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ウルフ・マナス(うるさい)



 「兄貴ー、兄貴ぃー」

 「なんだ太陽」


 桜の花弁ちーらちら。戦神はその花弁の雨の中で盃を揺らしている。


 ピンクの花弁が器に滑り込む。琥珀色の液体の上をゆらゆらと漂う。


 それを見詰めながら戦神は太陽に応えた。


 「ゴールデンウィークが終わっちまいまして」

 「おう、とっくの昔に終わったな」


 世間様はさぞや大型連休を楽しんだだろう。太陽はガウーナやソルと一緒に血だまりと戦塵の中に居たが。


 「学校が始まりやして」

 「うむ、智は力なり。弛まず学べよ、はははっ」


 上機嫌で盃を煽る戦神。太陽はげっそりしている。


 「出席日数」

 「あぁ……おう、そうだな」

 「ね?」


 太陽は疲れた顔を無理やり笑みの形にした。

 業務命令で生じた問題に、上司は対応する義務があるでしょう? ね? って事だ。


 「兄貴の助けが欲しいなぁ、あー俺を助けてくれる超イケメンはいねーモンかなぁ」

 「分かった分かった! ベリセスを叩く大詰めだしな、お前が存分に働けるよう計らってやるのも俺の仕事か!」

 「やったぜ! ウーベ人材……なんちゃらプロジェクトでしたっけ?

  折角起業したんなら、企業実習とか何とか適当な理由付けて、俺を公欠扱いにしてくだせぇ!」

 「戦神にサボりの手伝いをさせるような奴他に居らんぞ、全く」


 サボりじゃねーもんねー、と太陽は舌を出した。

 太陽の意図もあるが、戦神の命令を遂行している事に変わりは無い。


 「で、ベリセスとの交渉の段取りは?」

 「それが全然。全く聞く耳持たねぇって感じです」

 「違和感を感じているな?」

 「少し」


 太陽は散々ベリセスを叩いたが、それでも相手は交渉の席に着こうとしない。

 太陽にしてみれば幾らウィッサを奪取したとしてもそれを維持するだけのリソースも、必要性も無いので、望みの物が手に入るならそれと引き換えにしても良いと思っているくらいだ。


 古ぼけた王冠にどれほどの歴史的価値があろうと、要塞都市一つに匹敵すると言う事は無いよな?


 戦神は身を起こし、重々しく告げた。


 「どうやら、な」

 「何です兄貴」

 「大ハラウル連盟王国は、不死公と繋がっているようだ」

 「不死公?」


 誰だっけそれ。太陽はうん? と首を傾げた後漸くそれに思い至った。


 「あぁ、兄貴が喧嘩してるって言うゾンビの親玉ですかい」

 「ベリセスの強硬な姿勢の裏にはそれがある。俺に属する勢力との交渉など不死公が認めまい。

  それに……何かあるぞ、奥の手が。今から楽しみで仕方ねぇぜ」


 くっくっく、と戦神はこれまでに見た事も無いような笑みを浮かべた。

 ガウーナが殺しの話をする時の顔に似ている。戦神は不死公を手強い相手と考えていて、それを叩き潰す瞬間を待ち焦がれているのだ。


 「それじゃぁどうすれば?」

 「今のままで良い。ベリセスがどれほど俺達を嫌っていようが、我慢しきれなくなる時が来る。

  我が武威を示せ。無駄な抵抗だと思い知らせてやれ」


 どうかな、と太陽は思案顔。

 ガウーナと過ごしていると勘違いしてしまいそうになるが、ベリセスは強敵だ。

 ここから先どう転ぶのか太陽には分からない。


 戦神は構わず話を続けた。


 「以前渡したタリスマン、アレを肌身離さず持っておけよ」

 「へいへい。……因みに手放すとどうなるんで?」

 「俺が色々と骨を折る事になるだろう。結果的に何千人か、何万人か、取り敢えず死ぬだろうな」

 「取り敢えず死ぬ」


 戦神は冗談を言っている様子ではなかった。何をどうすればそうなるのか具体的でなかったが、戦神がそう言うのならそうなんだろう。

 万単位で人が死ぬ。或いは戦神が殺すのか。あんまり想像したくない展開である。


 「良く分かんねぇけど……『取り敢えず』で死んじまう奴が可哀想だ。大事に持っとく事にしやす」

 「それで良い。……どれ、こうして語らうのも久しぶりだ。少し飲んでいくか?」

 「へへっ、ゴチになりやす!」


 いそいそと座り込む太陽。中空、何もない筈の場所からお椀を取り出す戦神。


 出てきたのはフルーツジュースとお椀だけでなく、矢鱈めったらに重い…………なんだこりゃ、碁盤?


 「今日はお前に碁を教えてやるぜ」

 「なんと」


 戦神の兄貴…………こっちの文化に馴染んでるなー。



 桜の花弁が舞う中、二人は背筋を伸ばして碁を打った。

 穏やかな時間が流れた。



――



 帰って来たぞ!


 狼騎兵は咆えた。高らかに。


 目を見開け! 耳を塞ぐな!

 ベリセス・ウィッサよ、お前達が追い遣った物が、復讐の為に帰って来たぞ!


 スーセは開放されたウィッサの城門に先頭きって飛び込んだ。


 汗と砂埃に塗れたマルフェーの長は、目を爛々と輝かせて周囲を見渡した。



 其処には白い戦いのクルテに身を包んだ戦士達が待っていた。



 「あ、あぁ、ハサウ・インディケネの」


 かちかちと歯の根が鳴った。

 ダメだ、堪えきれない。


 「あう、うぅぅ、ば、婆様」


 スーセは泣いた。目の前にゆっくり進み出てくる狼騎兵の朗らかな笑みを目にして。


 姿は以前と随分と違う。しかしこちらを愛しむ優し気な笑みは確かに彼女の物。

 若返ったとしてそれで面影が消える訳は無い。


 病で死ぬ前の母に似ている。成程確かに私は、この人の血を受け継いでいるのだ。


 「スーセぇ……何を泣いておるのじゃ」

 「婆様……!」


 スーセの騎獣グルカが走った。シドにじゃれつくように喉を甘噛みし、スーセはその背から飛んでガウーナに縋りつく。


 黒髪の女が二人、抱き合いながら人目も憚らず泣いた。


 それを太陽とソルはにこやかに見ている。


 「狼公も涙を流す事があるのですね」

 「そりゃガウ婆だって人間だから」

 「ふふ、今は幽霊ですが」

 「でもさ、ソルだって自分が死ぬ前と何か変わったなんて、そんな感じしてないだろ?」

 「いえ、私は以前の自分との明確な違いを感じております」

 「そうなのか?」


 まぁ俺は生前のソルがどんな奴だったかなんて知らないんだけどな。

 そう言ってケラケラ笑う太陽を、ソルは真剣な目で見ていた。


 「おっと拙い、政庁で待ってるように言われてたんだ」

 「こっそり抜け出して来ましたからね」


 二人はこそこそと来た道を引き返す。



――



 「やいやいジジイ! お主まーだ生きとったんかい! さっさとくたばって若いのに道を譲らんかい!」

 「何を言うかこの首狩りババア! 年甲斐も無くはしゃぎ回りやがって! シドも呆れておるわ!」

 「お主の若い頃よりマシじゃ! 忘れもせん、イアームを嫁に迎えた時など……」

 「止めんか! もう七十年以上前の話じゃぞ!」


 ボケーアホーと口汚く罵り合う老人二人。……片方は今や老人とは呼べないが。


 狼公ガウーナとやり合うこの老人、ウルフ・マナスが氏族ケランの長老、シグーである。


 とっくの昔に隠居したのだがケラン当代の長が毒殺され、他の有力な親族達も一族を内乱状態に陥らせようとしたり、或いは暗殺されたりしたので、仕方なく指導者の椅子に座り直した。

 詰まりガウーナと同じ経緯な訳だ。


 八十五歳と言うガウーナよりも高齢でありながら背筋はぴんぴん。

 老人らしく皺くちゃの顔、筋張った体ではあるが、それでも筋骨は衰えていない。

 未だにケランの氏族で一番の強弓を引くこの名物老人は、ガウーナの古い戦友だった。


 「お主ん所の孫はまだ生きとったじゃろうが、それを何でジジイがしゃしゃり出るんじゃ?」

 「ふん、ハラウルの間者と密通しやがったから勢い余って殺しちまったわい」

 「ケランの一族からそのような者が出るとは嘆かわしいのぅ。お主の名声も過去のモンか」

 「じゃかぁしい。ワシは森の熊やら何やらを狩りながら穏やかな余生を過ごして居ったんじゃ。今のガキどもの事まで責任持てんわ」


 因みに今ケランが着ている熊の毛皮は、彼が七十歳の時に単独で縊り殺した森の主である。

 彼はこのハンティングトロフィーの事が酷く自慢で、いつも手入れを欠かさない。

 “穏やかな余生”と言えるのかどうかは……人によるだろう。


 「大体ババア、テメェも人の事言えんじゃろ。スーセのような小娘を長に据えおって」

 「あぁぁ~? なんじゃコラ、ジジイ! ウチのスーセに文句があるんか!」

 「あるわ! あの子はまだ十七じゃ、毛も生え揃わんガキに面倒押し付けるバカがどこにおる!」

 「十七にもなりゃ毛ぐらい生えとるわボケ! 子は産める、乳も出る、クルテも織れるしシャムシールを握れば首を取る、立派に一人前よ!」

 「お前がそんな風にギャーギャー喚くから婿に来る奴が居らんかったんじゃろうが! 本来なら二、三人産んでおってもおかしくない年頃じゃぞ!」

 「やや、なんと……! スーセに夫が居らんのはワシのせいじゃと言うのか……!」

 「反省せい!」


 ウィッサ政庁、謁見の間に続く通路でヒートアップする二人。

 互いに遠慮が無いから放っておくといつまでもやっている。ざっと七十年以上前からこんな感じだ。


 政庁中庭で燦々とした日差しを浴びながらそれを見ているシド。

 ぺろりと長い舌で自分の鼻を湿らせる。その姿は何処か呆れているようにも見える。


 「…………シグー爺様、その、私が婿を取れなかったのは政治的な事情であって」


 少しばかり気まずそうにしながらスーセが現れた。

 周囲を固める護衛のウルフ・マナス達は動揺している。

 名だたる大長老同士が、それも片方は民族的英雄が、本気で喧嘩を始めたとして、口を挟めるか?


 傍に控えるアーメイは苦笑する他ない。


 「おぉスーセ。済まんな、気を悪くせんでくれ。このババアがどーも頭の悪い事を抜かしよるでなぁ」

 「スーセ、このジジイの言う事に耳を貸さんでえぇぞ。耄碌しとるからのぅ」

 「ババア、スーセの幼馴染のラスなどはとっくの昔に結婚しておるんじゃぞ。スーセが一族の女として苦悩しておると何故気付けんのじゃ」

 「他所は他所、スーセはスーセ。それにその事ならワシが解決策を準備してある」


 またギャーギャーやり始めた所にアーメイが割って入った。


 「お二方、じゃれ合うのは後にされてはどうだ?」

 「お主……確かアーメイとか言ったのぅ、ミンフィスの」

 「覚えていて頂けたとは光栄だ、狼公」

 「相変わらず悪そうな顔をしておるわい! わはは!」


 暴言に等しかったがガウーナは気分良さげである。

 それもそうだ。死して分かたれた己が同胞や家族と再びまみえる事が出来たのだ。嬉しくない筈がない。


 「我等、何よりもまずウーラハンに拝謁賜らねばならない。立場を明確にする為にも、今後どうするのかを決める為にも」


 そして、と若干言い難そうに続ける。


 「お二方とスーセ殿の関係は知っているが、彼女は最早アルハ・ジード。我等狼の一族の大身。

  公の場では……少しばかりでよいので……慎んで頂きたいのだが……どうだ?」


 シグーが凶悪な笑顔を浮かべてシャムシールの柄に触れた。


 「でけぇ口叩くじゃねぇか小僧。お前がスーセを煽ってアルハ・ジードを押し付けたの、知っとるんじゃぞ」

 「新高原起軍の団結は私自身が望んでいた事です。……それに爺様、これ以上大騒ぎするんだったら私も怒りますよ!」

 「うぬ、スーセ、じょ……冗談じゃ」


 怯んだシグーはシャムシールからさっと手を離す。ガウーナはひひひと笑った。

 泣く子も黙るケランの大長老がスーセの前では形無しじゃ。


 「それにしても、アルハ・ジードか」

 「……はい、婆様」

 「頑張っておるのぅ、スーセ。ワシは嬉しいわい」


 穏やかに微笑んで、ガウーナは踵を返す。

 歩き始めた時には、表情は消えていた。


 「ついて参れ、我が主君、太陽様の御座す場まで案内しよう」

 「なんじゃババア、その喜色悪い言葉遣い」

 「だーまーりゃ!」


 シグーの軽口にガウーナは怒鳴り返した。


 仕方ないので一行はガウーナの後をついて行く。ガウーナは歩きながら話す。


 「よいか、ウーラハンは寛容で、慈悲深い御方じゃ。お主らの目にはあの方は気さくにも見えよう。

  しかしあの方は只人が、それも一目で推し量れるような人物ではない。

  侮るな。敬意と共に跪くのじゃ。もし侮辱などしてみよ」


 首だけで振り返るガウーナの目に嘘や冗談は一切ない。


 「ワシ直々に皮を剥いでシドの餌にしてくれようぞ。

  お主らが連れて来た若造どもには、特によーく言い聞かせて置け」


 スーセはごくりと唾を飲む。スーセにとってガウーナは優しい優しい婆様なのだ。

 こんな顔を見るのは初めてかも知れない。


 シグーが耳の穴をほじる。


 「ほぉ、ババアがそこまで言うって事ぁ、ウーラハン・タイヨー、只者ではないらしいのぅ」

 「…………あの方はウルフ・マナスの守護神となったウーベの戦神の寵愛を一身に受けておられる。

  もしも機嫌を損ねて戦神に讒言でもされて見よ、ワシらは一夜にして滅ぶじゃろう」

 「……冗談じゃろ?」

 「試そう、等と考えるなよジジイ。お主のそっ首を落として慈悲を乞わねばならんでなぁ」


 流石のシグーも渋い顔。一夜にして族滅と聞けばそうなるのも仕方ない。


 アーメイは慰めの言葉を口にした。


 「……理性的で、穏やかな方に見えた。余程の事が無ければそのような事にはなるまい」

 「そうじゃ。しかしじゃからと言って調子に乗るな、と言っておるのよ」

 「肝に銘じて置こう」


 中庭で寝ていたシドがさっと跳ね、ガウーナの隣まで走って来た。

 ガウーナはシドの首をがしがしと撫で、その頬に己の頬を擦り寄せる。


 「おうシド、先にウーラハンの許へお行き。無聊を御慰めするのじゃ」


 シドはガウーナをべろりと一舐め。そのまま走り去る。


 スーセは何とも言えない気持ちになる。

 アミアッタ平原の主であった灰色狼シドは、これまでガウーナ以外の命令を聞いた試しが無い。

 長命の、誰にも懐かぬ狼だ。それを?


 「……どのような方なのですか」

 「何とも不思議な方じゃ。ははっ、ワシの人物評など聞かぬ方がよい」


 通路の先、謁見の間の門に控えるインディケネ戦士。


 それが一行の到着に合わせて門を開く。


 スーセはマルフェーの長、そして新高原起軍の首領として先頭に立ち、出来るだけ背筋を伸ばし、無い胸を張って歩いた。


 バカな、と思ったが顔には出さなかった。玉座に座る若者は、シドを仰向けにさせてその腹を目いっぱい擽っていた。


 「おぉぉーよーしよしよしよしよしよしよしよしよし。

  どーしてお前はそんなに可愛くてフカフカなんだー?」


 彼がウーラハン・タイヨー。戦神の寵児。亡霊達の長。


 鮮烈な紅の衣。だらしなく緩んだ頬。背は高いが痩身。威圧感は無く、優し気に見える。


 特別な物など何も持っていない様に見えるのに、しかしシドを完全に手懐けていた。

 シドは無遠慮に触れた一族の戦士を容赦なく食い殺した事もある獰猛な狼だ。その牙を免れるのはガウーナの直系ぐらいな物。

 それがどうした事だ。完全に気を許している。


 「……ソル」


 アーメイがウーラハンの傍に控える若者を見て顔色を変えた。

 ソルと言う若者もアーメイに気付いたようだが、身じろぎする事も無く沈黙を保っている。


 「御主君、かつての我が同胞達を連れて参った」


 ウーラハン・タイヨーが顔を上げる。人懐っこい雰囲気がある。人畜無害といった感じだ。


 「何だガウ婆、もうちょっと後でも良かったのに。

  久しぶりに家族と再会したんだからさ」

 「お慈悲は有難き物。しかし御身を蔑ろにするなど有り得ませぬ」

 「ははーん、外行きの猫を被ってるな?」


 ウーラハンが冗談っぽく言って玉座に深く座り直した。

 シドがごろりと転がってその横に寝そべる。あれではガウーナの騎獣ではなく、ウーラハンの愛玩動物のようではないか。


 「俺が太陽・霧島だ。アンタらと出会えて嬉しく思う」


 スーセ達は静かに跪いた。

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