日曜日は強敵だった
日曜は内股が筋肉痛だった。普段鍛えているつもりの太陽だったが、乗馬(乗ったのは狼だったが)で使う筋肉は全くの別物らしい。
一日中張り付かれていては気も休まらんと言う事でガウーナとソルを戦神の元へと送り出す。
現代日本の知識を触りだけでも、とお願いすれば、どうやら暇を持て余していたらしい戦神は快諾した。
二人して引き攣った笑みを浮かべていたが太陽が行けと言ったならそれに背く事は出来ない。二人は悲壮感を漂わせながら戦神の領域へと渡った。
日曜日は、何も無かった。びっくりするほど普通の日曜日だった。
でも太陽は土曜日には戦神の命令で異世界に渡り、聞いた事も無いような国で、テレビでしか見た事のないような様々な物を見た。
昨日は鉄火場、危険な戦場に居て、今日は平穏な街に居る。ギャップの激しさが昨日起こった出来事から現実味を奪った。
「写真の一枚でもとっときゃ良かったな」
見慣れぬ物が多すぎて目移りしてしまった。スマホは持っていたんだから写真に収めておけば良かったのに。
ま、機会はこれから幾らでもあるだろう。次は剣を構えた男たちを激写しよう。絶対しよう。太陽は心に誓う。
何をしていても上の空。昨日の出来事を思い出しては「次は何が起こるのだろうか」とあれやこれや想像する。冒険心は男ならば誰しも持っている物だ。
ぼんやりしながら休日を過ごし、そして月曜日早朝。
太陽は女の家に居た。
――
栗毛の女性が太陽の腕の中で寝息を立てている。太陽は胸元に当たる彼女の吐息にくすぐったさを覚えながら、沈黙を保つ。
閉じられたカーテンの隙間から朝の陽光が零れている。
学校行かなきゃな、と思った。
「…………おはよう、霧島君」
女性が目を覚ました。乱れた栗毛を手串で梳いてやると気持ち良さそうに目を細める。
「……また寝てないの?」
「凛子さん見てた」
「ばーか」
大友 凛子が身を起こす。豊かな乳房が揺れる。色っぽい吐息を漏らしながら太陽に何度もキス。最後に首元に顔を埋めて長く、強く吸う。
大きな目が意地悪く細められた。
「ねぇ、痕残っちゃったよ。どうする?」
「別に」
「見えちゃうよ。良いの?」
「別に」
くっきり残ったキスマークに凛子はにやにやと笑った。太陽は気にしなかった。
「もうこんな時間」
「あぁ」
「霧島君は学校あるでしょ。起こしてくれて良かったのに」
「うーん」
朝のホームルームまでもうあまり時間が無い。太陽は少し考えて、凛子の髪をもう一度梳く。
「凛子さん、見てた」
「…………遅刻しちゃうよ」
「そうだな」
凛子は太陽の鎖骨を甘噛みしたまま数分微睡むと、名残惜しそうに起き上がった。
「ほら、シャワー浴びよ」
「分かった」
「仕方ないから送ってってあげる」
「ありがとう」
二人とも慣れていた。こういう事はよくあった。
――
鳳学園の門前で凛子の運転するクーパーから降りる。既に時間はオーバーしている。
凛子が車に凭れ掛かりながら言った。
「お弁当ある?」
「無い」
昨日の夜からずっと凛子の家に居たのだから。
「コンビニ寄れば良かったね。……はい、パンでも買いなよ」
サングラスをくい、と上げて、凛子は財布から千円札を取り出すが、太陽はそれを拒否した。
「要らねぇ。バイトしてるし」
「ふーん……私からお小遣い貰いたくないって言うんだ?」
でもあげる。
凛子は有無を言わさず太陽の胸ポケットに千円札を捻じ込んだ。
軽い足取りでクーパーに乗り込むと、にっこり笑う。
「次はいつ来る?」
「分からねぇ」
「あっそう。……まぁ、いつでも良いわ」
凛子が眠たそうに手を振り、クーパーが発進する。太陽はそれを見送った。
『ボンの妻か?』
唐突に声が聞こえてきたが太陽は驚かなかった。
いつの間にやら戦神の領域から戻っていたらしい。
「友達だ」
『ほーん? でもボン、まぐわっとったんじゃないのか』
まぐわっとったって……。ガウーナは率直である。
太陽は気持ちゆっくり目に歩きながら下駄箱を目指す。
「あの人は抱き枕が欲しいのさ」
『はぁ……? やや、まぁよく分からんがあの娘、肉付きは良いでな、元気な子が産めよう。ワシとしては文句ないぞい』
文句って、何の文句だ。そもそも子供を作る気なんて無い。太陽にも、凛子にも。
「子供を作る気はない」
『……? 妻でなけりゃ妾なんじゃろ? 産ませてなんぼじゃぞ』
「あの人とはそういう関係じゃねぇ」
『そうなんか。勿体ないのう、中々の器量良しじゃのに』
ガウーナは高原の大君主だったかも知れないが太陽は違う。日本の一般的な高校生。一般的な小市民だ。
ガウーナの周辺では当たり前でもここでは違う。太陽は妾を持つような立場では無かった。
『子は早い方が良い。強く賢き女を娶り、強く賢き子を産ませるのじゃ。
そしたらその時はワシにもボンの子を抱かせておくれ。弓とシャムシール、そして狼の乗り方を教えてやりたい。
…………っと、そういやこっちの方じゃ、どれも必要無いんじゃったな……』
日曜日を丸々使って戦神の元で日本の知識を学んでいたガウーナは少し寂し気に言った。
「向こうで俺の常識が通用しないのと同じで、こっちじゃガウ婆の常識は通用しない。
俺には嫁さんなんていないし、妾も作らない。子供だってまだ分からない」
『戦神殿から数多の知識を得たが、それでもこっちは分からん事でいっぱいじゃ。何を聞いても、どこを見てもびっくり仰天で楽しいわい』
「……そりゃ何よりだぜ、ガウ婆」
校舎に入り、二階へ。太陽のクラスは直ぐそこだ。
『でもボン、ボンは最早我らの主。世継ぎは必要じゃぞ。
こっちはこっち、向こうは向こうで別々に子をもうけりゃええんじゃ。
それがよい、そうしよう! 向こうで作った子はワシが鍛えてやろうて!』
「止めてくれよガウ婆」
太陽は溜息と共に言った。
――
「おぅタイヨー、重役出勤とは大したご身分だぜ」
『なんじゃこのガキ、無礼な』
「(俺のダチだ。俺たちの間じゃこれが普通なんだ)」
授業合間の休憩に太陽をからかいに来た文太。ガウーナを宥める太陽。
「派手に遅刻したな」
「……回数が回数だからな、そろそろヤバい」
「いい加減にしとかねーと夏休みが無くなっちまうぜ。…………凛子さんのトコか?」
「あぁ」
「図太い奴だな。倉敷先輩にチクっちまうぞ」
「うーん……いや、その時はその時で仕方ねぇ。その上で口説くしかねーだろ」
クールビューティ倉敷 祥子は太陽が誰とどこで何をしていようが構わないが、それでも他の女と関係を持っている癖に自分を口説きに来るような奴には容赦しないだろう。
太陽は嫌になるくらいケツを蹴っ飛ばされるかも知れないが、自分の意思でしている事だ。甘んじて受けようじゃねぇか。
「っかー、一周回って男らしい奴だな」
「ったりまえだろ、俺はイケてるからな」
「そのイケてるメンズに御用らしいぜ?」
文太がにやにや笑いながら教室の入り口を見遣る。
太陽たちの担任教師が入ってくる所だった。教師は太陽を見つけるとぐわ、と眉を吊り上げた。
「霧島、バカモン! 今月何度目だ!」
太陽は直ぐに立ち上がって直立不動になる。
「オス、先生! 六度目になりやす!」
「寝坊って訳じゃあるまい、事前に連絡を入れんか!」
「オス!」
オスってなんだよ。昔のヤンキーかよ。クラスが爆笑の渦に巻き込まれる。
「ワンちゃんかわいー」
「押忍だって!」
教師はほんの二分足らず太陽に説教して次の授業の準備に向かった。忙しい中わざわざ教室まで訪れるのだから仕事熱心である。
太陽はやれやれと椅子に座り直す。ガウーナはケラケラ笑っている。
『わはは、怒られたのう。無礼は無礼じゃが、学ぶのを疎かにしたんじゃから文句は言えん』
「ま、仕方ねぇ」
「ひーひひひ! 毎度毎度ワンコちゃんは見ててオモシレーじゃん!」
ご機嫌な様子の飯島 亜里沙が椅子を引き摺って現れる。ジャラジャラとアクセサリのついたスマホの画面には説教を受ける直立不動の太陽が写っていた。
亜里沙は太陽をからかいたいのだろうが、太陽からしてみればカモがネギしょってやってきたような物。
「亜里沙、俺は傷心だ」
「昇進?」
「傷ついた心と書いて傷心だ。癒しが必要だ」
太陽は亜里沙ににじり寄り、亜里沙は気圧されて身構える。文太はまた始まったと呆れ顔。
「なぁ亜里沙」
「って、ってい、言うかまた、あたしの名前……」
亜里沙は完璧にセットされた髪を無意味に弄り回しながらうじうじ言う。
近くに居た女子が亜里沙の女子力の高さに愕然とする。
名前で呼ばれただけで恥じらうとか乙女かよ。そういや乙女だわ、ケッ。
「今日の夜、ちょっと奮発して豪華なディナーと行こうぜ。大人ぶってみようじゃねーか。……俺に優しくしてくれ」
亜里沙の手を取って誘う太陽の脹脛にローキックが炸裂した。
「ぐおぉッ」
「い、いかねーっての! 絶対ご飯だけじゃ済まないじゃん!」
「(処女か……)」
「(そう……)」
「(亜里沙ちゃん……)」
どこか生暖かい視線を送るクラスメイト。ガウーナは笑いのツボをやられたようでひぃひぃ言っている。
『ひゃっひゃっひゃ! この娘っ子うぶで可愛いのう! 気に入ったわい!
ボン、もっとぐぐーっと行けぃ。勢いに任せて丸かじりよ』
「(いや、止めとこう)」
『あれ、よいのか?』
逃げられたら追っかけたくなるが、亜里沙はそうすると泣くか怒るかしそうな気がする。
兄貴もじっくりやれって言ってたし無理押しは止めよう。太陽は戦神の教えに従う事にした。
「残念だな」
「ウソばっか! 例の先輩でも誘えよ!」
太陽はむぅ、と唸った。
――
夕暮れ帰り道。川沿いの土手を歩く。
文太が隣を歩きながら漫画雑誌を開いている。妙に熱中していた。
『やっぱりこっちはすげぇモンが溢れとる。平和じゃし水も豊かじゃし、なーんも困っとる所が無い』
「(ガウ婆の故郷と比べるとそうなんだろうな)」
『でも人間はひょろっこいのが多いわ。こんなんで戦が出来るんかの? あの車って奴を突撃させたりとかするんか』
太陽はほぉ、と唸った。
まぁそりゃ確かに、0.5~1.5トンくらいの鉄の塊が時速100キロで突っ込んで来たら人間は死ぬな。
ぼんやり考えて、「(まぁそういう事もあるんじゃねぇかな)」と適当に返した。
ガウ婆の故郷、狼の一族では誰もが狼に乗り、弓で狩りをし、シャムシールで敵と戦う。
「(ここじゃ兵士ってのは専門職なんだよ。俺達は普段戦いの訓練なんかしない)」
『……でもこの前のボンの足裁きは堂に入ったモンじゃったぞ』
「(アレは趣味だ)」
ハラウル・ベリセスの兵士に殴り掛かった時の事だろう。
『趣味で戦いをやるんかい。生きる為で無く? ……ボンは生粋の戦士の素質があるのやも』
「(違うと思うぜ)」
何かの本で読んだ事がある。平和な国ではアクション映画が流行って、争いの多い国では穏やかなホームドラマが好まれるそうだ。
太陽が体を鍛えるのはレディを口説く上で恥を掻かないためで、後は身近に無い”戦い”と言う非日常への好奇心からだった。
『ま、更に鍛えてみりゃ分かるわい。……それにしても専門職か。選び抜かれた本物の戦士だけが戦をするって訳じゃな』
「(あー、まぁ、大体そんな感じ)」
『ワシも長く生きて色々見たが、それが正しい姿なんじゃろなぁ。ハラウルのボケどもも似たような事を考えとるようじゃった。
農民と兵士を区別しようと躍起になっとる』
戦いには経験と教育の二つが必要じゃ。普段畑を耕しとる奴が、農具の代わりに槍を持って戦に出ても、ワシらの餌になるだけじゃて。
ガウーナは戦いに関して非常に獰猛である。
『じゃが……あー悔しいのう。そういう所一つとって見てもワシらが負けとるのが分かるわい。
ワシらが進歩もなく目先の勝ちに捕らわれとる内に、ハラウルのボケどもはちょっとずつでも発展を続けとったんじゃ。
ワシらが負けるのは必然じゃった』
ガウーナは生前に思うところがあったようで愚痴っぽく言う。
「(なんで急にそんな事を?)」
『なんとなーく。
……だってワシ”狼公”ガウーナじゃし。部下や諸氏族の長どもの前で弱気なんぞ見せられん。
それを思うとボンに仕えとる今この状況のなんと気楽な事か。幾らでも言いたい事が言えるわい』
そこまで言って、ガウーナはちょっとだけ黙った。
『……ひょっとしてワシ、鬱陶しいかのぅ?』
太陽は笑った。
「(そんな事ねぇよ。ガウ婆と居ると楽しいぜ)」
『そーかそーか、ボンが楽しいとワシは嬉しい』
あけすけで遠慮のない女、ガウーナ。心を開けば仲が深まるのはあっという間である。
『……もっと色んなモンが見たいのう』
太陽は声を出して笑った。自分の何倍も生きている癖に、子供のように目をキラキラさせているガウーナが目に浮かんだ。
「どーしたタイヨー、かわいこちゃんでも見つけたか?」
「近くにいるのはヤンキー一匹だけだ」
「やろっ、おめーも人の事言えねぇだろ」
――