霧島太陽、初夏の一句
ジャン・ドルテスが取り纏める傭兵達は戦列歩兵としての能力が……その、……ちょっとアレだ。
みっちりとその手の訓練を積んだベリセス軍と陣立てで戦っても百戦百敗なので、端からその選択肢を捨てているのである。
戦列をぶつけ合う戦いでなく、密集した拠点同士の守備連携と奇襲でベリセス軍と渡り合っている。
乱戦ならば勝ち目はあるが、そこに引き摺り込ませてくれない程度にはベリセスの指揮官たちは有能だった。
なのでなーんにも無い平地で出会ってしまうともう勝ち目はない。
そもそも相手は騎兵のみのようだけど。ジャンは思わず嘆いた。
「おいおい冗談止せよ……。あぁクソッ、弓の準備だ!
槍は前! 他は後ろ! さっさと動け!」
ベルリは呑気に羽飾りを弄りながらこちらに向かって疾走してくる騎兵隊を眺める。
「いやぁ斥候はどうしたんでしょう。やられちゃったのかな」
「奴等、北に浸透してた連中だな。強行軍で駆けて来たんだろう。
……俺達の斥候よりも早く」
「どうします?」
「迎撃だ」
「と、言っても」
現在のマージナ傭兵はその戦法から軽装になりがちだ。長槍も大盾も無い。
個々の戦闘力で後れを取るつもりは更々ないが、散兵ばかりで騎兵の相手なんて悪夢である。
「嬢ちゃんに奴らを止めて貰うしかない。生きて帰れたら報酬は十倍だ」
「一人じゃ流石に無理ですね……。十倍の金貨、私のお墓に入れてくれるんですか?」
ベルリの反応も当然だ。遠回しに死ねと言われているような物だった。
ベルリはアルマキアの戦士階級スィータ。スィータのベルリ。
スィータは死など恐れない。だが、犬死なんて御免である。そこはジャンだって承知している。
「俺も付き合うさ」
「あ、って事は割と勝算あるんですね」
「無ぇよそんなモン」
「またまたー」
勝算は無い。だがちょっとした推測がある。
南で起こった大事件はジャンも把握している。だからあの騎兵隊は大慌てで南下しているのだ。
この、互いに準備不十分な遭遇戦はそれ故に起こった。
つまり何が言いたいかって言うと、敵は一々俺らの相手なんかせず、さっさと先を急ぐんじゃないかなーと。
「一撃凌げば何とかなる! ビビんなよ野郎ども!」
背後の傭兵達は明らかに浮足立っていたが、ジャンが一声かけるとすぐさま動揺を飲み込んだ。
傭兵将軍が言うならば、もしかしたらそうかもしれない。そんな願望が彼等にはある。
こっ恥ずかしい異名も偶には役に立つモンだ。ジャンは長剣を抜いた。
「頼むぜ勝利の女神様」
ベルリは返事の代わりに戦斧と短槍を一振り。
ぶん、と重たい風切りの音。肌蹴た肩に大鷲テルモが舞い降り、一度ベルリに頬を擦り寄せると再び飛び立った。
「十倍の金貨で、胸当てを新調しようっと」
騎兵が怒号と共に迫る。弓手達が斉射を行うが馬上盾と馬鎧に防がれ大した損害を与えられない。
早駆けの馬上、敵は槍を逆手に握り頭上に構えている。投槍だ。
「むっ、魔法の気配を感じる」
「ありゃ…………スチェカータ家の赤光騎兵団!」
「ジャンさん下がって」
あの槍からは異様な気配がする。ベルリは戦斧と短槍を左右で水平に構えて神経を研ぎ澄ます。
「ベリセェース・アッダァーテェッ!」
『アッダーテ!』
槍が投げ放たれた。明らかに有効射程の外からなのに、その槍は人知を超えた力で天に駆け上り、ジャン達に向かって降り注いだ。
「なるほどなーっ!」
ベルリは両手の獲物を振る。右の戦斧で一つ。左の短槍で一つ。赤光騎兵団の投槍を叩き切る。
しかし敵の攻撃を防げたのはベルリだけだ。傭兵達は投槍をまともに食らってしまい、俄かに陣形が崩れた。
騎兵突撃が来る。ベルリは叫んだ。
「ベリセス、強敵よ! 唸りを上げて、鉛色に輝く死が、お前達にも訪れる!」
ベルリは左の短槍を投げた。投槍のお返しである。
敵先頭を走る赤光騎兵の盾を突き破るが仕留めるには至らない。
それどころか赤光騎兵はより一層戦意を漲らせ、使い物にならなくなった盾を捨てサーベルを水平に構えた。
その赤光騎兵は華美なマントに他とは一味も二味も違う大鎧。騎馬も馬鎧だけでなく、直垂で飾り立ててある。
あれっ、こいつ。
大将首か?
「蛮族が俺の前に立つな!」
「せいやぁーっ!」
交差の瞬間に戦斧を振る。その重たく強力な鋼は敵のサーベルを受け止め、当然のように圧し折った。
が、その赤光騎兵は上体を逸らしてベルリの一撃を避けていた。
しまった、と思った。力を込める事ばかりに気を取られ、鋭さが足りず狙いも正確でなかった。
騎兵がそのまま傭兵達に突っ込む。軽装なばかりで騎兵突撃に抗いようも無い脆弱な戦列に、だ。
こうなるとジャンが何をどう指示しても仕方がない。只管に追い散らされるだけだ。
ベルリは後続の敵と次々に打ち合い、一騎を叩き潰し、一騎を凌いだ。
成程、天賦の力である。勢いに乗って突っ込んでくる重装騎兵と真正面から戦うとは。
しかし大半はベルリなど無視して突破していく。
騎兵突撃の最終列がベルリを左右から挟み上げるようにして槍を構えた。
突き出される二本の槍。一本はベルリの頬のすぐ横を擦り抜けたが一本は肌蹴た肩の肉を深く抉る。
肉を切らせてなんとやら。ベルリはその二騎を力任せに引き摺り下ろし、それぞれ戦斧をくれてやった。
「ジャンさん!」
「……なんとか生きてる」
赤光騎兵団はマージナ傭兵達の集団をズタズタに引き裂いた。
死傷者多数。対して赤光騎兵団の損害は三騎。ベルリが力任せに討ち取ったそれだけだ。
「団長!」
「追い打ち不要! 隊列を整えつつ、粛々と駆けろ!」
「はっ!」
ジギルは振り向く事もせず力強い声音で団を統率した。
千々に乱れた敵陣を見れば突撃で思うまま蹂躙したくなる物だが、彼にそのような逸りは無かった。
「アルマキアの蛮族め……三人もやられたか。この程度の戦果には見合わぬ損害だ」
ジギルは舌打ちを堪えながら走り続けた。失った物資の補給の算段を立てていた。
「……こりゃ酷いな」
「酷いですね」
ベルリの肩に手ずから包帯を巻きながらジャンは言った。ベルリの肩は骨にまで達する傷を受けている。
しかしベルリ達アルマキア人はドリュアスの精霊神マシーディーンによって人を超えた再生力を与えられた戦士の一族だ。
この程度の傷は屁でもない。だから傷を見るジャンと違い、ベルリの目は傭兵達に向いていた。
死者自体は抑えられた。ベルリの獅子奮迅の戦いぶりが赤光騎兵団の衝力を削いだからだ。
しかし負傷者多数。動揺も激しい。傭兵達にはこういう時、無理をさせられない。
「……トーイ・フラウに戻るか」
「良いんですか? 周辺砦を取り返す好機なんですよね?」
「いーのいーの。最近勝ち過ぎだったからな、身の程を忘れちまう前に初心に帰るさ」
羽根突き帽子を被り直しながら言うジャン・ドルテス。
フーディの馬鹿がまた商人どもを丸め込んで好き勝手してないか気になるし。
ジャンもマージナ傭兵だ。給料分の仕事と、後は生きて帰る事が最優先。
最近はむしろ働き過ぎな気もする。
「(それに、馬鹿みたいにきな臭い話もあるしな)」
ベッケス歩兵連隊が誇る女擲弾兵、マーガレットがその伝令を受けた時には、かなり時間がたっていた。
酒と食い物が乱雑に広げられた会議室の机の上。マーガレットはそこに足まで投げ出して踏ん反り返っている。
青い円筒形の帽子をくるくると回しながら言う。
「じゃぁ結局傭兵将軍殿は引き返したんだな?」
「は」
「運がねーな、アタシも。……おいヨハン、伏兵を呼び戻せ」
ワインボトルをラッパ飲みしていた出来の悪い部下を走らせる。
彼はこれ見よがしにげっぷをして不満を表明したが、足早に去っていった。文句は言うが仕事はする。マーガレット麾下にはそういう奴が揃っている。
「作戦は中止だ。我が隊は南に向かう」
椅子に座り直すマーガレットに伝令は怪訝な顔をした。
この伝令は先遣軍本隊ヘクサの従士でもある。ただの伝令以上の権限を持っていた。
……と、同時にマーガレットが上役の弱みを握っている事も把握している。彼女が南へ向かうと言えば、それは正式な命令として発行されるだろう。軍事的妥当性もある。
……確かに、健全ではない。それでも放置されているのは、「放し飼いにした方が役に立つ」と言うヘクサの判断だ。
「と、仰ると?」
「ジャンとか言う大法螺吹きは……ウチのぼんくらどもと違って目聡い。運も強いみてぇだ。
暫くは砦から出てこねぇよ」
「……ふぅむ。
マーガレットの推測は伝令のそれと一致していた。自軍への批判はこの際聞かなかったことにする。
「今すぐトーイ・フラウを落とせって事なら付き合わんでもねぇが、今はそれより面白そうな事があんだろ?」
「ベリセス・ウィッサに?」
マーガレットは目を伏せた。彼女にもここ暫くの情報を精査するだけの余裕はあった。
狼公の死からの騒動。神出鬼没の敵。伝え聞くその姿と、名。
「(ウーラハン・タイヨーって、よぅ……)」
やっぱそーなのかなー、どーしよ。マーガレットは見る者まで切なくなるような顔をした。
もし本当に“そう”だったら、戦利品として懐に入れるにはデカすぎる品だ。あー、うー。
浚う……隠す……いやいや駆け落ち……うぐぐ、亡命? 馬鹿な。
マーガレットは乙女の吐息を漏らした。
部下達は「ゲロ以下の物を見た」とでも言いたげな顔になる。酷い者になると逆流してくる胃液にえずく。
「おぇぇ、なんだあの面」
マーガレットは机の上にあった金のカップを投擲した。
物凄い音がして、不適切な発言をした部下が倒れる。隣の同僚がぺしぺしと頬を叩くも完全に失神している。
「……マーガレット殿、その、何と言うか……兵を虐待するのは……」
「るせー、教育だ教育」
――
太陽は座りの悪い玉座に何枚も何かの毛皮を敷き詰めてクッションにしていた。
その上で足を組み、時折「ほぅ」とか「ふぅん」とか言いながら本を読んでいる。
本のタイトルは「出来る男のマネジメント術! ~部下はこう使え!~」
『人の心を持つ物に人を使う事は出来ない。真に人を使いこなせるのは人の心を理解出来るサイコパスのみだ』、と言う端書から始まる……まぁ何と言うか、ぶっ飛んだ本だった。
その太陽の前では、ハラウル・ベリセスから派遣された使者が朗々と何事か述べている。
しかしベリセスはそもそも太陽達を公的な交渉相手としては認めていない。街を不法占拠した賊集団と言う認識だ。……少なくともそういうポーズを取る必要がある。
詰まり使者の話の内容は一方的な物にならざるを得ないので、太陽はまともに相手する気も起きないのだった。
「……即ち……つまりは……然れば、王陛下はお前達に寛大な処置を取られるであろう」
「ふむふむ」
丁度太陽の独り言と使者の口上が噛み合った。相槌を打ったように見えなくも無い。
太陽の読んでいるページにはこう書いてある。
『心に余裕を持つ事を忘れてはいけない。偶には一句読んでみるのも甲ならぬ乙な物』
「よし、良いのが出来た」
太陽は玉座に踏ん反り返り、使者に向かって中指を立てた。
「うるせぇな
かかってこいよ
バカ野郎。
霧島太陽……あいや、太陽・霧島、ハラウル・ベリセス王陛下に送る渾身の一句だ」
受け取ってくれ、はははっ。朗らかに笑う太陽に、使者は激怒した。
当然外交儀礼もクソも無い、宣戦布告とも呼べない、その、何と言うか。
なんだコレは。どう記録しよう。
ハルミナは毛皮帽ごと頭を抱えながら唸った。
「言う事が一々鬱陶しいんだよベリセスさん」




