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倉敷祥子、怒りの投球



 太陽は男子トイレの鏡の前で唸った。


 「しくじった、ワックス付け過ぎだ」

 「タオル使うか?」

 「サンキュー」


 文太が差し出すタオルで頭をワシワシする太陽。


 ヘアスタイルを整えて、今日の標的は倉敷 祥子。何を隠そう前回のリベンジマッチである。


 「よーしよしよし……パーフェクト。今日もイケてるぜ、俺は」

 「今日こそは引っ叩かれなきゃ良いけどな」

 「それは分からん。ひょっとして祥子先輩は俺を叩くのが好きなのかも」


 文太は馬鹿な、と言おうとして黙ってしまった。ひょっとしたらそうかも、とちょっとだけ思ったのだった。

 そうこうする内に太陽は準備を終えた。気合十分である。


 「OKだ! 行くぜっ」

 「タイヨー、飯島からメッセ来てるぞ」

 「なんて?」

 「『アホタレコンビ、倉敷先輩に蹴っ飛ばされちまえ』って書いてある。ハートマーク付き」

 「……後でアイツのほっぺたにキスしてやる」

 「どういう意味だ?」

 「恥ずかしがらせてやるって事だよ」


 太陽と文太は昼時の放送室に乗り込んだ。


 昼の放送を終えて適当な音楽を流している放送室。部員達は準備室の机の上に弁当を広げて和気藹々としている。


 「失礼しゃっしゃーす」


 太陽はドアを開けて首だけ中に突っ込んだ。


 「オス、先輩。お邪魔して宜しいでしょうか」


 倉敷 祥子はきょとんとした顔を向けてくる。結い上げた髪に揺れる小さな鈴付きのヘアバンド。

 太陽と視線が合うと、祥子は目をクールに細めて手をぶらぶらさせた。


 放送部員達は「またきたよ」と言う顔をした。日を空けて思い出したようなタイミングで乗り込んでくる太陽は放送室の名物みたいな物だ。


 「おータイヨー。まー上がれ上がれ」

 「失礼しやす。本日はお日柄も良く」

 「曇りだよ馬鹿。……ふふっ」


 太陽のジャブにくすりと笑う祥子。掴みはオッケー。


 「お前も暇な奴だな」

 「先輩に構って貰えて嬉しい限りで御座いやす」

 「抜かしよる。要件を述べぃ」

 「ははーっ、こちらをお納め下さいお代官様ー」」


 時代掛かったお殿様口調でふざける祥子。太陽は超絶健康茶と毒々しい赤色で書かれたペットボトルを差し出した。


 良薬口に苦しを体現しているのか、まるで毒のような味わいのお茶なのだが、女子には評判が良い。

 内臓の調子を整え脂肪の分解に力を発揮すると評判のお茶だ。冷え性にも効くらしい。


 がっ、他のペットボトルジュースに比べて明らかに御高い。240円ぐらいする。

 学生には安くない値段だった。


 祥子は太陽からの貢物を気分よさそうに受け取った。


 「気が利くなぁ。どれ、褒美をくれてしんぜよう」

 「なんてこったい。有難く頂戴しやす」


 祥子は太陽は手招きする。太陽はよく懐いた犬のように祥子に近寄った。


 ワンワンワン、しっぽをぶんぶん振り回す大型犬。


 「ほれ、あーん」


 マジかよ。太陽は目を見開いた。祥子は自分の弁当の唐揚げに箸を突き刺して太陽に差し出したのである。


 祥子の後輩達がきゃーきゃー言っている。太陽は迷いなくかぶりついた。文太は冷静にそれを写真に収めた。


 「これは」


 店売りじゃねぇ、先輩の手作りか。太陽は気付いた。


 「美味い!」

 「だろぉ?」

 「手作りでやんすか」


 「へへ、照れるぜ」祥子はにやりと笑う。


 これは全く想定外。こんなに良い空気になるとは。

 ここぞ勝負。太陽は早くも攻勢に出た。


 「先輩、今日は何かご予定は?」

 「お前いーっつもそれだな。……無いよ、暇してる」

 「何処か行きやせんか。デートでさぁ」

 「なにがデートだ馬鹿」


 倉敷は足を組みなおした。ストッキングに包まれたスラッとした足。スカートの奥の薄暗闇。太陽は自然に視線を逸らしてそれを見ないようにする。

 女性は男の視線に敏感らしい。太陽はジェントルマンであった。


 「…………はー」


 祥子は何か思う所があるのか少しの沈黙の後深い溜息を吐いた。


 「お前さぁ……タイヨー。前々から思ってたけど騒ぎ過ぎじゃねーか?」

 「で、やんすか?」

 「割と有名人だぞ。いつも女子を追っかけ回してる変態だって」


 なんと。


 太陽は切ない目で文太を見た。文太は「当たり前だろ」と言った。


 がーんである。


 「で、やる事やってんだろ」

 「やる事ってぇと」

 「セックスしてんだろ」


 祥子の後輩達はぎょっとした。


 「あたしともセックスしたいのか?」


 後輩達は更にぎょっとした。幾ら何でもどストレートに言い過ぎだった。


 で、太陽はストレートに言われたらストレートに返す男である。


 「したいです、先輩」


 祥子はうーん、と唸って頭を掻いた。


 「お前さぁ、女をオナホールか何かと勘違いしてねぇか」


 文太は「スゲェとこだな此処」と零した。年頃の女の口からぽんぽんと「セックス」だの「オナホール」だのNGワードが飛び出してくる。


 太陽はちょっと考えてから簡潔に答えた。


 「してやせん」

 「ホントかー?」

 「俺はオナホールと見つめ合ったり、キスしたりしやせん。デートも」

 「ふーん……。でも色んな奴とそういう事してんだよな」

 「オス」


 ピッチャー黄金の右腕倉敷祥子、マウンド上振り被って……投げました!


 祥子は超絶健康茶のペットボトルを太陽にぶん投げた。力の籠った投球。眉間に命中。


 「ぐおおっ」


 太陽は呻き声と共に仰け反る。文太はその様子を写真に収めた。


 「タイヨーお前、教育に悪ぃからよ、暫く放送室出入り禁止な」

 「え″っ」

 「え、じゃねーよ。行け、失せろ。尻蹴っ飛ばすぞ。」


 こりゃマズい。結構真剣に怒ってらっしゃる。

 太陽は粛々と放送室から退散した。



――



 「かわいそーワンちゃん。痛かったねー?」

 「撫でたげる。いーこいーこ」


 クラスメイトにわちゃわちゃと弄られる太陽。むぅと唸る。

 心なしか肩を落とし、しょげているように見えなくもない。いつもどんな時でも平然としている能天気な馬鹿がしょげていると、不思議と哀れに見える物だ。


 「まーまーそんなモンだよ。ワンちゃんってアタシらから見てもちょっとどうかと思うモン」

 「しょーがないにゃぁ。倉敷とか言う奴の代わりに遊びに行ってあげる」


 そんな様子を尻目に亜里沙は文太が撮ってきた決定的瞬間を見て大笑いしていた。


 「ぎゃはは! おこられ、おこ、怒られてやんのー! ひーひひひ!」

 「亜里沙ァ!」

 「きゃっ! な、なに?」


 太陽は唐突に立ち上がった。背後から圧し掛かるようにして太陽の髪を弄っていた女子をその勢いのまま担ぎ上げた有様だ。


 突然大声で呼ばれた亜里沙は小動物のように身を竦ませる。


 「き、気安く名前を呼ぶんじゃねー!」

 「今からお前のほっぺたにキスしてやる……!」

 「はぁ?! キモ! ……っていうかキモ! 何言ってんのお前!」

 「キスすると言ったんだ亜里沙ァ! 大人しくしろォ!」


 組み合う太陽と亜里沙。鍛えている太陽と亜里沙ではパワーに差がありすぎる。あっという間に亜里沙は劣勢。


 大きな溜息を吐きながら文太が止めに入った。


 「やーめーとーけ。通報されるぞ」

 「…………はぁ、そうだな」

 「処女相手に刺激の強い事すんな」

 「こ、こんにゃろー! あんまりアタシを舐めてると後悔させんぞコラ!」


 亜里沙は凄んで見せるがちっとも怖くない。太陽は亜里沙の頭をガシガシ撫でながらハイハイと適当に答える。


 「や、やめ、やめ、離せコラ!」

 「あーワンちゃん振られちゃったー」

 「アリサにまで振られちゃったー」

 「しっかたないなーもー。可哀想だからあたしのほっぺにちゅーして良いよ」


 姦しいとはこの事か。年頃の女子が調子に乗り出したら止まらない。


 その喧騒を輪の外から眺めるグループは太陽の事を困った奴だと苦り顔。


 「ヤバ過ぎだろアイツ。変態じゃん」

 「友達なら面白くて良いけど……恋人ってのは無いよねぇ?」

 「ないない。倉敷とか言う先輩が怒るのも当たり前だって」

 「あたしあぁ言う奴嫌い」


 一人、訳知り顔で微笑む女子。吐息を漏らすような色っぽい囁き声。


 「でもアイツ、超優しいよ」

 「幾ら優しいっつったってさー」

 「…………ベッドの上でもね」

 「えっ」

 「えっ」

 「えっ?」


 「「「なにそれー!」」」



 「…………っとーに五月蠅ぇクラスだな」


 辛気臭ぇより良いけどよ。文太はぶつぶつ言いながらバイク雑誌を開いた。

 普段一緒になって騒いでいる癖によくも言えた物である。



――



 『なんじゃ、そんな面白い事になっとったのか』


 ひゃっひゃっひゃと笑うガウーナ。一人帰路を急ぐ太陽は難しい顔をしている。


 昨日からガウーナは『血が騒ぐ』と言ってずぅっと静かにしていた。獣性を抑える為に瞑想していたらしいのだが、太陽にはちんぷんかんぷんである。


 まぁ何にせよ『血が騒ぐ』ままに暴れまわらないのなら太陽に言う事は無い。ガウーナが自分を律する術を持っているのならそれに越した事は無かった。


 「(……なんつーか、まぁそう見られても仕方ないと言えばそうだ)」

 『何じゃ?』

 「(女を性欲の捌け口にしか思ってないって)」

 『ふぅむ、それは何とも返答し難い。……と言うかそんな風に暮らしとってどうして未だに子がおらんのじゃ?』


 そういう道具があるんです。太陽は簡単に避妊具の説明をする。


 『成程、山羊の腸を使うようなもんじゃな』

 「(腸? そういうのもあるのか)」


 確かに○○○に被せたらコンドームのように作用しそうだ。


 『なんで子を成す事をそんなに恐れる?』

 「(真剣だからさ。ちゃんと育てられる確信が無いから)」

 『この国はこんなにも豊かじゃないか』


 成程、確かに食うに困らない国だ。生活水準とか言う言葉は無視して、生きていくだけならどうにでもなるのだろう。

 皆がそういう風に考え始めたらきっととんでもない事になるんだろうな。と太陽は思った。


 「(そうか、そうだな。ここはガウ婆の世界に比べたらスゲェ豊かな所だよ。食ってくだけならきっとどうにでもなる。簡単に生きていける)」

 『そうじゃ。水や家畜の奪い合いも無い。病に掛かっても大抵は治せちまうんじゃろ? スゲェ所じゃ』

 「(でもそうするとさ、今度は幸せになりたくなるんだ)」

 『ふぅん?』


 ガウーナは興味深そうである。


 「(ただ生きてくだけじゃ満足出来ない。幸せになりたい。子供を作ったとして、俺はそいつを幸せにしてやる自信が持てない)」

 『何でじゃ?』

 「(……あー、あれ? 何でだろ)」


 子供を幸せにするのに必要なのってなんだ? こういう問題は当たり前過ぎて真剣に考えた事が無かった。


 住居。食い物。病気になった時の保険制度。つまりはそれらを安定して得るための金。

 学校に通わせるにも金が掛かる。場所によっては額もかなり違ってくる。まずここら辺が満たされてないといけない。物質的な幸せが満たされてないと、精神的な幸せも得られまい。


 うん? そうかな? まぁ貧しいよりも裕福な方が良いだろうけど。そこら辺は親の仕事の……何と言うか。子に金銭的な苦労をさせるのは甲斐性の問題って奴だ。恥ずべき事だろう。


 うーむ、職に就いてないといかんな。当たり前だが。



 っていうかそもそも俺は子供が欲しいのか? そこが問題だな。



 太陽はうんと一つ頷いて結論を出した。


 「(俺がガキだからさ)」

 『ほぅ』

 「(ガキにガキを育てられるもんか)」

 『ボン、ガキってのは一から十まで指図せんでも勝手に育つもんじゃぞ。周りも必要な事を教えるもんじゃ』


 あー


 太陽は変な声を出した。


 「(”周り”なんて此処にはいないのさ。……そういう所だ)」

 『よう分からんぞ』

 「(この話はまた今度考えよう。簡単には答えを出せない)」

 『ま、それならそれでよいがな。……しかしそうなると言い訳出来んのぅ。何せ孕ませる気も無く沢山のおなごとまぐわっとるんじゃから』


 そう、それな。


 「まぁ……自業自得だからなぁ」


 声に出してしみじみ言う。神様からぶっ壊れていると評されるような男だがちょっとセンチメンタルになったりもするのだ。

 太陽は堤防沿いを歩きながら溜息を吐く。陽が沈もうとしている。


 『可笑しなモンじゃ。我らが戦神殿を前に一歩も退かぬ癖に、小娘一人相手に尻尾巻いて逃げ出すんじゃから』

 「(急がば回れ。堅牢な砦を落とすのに力攻めは愚策と、どっかの本にも書いてある)」

 『ほぅ、兵法か。じゃがワシらは高原最強狼騎兵。そのショーコとか言う小娘が難攻不落の大要塞であろうとも食い破って見せようぞ』

 「(……あぁ、問題は、『俺はそもそも狼騎兵じゃない』って事だな)」



 ガウーナはもにゃもにゃ言った。

 ここで関係を清算せいと言うのは容易い。しかしガウーナが生涯で培った感性で言えば太陽が沢山の子を持つ事の方が喜ばしいのだ。


 それが世情にそぐわんと言うのか。ややこしいわい。ガウーナは唸った。


 『んっとにまー、豊かじゃが、色々と小難しい世界じゃて』



――




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