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冒険って疲れる



 やられた! やられた!


 ヘクサは激怒した。あのような行き当たりばったりの、何の考えも無いような無秩序な攻撃に、してやられた。


 戦場では予想外のことが起こる物。しかしそれは言い訳にならない。

 敵より圧倒的多勢で砦に依って戦いながら二十名を越す兵を失った。しかも半数以上はたった一人の狼騎兵に。

 この眩暈がする程の大損害が失態でなくてなんなのだ?



 主の怒りを携えて、小雨の降る夜の街道を馬車は行く。口を引き結び何もない空中を睨み付けるヘクサ。僅か二名の護衛が黙って主君の様子を見守っていた。


 「…………通常の狼騎兵は」


 やがてヘクサは激情を押し殺しながら口を開く。


 「あのような真似が出来る物か?」


 ヘクサの護衛二名はいずれも壮年。十分な戦歴を積んだ熟練だ。

 大ハラウルの敵がどういう物なのかよく知っている。少し考えた後に、護衛の一人が口を開く。


 「狼騎兵は草原を好みますが、険しい地形も難なく駆け抜けます」

 「城壁を登るぐらいは当然だと」

 「いえ、あのような真似は……」


 ヘクサも護衛も、夕暮れの戦いを思い出していた。難なく城壁上へと上り詰めた恐るべき狼騎兵を。


 「そうか、良かった。あれが奴らにとって当たり前ならば、俺がこれまで学んできたことは全くの無駄になる」


 城壁を軽々と超えてくる騎兵など悪夢以外の何物でもない。


 ヘクサは勤勉な男だ。ハラウルの貴族スチェカータに生まれたからにはあらゆる敵と戦う宿命であり、その為に努力を惜しまない。

 少年と呼んでも良い年頃から叔父について戦場に出た。ハラウルの宿敵狼騎兵についてもよく学んだ。


 当然、相対した事は無くともガウーナの戦場伝説は知っていた。


 「奴らシン・アルハ・ウーラハン……、そしてガウーナと名乗ったな」

 「はっ」

 「戯けどもめ。しかしその戯けどもにまんまとやられてしまった。俺の手勢がいなかったせいだ。

  ベリセス・ウィッサの兵達はガウーナ死後、高原の蛮族どもが弱体化したと思って弛んでいる。傭兵どもは相変わらず規律と言う物が無い。

  我がスチェカータ家の兵がいればあのような真似はさせなかった」


 ヘクサは顎に手をやり憤怒の表情のまま思索を巡らせる。戦いの事を考え始めると止まらないのがヘクサだった。


 「……叔父上はあのような連中でも使いこなしていた。一度引き締めなおさねばならん。

  城壁を……いや、陣地を作って兵を常駐させるか……。優れた斥候が必要だ。

  ……馬防柵……、マージナとの流通を回復するか……? しかし……」


 懐から羊皮紙を取り出してにらめっこ。そうする内にも馬車は走り続け、やがて目的地へと辿り着く。


 ウィッサ南東のシガテラ砦。伝令の中継点であるこの小砦では、ヘクサの家臣達が夜を徹して軍団進発の準備を進めていた。


 「これはボン、首がくっついてるようで何よりだ」


 馬車から降りたヘクサに大柄な男が近付いてくる。ヘクサの母方の従兄にあたるシギルギウス・マウセだ。

 青いサーコートを靡かせるこの偉丈夫はヘクサと寝食を共にして育った。ヘクサの最も信頼する男である。


 「聞いたぞ、”ガウーナ”と一合打ち合って首が繋がっているんだ。大した物だ」

 「ジギル、冗談でもそんな物言いはよせ。ガウーナは死んだ。叔父上が打倒したのだ」


 不愉快だとヘクサ。

 叔父のドニ・スチェカータはヘクサの最も尊敬する人物で、様々な犠牲を払って狼の一族と戦いガウーナの伝説に終止符を打った。

 その筈だ。その名誉が覆されるなどあってはならない。


 「知っているさ。……長い黒髪の女だったそうだな」

 「狼の一族は大抵黒髪だ」

 「その怒り様ではな。随分と好き勝手されたらしい」


 眼光の鋭さに怒りの深さが現れている。ジギルはからから笑いながらヘクサの背中を叩いた。

 そして周囲に聞こえないよう耳元でぼそり。


 「……怒りを隠せ、ボン。指揮官の振舞いではない」


 ヘクサはむっと口を突き出したが、大きく深呼吸して怒りを解いた。少なくとも表面上は。


 「早く頼りになる兵をウィッサに入れたい。狼の一族は西へ移動していると言う話だが、鵜呑みにはできない」

 「ウィッサの兵は?」

 「掌握した。だが不甲斐無い連中だ。とても叔父上に率いられていたとは思えない」

 「将帥の器だ。名将ドニに率いられたならどんな弱卒も男を見せる」


 ヘクサは口をもにゃもにゃさせる。自分が名将ドニ・スチェカータに敵うなどとは当然思っていないが、「お前じゃダメだ」とハッキリ言われるのは辛い事だ。


 ジギルはまたもや笑って見せた。ヘクサに好き放題言えるのはこの男くらいな物だ。


 「ま、ここからここから。焦らずやろう」

 「……頼むぞ、ジギル」

 「ご命令とあらば」


 気取った礼をして見せるジギルに毒気を抜かれ、ヘクサは小さく笑った。


 「父から出頭命令を受けている。直ぐに戻るがウィッサの守備は任せたぞ」

 「準備は大よそ済んだ。朝日が昇る前には出発できる。……ここまで冷えたろう。中でワインでも呑んで温まれ」

 「兵どもに警戒態勢を取らせているのに、俺だけ酒など呑めん」

 「じゃぁ紅茶でも良い。いつまでも主君を雨に打たせる訳には行かんからな」


 ジギルは部下を一人呼んでヘクサを案内させた。ヘクサは存外素直にそれに従い、砦の中へと入っていく。


 それを見送った後、彼はオールバックに整えられていた髪をぐしゃりと掻き乱す。

 北西の夜天を見上げながらニヤリと笑った。獰猛な笑みだった。


 「うちのボンを馬鹿にしてくれやがったな、狼どもめ」


 大ハラウルの戦士は、特にベリセス出身の騎兵将校は、敵に対し容赦しない。相手が狼ならば尚の事。

 そしてジギルギウスはその典型だった。



――



 小雨を受けながらアーメイは目を閉じていた。狼の背に揺られながら行く夜の高原は雨の冷気に満ち、アーメイの頭脳を冴え渡らせた。


 「ハルディン、彼らをどう感じた」


 並走する狼にアーメイの部下と相乗りする少年はハッキリと答える。


 「勇敢な戦士だ」

 「ウーラハン、そしてガウーナと。……真実だと思うか?」

 「あの方たちの目には一片の揺らぎも無かった。嘘つきの目じゃない」

 「ニナウは?」


 少女はぼんやりとしていたが、やがてゆっくりと視線を向ける。


 「私たちを助けてくれた。父さんと、母さんと、兄さんの安らぎを願ってくれた。

  ウーラハン、私たちの太陽」

 「……この事は他の氏族にも伝えるべきだろうな。マルフェーのスーセはどんな反応をするか……」


 ガウーナは狼の一族にとって伝説的英雄だ。彼女の力によって狼の一族は団結し、急速に近代化して大ハラウルとも渡り合うようになった。

 恐るべき強さ。神に愛された女。それがガウーナなのだ。


 そして、それこそ我が名と言ってのけた若い狼騎兵は確かに尋常でない戦いぶりを見せた。



 アーメイは狼の一族の中では少数派の、極めて現実的、合理的な男だ。普通なら戯言と鼻で笑うだろう。

 だがあの二人にはそう言い切れない何かがある。アーメイは静かに、深く、思考を巡らせた。


 「……戦いの準備が必要だ。今回の件だけ見ても、俺達への攻撃が激しくなるのは間違いない」


 ニナウは物憂げに問い掛ける。


 「西へ逃げるんでしょう? スーセ様の所まで」

 「そうしたいのは山々だが、高原から離れ難いと感じている氏族は多い。我等ミンフィスだってそうだったろう」

 「そうだ。彼らを説得しないと」


 ハルディンは義憤に駆られているようだった。父母の仇を討つ事も、遺体を取り戻す事もできない少年の無力感は、何らかの代償行為を必要としていた。


 「本当に故郷を捨てなきゃいけないんだ、あたし達」

 「弱き者は支配されるか、滅び去るのみ。俺達はまだ恵まれている」

 「こんなにも悔しい思いをすることが? 仲間や家族を殺されて、惨めに逃げ惑う事が?」

 「高原に『狼公』が生まれていなければ、俺達は今もずっとハラウルに隷従していただろうな」


 狼公。ハルディンとニナウは繰り返し呟いた。


 「ウーラハンが、ガウーナ様がおいでくだされば」

 「その時は、その時こそ、俺達は、もう一度」

 「きっと来てくださるわ。だってそうでなければあたし達を助ける理由なんて無い筈だもの」


 一縷の希望を見出して目を輝かせる二人。アーメイは口を引き結んで狼を急がせた。


 行くものかな、そんなに上手く。


 自称ガウーナは確かに狼の一族を気にする素振りがあった。

 だがシン・アルハ・ウーラハンは違う。あの冷たい目をした男は、そんなに単純な存在では無いような気がした。



――



 「わー、なんじゃこりゃ! 光っとるが熱くないのう! ほんのりぬるい!」

 「ガウ婆、ソイツはLEDライト」

 「ほーほー、このテッカテカした絵がこの白い光を跳ね返して輝いとるように見えるわい」

 「ソイツはポスター。有名ロックバンド解散の時のレア物」

 「この毛皮ふっかふかじゃのー。どこにこんな毛皮の獣がおるんじゃ?」

 「ソイツは合成繊維だ」

 「ゴーセイセンイって獣かい。住処を教えてくれぃ、ワシも一匹仕留めてこよう」

 「ガウ婆、違う」



 マンションの自室で興味深げにあれこれ弄り回すガウーナに対し、太陽は少しも面倒くさがらず対応した。


 艶やかな黒髪をピョンピョン跳ね回らせながらガウーナはあっちこっち引っ繰り返している。それとは対照的にソルは極めて静かな佇まいで、ベッドに腰掛ける太陽の傍に控えていた。


 「疲れたぜ」


 時計の針は十二時を回っている。不慣れな土地で大立ち回りしたせいもあって疲労が濃い。


 「この装束……何という事じゃ、背に狼を閉じ込めておる。素晴らしい」


 ガウーナは太陽の洋服箪笥に興味を持ったようで、今はバックサイドに雪中で伏せる狼がプリントされたシャツを広げて感嘆の息を漏らしている。


 「どんな職人じゃったらこんな布が織れるんじゃ? いや、こりゃ染物か?」

 「そう言われると……俺も詳しくは知らねぇな」

 「秘伝って訳かい。まーそりゃそうじゃろうなぁ、ワシにも分かる程の凄い業前じゃし」


 感心しきりのガウーナ。恐らく違うんじゃないだろーかと太陽。


 ソルも黙ってこそいるがあれこれと気になって仕方ないようだ。


 「こっちの世界の事、兄貴から何か聞いたりとかは?」

 「なーんもじゃ」

 「マジ?」

 「まことです、ウーラハン」


 太陽の問い掛けにソルは跪いた。あーやめやめーと太陽はソルを立たせる。


 ソルは一事が万事こんな調子だ。太陽への敬意が”過ぎる”。


 「兄貴、フレックス制とかポンポン口にするくらいなんだから軽くでも説明しといてくれりゃ良いのにな」

 「それは……ウーラハン、あまりにも恐れ多き事です」

 「そうじゃてボン。ワシはまだ耐えられるがソルにはきつかろう」


 疑問符を浮かべる太陽にガウーナはシャツをびよんびよん引っ張りながら答える。


 シャツの裾が千切れそうになっていた。ああなるともうダメージシャツとして崩して着るしかないだろう。


 「あの戦神と真正面から向き合うなんぞとんでもない事じゃ。サシで言葉を交わしたらワシですらちびるかも知れん」

 「何でだよ」

 「ワシらと戦神殿とでは存在の格が違うわい。……ハッキリ言っちまうと情けねぇが、”恐い”んじゃ。

  逆にボンがなんで平然としておれるのか不思議でしょうがなかったぞい」


 ガウーナとソルは戦神の迫力にやられてしまうらしい。太陽はうーんと唸った。特に何とも思った事は無かったからだ。


 「クソ度胸には自信がある。兄貴は俺のそこらへんが気に入ったらしい」

 「ウーラハン、……それは、その……度胸と言う枠を超えておられますが……」

 「……兄貴に言わせると俺はここがおかしいんだってよ」


 とんとん、と頭を突きながら太陽は笑った。そうするとガウーナも笑うのだった。


 「勇猛は狂気にも似ておる。恐れを知らぬ主君でワシは嬉しいわ」

 「ぬっ。ウーラハン、俺も今、忠誠を新たにしております」


 何の対抗心なのか、ソルがまたまた跪こうとするので太陽はまたまたややめやめーと制止する破目になった。


 「窓のこれ、昔に北の方で見た硝子っぽいが、全然違うのう。つついても割れずに身を捩りおるし、硝子よりもよっぽど透き通っておる」


 ガウーナは直ぐに興味を散らした。お次は窓ガラスを突っついている。

 彼女にとっては軽く指で押しているだけのつもりなのだろうが、常人を大きく超えた力は窓ガラスにめりめりと悲鳴を上げさせていた。

 太陽は取り返しがつかなくなる前にガウーナを制止する。


 「色々気になるんだろうけど、今日はもう良いだろ。…………っていうかここで寝るのか? 俺の部屋で」

 「ワシはこのゴーセーセンイとか言う獣の毛皮で眠ってみたいが、いつもはボンがこれを使っておるんじゃな」


 ガウーナは毛布に鼻を寄せてすんすんと鳴らした。太陽は恥ずかしくなって眉をへにゃりとさせる。


 「濃い匂いがする」

 「……止めろよガウ婆」

 「こりゃご無礼を。お許し下され、ボン」

 「ウーラハン、我らの事はお気遣いなく」


 ソルが一礼した。


 「我ら、目録の中で常にウーラハンの御下知を待っておりますれば」


 へぇ、と太陽は漏らした。そういえばガウーナは自由自在に姿を消したり表したりできるようだった。ソルもそうなのだろう。


 「うえぇ、そんなん詰まらんぞい」

 「戦士ガウーナ、恐れ多くもウーラハンの御前だぞ。先ほどから目に余る」

 「ガタガタ抜かすな小僧。のうボン、ボンの忠実なる臣下ガウーナが御寝所に侍りましょうぞ。ワシに頭を撫でられながら眠りませぬか」

 「ガウーナ! ウーラハンを幼児扱いするとは!」

 「ワシぐらい生きとると皆孫の孫みたいなモンよ」


 ソルは強い口調で言うがガウーナは毛ほども堪えない。

 ここはガウーナにとって未知の物であふれたおもちゃ箱の中みたいな物だ。それに太陽もいる。

 ガウーナはどうやら太陽を甘やかしたくてしょうがないようで、何かにつけて世話を焼く。


 太陽はジャケットをハンガーに掛けながら言った。


 「誰かの呼吸音が聞こえてると眠れねぇ」

 「ほ? 無数の刃に囲まれても眉一つ動かさんのに、息の音が気になるのか?」

 「目が冴えちまう」

 「ガウ婆が子守唄を歌って差し上げましょうぞ」


 にこにこ笑顔のガウーナにソルが再び眉を吊り上げる。言い争いが再燃する前に太陽は口を挟んだ。


 「二人とも消えてくれ。流石に疲れた」


 がーん、とガウーナはあからさまに消沈した。


 「ぼ、ボン、そんなに怒らんでも」

 「怒ってない」

 「怒っとるじゃぁないか。ワシの事嫌いになったか?」

 「俺の睡眠時間を削るつもりなら嫌いになるかも知れねぇ」


 ぐぅぅ、と唸ってガウーナは姿を消した。


 ソルはこめかみを揉み解しながら溜息を吐いた。


 「……我ら狼の一族の大英雄が、まさかあのような気性の方だったとは……」

 「俺はガウ婆の事好きだぜ」


 太陽の言葉にソルは暖かさと親しみを感じた。

 真正直で寛容な方なのだな。ソルは小さく微笑みながら跪き、姿を消す。


 「では、ウーラハン。いつでもお声を」


 部屋に静寂が戻る。ガウーナが弄り回した所は散らかりっ放しだが片づける元気が無い。


 「(あー……風呂……)」


 入らなきゃ、とは思ったがベッドに背を投げたらもう起きる気がしない。


 「(まー良いか)」


 明日日曜だし。

 やっぱり土曜日って最強だな、と太陽は思った。

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