首取ってきたわい!
「おぉ来とる! 足が速く、目聡く、気の早い、生き急いどるのが!」
「狼公、偵察、偵察だぞ。軽く様子を見るだけだと言うからウーラハンもお許しになられたのだ」
「はははのはっ! 体がうずく! 背に火を付けられたようじゃ! 今すぐ奴らの首級が欲しいわい!」
あっちょっ待て
ソルの制止もむなしく、狼騎兵ガウーナは丘を降って疾走し始めた。
遠方にハラウル・ベリセスの敷く方陣があり、更に遠くには彼らの野営地がある。
「お、狼公――っ! ウーラハンに何と申し開きするつもりだァーッ!」
「ワシが悪いのではないぞ! 間抜け面が首を差し出しに来とるんじゃ! 悪いのはあやつらよ!」
ハサウ・インディケネの招集。白い戦装束の戦士達。
彼らはシャムシールを肩の位置で水平に構え、敵の堅固な方陣に突っ込んだ。
「槍衾などなんの痛痒も感じぬわ!」
狼にあって馬にない物。それは人の背丈を軽々超える跳躍力だ。
ハサウ・インディケネは槍衾を飛び越えて戦列を食い荒らす事が出来るのである。
ガウーナの記憶では、以前はもっと手強い陣を組まれた物だ。
より密度の高い密集陣形で、こちらが飛び込んでくるのを防ぐ為に前方のみでなく天に向けて槍衾を構えていた。
ワシらが少しばかり大人しくしとる内に、先人の戦訓を知らぬ指揮官が増えたようじゃ。
ガウーナは豪奢に着飾った指揮官らしき男の首を叩き落し、それを拾い上げてにんまり笑う。
「一つ、また一つとボンに捧げよう! こんな物ではまだまだ足りぬ!
もっと欲しいぞ、もっともっとじゃ!」
灰色狼シドの背で、ガウーナは陶酔に浸りながら腕を開き、天空に歌うように言った。
踊るような仕草だった。周囲に満ちるハラウル人達の悲鳴が己と、己が主を祝福しているようにすら感じた。
「勇武を奮え、白き野花の同胞達! 我らが主は、恐怖に歪んだハラウル人どもの首塚の上に君臨なされる!」
――血を浴びよ! 白き衣が染まる程に!
ガウーナの咆哮に駆り立てられたインディケネ達。
この縦横無尽の突撃を単体で止め得る戦列は存在しない。
恐慌状態に陥ったベリセスの歩兵隊を思う侭に食い荒らし、ガウーナ達は幾つもの首をぶら下げて帰った。
「ボンの喜ぶ顔が目に浮かぶわい」
「君臨しねーっつの」
「むおっ」
ぼすん
太陽は虎か何かの毛皮で作らせた特注の枕をガウーナに投げ付けた。
受け止めるのは容易だったがガウーナは甘んじて受ける。
「どーすんだこの首の山。血の臭いで咽るぜ」
ウィッサ練兵場に積み上げられた首の小山。どれも恐怖に歪み、目を見開いている。
太陽は腰の高さまで積まれた首の山から特に酷い形相の物を一つ取り上げ、じっくり見聞した。
「……戦いにもならなかったって感じだな」
当然じゃ、と自信満々のガウーナ。血の臭いにやられたのか近くの柱の陰でハルミナが嘔吐していた。
「ガウ婆は勝手な事をしたけど、一発かましてやったのは悪くなかったと思う」
「ウーラハン?」
「ねぐらを取られて大慌てで戻って来たベリセス。当然へとへと。出来れば仲間が集まるのを待ちたい」
「そうじゃ、よぅ分かっておるのぅ、ボンよ」
そこに狼公ガウーナが、自慢の仲間たちを引き連れて襲い掛かった。
首を放り捨てながら言う太陽は酷薄だった。
「ハルミナ、お前だったらどう? 打開策とか」
「……うっぷ……どうもこうもありません。楽に死ねるよう神に祈ります」
ソルは頷いた。太陽がそれでよいと言うのなら、彼に否やがある筈も無かった。
「軍事的妥当性は承知しております」
「でもガウ婆、俺から離れて大丈夫かどうかは微妙だったろ? あんまり無茶すんなよな」
「え……あぁ、そう、じゃの」
――ワシ、そんな風に心配されるの初めてじゃわい。
毒気を抜かれた様に間抜けな返事をするガウーナ。
以前は、ガウーナを初めとする亡霊達は太陽から離れた所では肉体を保っていられなかった。
太陽がインディケネの招集に慣れ始めると、何かしら別の進歩まで得られたようで、ガウーナ達は太陽から離れて活動出来るようになったのだ。
正に鬼に金棒と言った所。ガウーナは太陽を危険に晒さないで大暴れできるようになった。
それを今日試した。結果は良好だったが……。
「あ、そうそう、首は送り返せ」
「えぇぇぇ~」
太陽が言うとガウーナは不満を露わにした。そういう反応は予想出来ていた。
ハンティングトロフィーなのだ。この首の山は。
ガウーナ達狼騎兵の強さ、勇敢さ、戦果を示す狩猟の成果物。そりゃ手放したくはないだろう。
だが太陽は強い口調でガウーナを呼んだ。
「ガウ婆」
「……分かったわい」
「また美味いモン準備すっからさ。ガウ婆の部下達にも」
「おぉっ!」
ガウーナは小躍りした。
この前食った牛の肉の塊。血が滴る程度の絶妙な焼き加減に、たっぷりの塩と香辛料を振り掛けた絶品。
アレの味が忘れられない。たらふく食わせて貰おう。
「ウーラハン……寛大に過ぎるかと」
「専門性の高い仕事は当然プロフェッショナルに任せるべきだ。
俺は門外漢で、ガウ婆は戦争のプロ。俺はガウ婆を信頼してる」
ソルは蟀谷を押さえた。小声で言ったつもりでも狼公には聞こえているぞ。ほら見ろあの耳の良い老人が肩をぴくぴく震わせているじゃないか。
ウーラハンがそうやって人たらしみたいな事を言うから狼公が張り切り過ぎるのだ。
今に見ろ、あの狼騎兵は武張りに任せて屍山血河を築き上げるぞ。
――
ソルの恐れた通り、ガウーナは突撃しては首を狩り、突撃しては首を狩り、突撃しては首を狩った。
どうにもベリセスの連携が鈍いと感じたこの狼騎兵は、当然のように隙を突いたのである。
統制の取れぬ敵軍団を、北から南から東から西から、神出鬼没、神速果断、狼騎兵とはまさにこれこの事、マルフェーのガウーナとは正にこれワシの事、兎に角好き勝手に殺しまくった。
「首取ってきたわい!」
「はっ?」
ハサウ・インディケネは疲れ知らずだった。
ガウーナは血の滴るような炙り肉を食い、酒を呑み、ちょっと太陽を甘やかした後、詩文と音楽を嗜んで、そして出撃する。
戻ったかと思えば人目憚らず裸身を水場に投げ出し、戦塵を落としてまた肉を要求する。
以下繰り返しだ。ただしそのスパンの速さと言ったら無い。
あっという間に首塚が大きくなっていく。
「首取ってきたわい!」
「えっ、また?」
持ってくるなと言うのに、「後で送り返しゃー良いんじゃろ」と開き直り、恐怖、憎悪、諦念、様々な表情に歪んだ兵士達の首を持ってくる。
そこに老若男女の別は無い。男も女も子供でさえも、敵として相対したならば等しく死を与え、首を持ち帰る。
その凄惨な光景をハルミナは震えながら羊皮紙に記録していった。
「首取ってきたわい! 伏兵がおるようじゃから、また直ぐに出るぞい!」
「おい、待て!」
出撃しては血塗れのハンティングトロフィーを持ち帰る狼騎兵達に、ウィッサの住人達は恐れ慄いた。
傭兵達ですら怯え切って、誰もかれも目を伏せ、呼吸の音すら立てない様に通りを歩く。
ガウーナは彼らに何もしていないと言うのに、ただそこに居るだけで恐怖を撒き散らし、ウィッサを支配している。
「首取ってきたわい! ボン、ご覧あれ! 中々の勇者の首じゃ! 髑髏にして寝室に飾るのはどうじゃ?」
「ガウゥゥゥーナッ!」
「ひょわっ」
べちこーん。太陽はガウーナの良く鍛えられた太ももを張り飛ばした。
「お座り」
「なんじゃボン」
「おすわーり」
何の感情も浮かばない目でガウーナを見詰める太陽。
流石のガウーナも渋々と言った感じに胡坐を掻く。
「二百人分くらいあるぞ。ハッキリ言って邪魔です。返してきなさい」
でろん、と右目が飛び出した生首。最初は人間の生首に新鮮味もあったがいい加減見飽きた。
ガウーナは嫌じゃ嫌じゃと身を捩って返しとうないアピールをしている。
年甲斐もクソも無い。……今は若返っているが。
「あいや、そうじゃな、返そう。返して、ついでに挨拶と行くか。首の山も無駄にはならぬ」
と思っていたら、ガウーナは突然意見をひっくり返した。
「……つまり?」
「敵をビビらせるのに使えるんじゃ。……ワシの予想ならもうそろそろじゃ」
「……何が?」
太陽は首を傾げた。ガウーナはなははっと笑った。
――
「なんだこのザマはッ! これが! これがベリセス軍団だと言うのかッ!
何故ウィッサに接近した! 何故集結していない!
功を焦って兵を無駄死にさせたなッ?!」
バリバリバリ、とてもそうは思えないが、歯軋りの音だった。
スチェカータ家麾下マウセ赤光騎兵団が長、ジギルギウス・マウセ。
北から強行軍で駆けてきたこの屈強な男は、自分でも信じられない程に取り乱していた。
手に握り締める羊皮紙はジギルの握力にやられてぐしゃぐしゃだ。
損害報告書だった。目を覆うような、何かの誤記入だと思うような内容が記されている。
「敵は百に満たぬ数、これほど有力な部隊だとは……」
大陣幕に集う指揮官達は皆、項垂れている。その中の一人が言い訳がましく口にする。
「狼騎兵の恐ろしさを忘れたか!」
「ガウーナは死んだ! そう言ったのは貴公らではないか!」
「だから油断が許されると? 貴公、毒を干せ!」
「なんだと?!」
「止められぃ」
掴み合いになろうかと言う所で周囲の者達が止めに入る。
「折悪くヘクサ様がタンティオに帰還されている時、これ以上の不安要素は抱えたくない」
各々大きく深呼吸。表面上は平静を取り戻す。
「ジギルギウス殿、貴方は我らの筆頭。ヘクサ様が居られぬ以上は貴方が最上位指揮官だ」
「……すまん、許せ」
「軍議を。時がありませぬ」
ジギルが席に着こうとした時、大陣幕の外から悲鳴が聞こえた。
「て、敵襲―!」
指揮官達は素早く兜を被り外に飛び出す。
敵の強襲に対する訓練はそれこそ嫌になる程積んでいる。兵達は問題なく対応する、筈だ。
相手が狼公でなければ。
「なんだアレは」
東から、ゆうゆうと、大きめの荷馬車が近付いてくる。
それの周囲を固めるは狼騎兵。先頭にいるのは……
遠目にも分かる。ジギルは全身が沸騰する感覚に襲われた。
忘れよう筈も無い。黒髪を風に靡かせるあの女は、フィラド砦で出会った狼公!
「掛かれ兵ども! 首を取れぃ!」
指揮官の一人ががなり立てる。精鋭達が槍を扱いて飛び出す。
狼騎兵がするりとシャムシールを一振り。平然と鎧を切り裂いて腸が飛び散る。
「命が惜しくば道を開けよ! 開けよ開けよ開けよ!」
「舐めるな蛮族!」
「ハラウルは未だにワシらを蛮族と呼ぶか! はははっ! 歴史に学ばぬ奴等じゃのう!」
ジギルは兵達を止めた。
「攻撃中止ぃーッ! 手を出すなーッ!」
「ジギル殿」
「奴らの目的は戦いではないようだ」
狼騎兵は神速。獲物を見つけたら遮二無二飛び付いてくる。敵陣の只中をのんびり歩く事などしない。
果たして自称ガウーナは、勢ぞろいした指揮官達の前に立った。
灰色狼シドの背で頤を逸らし、戦いの高揚に赤らんだ肌を慰めるように風を浴びている。
引いてきた荷馬車に積まれているのは首だった。
これまで打ち取られた自軍の兵士達。ジギルは冷たい怒りを飲み込んでガウーナを睨み付ける。
「我が主の命令じゃ。首を返してやろう」
乱暴な訪問、乱暴な物言いだったが、つまりは戦死者の遺体の返還だ。
ならば、そこに蛮族への侮りなど無い。ジギルには最低限の儀礼を執り行う義務がある。
ジギルは胸に手を当てて一礼した。
「遺体の返還、痛み入る。慣習に従うならば、我々はお前達を酒宴でもてなす必要があるが……」
「止めとくわい。また毒を盛られたら堪らんでのぅ」
「そうか。俺も本音を言えば、貴様と酒を酌み交わすなど御免被る」
荷馬車が前に出る。怯え切った馬車馬がそこで膝を折る。
詰まれた首達の、その無念の表情。恐怖と絶望に染まった……筆舌に尽くし難いその……。
ジギルがそれを見詰めていると、ガウーナが首の一つを手に取った。
恨めし気に見開かれた目。
「おう、コイツは……仲間が全滅しても、最後までワシを睨み付けておった。
勇敢な死者じゃ。そしてワシらはもっともっとそのような首を欲しておる」
「……邪悪な」
「ははっ、若いのぅ。ワシらやお前達がここ百年の間何をしてきたか、まさか知らんのか?」
「知っているさ」
夕陽がジギルの横顔を染める。ガウーナは良い面構えじゃと舌なめずりする。
硬く、熱き鋼のようじゃ。居並ぶ中では一等の首と見た。
こういう首こそ、ボンに捧げたい。ひひひっ。
ジギルはガウーナの邪悪な笑みに反吐の出る思いだ。
彼はベリセス人。そしてベリセス人と言うのは、常にウルフ・マナスの暴虐に晒されてきた。
「お前達は俺の兄弟達の頭の皮を剥ぎ、その泣き叫ぶ様を酒肴にしていた」
「ふぅん? そういうお前達はワシの三番目の娘を攫い、その尊厳を踏み躙った挙句城壁から吊るしたのぅ」
「コロバックの町を襲い、民草をゲストハウスに押し込んで、纏めて蒸し焼きにしたろう。女、子供も見境なく」
「ワシらの村など草刈り場のように見ておったな。隙を突き、或いは騙し討ちしては女は犯し、男は奴隷として売り飛ばした」
「アーカラの領主の婚姻の日、お前達は館を襲撃した。アーカラ公の妻となる乙女を公の前で凌辱し、挙句狼に食わせた」
「ほぉ、痛ましい事件じゃ。お主らがアミアッタ平原で祝福を受けた十四人の赤子を、その母親達の目の前で火にくべたのと同じくらいにの」
「ガウーナァ……!」
「なんじゃ若造……!」
互いに歯を剥き出しに、今にも得物を抜きかねない迫力だ。
そしてジギルはふと気付いた。
今この自称ガウーナが並べ立てた事件のどれにも、ジギルは関与していない。
そもジギルが戦うのはスチェカータに仕える軍人であるが故。彼自身は狼の一族に無体を働いた事は無いのだ。
ガウーナもそう……とは言い切れなが、少なくともジギルが直接知っている事件には関与していないだろう。
彼女が本当に狼公ガウーナならば、ジギルが生まれた頃から高齢を理由に隠居していた筈だからだ。
「……そうか、最早個人の感情の好悪ではないのだな」
「…………ふん」
ガウーナは鼻を鳴らす。ハラウル人と言うだけで殺意を抱くには十分だが、確かにこの若造に対する悪意など無い。
「俺達は正に……血塗られた歴史の中で戦う宿敵と言う訳だ」
「そうじゃ、ハラウル人。戻って来たぞ、お主らの天敵が。最強最悪の狼騎兵が。
守護神を戴いてな」
ジギルは顎に手を当て黙考した後、厳かに言った。
「首を受け取ろう。感謝する。彼らを故郷に帰してくれて」
「我が主から言付けを預かっておる」
「聞こう」
ガウーナは仰々しく両腕を開き、ジギルを見下ろした。舞台役者のような振舞いだった。
「『よろしく』じゃそうじゃ」
ジギルにも、他の誰にも、意図を図りかねる言葉だった。
ウィッサを陥落せしめ、そして今またベリセス軍に記録的敗北と言うに相応しい損害を与えたシン・アルハ・ウーラハン。
それがよろしく、とは。……何なのだろう?
よくわからない。よくわからないが、ジギルは闘志を燃やした。
我らが意地を見よ、シン・アルハ・ウーラハン。
「確かに受け取った。では、お帰り願う」
「さらば。次は戦場で、武を競わん」
「ほざけ」
「くくっ」
狼たちは軽やかに去っていった。ジギルは首の山をジッと見詰めた。
――
「ガウ婆ー、よろしく言っといてくれたー?」
「おう、言っといたぞい」
「サンキュー。どんな感じだった?」
「やる気満々じゃったぞ。何が何でもぶっ殺してやるって感じじゃったわ」
「あれ、おっかしいな……」
遺体の返還なんだから、もっと和やかな感じでもよくないだろうか。
和やかってのは無理でも、死者を悼む時間として、もっと厳かでもよいのでは?
太陽はうーんとちょっとの間唸って、まぁ良いかと流す事にした。




