戦神の兄貴!
気付けば太陽は大男と向かい合い、あぐらを掻いて乾杯していた。
お椀の中身は何かのフルーツジュースだった。
「……美味い!」
「だろ?」
ウーベの戦神様は満足げだ。太陽は更にぐいっとお椀を干す。
「こりゃ良い。もう一杯」
「わはは! 図々しい奴め! 知ってはいたが、この戦神が毛ほども怖くねぇと見える」
戦神は木で出来た筒を差し出してくる。太陽もお椀を突き出した。
「そりゃ……どうぞご勘弁を」
「お前のそこがよい。おぅら飲め飲め、俺の奢りだ」
「ひゃーありがたい。ゴチになりやす」
神様と言うより気の良いあんちゃんって感じだった。
フルーツジュースを頂戴しながら色々な事を話す。太陽は戦神のなんとも頼りがいのある言葉の数々に、すっかり魅了された。
「強さを売りにしておると誤解される事も多いのよ。野蛮、未開、愚劣だのと」
「ソイツぁ残念な事です」
「だが、俺を嫌う世の女神や美姫達に「そうではない」と気付かせてやるとな……、モテるんだこれが」
「はいぃ?」
「ギャップって奴が良いんだろう多分。その上俺は夜の方も強くて優しいからな。そこまで持ち込んだらもうメロメロよ」
男がギャーギャーやっていたらHな話になるのは当然だ。
……当然なのだ!
それで良いのか異世界の神様と思わなくも無いが、話し方が軽妙でついつい聞いてしまう。
「俺ぁ一晩過ごそうって言ったんでさぁ」
「ほぅ、それで?」
「ばちーんと」
「わはは! ……女と言うのは一筋縄ではいかん。率直なのを好むのも居れば、時間が必要なのも居る」
「時間ですかい」
「雄々しいのは良いが、焦るといかんぞ太陽。その場で全部手に入れようとするな。ジワリジワリと行け」
「分かりやした兄貴!」
飲んでいるのはフルーツジュースだ。断じて酒ではない。
が、この神と人間妙に馬が合うらしく、酔ってもないのに陽気にゲラゲラとやっている。
「でな、そいつを俺の信徒にしようと思ってなにくれと世話を焼いてやったのだが、突然他の神が横槍を入れてきやがって」
「戦ったんで」
「当り前だよなぁ? 加減を誤って森を一つ黒焦げにしてしまったわ。そうしたらそこを縄張りにしとった精霊たちが怒る怒る。戦神ともあろう者が平謝りよ」
「わはは! そりゃそうで!」
「だなぁ! わははは!」
やべぇ、この神様めっちゃ好き。性的な意味ではない。
戦神と太陽は長らく馬鹿馬鹿しい話を続けていたが、ふとそれが途切れた。
「……で、兄貴」
「おう」
本題をまだ聞いていなかった。
「俺に何をしろと?」
「ふむん。長くなるが、詳細を伝えたい。聞け」
戦神はお椀を地面に置いて背筋を伸ばした。太陽もそれに応えて背筋を伸ばす。
テレビでも見た事ないようなマッシヴボディ。最低でも太陽の3倍以上は太そうな腕。
戦神はそれらを誇示するように威儀を正した。
「太陽、口にするも恥ずかしい話だがこの戦神、数十年前の大戦で不意を突かれ、最も重要な物の一つを盗まれた」
「大戦? 異世界のですかい?」
「そうだ」
「それで何を」
「名だ。如何な魔法か、名前を奪われたのだ」
名前? 太陽はぽかんと聞き返す。
っていうか魔法とかやっぱりあるのか。
「どれ程思い出そうとしてもダメでな。文献にも俺の名はあるし、口に出す事も出来るのだが、俺も、俺の信徒達も、それを認識する事が出来んのだ。アルツハイマーじゃぁねぇぞ」
「そんな事は思っちゃいませんが、ちょっと分かり難いですぜ」
「ただの文字としてならそれを認識出来るのだが、俺の名前として思い出そうとするとそれが出来ない。書く事も、読む事も。
まぁ、屈辱だ」
分かったような分からないような。太陽は首を傾げた。
「だから“名乗れない”と」
「そうなのよ。これを見ろ」
戦神はぼろぼろの紙切れを差し出してきた。
「俺の名をこちらの言葉で書かせた。読み上げぃ」
アガ。簡素にそれだけが書かれている。太陽は素直に従った。
「アガ、と書いてありやす。これが兄貴の名で?」
「うーむ……?」
戦神……アガは顎に手をやりながら考え込む。
「もう一度読み上げよ」
「アガ」
「もう一度」
「アガ、ですぜ兄貴」
戦神は首を振った。
「やはりいかんな。記憶に留めておく事が出来んわ」
「……心中お察ししやす」
「おう。で、だ、お前にさせたいのは」
「名前を思い出す手伝いをしろと」
「“思い出す”のではない。“奪い返す”のだ。重要な違いだぞ」
「へい」
名を奪われる。戦神アガはちっとも辛そうではないが、太陽は社交辞令として言った。
戦神は真顔だ。先程までの気さくな雰囲気は無い。
「俺の要求は多分お前が思っているよりずっと面倒な内容だ」
「聞くだけ聞きやしょう」
「俺の名を奪った奴だが、そいつがどこに居るのかは大体分かっている」
なら何故そいつをぶちのめしに行かないんだ?
「そこは俺が加護を与えている大陸とは違う、海を隔てた別の大陸でな。所違えば違う神が居て、違う国がある。好き勝手は出来ん」
「大変そうだなぁ」
「大変なんだこれが。名を奪われたとて俺も戦いの神、その大陸に殴り込みをかけて連中をかなりぶっ殺してやったが、やっぱり限界があってな」
残念そうにとんでも無い事を言うアガ。
「名を奪われたことにより、俺は最大の力の一つを失ってしまった」
「と言うと?」
「俺は最強の戦士にして最強の軍団の主。……だったのだが、俺は俺の軍団を失ってしまった。一騎当千の勇者達を集めた軍団を」
「はぁ……?」
太陽はピンと来なかった。名前が無いのは不便だが、それが戦神の軍団と何の関係がある?
話の内容がファンタジー過ぎた。
「俺は戦神。ゆえに、勇敢で強き者を尊び、愛でる。彼らの死後を預かり、肉体が滅びた後も戦場を与えるのだ。
そしてそれは俺の名においての誓約で成される。……そういった力の行使や神秘に関しては話しても分からんだろうから省くぞ。
兎に角、名前が無いとダメなんだ」
「うーん? 名前はともかく、死んだ人間を戦わせてるって事ですかい?」
「そうだ」
「そりゃ……とんでもねぇな。死んでも働かせるなんてブラック企業でも無いですぜ」
「拒む奴にまでやらせはせん。言ったろう? 俺と人間達は対等なのだ」
で、だが。
アガは続ける。
「本当に素晴らしい軍団だった。古今東西の勇者達が闊達に、奔放に敵を飲み込み、打ち砕く。彼らは自らの武名と共に俺の恐ろしさを知らしめた。
だがそれは失われてしまった」
「だから負けちまったんですね」
「わはは! 戦神だなんだと言っておっても囲んでタコ殴りにされるとどうにもならんかったわ!」
全然悔しくなさそうだった。太陽は不思議だった。
フランクだが気位の低い男では決してない。
「良いんですかい?」
「いかんな。全くいかん。戦神と言うのは勝利を願われる存在だ。負ける戦神なんぞに誰が祈りを捧ぐかよ。
俺は必ず雪辱する。そして太陽、その為にもお前の力が必要だ」
「光栄な事でさぁ」
太陽は話すうちにこの戦神の事がすっかり好きになっていた。
だからと言って安請け合いは出来ない。太陽は目を細めて戦神に問いかける。
「でも、なぜ俺なんで?」
「今この領域は」
アガは周囲を手で指し示す。夕暮れに照らされながら、季節外れの桜が花びらを舞い散らせている。
「俺の力が満ちている。吹けば飛ぶような木端は存在すら許されん。心の弱い者は会話すらままならんだろう」
「俺はなんとも無いですが?」
「お前は豪胆だ。そして同時に、心が壊れている」
「またそれですかい。そんなに頭がおかしいように見えますかね」
「この平和な国の人間として見るならな。俺の縄張りであれば太陽、お前のような男は尊敬されるぞ。
つまりまぁ、お前が気に入ったのだ」
実を言うとすげぇ嬉しかった。だが太陽は頑張って硬い表情を作る。
「具体的に何をしろってんですかい。名前を奪い返すっつっても、俺じゃぁ何の助けにもなれやせんでしょう」
「先ほど試した通り、俺の世界の者には無理でも、こちら側の世界のお前ならば俺の名を呼ぶ事が出来る。
つまり太陽、お前は俺の代理に立てるのだ」
「はぁ……? よく分かりやせんね、神様の事情って奴は」
「俺の名代として俺の軍団を再建せよ。お前は俺の軍団の筆頭となり、勇敢な戦士の魂を集め、再び俺の武威をしらしめるのだ」
「名前は?」
「当然取り返す。だがそれにも戦力が必要だ」
アガは自信満々に言う。太陽はアガの堂々たる体躯を見つめる。
このワイルドなイケメンは力と覇気に満ちている。カリスマってのはこういう男の事を言うんだろう。
太陽は正直悩んだ。今まで普通に過ごしてきたのに、唐突に漫画やアニメのような展開に巻き込まれた。
怖い? 不安? ぜーんぜん違う。太陽はワクワクしている。アガに一言やると答えれば大冒険が始まってしまいそうだ。
太陽はクソ度胸が売りの男。楽しそうだと思ったら多少の危険は度外視だ。
でもなぁ、常識的に考えれば、こんなの頭おかしいよなぁ。今の状況が既に結構常識離れしてるけど。
太陽が考え込んでいると見るや、戦神は腕組みしつつ懐柔に掛かった。
「給与とか勤務時間ならよく考えてお前の良いようにしてやるぞ? 最近はフレックス制とか流行ってるようだな」
「えっ」
始まったのは待遇の相談である。
「まぁ俺の軍団の将ともなれば、うむむ、お前の国の物価やらを考えると……ぬぅ」
「いや、あの」
「ブラック企業だのなんだのと言われては座りが悪いでな。正当な報酬と十分な余暇を用意しよう。週休二日で良いか? 昇給は勤務実績と照らし合わせて応相談だ。
あぁそうそう、お前が戦いによって略奪した物は手に余る物以外は総取りにしてよい。名を奪われたとてこのウーベの戦神が武威を存分に知らしめれば、俺はまぁまぁ満足だ」
「ちょっと待ってくだせぇ」
「なんだ? ……おぅ、そんなに心配せんでも良いぞ。俺の勢力はこの国で例えるなら創業ウン百年の大企業だ。
社員の福利厚生バッチリ。固定給の他に成果によって賞与あり。俺のワンマン気味なのは確かだが社員の話はよく聞く方だぞ。
ただ税金とかは自分の方で払えよ」
すげぇ。と太陽は思った。
絵画の世界から抜け出してきたような完璧なボディを持ったワイルドなイケメンが、皮の腰巻一枚で、新入社員を募集するようなノリで太陽を誘っている。しかも税金の事まで気にしてる。
さっき下品な話をしてた時も思ったが神様すげぇ。すげぇ俗っぽい。
バシッと決めて”正に戦神”って感じの時と、うんうん唸りながら太陽に待遇を提示している今。ギャップが半端なかった。
っていうか神様の世界にフレックス制ってあるのか。
「…………因みに給料はおいくらで?」
「それだが、やはり価値の摺り合わせが面倒なのでな。ぐだぐだ言うより物を見せてやろう」
日給は金貨一掴みだ。戦神が握りこぶしを作って地面を叩き、再びそれを開くと、そこから古めかしい金貨がジャラジャラと溢れ出した。
戦神は続けて言う。戦いがあれば更なる褒美を与える。軍団再建に進展があれば更なる褒美を与える。手段を問わずウーベの戦神の名声を高めれば更なる褒美を与える。
そして先に言った通り、略奪した財貨はお前の物だ。
「金はよいな。どうやらこちら側でも価値が変わらぬ」
「こりゃすげぇ」
「お前はたちまち富める者となるだろう。大抵の快楽は望むがままだ」
「……軍団の再建って具体的には?」
「お前を送り込む大陸に数多散らばる死者達と誓約を交わせ。道具と方法は俺が与える。
心が躍らんか? 天下に名だたる勇者達がお前の前に跪き、お前の号令一つで如何なる敵をも打ち破るのだ」
「戦いが前提ですかい」
「嫌なのか? 俺は戦神だからな。お前が暴れてくれればその方が嬉しい。……だがお前が争いを好まぬと言うのなら、平和裏に事を進めてもよい」
太陽は俄然前向きになった。太陽も平和なこの国で道徳やらを学んできた男だから、人を殺すだとかはあまり好きじゃない。
「でもなぁ、ちょっとくらい欲張っても良いと思うぞ。大陸を切り取り、征服していく己の様を思い浮かべてみろ。
勝利の度にお前の目の前には金銀財宝が山と積まれ、お前の寵愛を得ようと無数の美姫、美童が寝所に侍るだろう。
俺の武威は徹底的に恐れられ、お前の名は畏怖され、敬われる。男として奮い立つ物が無いか?」
「そりゃまぁ、ちょっとだけ」
「ちょっとだけか。……この国の男は何というか、野心が足りんな野心が」
太陽は目を閉じてうーんと唸った。
金銀財宝。心惹かれる言葉だ。欲しかったアクセサリやCDやらゲームやらまるっと買えてしまうんだろう。新しいバイクとかも良いな。
しかし金で買えない物が残念ながらこの世には存在する。それは暴力で屈服させても手に入らない物だ。どんなに広い国を支配したって(ありえない事だが)同じだ。
それは愛である。いつも怜悧な目をしたパーフェクトなクールビューティ、倉敷 祥子。彼女の愛は、金や暴力で手に入る物では無いだろう。
太陽は彼女といちゃいちゃしながら一晩過ごしたいだけでなく、その心までもが欲しいのである。欲張りっちゃぁ欲張りだ。
ま、それは別の話だ。太陽は背筋を伸ばした。
「兄貴! 兄貴と来たら良い男っぷりだ。給料もたっぷり払ってくれると言うじゃねぇか。
その仕事、お受けしやしょう!」
「ならばよーし!」
「しかし俺は無駄な暴力や殺しは好かねぇ。やりたくねぇ事はぶっ殺されてもやらねぇ。そこんところ、ご承知を!」
「苦しゅうない、特にさし許す!」
二人は地面に置いてあったお椀を拾い、ぶつけ合った。フルーツジュースの飛沫が飛んだ。