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名将の帰還



 ヘクサ・スチェカータがその凶報を受け取ったのは、ベリセス王ヨアキムとの謁見の準備を粛々と進めている時だった。


 ベリセス・ウィッサ陥落。ヘクサは度肝を抜かれた。同時にその思考は次の戦略へと飛んでいた。


 ウィッサを落としたのはシン・アルハ・ウーラハン。何の策も無く城攻めも、籠城もすまい。

 略奪だけして逃げるのならばそれでよし。そうでないならば西へ逃れたウルフ・マナスを呼び寄せ、忽ち一軍を編成するだろう。

 これまで暴れるだけ暴れて姿を隠していたのは好機を待っていたのか。


 「続報は」

 「今しばらく」

 「待てない。戦線へ戻る」

 「ヘクサ将軍、ヨアキム王との謁見が」

 「ベリセスの次の百年が掛かっている!」


 既にベリセスはマージナと開戦した。ウルフ・マナスは脅威ではないと判断したからだ。

 ここであの忌々しい狼どもが未だその勢力健在であると示せばマージナとの戦どころではない。


 マージナとは停戦。商人どもにこちらととことんまで戦う胆力は無い。

 だがその協定には大幅な譲歩が必要になる。ベリセスは停滞を余儀なくされる。



 ヘクサがベリセス首都に設けられた上級将校用のゲストハウスを発とうとした時、ヨアキム王からの使いが現れた。


 「戦時にありながら長々と三日もお待たせしてしまいました。謁見の準備、整いましてございます、ヘクサ将軍」

 「……ウィッサの事はご存知かと。今正に戦線へ戻ろうとしておりました」

 「陛下はそれを承知で将軍を呼んでおられます」


 ヘクサは険しい顔のまま登殿した。




 ベリセスは先王クーゲルカ、もっと言えば更にその前の王ビヨールソンの老齢期から質素堅実である。

 ウルフ・マナスとの戦いはベリセスの経済をあっという間に凍えさせた。戦死者の葬儀。遺族への手当て。只管の防衛戦は得る物も無く、巨額の軍事費に貴族達は喘いだ。


 全ては狼公と戦う為。ウルフ・マナスとの間に一応の停戦協定が結ばれても、その脅威に対する備えを怠らぬ為。


 その切ない名残が散見される宮殿だった。ベリセス王城は。

 五十年前には様々な装飾や、芸術的品々に満ちた城だったと言う。しかし年月とともにそれらは劣化する。

 戦いに注力するベリセスは補修の為の金を出し渋り、あっという間に王城はささくれ立つ岩肌の城壁ばかりが見物の冷たい城になった。


 戦の為の備えならば、ある。ベリセスはいつでも戦えるし、いつまでも戦える。


 その城で育った今代のベリセス王ヨアキムは、正に鉄のような男だった。


 「待たせてすまん、ヘクサ」


 ヨアキムが口の端を持ち上げた。笑っているつもりらしかった。

 肩まで届くウェーブの掛かった茶髪。薄めの髭。美食に走る訳でもなく、酒を呑む訳でもないこの王は痩身で、優男のようにも見える。


 「お久しぶりです、ヨアキム様」

 「元気そうだな。背が伸びたか?」

 「体が太くなったのです。兵を勇気づける為に、もう少し太くするつもりです」

 「お前には似合わんよ」


 ヘクサは笑った。このような遣り取りは本当に久しぶりである。


 ベリセスの大貴族スチェカータは王家と蜜月関係にある。ヘクサも幼き頃はヨアキムの近習として仕えた。

 今でこそ鉄のようだと評されるヨアキムも子供の頃はやんちゃで、様々な悪戯に付き合わされた物だ。


 しかしそれはよいとしても。

 何なのだ、謁見の間のこの寒々しさは。


 今、この場にはヨアキムとヘクサ、あとはその護衛達しかいない。

 普段居並ぶ文武の百官達は何処かへと姿を消している。人払いされているのか?


 「ヨアキム様、此度の召還、如何なる御用件で」


 ヨアキムは身を乗り出して目を細めた。


 「狼公ガウーナ」

 「……は」

 「蘇ったそうだな」


 馬鹿げた事だ、とは言えなかった。最初はそう思っていたヘクサも、今となっては。


 常軌を逸した戦いと、戦果。最早本物か偽物かは関係無い。

 強きウルフ・マナスが狼公を名乗り、シン・アルハ・ウーラハンを戴いていると言う状況がそもそも拙い。


 「この戦い、裏に神々の関与がある」

 「はっ?」


 ヘクサはぽかんとした。ヨアキムが何を言ったのか一瞬分からなかった。


 「神々……、ですか」

 「報告は上がってきている。聞けばウーラハン親衛古狼軍なる勢力では、亡霊が武器を取り、戦うそうだな」

 「死霊術師の業やも」

 「そのような手合いに見えたか? お前達の戦いの相手は。

  そも、死霊術師が相手だとして、奴らが操るような程度の低いゴーストに、我が軍は遅れを取ったのか?」


 この期に及んで政治的な面子ばかり気にしていられるか。ヨアキムはもっと実際的な部分に危機感を覚えているらしかった。


 「本物なのだ、ガウーナは」

 「…………それは」


 ヘクサはギリギリと歯を食い縛った。


 本当に、ガウーナが、異邦の戦神の力で蘇ったとしたら、それはスチェカータ家にとっては屈辱なのだ。


 大ハラウル連盟王国に声望轟く名将、ドニ・スチェカータが命と引き換えに打ち取った女、ガウーナ。

 それがこうもあっさり蘇り、今再びベリセスに牙を剥いているならば。


 ならば、何故叔父上は死んだのだ? 何のために、何と引き換えに?


 ヘクサの父は内向きの仕事に優れていた。辣腕と言って良かったが、戦いに関しては頼りなかった。

 それが性に合わずヘクサは叔父であるドニを目標にした。ひょっとしたら実の父よりも多く触れ合ったかも知れない。


 認め難い事なのだ。ドニの死がこうも軽んじられるなど。


 「ガウーナは」

 「はっ」


 ヘクサは辛うじて返事をした。

 ヨアキムは冷たい目でそれを見ている。


 「一度死んだ。ドニが討ち取った」

 「……叔父上は命と引き換えに、あの邪悪な伝説を終わらせました」

 「そうだ。だから、二度目もドニに任せたい」

 「はっ?」


 ヨアキムは鉄杖で床を突いた。年若く、力漲る彼は杖など必要としないが、儀礼の為に常に手にしている。

 がしゃ、がしゃ、と鎧の擦れる音がする。謁見の間の外から。


 『御呼びかと』


 ヘクサは息が止まるかと思った。

 扉越しでも分かる。聞き間違える筈はない。この声に励まされながら武芸百般と、戦の手管を学んだ。


 扉が開かれ、声の主が謁見の間に足を踏み入れる。


 紫色の上品なローブ。フードを被っていてもその下のはちみつ色の輝きは隠せない。

 城中にありながら具足を完全に備えている。今直ぐにでも戦いに飛び出せる格好だ。


 優れた体格に威厳のある低い声。ドニ・スチェカータが其処にいる。


 「お、おじ……うえ……?」

 「陛下の御前ぞ、威儀を正せ」


 フードから除く口元だけがにっこりと微笑む。記憶の中のドニの笑い方だ。

 だが、なんだ、この異常な肌の蒼さは。


 ヘクサはヨアキムに跪きながら声を上げた。


 「お、お聞かせ願いたく」

 「言ってみろ」

 「私は確かに、叔父上の最後を看取りました」

 「完全には死んでいなかった。ドニは息を吹き返し、東国より流れて来た秘薬によって快復していたのだ」


 そんな事があり得るのか。ヘクサは言葉も無い。


 ドニはガウーナのシャムシールによって首を斬り付けられており、致命的なまでに血を失っていた。

 最後は目の前に誰が居るのかも分からず、うわ言のように「ガウーナはやったのか」と繰り返し、そして呼吸を止めた。


 あの状態から快復だと?


 「なんだ若殿、俺が生きていたのがそんなに不満か?」

 「まさか、そんな筈は、し、しかし」


 悪戯っぽく言うドニ。ヘクサに不満などある筈がない。

 しかし言いようのない不安に胸を締め付けられるのだ。言葉に出来ない何かに。


 「お前の召還の理由はこれだ。マージナと休戦するしないは別として、ウーラハン親衛古狼軍とは一戦交えねばならん。

  しかし本来対マージナに投入する筈だったベリセス主軍には混乱が起きている」

 「存じております。フィーン暗殺教団」

 「忌々しい事だ。だが捨て置けぬ。この問題を片付けるまで先遣軍には戦況を維持してもらう」

 「軍権をお返しせよと言う事ですね」


 ヘクサはヨアキムの言いたい事が分かった。ドニ・スチェカータが先遣軍を率い、再びガウーナと戦うのだろう。


 「そうだ。後任はドニに任せる」

 「何の不満がありましょう。叔父上ならば、間違いなく私よりも精兵どもを使いこなすでしょう」


 複雑な気持ちになった。本来ならばこんな感情を覚える筈はないのに。

 名将ドニ・スチェカータが蘇り、再び軍を率いると言うのに。


 ……惑うなヘクサ! 俺はスチェカータの男だぞ!


 「叔父上に、我が命を預けます」


 ドニは何も言わず、ヘクサの頭の上に手を乗せた。

 手甲に包まれたドニの手がずしりと重く、ヘクサはそれまで感じていた不安も忘れて泣きそうになった。


 ベリセスの蒼き血に、それも武門に生まれ、これまでこのような軟弱な事、一度でも思った事は無い。

 だから今初めて思うし、願う。


 ――どうかこれが夢ならば、醒めないでくれ。


 「軍権の返上、及び貸与の儀を明日執り行う。それが終われば直ちに発て」

 「はっ」


 ヘクサとドニは敬礼を捧げ、速やかに退出した。




 ヨアキムは顎を撫ぜて玉座に深く座り直す。ふと、謁見の間の隅に目を遣る。


 天窓から差し込む光は玉座を後光のように照らすと同時に深い影を作っている。その陰が蠢いた。


 護衛達が剣を抜く。ヨアキムはそれを制止する。

 蠢いていた影が立ち上がり、小柄な人影を形作った。


 「……怖いお人で。このシャルラの影渡り、気付いておられたとは」

 「俺に会いに来る時は事前に連絡を寄越せと言わなかったか」


 人影シャルラはヨアキムの言葉にも怯まずすいすいと光の当たる所まで進んだ。


 しかし、薄暗闇から抜け出てもその姿は仄暗い。

 異国のマントには謎の呪文。じゃらじゃらと古びれた銀の装飾を幾つも幾つもぶら下げ、ヨアキムを見上げる瞳は真っ赤だ。


 それに何よりこの女、“影が無い”。


 「ヨアキム王、敵は強う御座いますな」

 「お前たちにとってはそうだろう。何よりの天敵なのだからな」

 「もう暫し、御辛抱召されよ」


 ヨアキムは腰の短剣を抜いて体を撓らせた。幼き頃より磨きに磨いた投擲術である。

 短剣はシャルラの額に突き立つ。シャルラは痛ぇと呻いて吹っ飛んだ。


 「前から思っておったのだが、どうしてお前はそうも偉そうなんだ?」

 「そんなに偉そうでした?」


 頭に短剣を生やしたままシャルラは聞き返す。軽やかに一回転。猫のように身を起こす。

 一滴たりとも出血が無い。影のシャルラの凍えた体は、およそ血の行き来と言う物が無い。


 「言葉に気を付けろよチビ。お前はベリセス王の前にいるのだ」

 「……私がチビなんじゃなくて、王様がのっぽなんですがね」


 ヨアキムは更に短剣を投擲。今度はシャルラも黙って受けず、首をひょいと傾げて避ける。


 「まぁおふざけはここまで。ヨアキム王、こちらは今しばらく時間が掛かります」

 「何? お前ら余程能無ししかおらんのか」

 「そう言わないで欲しいですなぁ。ちょっとでも気を抜くとウーベの戦神がこちらの臭いを嗅ぎ付けて襲撃に現れるんで、気の休まる暇も無い」

 「……急げよ。お前のだらしない主にも伝えろ。神であるなら契約は順守しろとな」


 シャルラは肩を竦めた。


 全く人間って奴は怖い。何が怖いって、こうやって上位存在を恐れない所が怖い。

 人間にとっては神も精霊も戦争、或いは政治の道具でしかないのだ。シャルラはその辺りを理解している。


 「“不死公”、大仰なその名が、決して虚名でない事を祈っている」

 「はいはい、確かに伝えますよ。…………では重ねて申し上げますがヨアキム王、今暫しのご辛抱を」


 シャルラの周囲で影が蠢く。太陽に照らされていながら薄暗闇が広がっていく。


 「おい、ちょっと待て」

 「はい?」

 「短剣を返せ。お前には過ぎた名物だ」


 シャルラは無言で短剣を引っこ抜いた。傷跡からは、当然の様に出血が無い。

 そして今度こそシャルラは影の中に消える。ヨアキムは頬杖をついて呟く。



 「辛抱か」



 幼き頃から常に耐えて来た。様々な物に。

 蛮族どもの脅威に。国家間の暗闘に。内紛に。同じハラウル加盟国からの侮りや、軽んじられた扱いにも。


 王とは耐える者なのだ。



 「慣れておるわ」



 ヨアキムは鉄の男だ。



――



 「状況を説明してやろうかの」

 「わお、ガウ婆から久しぶりに知性の臭いがするぜ」

 「わはは、褒めるな褒めるな」

 「ウーラハンは褒めてなどおられんぞ、狼公」


 ガウーナは所々煤けたウィッサ周辺の地図を机の上に広げた。

 ウィッサ会議室にはいつものメンツ。何故かいつも太陽に参加を命じられるハルミナは困り顔。


 「それは我がベリセスの軍事機密……」

 「ワシらに使われるのが嫌なら、次はきっちり燃やせ」


 太陽にはピンと来ないが、地図と言うのは極めて重要な情報だ。

 この世界にはカメラも衛星も無い。地図一つ作るのにも恐ろしく手間が掛かる。“正確な物を”となればその労力は計り知れない。


 今ガウーナが広げた地図もウィッサの士官によって処分された筈が、運悪く燃え残ってしまったようだ。

 太陽達には幸運と言える。


 兎にも角にもガウーナは地図上のベリセス・ウィッサ周辺に磨かれた瑪瑙をばら撒いた。


 「インディケネを遣った。ワシの部下どもは優れた戦士であると同時に、優れた斥候でもある。

  敵の配置は大よそこうなっておる」

 「ばらばらだ」

 「そうなるように、ワシはあの間抜けどもを追い回してやったんじゃよ、ボン」

 「ふぅん」


 ベリセス軍はウィッサ周辺に纏まりも無く陣を敷いていた。集結しているとも、包囲しているとも言えないような位置だ。


 どうやらガウーナは血に酔っていただけではないらしい。

 首を山と積んで悦に入るのが目的じゃ無かったんだなぁ。


 「それとボンに伝えるのが遅れて済まぬが、フィーン暗殺教団の連中と再び接触した」

 「サルマ達か?」

 「連中はベリセスの増援の後方を脅かしておるそうじゃ。敵方の動きの鈍さを考えれば、まぁ信じてやってもよいじゃろう」

 「……ふぅん、そうか、成程」


 太陽はピンと来た。ガウーナはまだまだ血を欲している。


 「向こうさん、焦ってるよな、これ。数では俺達負けてるけど」


 いや、と太陽は続けた。


 もうガウーナは、数とか士気とか、そんなちんけな概念で測れる存在じゃない。


 「あー、そうだ。数なんて関係ねぇな。叩かなきゃならんなら叩く。ガウ婆ならそれが出来る」


 ガウーナはにっこりと笑っている。


 「ボン、敵の動きは鈍い。決戦となるまで猶予がある。

  大勢でいる時よりも散らばっている時の方が殺しやすいと教えたはずじゃな」

 「今がその時って訳だ」

 「ボンも見に来るがよい。狼の主ならばこのような所に籠っておってはならん。

  ワシらと同じ風を浴び、ワシらと何もかもを共有しようではないか」


 ま、良いよ、と太陽は気負いなく答えた。

 ガウーナは本当に何と言うか……確かに戦争のプロではあるんだろう。

 でも殺し過ぎる。放っておくと殺して殺して殺しまくる。食う、寝る、殺す、と生活のサイクルの一部にそれが組み込まれている。


 この張り切りようだ。二百の生首では満足していない。

 太陽は無駄な人死には好きじゃない。ガウーナの行動を抑制しなければならなかった。


 ――近世、火器の発達によって戦いでの死傷者は劇的に増加した。らしい。良く分からん。

 でもガウ婆は銃なんて使わなくても沢山殺してるぞ。俺の認識が甘いだけで、これが普通なのか?

 人間死ぬときゃ死ぬもんだが、こんなにも簡単に、一方的に、あっさりと……、

 草が刈り取られるように、死ぬモンなのか。


 太陽が世の無情を感じていると、ソルが疑問を口にした。


 「……狼公、それはつまり……これまでと何か違うのか?」


 場に沈黙が満ちた。


 「違わんけどなんか文句あるかの?」


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