こんばんわ、死ねぃ!
「ほら無駄な意地張るな。死んだふりしてなって」
松明を掲げたジャン・ドルテスは血溜まりの中に倒れる年若い兵士の背中を踏み付けた。
先程までもぞもぞと動いていた兵士はビクリと身を固くしてそれっきり動かなくなる。
――そうそう、早死にすると親御さんが泣くからな。
火の手が上がる遠方を見遣るジャン。夜陰の中、あちらこちらから怒号と悲鳴が聞こえてくる。
奇襲を成功させた名うての傭兵将軍は、傍目には敵の屍の上に勝利の余韻を味わっているように見える。
どどど、と馬蹄の音がして、血塗れの大女が現れた。
敵から分捕ったらしい馬に跨るは南部アルマキア人、スィータのベルリ。
彼女は槍を一振りしてジャンに報告する。
「適当に追い散らしておきましたよ」
「適当に、かい。流石嬢ちゃんだ」
「本当に上手く行っちゃいましたね。どんなイカサマを使ったんですか?」
「イカサマってのは人聞き悪いな」
ベリセスの索敵、通信網は格段に優れている。しかしジャン・ドルテスはそれを掻い潜って敵主力を奇襲した。
少し前のベリセス先遣軍を跳ね返した逆撃に続き二度目だ。
最早“傭兵将軍”の実力を疑う者はいない。
「ここ最近、敵さんは浮足立ってた。そこを突いた訳」
「うん? そうでしたか?」
「そうなんだよ。多分俺らの後方で起きてた何だかよー分からん戦闘だろうな、原因は」
ベリセスが前線を突破して後方に浸透し、補給路を潰そうとしているのはジャン達にも把握できていた。
しかし悲しいかなそれを阻止する手段は無い。
飯の心配をしなければならないのは辛い事だ。逃亡兵も増える。
ジャンは陰鬱な気持ちでいたが、そうはならなかった。
「シン・アルハ・ウーラハンでしたっけ。いやぁ助かっちゃいましたね」
「本当にな」
ぽけーっとした調子で言うベルリ。呑気に相槌を打つジャン。
後方に浸透した敵を手当たり次第に食い散らかしたそれは、『古きウルフ・マナス』と自称しているようだった。
艶やかな黒髪の女で、異国の風貌の若者を主君に戴いていると言う。
彼らは強く、素早く、神出鬼没。マージナの輸送部隊を守るだけでなく、略奪の標的となった村々を救う事もあったようだ。
そして宣言した。
『シン・アルハ・ウーラハンの名の許に、ハラウルの全てを食らい尽くしてくれよう』
マージナはこれに対し公的なコメントが出来ないでいる。
嘗てはウルフ・マナスを支援した事もあったがガウーナが隠居して以来交渉は絶えているし、それを抜きに考えても現状の彼らが態々マージナを助けに来るとは思えない。
だが、ウーラハンは現れた。マージナにとって望外の幸運である。
何故か素直に喜ぶ気になれないジャンは嘆息した。
はー、太陽の奴め。何だか知らんが一方的に貸しを押し付けられてる気がするぜ。
「どんな人なんでしょうね」
「……気の良い奴だったよ」
「……? 知り合いなんですか?
えーっと……じゃぁ手伝って貰いましょう。ベリセスは手強いです」
「あー、まー、どうしたもんかねぇ」
周囲では戦いが続く中、のんびりと雑談を続ける二人。
「……取り敢えず帰ろうか」
「えっ。皆さんまだ暴れたりないみたいですけど」
「ベリセスはヤワじゃない。兵達はよーく教育されてるから、すぐに体勢を立て直す。そしたら俺達なんて皆殺しさ。
長生きの秘訣は欲張らない事だぜ」
「そうなんですか、なるほどなー。勉強になります」
傭兵将軍ジャン・ドルテスに率いられた部隊は夜陰に乗じて現れ、朝日を浴びずに帰還する。
ベリセス主軍を一撃し、混乱させ、物資の一部を焼き払い、その侵攻を大幅に遅延させた。
――
「……ははは……」
草原で、丘陵で、河岸で、狼騎兵は走り続ける。
「……はっはっは、わははは……」
何を隠そう高原の大英雄。彼女こそは大ハラウル連盟の前に立ち塞がった狼公。
マルフェーのガウーナ。八十歳を超えて訪れた人生の……いや、死んでいるのだが。
取り敢えず絶頂期である。疾走する彼女の笑い声が天下にこだまする。
「うわぁぁぁーっはっはっはっはぁーッ!!」
ジャン・ドルテスが敵を一撃した夜、フィラド砦の遥か南方に太陽達は居た。
北上すればすぐにベリセス軍と接触できる位置だ。
詰まり、食い放題である。だが狙いはそうじゃない。
「ボン、ワシらは物資を必要とせん。ボンさえ元気で居ればワシらは戦えるでな」
「でもチョコバーは居るんだろ?」
「意地悪な事言うもんじゃないぞい」
なはは、と誤魔化す様に笑うガウーナ。
彼女は太陽の持つ強みについて講釈を垂れている。
「輜重隊なぞ必要ないから身軽じゃし、戦う時だけ目録から戦力を招集すりゃよいから身を隠しながら移動できる。
そして戦うはこのワシ、ガウーナと、マルフェーの勇者達じゃ」
「厄介だな」
「そうじゃよ。神速の狼騎兵が音も影も無く戦線をすり抜けて現れ、唐突に襲い掛かって来るのじゃ。
敵は悲鳴を上げて逃げ惑うしかない。くははっ、愉快じゃ!」
そう言いながらガウーナはシャムシールを掲げる。
鋭い刃が月光に煌めく。火の粉のような燐光が舞い、地から湧き出す様に三十騎の狼騎兵が現れた。
白い野花同胞団。ガウーナの誇る最精鋭達は雄叫びどころか息の音、衣擦れの音すらも立てず、ただただガウーナの下知を待っている。
「ベリセス・ウィッサ。このように舞い戻る事になろうとは思わなんだが……」
「ウーラハン」
沈黙を保ち、気配を消して太陽の傍に控えていたソルが朗らかに言う。
「ここで私は一度死にました。
……名誉です。貴方にお仕え出来る事が」
そんな畏まらなくても良いんだけど……。太陽は頬っぺたを掻く。
闇の向こう、篝火の焚かれた城壁。
少し前に訪れた場所だ。あの時は牢屋にぶち込まれた挙句大立回りして逃げ出した。
ベリセス・ウィッサ。太陽は戻ってきてしまった。まぁハラウル・ベリセスの重要拠点なのだから、どう転んでもいつかは此処を訪れただろう。
「うーん、よし」
太陽は一つ頷く。
「やるか、城攻め」
ガウーナがひひひ、と笑う。
「今宵の出来事は満天下を仰天させるじゃろうな」
「そうなのか?」
「そうじゃとも。堅忍不抜の大要塞が、一夜にしてボンに屈する。
普段賢しらに兵や帥について語り、一端の識者面しとる奴らも思い知る。
――最早おのれらの常識や戦訓など、ワシらには通用せんと言う事をな」
ガウーナが夜空を見上げてスンスンと鼻を鳴らす。
水を含んだ風。雨が来る。
雨が大地を濡らす様に、ハラウル人の血が石畳を濡らすだろう。
勇者は首を落とし、それを城門から吊るそう。
弱き者は手足を縛り、荒野に晒して生きながらハゲタカの餌にしてくれる。
連綿と続く戦いの歴史。ウルフ・マナスもハラウルも逃れられはしないのじゃ。
者ども、ただただ知るが良い。
我ら嫌われ者の守護神の武威。そして我が主君の偉大さを。
「ガウ婆」
ガウーナは自分が陶酔にも似た思考の海に沈んでいた事に気付く。
天に向かって掲げられたシャムシールが月光を跳ね返している。
ガウーナと共にシドに相乗りする太陽が、首だけで振り返っていた。
「ガウ婆ってさ」
「なんじゃ、ボン」
「実は結構顔に出るよな」
悪戯小僧のように笑う太陽。ガウーナは毒気を抜かれてしまった。
ガウーナは確かに我慢をしない女だが、だからと言って表情を殺せない訳では無い。
これでも高原の大君主として緒氏族を取り纏めた女である。
「そんなつもりは無かったんじゃが」
「うーん、なんだろな、顔っていうか、目って言うか」
「目?」
「痺れるぜ、その目付き」
なんじゃそれ。この前ワシも似た様な事言った気がするのぅ。
ガウーナは何だか無性に愛おしくなって、太陽の頬と自分の頬を擦り合わせた。
「ボン……あいや、お前様。
これよりベリセス・ウィッサをお前様に、ひいては我らが戦神に献上いたす」
「まぁまぁ、気負わず行こうぜ」
太陽は肩を竦めて笑った。
ガウーナも笑った。相変わらず、肝が据わっておられるわ。
その日、朝が訪れる前に、ベリセス・ウィッサは失陥した。
間の悪い事にベリセス先遣軍を統率するヘクサ・スチェカータは後方に一時召還されており、その腹心たるジギルギウス・マウセは敵有力部隊に対処する為に前線を更に超えた位置に居た。
ベリセスの参謀達に油断は無かった。しかし誰が想像出来よう
あらゆる防衛線や偵察、監視網を擦り抜けて、図々しくも城攻めを敢行する者が居る等と。
それもたったの三十騎で!
「ようようお主ら、美しい月夜じゃな! 死ねぃッ!」
――
「城壁には死体が吊るされ、家々は荒らされ、政庁はあらゆる財貨を略奪された末にこれまでとは異なる旗を掲げる事となった」
つんとしたすまし顔で羊皮紙に街の様子を記録していく行政官、ハルミナ。
北方特有の銀髪の上に毛皮帽を被ったこの偏屈な女は、ガウーナの直卒するハサウ・インディケネから割り当てられた監視役に一挙一投足を見張られながらも平然としている。
ベリセス・ウィッサ失陥。それでも朝日は昇る。
激しい戦いの痕跡。血だまりと燃え落ちた家屋。ハルミナと監視役はその中を歩き続ける。
「されども民衆の被害は微々たるもので、戦いに参加していない傭兵達にも咎めは無い。
またウィッサを失陥せしめた蛮族達の長、ウーラハン・タイヨーなる人物は歴史ある建造物や文芸品等の損傷、及び略奪を禁じており、ウィッサから脱出しようとする識者の行動を阻害する事も無い」
ふむふむ、と頷きながらハルミナは羊皮紙に書き加える。
『ウーラハン・タイヨーは蛮族の長でありながら、極めて文化人である』
「野獣の振りをしているのかな」
ハルミナがそう口に出した途端、インディケネの戦士はシャムシールを抜いた。
早業である。その鋭い刃がハルミナの首に当てられるまで、彼女はそれを知覚する事が出来なかった。
インディケネの戦士は自らの指揮官ガウーナの望みをよく理解している。
ガウーナはハラウル人がウーラハンの事を語るのを嬉しく思わない。それも賢しらに、知った風に言われるのは特に、だ。
毛皮帽を一撫でしながら、ハルミナ。
「私は確かに捕虜の身だけれども、貴方達の主はこうして私にある程度の自由を与え、好き勝手に記録する事まで許している」
ハルミナは冷たい視線をインディケネの戦士に向けた。
彼女は文官だが、それは決して弱いと言う事じゃない。
戦士が剣で戦うように、彼女は舌と筆で戦っているのだ。一歩も引き下がる理由は無い。
「貴方達のウーラハンを失望させたければ私を殺せば良いわ。どうかしら?」
果たしてインディケネの戦士はゆっくりとシャムシールを収めた。
ハルミナは何事も無かったかのように破壊されたベリセス・ウィッサの大通りを行く。
「おや、あれは」
城壁には、ハルミナが羊皮紙に記録した通り死体が吊るされている。
ウルフ・マナスの奇襲に対し頑強に抵抗した者達だ。その多くは貴族の子弟で、彼らは高貴な血の責務を果たした。
その吊るされた死体の下で、見た事も無い服を着た男を中心に人だかりが出来ている。
「噂をすればウーラハン。何故こんな所に」
ハルミナは遠慮なしにそちらへと近付いて行った。
君子危うきに近寄らず? 自分は君子ではないし、そもそもベリセスの君子は危うきと戦える者でなければならないのだ。ふんす。
「ボン、ちょっと優し過ぎやせんか」
今ハルミナの好奇心の的、異国の風貌の若者、ウーラハン・タイヨー。
彼は右に狼公ガウーナを従え、左に昨日までのベリセス・ウィッサ守備隊総指揮官カロルを跪かせ、腕組みしていた。
背後には彼の護衛ソルが控える。双剣を佩いたウルフ・マナスの黒い風は油断なく周囲に気を配っている。
「ガウ婆、俺は狼の一族のしきたりなんざ知らない」
「うむむ……折角吊るしたんだからもう少しこのままにしとかんか?」
ぶら下がる死体の事を言っているのは理解できた。
跪く守備隊総指揮官カロルは、青褪めた頬を震わせながらウーラハンを見上げている。
「我々は……敗者。物を言う権利が……無いのは……承知している」
しかし、とカロルは続けた。良く見れば彼の輝く金の髪は血で赤く染まっている。
頭だけではなく、全身が。
彼は今正に失血死する寸前だった。
「しかし……太陽……殿……、どうか一歩も退かず戦った我が部下達を……、名誉ある敵と思って下さるならば……」
「……あぁ、言ってみなよ。アンタの願いを叶えたい」
「どうかその骸を……辱められるな……」
カロルは後ろ手に縛られたまま地面に頭を擦り付ける。
太陽は城壁を見上げた。
「彼らを降ろしてやってくれ」
「……ふむ……ふむ……まぁ、よい。ボンがそう望むのならば、ワシに是非があろうか」
そういうガウーナは(少なくともハルミナから見れば)悔し気であったが、太陽の言葉を受け入れた。
「なぁアンタ、カロルって言ったか」
「…………あぁ」
「これで良いだろう。さ、治療を受けてくれ」
カロルは起き上がらない。
その内に全身を弛緩させた。
太陽の護衛ソルがその体を確かめ、静かに言った。
「息絶えました」
「……そうか。……彼を……あー、そうだな、取り敢えず一番清潔な場所に」
インディケネの戦士が一人、カロルの骸を狼に乗せて運んでいく。
政庁の方向だ。ハルミナはその様子をジッと見ていた。そして羊皮紙に書き足した。
「ウーラハン・タイヨーは守備隊指揮官カロルの死の間際、その懇願を聞き入れ兵の遺体を丁重に扱う事を約す。…………はぁ」
そして溜息を一つ。あの若者の行動は、打算から来る物なのか、それとも情から来る物なのか。
何にせよこれまでのウルフ・マナスとはまるで違う。ハルミナは筆を口に加え、羊皮紙を両手で広げた。
ベリセス・ウィッサはたった三十騎の狼騎兵に攻め落とされた。
当然そのようなごく少数では要塞の掌握など不可能だ。彼らは歯向かう者を皆殺しにした後は、用のあるベリセスの要人だけを捕えて後は好きにさせている。
去るも留まるも自由だ。ハルミナから言わせればこんなのはとても占領とは言えない。
だが彼らは別にベリセスの全ての機能が欲しい訳じゃないのだ。それくらいはハルミナにだって分かる。
彼らは狼の一族の守護神ウーラハンを名乗り、傍らには狼公ガウーナが立つ。
そして今、ベリセス・ウィッサを陥落せしめると言う奇跡的戦果を上げた。周辺諸勢力の耳目を集めるには十分な戦果だ。
ここからなのだろう、きっと。直ぐに勢力の糾合を始める筈だ。
ベリセスに追い散らされたウルフ・マナスも彼らの号令に呼応するだろう。
戦いだ。血みどろの戦いになる。ハルミナはごくりと唾を呑む。
「……おっと」
ウーラハンがハルミナに気付いた。ハルミナは背筋を震わせた。
この優しい声音で話す青年の、なのに凍える程に冷たい、何も映していない真っ暗な瞳。
心の底まで丸裸にされて覗き込まれるような目。
どく、どく、とハルミナの心臓の鼓動が早くなる。舌の先が痺れて鼻の奥がじんとしてくる。
「おはよう。良い朝だな」
ただ何の気なく、普通に挨拶する為に太陽は歩いただけだった。
吊るされた死体の下で歩く太陽は、ハルミナの目には魔王の如く映った。




