一件落着…………ん?
「ハッピーエンドって事で良いのか?」
庭の松の木の下で白髪の男と女が涙ながらに抱き合っている。
それを事務所の窓越しに見ている太陽と真紀。
「四十手前で漸くの一人娘らしいから、そりゃもう目に入れても痛くないみたいだねぇ」
「へぇ」
太陽が一晩共に過ごした女と、あの白髪の男は親子らしい。言われてみれば似てなくも無い。
カッチリとスーツで決めた男はヤクザと言うより企業の重役と言った感じだった。まぁ今の時代一目で分かるヤクザの方が珍しいか。
太陽と真紀は二人して革張りのソファーでだらーっとしながらお茶を呑んでいた。
時間は十一時半。言うまでもないかも知れないが、学校は遅刻である。
スマートフォンには文太やその他クラスメイトからのメッセージが届いていた。
大半はからかうような内容だったが事情を知っている文太は少しばかり心配そうだった。
『何か拙い事でもあったか?』
何も問題ない、と太陽は返信した。
「乗り掛かった舟、最後まで見届けよう」なんて思ったのが間違いだった。
さっさと学校に行きゃ良かったぜ。出席日数ちょっとヤバいのに。
太陽が欠伸を連発していると大友 幸太郎が現れる。
彼は二人の対面に腰を下ろすと溜息と共にタバコを取り出した。
「……あぁ?」
懐をまさぐるがお目当ての物が無かったらしい。
大友は長身に太い身体を持っている。贅肉と言う訳じゃなく、威圧感を与えるような鍛えられた体だ。
それが疲れ果て、しょんぼりと背を丸めた。
「クソが、そういやそうだったな」
「良いよ。終わったし、返してあげる」
二人の間に何があったのか。
大友の欲しい物は、何故か真紀のジーンズのポケットから現れた。
鈍い銀色の輝きの中に狼が刻印されたライター。精緻なエンブレムだが大友のようなヤクザが持つには少し子供っぽい気がする。
『なんじゃこの小物は。見事な彫刻じゃ。端的に美しさと力強さを表しておる……』
ガウーナはライターに興味を示したようだ。狼が模られた物になら何でも興味を示す。
大友はフンと鼻を鳴らしてタバコに火をつける。
すると彼の凶悪な釣り目から見る見るうちに険が抜けていった。張り詰めていた物が切れたらしい。
『おぉっ、火じゃ! これってアレか、“こんろ”か、いや、思い出した、“らいたー”じゃな?』
「(ガウ婆正解)」
タバコの臭いと白い煙。暫く沈黙が続く。
ニコチンを取り入れて多少満足したのか、大友が切り出す。
「世話になったな、先生方」
「先生方ぁ?」
「親父から、そう呼べと言われた」
窓の外を見遣ればヤクザの親分はまだ娘と何事か話し合っている。
大友は少し乱れたオールバックを整えながら封筒を取り出した。
「謝礼だ」
「はいはいごちそーさま」
真紀は手早く封筒の中身を確認して懐に入れる。
「これの二倍ようちゃんに払っといて」
「倍と来たか」
「安いもんでしょ?」
大友は何を脳裏に巡らせたのか、深刻そうに蟀谷を揉み解す。
「確かに、あの化け物とおさらば出来た事を思えば安いな」
「良いもんだよねぇ、金で命が買えるんだからさ」
「……違いねぇ」
大友はタバコを揉み潰して太陽に向き直る。
太陽はお茶を一口含んだ。
「霧島先生、現金で良いか?」
霧島先生と来たか。慣れない呼び方に違和感しかない。
「お幾らで?」
「四百万程なら俺の裁量で直ぐに準備できる」
「ついでと言っちゃなんでやんすが」
言いながら太陽は大友がテーブルの上に転がしたライターを手に取った。
窓から差し込む光に翳してみる。狼のエンブレムは確かに何と言うか……子供っぽい感じがするが……
やっぱり良い品だ。太陽はライターをお手玉の様に弄んだ。
「良いライターだ。あんまり見ない感じの品だ」
「……まぁな」
「コイツを貰っときやす。良いですかい、大友の兄さん」
大友は変な顔をした。金銭の吊り上げじゃなくライターを要求されるとは思っていなかった。
好きにしろよ、と言った後少し考え込む大友。
「霧島先生よ、アンタ方とは仲良くしときたい」
「うん?」
太陽は首を傾げた。意外な申し出だった。今回みたいな問題の為にって事か?
大友のような男は、実は嫌いではない。だがそれでもヤクザだ。
俺は嫌だね。ストレートに気持ちを伝える。
「大友の兄さんは……まぁ別にそこまでって感じですが、俺はヤクザと仲良くしたくありやせんや」
「そうかい」
大友は枯れた笑いをしてみせるが眉一つ動かさない。
「…………親父の家系はどうやら“そういう血筋”らしくてな。こういう問題が結構起こる」
「血筋?」
「あたしの飯の種になっちゃうような血筋って事。不思議とオカルト騒ぎに好かれやすいんだよねぇ」
真紀が太陽の疑問に答えた。成程である。
だから真紀は昔からこのヤクザ達と持ちつ持たれつなんだろう。
「最近何事も無かったのにね。こうちゃんも大変だなぁ」
「……小泉先生、そりゃ勘弁してくれ。若いのに示しがつかん」
「こうちゃんって呼ぶ方が親しみやすいじゃん」
吉田 浩三。ヤクザの親分で、だからこうちゃん。
流石の真紀さんだ。倍以上年上の相手、しかもヤクザの親分をちゃん付けである。
「面倒臭ぇ女だな、アンタはよ」
大友が頭を掻くと同時に事務所の扉が開いた。朝の風が流れ込んでくる。
吉田 浩三とその娘だ。若衆を何人か連れてぞろぞろと現れた。
彫りの深い顔立ち。鼻が高く、顎は太く、威厳がある。浩三は相好を崩して真紀に礼を言った。
「おー真紀ちゃん、話は聞いたよ。本当に有り難うよ、本当になぁ。もうどうしようかと思ってたんだ。
それで……アンタが霧島先生だな。娘を助けてくれて本当にもう、何も言いようがねぇ」
浩三はオーバーアクションで真紀の手を取りぶんぶんと振った。
次に太陽とも握手を交わす。太陽は取り敢えずと言った感じで手を差し出した。
着ているスーツに似合わず気さくなおっちゃんに見える。
だが好人物に見えてもヤクザだ。嫌な世の中である。
「吉田さん」
太陽はまず昨日の話をする事にした。
「アンタの所の若い人と揉めちまいやして」
「あー武田の事だな」
良い良い! あのボケ!
浩三はソファーに腰かけながら短く武田を罵った後、太陽に向かって身を乗り出し、小声になる。
「悪いな先生、あんなボケでもウチのモンだ。痛い目見たらしいし、勘弁してやっちゃくれねぇか」
「あぁ、そんな感じのセリフが聞きたかったんでさ」
当然太陽としては一歩も譲る気はないが、後々賠償だのなんだのと大事になったら面倒だ。
後になって話を蒸し返さないと約束してほしかった。例えそれが口約束だとしても。
「真紀ちゃんに下手な事したらしいし、俺からも躾けなきゃならん筈だったがよ。
霧島先生が納得してくれるってんならこれ以上は良いだろ。……真紀ちゃんが許してくれるんなら、だが」
「あたしは別に良いよ」
「よーし円満解決だ」
なぁ幸太郎。鷹揚に言う浩三に、大友は短く了解の返事をした。
「でさ、先生、真紀ちゃんも。
ちょっと美味いモンでも取ろうかと思うんだが食ってってくれる?」
太陽は真紀と顔を見合わせた。
「あたしお腹空いた」
実を言えば太陽もそうだ。育ち盛り継続中の高校生がカロリーメイトと水だけで満足できる筈がない。
しかし出席日数と言う難問が太陽には付いて回る。そうでなくてもヤクザの家で飯は食いたくない。
スマートフォンを見れば時刻は十二時。
「すいやせんがお暇させて頂きやす」
「なんでぇ。なんか用事があったかね?」
「学校に行きたいんでさ。今からなら午後の授業には間に合う」
そう言った太陽の手を掴む者が居た。テーブルを挟んで対面に座った浩三の娘だった。
風呂に入ったのか身嗜みは整えられている。薄く化粧もしているようだ。
流石に目の下の隈までは隠し切れていないが。
「あ、あ、いや、その」
肉付きが奇妙に悪いのはオカルト騒ぎのせいか。
痩せていると言うよりは枯れている、と言った感じだ。栗色のショートヘアにも艶が無い
だが、目が大きくて、話をする時に真っ直ぐこちらの目を見ようとする。
本来はもっと溌溂とした女なんだろう。痛ましいな、と太陽は思った。
「涼……どうした、辛いのか?」
浩三が心底から不安げに言った。娘を溺愛しているのは確かなようだった。
涼っていうのかこの娘さん。昨日は結局名前を聞けなかった。
吉田 涼は小さく震えながら言う。
「アタシ……まだ、こ、恐くて」
「はぁ」
「アンタと居たら……、あ、アイツらも近寄ってこなかったし」
太陽は眉を顰めた。女子供に優しくするのが太陽のポリシーである。
ちょっと考えてみる。飯の話じゃない。さっきの大友の話だ。
ヤクザと仲良くなんてしたい訳がない。しかし吉田の血筋がオカルトに好かれると言うなら、この涼と言う女もそうなのだろう。現に今回がそうだ。
どんな人物なのかは知らないがヤクザの娘と言っても変な様子は無い。至って普通の大学生って感じだ。
太陽はうーんと唸ってから言った。
「真紀さん、もう大丈夫なんだろ?」
「多分ね」
「なら帰りやす。どうぞご容赦を」
「……そう」
肩を落とす涼の指が微かに震えている。
太陽は大友に視線をやった。
「吉田さん、さっき大友の兄さんと話し合ってたんでやすが」
「何を」
「俺はアンタらと仲良くなんてしたくねぇ。
……だが娘さんが、何も非が無ぇのに酷い目に会うのは可哀想だ」
涼はなんだかビクビクしている。
そういう態度をされると、男の美学で物を考える太陽には突き放せないのである。
「……はー……、真紀さん経由でなら話をしやす。俺に何が出来るか分かりやせんが」
「ほぉ」
意外そうな声を出したのは大友だ。
「先生、幸太郎とどんな話をしたんだ?」
「アンタらに起こる問題の為に、アンタらと仲良くするか、しないかって」
話の意味を察した浩三は、深く頭を下げたのだった。
「……ありがとなぁ、霧島先生。本当に、もう、言葉も無ぇ。
ウチの若いのに送らせる。謝礼に関しては幸太郎に何でも言ってくれ」
太陽は眉を顰めた。
黒塗り+スモークガラスの車は勘弁してくれ。
――
ずっしり重たい封筒をぷらぷらさせて太陽は唸った。
「完全に金銭感覚狂っちまってるぜ」
大友がさっき言っていた通り、封筒の中には400万あるのだろう。
ぞんざいにバックに突っ込んで、流れていく景色を見遣る。
吉田は太陽に気を遣って普通の乗用車を出してくれた。運転手もヤクザに見えないインテリ眼鏡だ。
早い話昨日文化堂に来ていた内の一人である。何の気なくバックミラーに目を遣ればハンドルを握る男と目が合う。
「……霧島先生、昨日はどうも、御無礼を」
「終わった事でさぁ。もう良いでやんしょ」
男は変な汗を掻いているようだった。太陽に怯え切っている。
この調子じゃ、ソルは昨日さぞかし……
『ウーラハン、俺だけでは……』
訂正、ソルとガウーナは昨日さぞかし大暴れしたらしい。太陽の見ていない所で。
「でも、昨日俺が言った事は覚えといてくだせぇ」
眼鏡の男は慌ててバックミラーから目を逸らした。
「……承知してます」
それきり口を閉じる。骨の髄まで恐怖を刻み込まれたようだ。
まぁ良いけどな。ヤクザと関係を修復したい訳じゃない。
『ボン、こ奴らはごろつきじゃが、どうやら金の稼ぎ方と言う奴に詳しいみたいじゃな』
「(まぁ、そうだろうな。ヤクザだし)」
それが真っ当な手段かどうか別として。
『向こうじゃ腕っぷしに物を言わせるのも無理ではないが、こっちじゃ大人しくしときたいんじゃろ?』
「(……何が言いたいんだ?)」
『いや、よい商売を見つけたと思っただけじゃよ。
羽虫を追っ払ってやるだけでこ奴らのこの阿りよう……。
傘下に加えるとまでは行かんでも、少ない苦労で恩を売れるなら大いに売りつけて置いて損は無い』
吉田 浩三達がどうしようもなかったオカルト騒ぎも、ガウーナにしてみれば羽虫を払っただけに過ぎない。
『金と人の繋がり。貸しと借り。情と恐怖の遣り取り。
賢しらな文明圏で社会を動かすのが何なのか、ウルフ・マナスのワシですら知っておる。
ボン、向こうだけでなく、こちらでものし上がろう。なぁに、ワシらが居れば容易い事じゃて』
ガウーナは何やら勝手に野望を燃やしているようだった。
太陽は最近では面倒になって適当に流す事にしている。ガウーナと来たら幽霊になったからなのか自身の名声や物欲等には無頓着だがその分太陽に構おうとする。
偉くなれ、でかくなれ、名を残せ。
頻りにそう言うガウーナ。太陽は邪険にも出来ず、「気が向いたらな」と返すばかりだった。
その度にガウーナはしたり顔をしている。「今はそれで良い」
ガウ婆は……俺をどうしたいんだ? 俺に何をさせたい?
真紀の顔が脳裏を過ぎる。
変わるなと言う女と、変われと言う女。
太陽は胸に久しくないもやもやとした感覚を覚えて、軽口でそれを打ち消した。
「(モテる男は辛いぜ)」
『んあ?』
「(なんでもねぇ)」
気付けば鳳学園に着いていた。太陽は髪を撫で付けて整える。
昨日は風呂に入ってないから少しべたつく感じがある。これから夏だ。もっともっと暑くなる。
「霧島先生、お疲れ様です。ウチの事務所から連絡を入れさせてあります。公欠扱いになる筈です」
「あー、……そりゃどうも」
この眼鏡の男の態度。先程はこれで良いと思った。
ヤクザが、市民を、それも自分より一回りは年下であろう相手にこの遜り方。
完全に恐怖を刻み込まれている。ガウーナはその様子をみてひひひと笑っているのだ。
こう言う奴を何人も増やすのがガウーナの望みなのか。
「(ガウ婆)」
『なんじゃ?』
「(あんまり無茶苦茶しないでくれよ。色んな意味でさ)」
『…………覚えて置こう』




