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私は雑草だ。刈りとられてもまた生える。


            チャップリン

 西へ大きく傾いた太陽が色褪せ、レースのカーテンを通して哀愁を見せつける。

 壁の隅にテーブルを寄せたディルームは、ちょっとしたホールに様変わりしていた。一階から、二階から、続々と入居者が集まり、三十人以上が友里と太一を囲むようにして今か今かと演奏のはじまりを待っている。

 だが、そのほとんどはやはり無表情だ。目を輝かせているのは夢子さんを含めて数人ぐらいで、大半の人は事前にバイオリンの演奏だと聞かされているのに関わらず、これから何がはじまるのか失念していた。

        

「源さんはどの人?」

 気になるのか友里が耳打ちしてきた。

 太一は、一人一人の顔を確認して「いない」と答えた。

「そうなの……じゃ、そろそろはじめるわね」

 友里が廊下に目を向けて残念そうな表情を見せる。

 元々この企画の狙いは、源さんに聴かせて反応を確かめたかったというのが原点にあるからだろう。源さんがいなければ演奏する意味だってないはずだ。

       

 しかし友里はホームの実情を知って、自分のことより入居者の癒しを優先した。バイオリンの秘められた力、それをおそらく彼女も信じているのだ。

 その心境の変化は太一として喜ばしいことである。源さんのみならず夢子さんや松本さんなど、すべての入居者の記憶をバイオリンの音色によって蘇らせる目論見を太一も強く持っているからだ。

 大部分の人が粗大ごみ、いや狂人扱いされたあげくホームへ追いやられてきた。だけど彼らが若い母や父だった頃のことを思い起こせば、そこにまぎれもない大切な温もりがあったはず。

 太一もそうして育てられてきた。でも慌ただしい都会生活の中ではその感情も薄まってしまうので、つい忘れがちになる。一瞬でもいい、失った親子の温もりを取り戻す手助けができればそれに勝るものはない。

      

 夕日が赤味を増し暗影が曖昧になったとき、友里が弾きはじめた。

 『故郷』だ。いきなりライムライトに入らず、まずは入居老人のことを考えて曲目を選択した結果なのだろう。耳に馴染んだノスタルジックなメロディと普段聴き慣れないバイオリンの音色に、幼い頃の記憶を交錯させたのかもしれない。入居者がうっとり耳を傾けた。身を乗りだすようにして聴き入った。

 曲は同じでも、皆それぞれ思い浮かべる情景は歩んできた人生と一緒で、違う。太一は津波に呑まれた祖父と川遊びに興じた少年時代を思い出し、胸を絞めつけられる郷愁に、気がつくと口の中で湿り気のあるハミングをしていた。あの頃の祖父は、今も太一の胸の奥で懐かしい笑顔を弾けさせている。

       

 余韻を引きずったまま友里の一曲目が終わった。涙目になった夢子さんが立ち上がって手を叩いていた。無表情だった人たちも縮小した脳に何かを呼び覚ませたのだろうか、目を輝かせている。

 けれどその余韻は一人の男の登場によって、演奏に費やした時間を一気に拭い去ると、あっけなく崩壊した。


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