うばってーころしてーおーたけーびだー
街道を行きながらガウーナは宥めすかすように言う。
「傭兵なんぞ気にするのは止めとこう、な? ボン。
こっから先は大戦じゃ。沢山死ぬからの、目ぼしい死者なんぞ幾らでも見つかるわい」
そういう言い方をすると何だか邪悪だな、と太陽は思った。
死者の魂を集めるのが仕事だが、人に死んで欲しい訳では無い。……うん? それでもやっぱり邪悪かな。
「ジャン・マロワ・ドルテス。斜に構えてたが何となく分かる。あの人は良い男だ」
「そんなのちょっと話しただけで何故分かる?」
「ガウ婆とはちょっと話しただけでピンと来た」
「……むっすー」
「何がむっすーなんだ?」
「ワシは傭兵は嫌いじゃ。海賊や傭兵のような縄張り意識の薄い根無し草は手段を択ばん。好き勝手暴れて奪えるだけ奪い尽した後はなんもかんもほっぽり出して地の果てまで逃げよる」
叩いても叩いても羽虫のように集散する。後には傷つけられた民草ばかりが残る。
ガウーナは不愉快そうに言った。
「それはジャンの兄貴のような……マージナ傭兵がそうだって?」
「似たり寄ったりじゃろ」
「俺はそうは思わない」
何だかあのジャンと言う男が気になる。ガウーナの見立てでは直ぐにマージナとハラウル・ベリセスの間で激しい戦いが起こるそうだが……。
もう少し見てみたい。どういう男なのか。
「新しい冒険を始めよう。次は潜入調査だぜ、ガウ婆」
――
花の金曜日、十五時三十分。午後の授業をサボった太陽は文化堂に居た。
文化堂の店主、小泉 真紀は今日はレッドのニット帽を被って水晶玉と向き合っている。何やら気合が入っているようだ。
「真紀さーん」
「……あー? ガッコサボったの」
「サボった」
ま、良いけど。真紀はガシガシ頭を掻きながら太陽に向き直る。
「それで今日は」
「待った」
「あん?」
「ようちゃんさぁ」
太陽が用事を切り出す前に真紀は真剣な顔をした。鋭い目つきだ。
「なんだ?」
「……何持ってる? 何かヤバいの持ってない?」
太陽が答える前に、真紀はカウンターから出て太陽の胸元に手を突っ込んだ。
「うお」
「ふー……ん」
戦神のタリスマンだ。真紀は無遠慮に引っ張り出したそれをしげしげと眺める。
「凄いじゃん」
「凄いのか? まぁ、凄いよな、多分」
何せ戦神が寄越したタリスマンだ。ただのアクセサリでは無いだろう。
邪な物を退けるとかそんな風に言ってたし。
「これさ、あたしに売らない?」
唐突な申し出だった。今までこういう事が無かった訳ではないが、真紀の真剣度合いが違う。
「売れないぜ、真紀さん」
「百五十万ぐらいなら今直ぐ出せるよ。少し待ってもらえればもっと用意できるけど」
「百五十……。でも駄目だ」
「ふぅん……、ま、そっか。そうだよね。桁が一つ足りないか」
大金だった。学生の太陽からしてみれば目も眩むような額だ。
だが金の問題ではない。戦神が「肌身離すな」と言う以上は手放せないし、何より不義理だろう。
それに身に余るアルバイト料を既に貰っている。
真紀は鋭い目つきをふにゃっと緩めてタリスマンから手を放した。
「まだ持ってるでしょ」
何の事を言っているかは分かった。太陽の所持品で特異な物と言ったら、後は戦神の目録しかない。
あまり人目に触れさせたい物ではないが真紀には世話になっているし、太陽にとって信頼の置ける相手でもある。
鞄の中から目録を取り出した瞬間、真紀は顔色を変えた。
「うっげ」
「真紀さん?」
「これ何なのか分かってる?」
「うん?」
真紀は難しい顔でおっかなびっくり目録に触れ、カウンターの上に広げた。
「…………これ、何だと思う」
真紀はページの端を抓みながら言う。
「何ってどういう意味で」
「まだるっこしいや。……これ人間の皮だよ。カバーはよく分かんないヤバい奴で、ページは人間の皮」
「へぇ」
人間の皮、そんな本もあるのか。太陽は物珍しそうに目録に触れた。
戦神は取り繕わない。己の事を決して善良な存在だとは言わない。只管に強きを示し、己が武威を畏怖と共に知らしめようとしている。
邪悪な品の十や二十持っていて寧ろ当然だよな、と太陽は納得した。それも含めて味のある男だ。
真紀は体のあちこちを掻いた。全身に鳥肌が立っている。
「出させといて何だけど人には見せない方が良いね。触らせるのもNGだよ」
「そんなにヤベェの?」
「ようちゃん以外はね」
ふぅん、と太陽は生返事。唐突にガウーナの声がした。
『なんじゃボン、何かざわざわするわい。あんまりこの娘に触らせんでくれ』
「(ガウ婆、静かに。この人勘がスゲェ鋭いから)」
太陽の危惧通り真紀は何かを感じ取ったようだった。
「こんなモン持たされてさ、変なバイトしてるね」
「中間管理職」
「…………ふーん、へぇ」
「ウソは言ってないぜ」
「そう。あたしには……何かヤバいのに憑りつかれてるように見えるけど」
ガウーナが『ヤバいのって何じゃヤバいのって』と文句を言っている。
太陽は大体あってる、と思った。
「……ま、別に良いよ。何でもかんでも話して欲しい訳じゃないし」
「サンキュ、真紀さん」
「でももしさ、ようちゃんの手に負えなくなったらあたしに言いなよ」
「……それって?」
「ま、多分あたしじゃどうにもならないけどさ。傍に居てあげるくらいは出来るんじゃないかなぁ。
あたしようちゃんみたいな子、好きだからねぇ」
間延びした調子で真紀はぷらぷらと手を振った。太陽は真紀の言葉の意味を100%理解した訳では無かったが、好意を伝えられたのは分かった。
真紀はドライな女で人の事を詮索したりあーだこーだ言ったりしない。だから時たまこんな事を言われると、太陽も妙に反応してしまう。
「……なぁ、提案があるんだ」
「んー?」
「真紀さん、この後暇なら……俺と一緒に居ないか。夜も、その後も」
「ユニークじゃん。でもダメー。もう少し良い男になったら考えたげる」
デコピン一発。
「あたっ」
真紀は太陽の誘いをあっさり袖にしてカウンターへと戻る。
「で、本日の御用件は?」
振られちまった。太陽は肩を竦めた。
――
何じゃこの服。ガウーナはオリーブ色のドレスのような……何というか良くわからない服を摘み上げて言った。
「やっぱり俺達の服は向こうじゃ目立つ。変装だ」
「まぁそりゃそうじゃな」
太陽は文化堂で買い揃えた異国情緒あふれる様々な衣装を自室のベッドに広げて吟味する。
「oh、これなんて正にファンタジー」
青いマントを持ち上げてニヤリ。縫製がしっかりしていてアウトドアでもへこたれないだろう。
「こっちのがえぇわい」
対してガウーナはフードの着いたコートような服を広げて見せる。スカートのような裾にスリットが入っていて、見た目より動き易そうだ。
鮮やかな赤を基調とし、所々に白い花の刺繍がある。
「ウーラハン、こちらなどは」
「なんじゃそれ、まるで暗殺者ではないか」
遠慮がちにソルが差し出してきたのは黒いゆったりとした服だ。ポケットが多く、裾が広くて長い。あちこちに様々な物を隠せそうである。
ガウーナとしては太陽に見栄えのする格好をさせたいようで、闇に紛れるこの衣装はNGらしい。
「ガウ婆の選んだ奴はちょっと派手過ぎるんじゃないか。目立っちまう」
「うむ、目立つと言えばそうじゃのぉ。エクリマのテンプルナイトどもが着ておったコートに似とるし」
「ウーラハン、青はハラウルでは一部の貴人の色とされております。絵やただの織物ならばともかく、マントとなると揉め事の種になるやも……」
「しかしソルよ。お前の選んだ奴を着たりしたら「後ろ暗い事があります」と宣言しとるようなモンじゃろ」
三人してあーだこーだと文句を付け合う。
えいくそ、美学と言うモンが分かっとらん。こっちったらこっちじゃボン。
着こなしの問題です、ウーラハン。適当な上着で誤魔化せば、十分に市井に溶け込めます。
太陽はレディの歓心を得る為にファッションチェックに余念が無く、ガウーナは派手好きで目立ちたがり屋の戦闘集団元首領、ソルは独特の美観を備え他人に流される事ない感性の持ち主だ。
服の事をわーわー言い始めると盛り上がる。
「赤い服なら返り血が目立たずに済むぞい!」
「何を馬鹿な……。ウーラハン、我らが居る限り敵を近付かせたりはしません」
「殺しをする事前提の服の選び方、流石に引くぜ」
少しの間議論を続けていると玄関の開く音がした。
「ガウ婆、ソル、暫く消えててくれ」
二人は跪いて敬礼を捧げると煙のように消え去る。
とん、とん、と静かな足音が近付いて来て太陽の部屋がノックされた。
「あー、お帰りなせぇ、姐さん」
「入るよ」
入ってきたのはグレーのパンツスーツでビシッと決めた女、高野 守。
太陽の保護者である。
――
高野 守は絵に描いたような”出来る女”だ。艶のあるショートカットがとってもクール。
朝から晩まで飛び回っていて休みは不定期。一分の隙も無くバッチリ決めて日々を戦い、バリバリ稼いでバリバリ使う。
頭が切れて度胸もある、太陽の尊敬する女性である。
「……誰か居たような感じがしたけど」
「まぁ、ぎゃあぎゃあ騒いでやした」
「独り言か? 人前ではやらない方が良いぞ」
守はクスクス笑った。次いでベッドの上の衣装に目を止める。
「それにしても……そういうのは卒業したと思ったが」
「あーこれ? バイトで使いやす」
「ほぅ」
ガウーナ一押しのコートを手に取って守は首を傾げる。
「随分派手なカミースだな」
「カミースってんですかい」
「微妙に違うけど、多分そうだよ。……それにしてもどんなバイトだ?」
「中間管理職って感じで」
「よく分からんぞ」
説明するのが難しいと言って太陽は詳しい説明を避けた。
いつもポンポン率直に口に出すのが太陽だから、守は違和感を感じたようだった。
「……またあの悪ガキとつるんで危ない事してるんじゃないだろうね」
文太の事を言っている。太陽は昔から悪さをするときは文太と一緒だった。共に拳骨を貰った事も数え切れない。
「文太は関係ありやせん」
「頼むよ、ホントに。また灰皿で頭をかち割られた、なんて聞きたくないからな」
「はっはっは、あの時は全くお世話になりやした!」
これまで揉め事と全く無縁と言う訳でもなかったから、派手に怪我したこともあった。
「ほらこれ、ポストに来てたよ。バイト先からだろ。……聞いた事のない会社だけど」
守はスーツの内ポケットから封筒を取り出した。
太陽は受け取ってプリントされた字を読む。
『ウーベ人材開発プロジェクト』
なんじゃこりゃ。人材開発プロジェクト?
ウーベって、戦神の口から聞いた事がある。
日本円でくれとは言ったが、こういう手段で来たか。っていうか一体どうやって起業したんだあの戦神様は。
封を破る。中身は二枚。一枚は形式ばった手紙で、もう一枚は給与明細と記されている。
『拝啓、霧島 太陽 殿。初夏の候……』
太陽は手紙をぺいっと捨てた。給与明細に取り掛かる。ワクワクしていた。
「上機嫌だな」
「がっつり稼ぎやして。……まぁ、俺の働きってより仲間の御蔭でやすが」
切り取り線に爪を入れて糊を剥がし、記載された数字を読む。
86……大体八十六万? いや、カンマの位置がヤバい。太陽は桁数を数えなおした。
『8,620,455\』
「ほあー」
太陽は息を漏らした。八百六十万とは。
ヤベェなこれ。金銭感覚おかしくなるぞ。
「珍しいね、太陽がそんな顔するなんて」
「うーん、思ったよりもかなり稼いでました」
「見ても良いか?」
「そいつぁ御勘弁を」
八百六十万。まともな感性の持ち主なら疑問に感じる筈だ。そして守はまともな感性の持ち主である。
黙っておくのが吉だろう。守はプライバシーに気を使うから深くは聞いてこない。
因みに太陽は元々アルバイトに熱心な方なので、守の扶養控除云々などはお察しである。
「目玉が飛び出るくらい稼ぎやした。こうなると姐さんに日頃の感謝の気持ちを形にして伝えてぇな」
「なんだなんだ? 嬉しい事言ってくれるじゃないか」
「日曜の夜、空けられますか?」
「明後日か。大丈夫だ」
守は厳しそうな表情を崩してにっこり笑う。
「楽しみだな」
「……そういや、家で顔合わすのも久しぶりな気がしやす」
「あー、なんだ」
ふと太陽が口に出せば守は口ごもる。太陽は嫌味のつもりは無かったが、守には仕事にかまけて太陽を放ったらかしにしている負い目があった。
当然、そんな事を太陽が気にしている筈もない。
「少し……話す?」
ちらりと時計を見ながら守。この人も不器用だな、と太陽は苦笑い。
「いえ、やりたい事がありやすんで」
「そうか。私も仕事を片付けるよ」
「飯を作りやしょうか?」
「大丈夫だ。食べてきた」
然様で。守は背筋を伸ばしたまま太陽の部屋を後にする。
ガウーナが優し気な声を掛けてくる。
『……御母堂、と言う感じじゃ無さそうじゃのう』
「叔母さんだ。お袋の、年の離れた妹さん」
『ではボンの両親は?』
「死んだ。もう大分前だ」
『そうか。自然の摂理じゃな』
ま、そうだな。しかしガウーナやソルは節理とやらをぶっちぎりに無視している気もするが。
『……今夜はワシが一緒に寝てやろうか?』
「寝れねぇっつったろ」
さっさと服を決めちまおう。太陽はベッドに並べられた服に向き直った。
――
陽光が眩しい。草原の風の音の中に人馬のざわめきと鉄の軋みが混ざっている。
商業都市マージナ南部平原。川を跨ぐように建設されたマージナの防衛拠点フィラド砦は渡河点を監視する役目も担っている。
太陽はそこから少し外れた林の中に居た。街道ですれ違った商人達によればフィラド砦で戦いが起こるだろうとの事。
目的は戦見物である。
「戦いの気配じゃて」
結局太陽はガウーナに押し切られて派手な赤色の装束を身に纏う。
あんまりにも赤が鮮烈なので、暗い色のショルダーコートを追加購入して上から羽織った。
「結局鮮やかなのが隠れとるじゃないか……」とガウーナは口を尖らせたが、兎にも角にもこれで太陽もファンタジー世界の仲間入りだ。
そして今、三人は小高い丘に移動して遠方を眺めている。
「すっすめーすっすめーひっがしーへーにっしへー」
鈴飾りのついたシャムシール。鞘に納めたまま地面を突けばシャンシャンと音がする。
調子っぱずれの歌を披露するガウーナはひどく上機嫌だ。
彼女の視線の先には平原を進むハラウル・ベリセスの兵団が居た。
「こっろせーこっろせーぶっこーろせー! われーらおおかみーちーをあーびろー♪」
「なんて物騒な歌だ……」
「うばってーころしてーおーたけーびだー、われーらおおかみーいちにんーまえー♪」
へぇ、興味深い。太陽の呟きにソルが答える。
「必要とあらば、戦い、奪う。……俺のような半人前と違い、ガウーナ公の生前の役目は正にそれです」
「ガウ婆の役目」
「部下に、一族の者達に腹いっぱい食わせてやる事。結局長の仕事とはそれですから」
「成程なー、それが出来て一人前かぁ」
ハラウルさえ無ければ、狩猟と畑仕事で一族を守って行く事も出来たかも知れませんが。
どこか遠い目をしてソルは言った。
「ガウ婆、うきうきしてるのは良いけどシャムシール振り上げて突撃したりしないでくれよ」
「……なはは、大丈夫じゃ」
「今ちょっと間があったぞ」
ガウーナは頬っぺたを掻き、笑って誤魔化す。
「……ハラウルは本気じゃな。数はそれほど多くないが、気迫が違うわ」
「分かるのか」
「ボンもその内分かるようになるわい。……見よ、奴らの憎々しくも猛々しい面構え。あぁでも無ければワシらだって負けやせん」
話す内にもハラウルの兵団は整然と陣形を保ったままフィラド砦に迫っていく。
「戦見物も悪くないの」
「…………戦いか」
人の群れと人の群れ。映画でしか見た事のない光景が、今目の前で展開されようとしている。




