で撫ぜ、吐息の当たる距離で瞳を覗き込んだ。


 「マルフェーの女の使命とか、仕事とか、そんなのじゃ燃えてこねぇ」


 くるりと踵を返しそのまますたすた歩いて行く。

スーセは何が何やら分からなくなってその後姿を目で追った。


 ――良く分からない。どういう事なんだ?

 彼女は“恋愛結婚”などと言う(彼女らの文化で言えば軟弱な)単語が存在しない世界の女である。


 ガウーナはスーセが手酷く袖にされたと言うのに、ひひひと気分良さそうに笑った。


 「……勝ったな。スーセ、そのまま攻めよ。じきにボンの方からお前を求めてこよう」

 「そうなのですか? とてもそんな風には……」

 「さっきの話を纏めるとな、『お前を好きになりたいし、お前に好かれたい』って言っとるんじゃ」


 そんなこと言ってたか? スーセは変な顔をする。


 少し信じがたいが、それでも婆様は自分よりずっと長生きだ。自分の知らない人間の機微と言う物をよく知っておられる。

 うん、婆様がそう言うならそうなのかも。


 スーセの胸から不安がすっと抜けていった。そうしたら今度は別の事が気になりだす。


 「……婆様、今」


 スーセは何処かぼーっとしたまま言った。さっき太陽に撫ぜられた頬が猛烈に熱い。


 「あの方の吐息から、爽やかな香草の匂いがしました」

 「んあ……? ボンの使っとる歯磨きの薬の匂いじゃな。

  ワシらも口を掃除するとき、薬草を噛むじゃろ?」


 へぇ、そうなのか。

 あの方と口を吸いあったら、あの香りがするのかな。スーセはまたぼーっとした。


 「…………はっ、いかん。何を考えているんだ私は」



――



 ささっと軍団の体裁を整えた後は当然それを動かす。

 ウィッサに居るのは相手を威圧する為の軍ではなく、戦う為の軍だ。


 これまでガウーナは敵の脆弱な包囲網(包囲とは呼べない布陣だったが)を好き勝手に叩いていた。

 新高原起軍から千名が参陣したとなれば、そのようなちまちました事をする理由は無い。


 太陽はウィッサ城門に集結したウルフ・マナスの各氏族長達の前で首を鳴らす。


 ごき、ごき。ふー、と溜息一つ。


 「聞いてるぜ、我儘で、腕っぷしが自慢で、死を恐れないって」


 我の強いジード、或いはその名代達は値踏みするように太陽を見ている。

 シン・アルハ・ウーラハン、実際に目にするのは初めてだ。どういう男なのか。


 「そんじゃ行こうか、ちょっとした散歩にさ」


 狼騎兵達はここ数日たっぷり食料と酒を支給され、体力万全の状態である。

 食い過ぎのせいで胃が苦しく、速くベリセス兵の首を狩り、腹ごなししたいなどと考えている者まで居る。


 群れの長は一族に腹いっぱい食わせてやって一人前、と言う彼らの理論で考えるなら、少なくとも今の所太陽は彼らの上に立つ者として及第点な訳だ。


 ガウーナがシドを進ませる。太陽はシドの鼻をガシガシと撫で、その背に飛び乗った。

 いつもの二人乗りの体勢だ。ガウーナが吠える。


 「続け! ベリセスを叩く!」

 『ハウッ! ハウッ! ハウッ!』

 「遅れる者は置いてゆく! 弱き者は潔く死ねぃ! 狼騎兵は最強であるべし!

  我らが主君シン・アルハ・ウーラハンは、真に強き者のみを求めておられる!」


 別にそこまで言わねぇけど……。

 太陽はそう思ったが狼騎兵達は何だか盛り上がっているようなので、水を差すのは止めて置いた。


 「アオォォォォッ!」


 ガウーナの遠吠え。ハサウ・インディケネの招集。

 太陽が手に持つ目録から火の粉が散り、忽ち三十騎の狼騎兵が姿を現した。

 白き戦装束を纏う伝説の戦士達。周囲が堪えきれぬどよめきで満ちる。


 「ハサウ・インディケネ…………本物だ」


 シャムシールを掲げるガウーナ。


 「殺せ! 殺して殺して殺しまくれ!

  ウーラハンに勝利を捧げよォッ!」


 シドを走らせる。ハサウ・インディケネが追従を始める。そしてその後に新高原起軍が続く。


 大地を震わせ、千の狼騎兵が走り始める。

 嘗て大陸中部を席巻し、大ハラウル連盟王国の軍団をことごとく打ち破った恐るべき戦士達。


 それが再び疾走を始めた。失われた時を取り戻すかのように。




 「(殺しまくらなくて良いんだけど)」


 必要十分で。

 太陽はうーんと唸った。



――



 ウィッサ周辺で虚しい抵抗を続けていたベリセス軍団は一掃されつつある。


 既に兵の士気は地に落ち、統制は不十分で、親衛古狼軍と新高原起軍の合流を易々と許してしまう有様。

 ガウーナの徹底的な強襲が彼らの抵抗力を奪っていた。彼女は敵を追い詰めるのが大の得意なのだから。


 その上後方都市のパササがフィーン暗殺教団の蠢動により大混乱に陥った。

 補給は既に滞り、ウィッサ陥落の際に発生した難民への対処もあり、ベリセス軍団は物資不足。


 難民を見殺しにして周辺の自領域から略奪を行えば戦いを続ける事は出来るだろう。それをした瞬間ハラウル・ベリセスは内乱状態に陥るだろうが。



 「マージナへの工作は」

 「何とか」

 「傭兵達は開戦当初、後方の商人達の命令を待たず独自に戦線を構築した。

  奴らの連携は脆い」

 「……ジギルギウス殿、タンティオに戻っても、罷免を免れませぬな」


 くく、と笑う副官。ジギルも苦笑して見せる。


 ジギルギウス・マウセは追い詰められたベリセス軍団を最後の最後で踏み止まらせている。

 やれる事は多くなかった。所詮彼は先遣軍司令官であるヘクサの陪臣であり、それほど権限を持たない。


 「だが、やらねばならなかった」


 越権行為を、である。


 戦力の徴発。マージナ商人への秘密裏の独断外交。

 周辺都市の太守を何の正当性も無く軟禁して、その都市を敵を足止めするための拠点にしたりもした。


 独立しようとしていると考えられても仕方ない。討伐軍が差し向けられる事態だ。


 「マージナ商人どもは傭兵達を押さえつけるでしょう。

  ……しかし、本当に宜しかったので?」

 「何か宜しくない訳でもあるか?」

 「奴等への見返りです。今まで切り取った地を無条件に返還など……」

 「俺が死ねばその密約は無かった事になる」


 副官は大きな溜息を吐いた。


 「大した男だ。貴方の元で働けたのは光栄でした」

 「貴公にも、死んでもらうぞ」

 「喜んで」


 ジギルは将校たちを一睨みして、会議用の大天幕を出た。


 既に外には兵達が隊列を組んでおり、ジギルは用意されていた己が愛馬に騎乗する。


 兵達が天幕や物資に火を放つ準備をする。持っていけぬ物は焼き捨てる。高原の蛮族どもには何もらぬ。


 「よし、先遣軍を撤退させる。……殿軍は俺達だ」


 ハラウル・ベリセス、スチェカータ家陪臣、赤光騎兵団長ジギルギウス・マウセ。


 大勝負であった。


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