頑張れジャン・ドルテス
ジャン・マロワ・ドルテスが変な名前で呼ばれるようになるのはあっという間だった。
マージナ・アンケル周辺には無数の拠点がひしめいている。
商人の寄り合い所帯の商業都市同盟は、昔からその資金力に物を言わせて砦を建てまくって来た。
「昔からな、マージナの敵はハラウルだった。もっと言えばベリセスで、更に言うなら騎兵だ」
同盟は百年かそこら前に起こったハラウルの政治的混乱に乗じて成立した勢力だ。
すったもんだの末にハラウルも国交を持つに至ったが、腹の底では「どさくさに紛れて領地を分捕った盗人」と思っている。同盟だってそれは承知している。
その時はベリセスは別の名前だったが国体はそのまま継承している。怨みは消えていない。
いつか、こうなる事は予想されていた。ベリセスがかつての縄張りを取り返しにくると。
寧ろ百年もよく我慢した物だ。ウルフ・マナスの強大化がベリセスを抑制していたのは間違いない。
「百年前はベリセスの騎兵に対抗する為に重装歩兵を整備したらしいが、それでも戦う度に劣勢を強いられた。
ベリセス騎兵の強さは実際のぶつかり合いに強いのもそうだが、それ以上にその機動力と統率にある。
奴らの優れた伝令網は商人達の目や耳に勝っていたのさ」
局地的には。
仕方なく同盟は、資金力に物を言わせて砦を建てまくった。
純粋な防御力以上の効果を狙った。拠点間の距離を短くし、ベリセスの速度に対応したのだ。
そうするとベリセス側も無理な事はしなくなる。小競り合いや談合ばかりが続く。
長い間流血を回避する為に行われたごっこ遊びのような戦いの背景には、至極普通の事情があった。
「へぇ、そうだったんですね」
お分かり? と、ジャンのご高説が一区切り。
マージナの拠点の一つ、トーイ・フラウ砦の会議室で感心したように頷く女、ベルリ。
ジャンよりも高い背丈に分厚い肉付き。右手に長槍、左手に戦斧を握り締め、ベリセス騎兵を真正面から粉砕した巨躯の戦士である。
南方の山岳民族の出自で、日に焼けた肌を独特の装束で包んでいる。
「でも負けているのか……。ベリセスは強いです。あれ、マージナが弱いのかな?」
「“ごっこ遊び”の時間が長過ぎた。重装歩兵隊が縮小されて、俺達傭兵が主役になっちまうくらいにはな」
「なんで縮小されたんですか?」
「商人どもだって騎兵への対抗策が必要なのは分かっていたけどな、誰だって無駄な出費は抑えたいだろ?
……装備の充実した重装歩兵なんて金食い虫なのは間違いない」
ごっこ遊びに終始している状況ならば本物の兵隊は必要ない。張り子の虎で良いのだ。
ケチれる所はケチるのが商人である。
頭の羽飾りを弄りながらむふーんと頷くベルリ。
確かにそれっぽい人見掛けませんよね。
「でもまぁ、ここからは互角に戦えます」
あっけらかんとした口調にジャンとしては苦笑を返すしかない。
対ベリセス戦争はド初っ端から大負けしている。毎日のようにどこそこの砦が陥落したとの報せが届けられるし、トーイ・フラウも周辺に布陣したベリセス軍に威圧を受けていた。
その上全体的に情報が混乱していて状況把握にも苦労する有様だ。仕方なく傭兵達は横の繋がりを最大限利用して情報を融通し合っている。
この戦況で「互角に戦える」と豪語するとは。こいつの度胸は筋金入りだな。
「私はジャンさんに賭けましたからね、バシッとお願いしますよ」
「やれやれ、嬢ちゃんにそう言われちゃな」
戦況劣勢にして打開策は無し。後方の商人達は物資自体は滞りなく送ってくる物の、肝心の増援が無い状況だ。
そう言う時、普通の傭兵ならさっさとおさらばするが、マージナ傭兵は一味違う。彼らは給料分の働きはする。
トーイ・フラウやその他辛うじてベリセスの猛攻を凌いだ拠点では
ジャンやベルリ、その他優れた傭兵隊長達がどさくさに紛れて実権を握り、独自に戦線を構築しつあった。
「頼むぜ、勝利の女神様」
「そっちこそ、傭兵将軍殿」
南アルマキア人の戦士階級、スィータのベルリ。土嚢と瓦礫で作った馬防壁の上に陣取り、ベリセスの騎兵突撃を跳ね返した『勝利の女神』。
マージナでは名うての傭兵、抜け目ないジャン・ドルテス。何時の間にやら周辺拠点の傭兵達を掌握し、ベリセス先遣軍相手に逆撃を決めた『傭兵将軍』。
マージナ、ベリセス戦が始まってからほんの少ししか経っていないが、
ジャン・マロワ・ドルテスが変な名前で呼ばれるようになるのはあっという間だった。
――
ベルリは肩を肌蹴させながらトーイ・フラウ砦を歩き回る。日に焼けた健康的な小麦色の肩に、大鷲が舞い降りた。
「テルモ、チッチッチ」
ベルリが大鷲テルモの喉を擽りながら何度か舌を鳴らす。その足には紙が括り付けられている。
他の砦からの文だった。開いてみれば敵の動きが分かる範囲で書いてある。
後でジャンさんに渡しに行こう。テルモを撫ぜると彼は天高く舞い上がった。用事が無い時は好きにさせていた。
「ベリセスは速いし、強いなぁ」
他人事のように言いながら再び砦をふらふらするベルリ。
今の文から再確認する。ベリセスの動きは慎重且つ素早い。
ハラウル・ベリセスは強い。ベルリがこれまで経験したどんな戦いよりも苦戦を強いてくる。
国家間の戦争と言うのはこう言う物か。やっぱり部族を離れ旅に出たのは正解だった。得難い経験である。
「でもジャンさんも強い」
独り言をぶつぶつ。ぽけーっとした調子で歩き回る。
すれ違う傭兵達はベルリを見る度に指笛を鳴らしたり、先の戦いでの劇的な逆転勝利を称える。
門をこじ開けられあわや突破されると言う時に、余力のある者をさっとまとめて飛び出したのがベルリだ。
土嚢やら何やらを持ち出し、どうにかこうにか押し寄せる敵を跳ね返した。ベリセスは攻勢限界を悟って撤退した。
口で言うのは簡単だが、敗北必至の状況だった。それを覆したベルリは傭兵達にとって勝利の女神である。
腰まで届く波打つ黒髪。肌蹴た肩から除く獣の刺青。
今やジャン・ドルテスに並ぶ有名人だ。
「気の良い人が多いし、暫くは此処で戦おう」
苦しい戦況だから死ぬ可能性の方が高いけど、その時はその時だ。
ぽけーっとしたベルリは死生観までぽけーっとしていた。
暫くうろうろしていると、食料の詰まった樽の上でぎゃぁぎゃぁ喚いている一人の少女を見付けた。
どうやら商魂逞しく戦線まで現れた商人相手に取引しているらしい。
「こっちのバックについてんのは『傭兵将軍』ジャン・ドルテスですぜ!
負けるなんてこたぁありえねぇ! 大船に乗ったつもりでばばーっと投資しなせぇ!」
「こりゃこりゃ、何とも自信満々だねぇ」
「恩義、義理、人情って奴ぁですね、トウガラシと同じで売り時ってモンがありやす!
苦しい時に助けてくれた相手をどうして邪険に出来やしょう、あたしらに恩を売るなら今がその時だぁ!」
樽の上で葡萄酒か何かの入ったコップをぶんぶん振り回すあの少女。
深紅の髪のちんちくりん。ジャンに引っ付いて前線までのこのこ現れたフーディと言う少女だ。
「フーディさん」
「おぉっと! 御出でなすった、あたしらの勝利の女神様!」
ベルリが近付くと輪を作っていた人垣が割れる。ベルリの巨躯を通す為に道が出来る。
「おぉー、ではこのお人が傭兵ベルリさん」
「どうもです」
初老の商人はベルリを見上げる。小柄な彼から見ればベルリは正に天を衝くと言った風情の大女だ。
「耳の速い奴なら知ってらぁな! この『長槍と戦斧のベルリ』はあのクソったれベリセスキャバリエの前に立ちはだかり――」
ベルリは何だか恥ずかしくなってフーディの首根っこを摘みあげる。
フーディは猫の子を摘みあげるような感じで持ち上げられた。
うわー、姐さん、止めてくだせー。フーディはじたばたする。
「お噂はかねがね」
「あ、はい。…………フーディさん、ちょっと恥ずかしいからその辺で」
丁寧に一礼する商人。ぽけーっと答えるベルリ。
フーディを地面に降ろしてコホンと咳払い。
「ベルリさん、ちょっとだけお話しを窺っても?
このお嬢さんは弁舌の歯切れが良すぎてついつい乗せられてしまいますからな」
「良いですよ、戦況ですか?」
「はいその通り」
商人の値踏みするような視線。ベルリは慣れている。
異人と言うのは好奇の目で見られる物だ。特に南アルマキア人は体躯大柄にして頑健。どこへ行っても目立つ。
「ずばりどうですか」
「ベリセスは強いです」
「素直ですな」
率直なベルリの物言い。ほっほっほ、と笑う商人。
「でもジャンさんの方が強いです」
「……おや」
商人は笑うのを止めた。ベルリが心の底からそう感じているのが分かったらしい。
「山岳の民が嘘と縁遠いのは私も知っております」
「えーと、はい。嘘は吐きません。
勝てる、とか自信満々に言えませんけど、ジャンさんが居ると負ける気がしませんね」
「姐さん、それ自信満々って言うんですぜ!
どうですお歴々! ベリセス軍をばったばったと薙ぎ倒した戦女神様がこう仰って……」
茶々を入れるフーディ。ベルリはフーディにデコピンをかました。
「ていっ」
「ぐわーっ」
ベルリのデコピンである。これは痛い。フーディは悶絶した。
「次はもう少し強くしますよ」
「ご、ご、ごべんなざい、姐ざん」
「ふふふ」
にっこり笑顔になる商人。ベルリには不思議な雰囲気がある。人を納得させる存在感だ。
こいつがこう言うのだから、そうなのだろうと思わせる。理屈を超えた物がある。
「……分かりました。私も商人、ベルリ様やジャン・ドルテス様に投資させて頂きます」
「や、やったぁ!」
半泣きのフーディがガッツポーズ。
「内容はなんですか?」
「戦力ですよ、『勝利の女神』様。……当然ですが今後の勝敗、我々にとっても他人事ではありませんのでね」
開戦当初、ハラウル・ベリセスの猛攻にマージナは敗北を重ねた。
しかし最前線に忽然と現れた英雄。その名の求心力の前に、ベリセスは思わぬ停滞を余儀なくされる。
商業都市同盟は商人達の寄り合い所帯。そして商人と言うのは人を見て取引をする物だ。
――
赤い河のほとりで目を閉じる太陽。うつらうつらとしている。
それを離れた所で見守るガウーナとソル。周辺にはガウーナの招集したハサウ・インディケネが散らばり、哨戒を行っている。
太陽は大袈裟じゃないかと言ったがガウーナは譲らなかった。今後太陽が休憩する時はこのスタイルで行くらしい。
幸いにもインディケネを招集したときに太陽を襲う脱力感は鍛錬と慣れで改善出来るそうだ。
訓練も兼ねているのだった。本末転倒のような気がしなくも無いが。
「夜更かししとるからじゃ」
太陽は眠る時人を遠ざける。普段図々しいくらいのガウーナもこの時ばかりは近付けない。
人の呼吸音がすると眠れないって、よう分からん。ガウーナは首を捻った。
「ソル」
「何か?」
「おぬし、狼には乗らんのか?」
雑談に興じる。
「……数年前に小競り合いで死んだ。共に育った。兄弟の様に。
アイツ以外には乗りたくない」
「ほぅ、義理立てか? ボンに頼んで迎えに行けば良いじゃろ」
「は?」
ソルはぽかんとした。
こういう奴は少なくない。狼を手懐けるのは実はウルフ・マナスでも中々難しい。
狼が赤子の頃から躾けて漸く背に乗れる。家畜化されている物でなんとか、と言った具合で、野生の狼をとなるとこれは至難の業だった。
生粋の狼騎兵は同時期に生まれた狼と共に育ち、心を通わせてそれに乗る。
だからもし騎獣たる狼を失ってしまったらもう二度と他のには乗らない、と言い出す者が結構居るのだ。
ソルもそういう手合いだ。それは別に良い。
狼騎兵は狼から降りても優れた戦士だ。勇敢に敵陣に切り込み、槍兵の戦列を食い破る彼らを侮辱する者など居ない。
だが今やソルも死人。死した兄弟を迎えに行くのになんの不自由がある。
普通なら無理でも、ボンが戦神から与えられた目録の力ならば……。
ガウーナはそう言った。
「シドもいつかは死ぬ。じゃがワシは、その時はボンに頼み込んで目録に加えてもらう気でおる」
「……俺の狼が死んだのは昔の話だ。今や偉大なるアレーリの御許に旅立ったに違いない」
「どうかのー。ワシはその類の才が無いからアレーリの存在を感じた事が無い。精霊を見るのも一苦労じゃ。
じゃからアレーリなんてモンに祈るのは止めたし、世話になるつもりも無い」
「母なる大地は常に俺達の足の裏にあるのに?」
「居たとしても、ワシらを救ってくれた事があったか?」
マルフェーに加護を与えてくれるのは異邦の戦神で、ワシを救いたいと言ってくれたのはボンだけじゃ。
ワシらは所詮嫌われ者。この大陸のどんな神々が、ワシらを気に掛けてくれたと言うのか。
普段ガウーナは戦神と一緒で「弱い奴が悪い」とか「負けた奴は滅び去るのみ」とか言っているが、それは彼女が思う世界の真理と言うだけだ。
穏やかに生きようと思えばそう出来る。神でも人でも、互いの縄張りを尊重できるのであれば、だが。
「まーそんな事は良い。もしかしたら魂だけになってもお前を案じておるかも知れん。
一度墓を訪ねてやっても良かろうて。……な?」
ソルは思わず笑った。
「……狼公、いつもその調子でいてくれたら良いのに」
「どういう意味じゃい」
「貴女が普段ウーラハンにじゃれつく姿と言ったらとても見れたモンじゃない。べたべたに甘やかそうとして」
「やかましゃー。マルフェーじゃぁガキどもを可愛がってやれんかったでのぅ。死んでからぐらい好きにさせんか」
「程度を考えて欲しい」
「まだ言うか」
「……あの方が嫌がっていないのは分かる。だから俺もあまり言わないようにする」
むむむ、とガウーナ。十分言っとるぞ。
「生意気な小僧じゃのう……。ま、一族のモンみたいに怯えて縮こまっとるよりは全然良いわい」
「貴女は確かに俺達の盟主だったのだろうが、俺にとっての氏族長と言う訳じゃない。
それに今や同じ主君を戴く同士。恐れもへつらいもしない」
「好きにせい。……ん、起きられたか?」
会話を続ける内に太陽が身じろぎした。河のほとりで天を仰ぎ、大きく深呼吸しているらしい。
ガウーナとソルはゆっくり近付く。
目を擦りながら太陽。
「……あー、悪い。ちょっと寝過ぎたか?」
「丁度えぇ時間じゃよ、ボン」
赤い河で顔を洗おうとする太陽にソルは慌てる。
「ウーラハン、雨で赤土が崩され、濁っておりますから」
「ん、そうか」
「濁っていない水を持っております」
恭しく木筒を差し出すソル。ガウーナは布冠を押さえながら口をもにゃもにゃさせた。
ちょっと赤くなった河の水で顔を洗ったところで何が起こると言うのか。この小僧ちゃっかりしておる。ワシが甘やかすのはダメで自分は良いんかい。
「サンキュ。……何か、背筋にチリっと来た気がしてさ」
水を被りながら太陽は少し歩いた。ガウーナとソルは何も言わずついていく。
赤い河を下流に向かう。ちょっとした滝になっていて、その先は見渡す限りの大平原だ。
ぽつりぽつりと砦が建っている。マージナの防衛拠点だった。
「阿呆みたいに砦ばっかり建ておって、マージナ人は狭苦しい所が好きじゃのぅ」
「ガウ婆の部下を呼び戻してくれ。ベリセスが来たっぽいぞ」
太陽が手で陽光を遮りながら遠くを見る。砂塵が上がっていた。
騎兵の行進である。
「……気は進まねぇが、やるか」
ガウーナのシャムシールに括り付けられた鈴がシャランとなる。
「ボンが一声ご下命くだされば」
「ウーラハンのお望みのままに」
ソルが合わせるように言った。




