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狼公の死



 草原を奔れ狼よ。響く遠吠えに全ての軍兵、騎馬は恐れおののけ。



 陽の光と風が強かった。草原の若草を踏み躙って、高原の部族が誇る狼騎兵が疾走した。


 巨大な狼とそれに跨る老婆。気勢を上げて曲剣を振り回す。

 これでも御年八十歳。誰も信じちゃいないが。


 「若造がーッ! 尻を齧ったらぁーッ!」


 老婆の視線の先には重装歩兵の集団がいる。脇には騎兵。後ろには弓兵。

 指揮官たる偉丈夫が更に後方で全てを統括している。蜂蜜色の髪と髭が特徴的な大男は、冷や汗を掻きながら唸った。


 「なんと全く、いつまでも元気なご老人だ」

 「マウの倅! ワシの首が欲しいらしいじゃないか! 取って見ぃ!」


 老婆は吠える。編み込まれた白髪が布冠から溢れて風に靡く。


 元気なだけの老婆ではない。尋常でない怪力。尋常でない足腰。そして鼻の良さと勘の良さ。

 大陸中部高原地帯の部族を強力に纏め上げ、確固たる勢力を築き上げた女傑。


 狼騎兵ガウーナ。


 大陸南方に拠を置き古から影響力を強めてきた歴史ある王国によって『狼公』とまで号された女だ。

 今は老いたが、だからなんだ? この狼は、歳を取っても狼のままである。


 「狼公ーッ!」

 「応よー!」

 「いい加減、お前の武名に頭を抑えつけられるのには飽き飽きだぁーッ!」

 「若造! 後二十年軍歴を積んでこんかい!」


 怒鳴り合うガウーナと偉丈夫。

 ガウーナがそれを打ち切って、ハウ! ハウ! ハウ! と奇声を上げると、背の高い繁みから戦士を乗せた十頭の狼達が飛び出した。


 布冠を被り、弓と曲剣を携えた若き狼騎兵達。重装歩兵の脇腹を突く配置だ。


 「読んどったわ、婆」

 「狼ども! 食い破れ!」

 「怯むな! ガウーナだけを殺せれば良い!」


 盾で戦列を組み、長槍を突き出す歩兵達。弓手は既に射撃の準備を終えている。


 一騎で疾走するガウーナに矢が降り注ぐ。ガウーナの騎獣、灰色狼のシドは稲妻のように左右に跳躍する。


 「騎兵に新手の相手をさせろ」

 「はっ、しかし」

 「良いからやれ」


 疑問の声を上げる部下に命令し、指揮官は騎兵を新手に差し向けた。

 悪手なのは承知の上だ。馬は狼を恐れる。例え軍馬であったとしても、余程入念に調練しなければ狼騎兵の前では全くの無力だ。そしてどれ程鍛えたとしても互角にはなれない。


 時間稼ぎ以上は求めていない。


 「行くぜ若造!」


 ガウーナは言うと同時に飛んだ。灰色狼シドの驚異的な跳躍。


 老婆と巨大な狼は重装歩兵の戦列の頭上を一っ跳び。瞬く間に弓手達に食らい付いた。


 「わーっはっはっはー!!」


 シドが一人の頭を丸かじりする間に、ガウーナが曲剣で一人の首を撥ねている。

 骨なんて物無いんじゃないかと言う感じで綺麗に首が飛び、血飛沫が上がる。兵達は恐慌に陥った。


 ガウーナは更にシドを跳躍させ、指揮官の前に躍り出る。

 素早くシドから飛び降りて指揮官と一騎討ち。シドは周囲を威嚇し、横槍を許さない。


 「殺すぞ婆! 嫌なら隠居しろ!」

 「おめーらのせいで隠居出来なくなったんじゃろがい!」


 激しく切り結ぶ指揮官とガウーナ。


 そりゃ、ガウーナももう八十歳。隠居どころか墓に入っていておかしくない。

 しかしそうも行かない。今相対する男の祖国は、卑劣な策謀と毒薬によって高原の部族の首領達を悉く暗殺してくれやがった。


 後に残ったのは如何にも頼りない連中である。ガウーナが戦わざるを得なかった。


 それにこの戦いだって、実を言うとこの男の掌の上だ。離間工作によってガウーナは少ない、しかも全く準備の整っていない手勢で戦に臨む破目になった。


 「ワシがここで死ぬとしても!」

 「なんだ!」


 鍔迫り合い。


 「てめーだきゃー殺すからのう!」

 「……よかろう!」


 周囲の兵達がシドの牙を掻い潜ってガウーナに殺到する。シドは所詮一頭の狼、幾人もの手練れを同時に足止めは出来ない。


 ガウーナは背後から突き出された槍を身を捩って避けた。そこに新手の体当たりが来るが、膝で顎を蹴り上げる。

 曲剣が鉄の鎧を両断する。山の神々の加護の許、炎の蛇の燃え盛る血を用いて鍛造した刃だ。どのような鎧であろうと斬り捨てる。


 「じゃかぁしい木端ども!」


 ガウーナは踊るような脚捌きで前後左右に体を振る。兵の脇を擦り抜け、時に猪突猛進な彼等の勢いを利用し、巧みに戦う。


 だが、限界はあった。重装歩兵達が大盾で周囲を取り囲み一斉に走り込む。ガウーナはそれに圧し潰され、ぐえぇと悲鳴を上げた。


 だらっしゃー! 気合一発、脚力で大盾を押し返すも其処に槍が突き出される。

 脇腹に突き刺さり臓腑を抉る穂先に流石のガウーナも血を吐いた。


 ガウーナの氏族マルフェーが最高峰、伝説の戦装束を血が汚していく。

 “返り血すら浴びぬ白の誉れ”が、ガウーナ自身の血で濡れる。


 「ドニぃッ!」

 「なんだ婆!」

 「このガウーナを舐めんなよ!」


 血を吐いたガウーナに周囲の兵士は安堵した。当然、安堵するには早過ぎた。

 腹に突き刺さった槍を圧し折り、ガウーナは今度こそ気合一発大盾を蹴り退けた。

 転倒した兵士の頭を踏み砕き、その後ろにいた兵士に飛び乗って、もう一度跳躍。


 指揮官ドニは退かない。指揮官が一騎討ちなど悪手も悪手だが、彼は応じたのだ。

 逃げた所でこの婆から逃げ切れるも思えなかった。


 「怪物め!」


 その怪物が、お前の頭を食らってやるわ!


 ガウーナの曲剣がドニの首に食い込んだ。



――



 夕暮れの草原を、狼騎兵スーセは駆けた。背後にマルフェーの戦士が四十騎続く。

 本来はもっと多くの戦士達がいて、スーセはそれらを纏め上げる立場にあった。少なくともその血族だ。


 しかしスーセは年端もいかない若すぎる女。戦士達を従える力に欠けていた。


 「婆様!」


 スーセは草原の先に目的の人物を見つけた。夕暮れの太陽を背負ってゆらりゆらりと進む狼騎兵達。

 ガウーナだった。スーセは目が良い。大急ぎで狼を駆けさせる内に、ガウーナの戦装束が真っ赤に染まっている事に気付く。


 あれは返り血ではない。


 「婆様! 婆様!」


 スーセが辿り着くと、ガウーナは堪え切れずに騎獣シドから落下する。

 草原の若草に背を預けたガウーナを、スーセとシドが覗き込む。

 ガウーナの率いていた狼騎兵達は涙を堪えていた。声すら出せなかった。息すら出来なかった。


 シドはスンスンと鼻を鳴らす。長い舌でガウーナを嘗め回し、きゅうんと鳴く。

 致命傷なのは明らかだ。


 「情けなや……年を取ったわ……」

 「婆様、御免なさい、間に合わなくて……」

 「良いて。仕方ない事じゃ」

 「でも、でも、婆様が」


 スーセは桃色の唇を血が出る程に噛み締めた。


 「スーセ、ワシの可愛い孫の孫。夜のような黒髪、稲妻のような瞳、そして……炎のような心臓」

 「全部婆様に貰った物です。母や、母の父から受け継いで」


 ガウーナは目を閉じた。顔に生気が無かった。

 青ざめた頬にスーセの涙が落ちる。


 「スーセ、お前に従う者だけでよい。西へ移れ。戦った所で勝てぬ」

 「でもそれは、婆様の仇を」

 「たぁけ。この婆の仇なんぞなぁ」


 ガウーナは大きな大きな溜息を吐いた。魂を吐き出すような息だった。


 「アレーリ、アレーリ、母なる大地よ……。

  我が肉体を呑みこんで行け。肉は獣に、骨は土に。

  そして魂は……」

 「婆様!」


 ガウーナは祈りの言葉を即興で変えた。


 「……やっぱりお前が心配じゃぁ、スーセ。

  アレーリ、母なる大地よ。我が魂はお前の許へは戻らぬ。

  戦神よ! 大陸を相手取った異邦の神よ!

  我が魂を捧げる! 寄る辺なき我が子孫達に加護を与えてくれぃ!」


 スーセは恥じ入った。マルフェーの戦士は死後の安らぎを母なる大地アレーリに祈る。

 ガウーナがそうしなかったのはスーセが頼りないからだ。スーセに力が無いから、ガウーナは安心して死ねないのだ。


 『本当か?』


 ガウーナは耳鳴りと共に何者かの声を聴いた。

 誰か、と聞き返そうとするが声が出ない。目は霞んでいて、スーセだけが辛うじて見える。


 「(戦神か、ワシの声が届きたもうたか)」


 ガウーナはゆっくりと目を閉じた。そして、呼吸するのを止めた。



――

 妄想をぽしょぽしょ吐き出してたら溜まってきちゃったから形を整えて放出するよ。

 (^q^)

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